第44話 Liberté absolue
野生の咆哮。崩れ落ちるコンテナ。
その合間をぬって飛び交う、剣と炎。たくましい拳と肉食竜の牙。
第四貨物庫は、人外たちの戦場と化していた。いづなは崩れ落ちたコンテナを、八双飛びに渡り切り、マーシャルの攻撃をかわした。
マーシャルは吸血鬼特有の身軽さで、いづなの後ろにぴったりとつけてくる。気絶した人間を背負っての戦いは、いづなが想像していた以上に苦しかった。唯一の幸運は、清美の目覚めが近いらしく、霊力がほぼ全快していること。そうでなければ、とうにやられていただろう。幹部クラス相手の戦いは、それほどまでに厳しかった。
やや離れたところで、牛鬼がティラノサウルスと対峙していた。
その正体は、変身能力を持つ十三不塔だ。蘆屋邸では頼もしく思えた能力も、今となってはうざったいことこの上なかった。
「ちょこまかするな小僧ッ!」
牛鬼は、肉食竜の頬に拳を振り下ろした。恐竜は拳を素早く避け、かぎ爪を打ち鳴らしてコンテナの上を逃げ回った。牛鬼はそれを追うことなく、いづなへと顔を向けた。
「おい、いづなッ! 出口はどこだッ!?」
「あちらです!」
いづなは、倉庫の反対側をゆびさした。だがそこには、マーシャルが立っていた。
さらには一向聴もスタンバイしている。
うまい具合に出口をふさがれてしまった。
いづなたちは背中合わせになってそれぞれの主人を守る。
牛鬼はいまいましそうに、
「くそッ! あと少しだと言うのにッ!」
と吠えた。
あと少し。それが蘆屋道遥の目覚めであることは、いづなにもすぐ察しがついた。蘆屋と清美が意識を取戻せば、形勢は一気に逆転する。マーシャルたちもそのことに気付いているからこそ、こうして攻勢に出たのだ。
このままでは埒が開かないと見たのか、マーシャルは大声を上げた。
「イーシャンテン殿! 私が攻撃を担当しますので、援護をッ!」
「アイヨ!」
自分が標的か。いづなは舌打ちをした。まるでそれが合図であったかのように、ふたりは襲い掛かってきた。いづなは、獣の瞬発力でその場を飛びのいた。
剣先がいづなの衣服をかすめ、肌からうっすらと血が流れた。
反撃しなければ──だがどうやって? 一向聴の能力は、彼女も承知していた。おかしな呪文で、他人に不幸を起こすことができるのだ。それだけでは防御にしか使えないのだが、戦闘力の高いマーシャルと組むことでその真価を発揮する。
いづなが状況を分析するヒマもなく、マーシャルは二撃目をはなった。寸でのところで刃をかわし、いづなはコンテナの最上段に逃げ込んだ。倉庫内を一望し、どうにかして出口までのルートを模索した。あまりにも遠い。
左のほうには、牛鬼と十三不塔の獣じみた戦いが見えた。
(清美様……早くお目覚めください……)
おぶった清美に、いづなはそう願う。だが治癒能力のない彼女の祈りでは、事態が好転するはずもなかった。清美はまぶたを上げなかった。
失望するいづなを目指し、マーシャルは地上から一気に駆け上がって来た。コンテナの弾む音が終わるや否や、いづなの眼前に吸血鬼のマントがひるがえった。
間に合わない。疲労で回避行動が遅れてしまったいづなの耳に、牛鬼の声がとどろいた。
「蘆屋様がお目覚めだッ!」
時間が止まったような感覚。
目の前の吸血鬼は、顔色を変えてコンテナから飛び降りた。
「ま、待つアル! どこ行くアルか!?」
「イーシャンテン殿、あちらへッ!」
なにやら言い争う声。十三不塔も鳥に変身し、牛鬼のそばを逃れた。
蘆屋道遥の名声に、いづなはこれほど感謝したこともなかった。
牛鬼はいづなに向かって、
「いづなッ! こっちだッ!」
と誘導した、いづなは、コンテナに囲まれた倉庫の隅へと避難した。
「蘆屋様は……!?」
いづなの口を、牛鬼の巨大なひとさしゆびがふさいだ。
彼の肩にかつがれた蘆屋道遥は、その目を閉じたままだった。
牛鬼の時間稼ぎだったのだ。
すぐにバレるだろう。そう思ったいづなは、
「は、早く脱出せねば……」
とつぶやいた。
今のうちに逃げなければ。そう思ったいづなだが、出口はまさに、敵が逃げた方向。マーシャルの咄嗟の判断だろう。あなどれない男だった。
なにかいいアイデアはないか。逡巡するいづなに、牛鬼は早口で策を伝えた。
「俺が蘆屋様と安倍清明をかつぎ、出口へ突っ込む。おまえは俺の前に立ち、あのアルアル女に炎をはなて」
単純明快な作戦。いづなは怪訝そうに言葉を返した。
「しかしあの女、不思議な術を……」
「知っている。俺はあいつと共闘したことがあるからな。だがあの技は、無生物には効かんのだ。炎をぶつけられたら、間違いなく避けるだろう。身軽な状態なら、おまえはマーシャルと互角に戦えるはずだ。いや、戦えとは言わん。一瞬気を逸らさせてくれればいい」
互角。いづなは自信がなかった。防御防御でやられないのが関の山かもしれない。
とはいえ、この作戦を練り直す時間はなかった。こちらが攻撃してこないと分かれば、蘆屋が目を覚ましたという嘘などすぐにバレてしまう。
「……分かった。できる限りのことはする」
いづなは清美を牛鬼に渡し、両手の爪を立てて気を高めた。長い髪が宙に浮き、青白い炎がいづなの周囲に漂い始めた。
ここまで霊力を解放したのは、生まれて初めてだ。
心地よい闘志の中で、いづなは牛鬼へふりむいた。
「牛鬼殿、式神同士なら分かると思うが、我々の最優先事項は主たちの救出。もしわたくしの身になにか……」
「そういう死亡フラグの立て方は、NGだ」
真っ赤な瞳に、牛鬼はほほえみをもらした。
それを見つめ返すいづなも、にやりと笑った。
「では行くぞッ!」
「お任せあれッ!」
いづなを先頭に、ふたりは全力疾走する。
敵が動く気配はない。蘆屋が戦える状態かどうか、見極めかねているのだろう。
好都合だ。いづなは手のひらで炎を作り、牛鬼の作戦をもう一度復唱した。
その瞬間、頭上で十三不塔の声がした。
「蘆屋は意識不明だ! そっちへ向かってる!」
見上げれば、一羽のカラスが旋回していた。
しかし、これは好都合だった。残すは中華娘と吸血鬼のみ。
いづなの足がはずむ。出口が見えてきた。
「イーシャンテン殿ッ! 援護をッ!」
「分かったアル!」
コンテナの隙間から、マーシャルと一向聴が飛び出して来た。
いづなはタイミングを見計らったかのように、一向聴に炎をはなった。
「アイヤ!?」
一向聴はあわてて炎をよけ、手近なコンテナの上に飛び乗った。
獲物を捕らえ損ねた炎は、そのままドラム缶にぶつかり、中の液体が飛び散った。
食料品のようだ。あたりに甘い香りが漂った。
一向聴の逃亡に不意を突かれ、マーシャルはその場に立ち止まっていた。いづなはそれを機と見て、一気に襲い掛かる。
「マーシャル! 覚悟!」
これには牛鬼がおどろいた。
「馬鹿ッ! そういう作戦じゃないだろッ!」
大丈夫だ。ひと太刀構えるだけ。そう思ったいづなの背中に、強烈な痛みが走った。
いづなは地面に転倒し、背中を押さえる。べったりとした液体の感触。
それが自分の血だと分かるまで、数秒と掛からなかった。
ふりむくと、翼竜から人間へともどる十三不塔の姿があった。
「いくら攻撃力が低いからって、あまり見くびらないで欲しいね」
不敵な笑みを浮かべる十三不塔。その後ろから、一向聴が顔をのぞかせた。
「そうアル! あたしたちを見くびっちゃ駄目ネ!」
便乗してきた同僚に、十三不塔は冷たい視線を送った。
「あのさ……ああいう大事なシーンで逃げるのはアウトでしょ……?」
「だ、だって丸焼けになっちゃうヨ」
すでに勝利を確信しているのか、ふたりは会話に夢中になっている。
まだ負けてはいないはずだ。牛鬼さえ逃げ切ってくれれば──
痛みに耐えながら、いづなは牛鬼の姿を探す。そして、絶望的な光景が目に映った。
「ぎゅ、牛鬼殿!?」
牛鬼は胸から血を流し、片膝をついてその傷口を押さえていた。
彼の前に立っているのは、血のしたたる剣を構えたマーシャル。両肩に人を乗せていては、さすがの牛鬼も、吸血鬼のスピードに対応できなかったのだろう。ふたたび自分が大きなミスをしてしまったことに、いづなは死にたくなった。
いっそのこと、ここで首でも刎ねてくれれば──一縷の望みを絶たれたいづなは、歯を食いしばって地面を叩いた。背中に走る激痛が走った。
十三不塔は勝ち誇ったように、腰に手をあてた。
「まあまあ、そんな顔しないでよ。別に殺そうってわけじゃないんだからさ。ふたりを上海行きの飛行機に乗せてくれれば、それで……」
マーシャルが割り込んだ。
「シーサンプーター殿、ボーディングタイムまで時間がありません。おしゃべりはそこまでにして、アシヤ様たちをコンテナに」
マーシャルの言葉に、牛鬼は鋭い睨みを利かせた。
絶対に主人は渡さん。そんな顔をしている。
マーシャルは警戒心を解くことなく、一歩一歩牛鬼に近付いた。
「ギュウキ殿、あなたの忠誠心に、敬意を表させていただきます。しかしながら、この状況では私たちの案が最善。おふたりをお引き渡しください」
マーシャルは、さらに一歩前へ出た。
彼の殺気が高まっているのは、遠くにいるいづなにも分かった。
十三不塔と一向聴も、固唾を呑んで見守っている。
「もう一度だけ言います。お引き渡しください」
「……断る」
牛鬼の答えに、いづなは共感を覚えた。
主人の命は自分の命よりも重い。それが式神の掟。
「そうですか……では、あなたの覚悟通りにさせていただきましょう」
マーシャルは剣をにぎりしめ、牛鬼の心臓に狙いを定めた。
いづなが叫ぼうとした瞬間、天井から高らかな笑い声が聞こえた。
「ハイハーイ、みなさんそこまでよ!」
ライトの光を浴びた人影が、ひらりとコンテナから舞い降りた。
ジーンズにTシャツ姿の女が、人間らしからぬ跳躍力で地面に着地した。床から天井まで10メートル以上。普通の人間なら、投身自殺に値する高さだ。
その場の注目を一身に集めながら、女は髪をかきあげた。
「ずいぶん物騒なことになってるじゃない? ここはお姉さんが仲裁してあげましょう」
一向聴はびっくりして、
「おまえ、誰アルか!?」
とたずねた。
その横で、十三不塔は膝を震わせていた。
前に出ようとする一向聴の肩をつかみ、あわてて引き戻した。
「な、なにするネ!」
「この人はオルレアンの魔女だよ」
オルレアンの魔女。いづなには聞き覚えがなかった。
一方、一向聴は十三不塔の背中に、ぴょんと身を隠した。
「アヤヤ……失礼しましたアル……」
「あら、別にいいのよ。そんなにおびえなくても」
オルレアンの魔女と呼ばれた女は、気さくな笑みを浮かべた。
そして、マーシャルの方へ向きを変えた。
「えーと……マーシャルだけ?」
「はい……ジャンヌ様も、御機嫌麗しく……」
ジャンヌ。それが女の名前か。いづなはズキズキと痛む背中を押さえながら、ジャンヌと呼ばれた女の横顔を凝視した。十三不塔だけでなく、マーシャルも女に畏怖の念を抱いているようだった。だとすれば、相当な大物にちがいなかった。
「ほんと久しぶりねえ。もしかして100年ぶり?」
「おそらく……ところで、なんの御用でしょうか? 私たちは少々急いでおります」
おつかいの途中で呼び止められたかのような言い草だった。
流血までさせられたいづなには、それが気に喰わなかった。
同時に、自分が情けなくなってきた。
ジャンヌは肩をすくめて、
「まあまあ、そんな怖い顔しないでよ。仲裁にきてあげたんだから」
と言った。マーシャルは無表情に、
「仲裁……? いかなる仲裁ですか?」
とたずねかえした。
「見れば分かるでしょ。日中独のいざこざなんて、ちょっと穏やかじゃないわよ。ここはわたしが中立的な立場で、裁定を下してあげるわ」
勝手に仲裁を引き受けて、勝手に裁定をくだした。
どういうつもりなのだろうか。いづなはだんだんと意識が朦朧としてきた。
「あら、納得しないの?」
マーシャルは、
「……『複数の組織間で紛争が発生した場合、仲裁資格者の立ち会いの下、仲裁を行うことができる』。それが悪の国際慣習法です。ジャンヌ様は独自の組織をお持ちではありませんが、れっきとした有資格者。私たちは一介の幹部に過ぎません。ここはお言葉に従うことに致しましょう」
と言って、剣を収めた。十三不塔と一向聴も文句を言わなかった。
それどころか、牛鬼すら半ばあきらめ気味な顔をしていた。
いづなだけが、この場の展開についていけなかった。悪の国際慣習法などと言われても、彼女にはさっぱり見当がつかない。分かるのは、この場にいる悪人たちが、その国際慣習法とやらを尊重しているということだけだ。
いづなの困惑をよそに、ジャンヌは先を続けた。
「それじゃ、まずは状況を説明してちょうだい」
ジャンヌの問いに、マーシャルが代表して答えた。
彼はあくまでも第三者的に事情を説明する。誰も口を差し挟まない。
すべてを聞き終えたジャンヌは、うーんとわざとらしくうなってみせた。
「上海行きは、だれの決定なの? エミリア? ワン?」
「シーサンプーター殿のご提案です。エミリア様からは許可を得ました」
マーシャルの返事を受け、ジャンヌは十三不塔へと顔を向けた。
「ワンも同意してるの?」
「いいえ、連絡方法がないので」
十三不塔は簡潔にそう答えた。
「ということは、首領クラスのもめ事じゃないわけね……」
ジャンヌは両腕を組んで考え込んだあと、パチリと指を鳴らした。
「だったらこうしましょう。全体的な話は、マーシャルに分があるわね。だからまずアシヤたちを上海に運んで、もしアシヤが滞在を拒否する場合は、そのまま直行便で関西空港に送り届けることにしましょう。式神はアシヤたちの意思を尊重するって言うんだし、これなら文句ないでしょ?」
誰も口出ししなかった。ジャンヌはそれを了承と受け取り、マーシャルに目配せした。
「あとはエミリアの同意を得るだけだわ。電話ある?」
「……しばらくお待ちください」
マーシャルは懐から携帯を取り出すと、国際電話を掛け始めた。
数秒と経たないうちに会話が始まった。
「もしもし、エミリア様ですか。マーシャルです。実は……」
いづなは耳をかたむける。なんとなく声を拾うことができた。
《はあ? なんでジャンヌがそこにいるの?》
「なぜとおっしゃられましても……私も存じ上げません。とにかく取り次ぎます」
エミリアが抗議する前に、マーシャルは端末をジャンヌへ手渡した。
ジャンヌはこめかみの髪をかきあげて、それを耳元に当てる。
「もしもし? エミリア? おひさしぶりー。あのさあ、ちょっと海外旅行で東京へ寄ったらこんなことになっちゃっててー。それでねえ、もうすぐパリに帰るから、今度イギリスのメアリーも呼んで3人でコーヒーでも……」
ジャンヌの肩に、マーシャルの手がかかった。
「海外料金ですので、手短に……」
マーシャルの注意を受け、ジャンヌも本題に移った。
これまでの状況と自分の裁定を、簡潔に伝えた。
「……というわけなんだけど、これでいいわよね?」
《ふーん……あんたに仲裁されるのはなんか癪だけど、あたしはそれでいいわよ。こっちは会議で忙しいの。まだなにも決まってないんだから》
「それじゃあ、これで万事解決ね。ところでさっきの話なんだけど、パリで……」
話題を転じたジャンヌに、ふたたびマーシャルは歩み寄った。
「ジャンヌ様、時間がありませんので、携帯をご返却ください」
敬意を払いつつも断固とした態度で、マーシャルは手をさしだした。
ジャンヌは名残惜しそうに、別れの挨拶をする。
「じゃあね、エミリア。Au revoir」
《Alles klar, tschüs》
そこで会話は途切れた。
「では、これにて一件落着!」
ジャンヌはビシッとポーズを決めた。
なんと言う折衷案。一見公平な裁定に見えるが、ひとりだけ納得しない人物がいた。いづなである。上海に連れ込まれれば、既成事実として日本へ帰るとは言い難くなる。実質的な国外逃亡に等しい。
清美を助けなければ。意識の混濁で思考がまともにできないいづなは、炎を練り、ふらふらと立ち上がった。
全員の視線が、一斉にいづなへと注がれた。
「あら、あの狐ちゃん大丈夫? 血まみれだけど」
ジャンヌは、とぼけたような声を上げた。
いづなは崩れ落ちそうになる足腰を支えながら、彼女に睨みを利かせた。
「このいづな、貴殿の裁定は受けぬ……」
いづなの拒絶に、場の空気が凍り付いた。
牛鬼が血相を変え、いづなを制しにかかった。
「馬鹿なことをするなッ! 殺されるぞッ!」
「殺されても構わぬ……牛鬼殿は、式神の宿命をお忘れか……」
「裁定はたとえ蘆屋様とてくつがえせぬッ! これは俺たち悪の掟だッ!」
「問答無用ッ!」
いづなは最後の力を振り絞り、ジャンヌに向けて炎を放った。これに驚いたのは、ジャンヌではなく周りの面子だった。
襲い掛かる炎を前に、ジャンヌは涼しげな顔をした。
「絶対自由!」
謎の呪文。霊力を打ち破るまじないかと思いきや、ジャンヌはそのまま炎に包まれた。
やったのか。事の成否も分からぬまま、いづなはそこで意識を失った。




