第41話 日本脱出
マーシャルは、駅の時計を見上げていた。
時刻表と照らし合わせる。リニアの到着までは、まだ時間があった。
「十三不塔殿、他のメンバーと連絡は取れないのですか?」
乗車待ちの人々でごった返す品川駅ホーム。その人混みに目を配りながら、マーシャルは相手の返事を待った。十三不塔は手近な柱に寄りかかって、腕組みをしていた。足下をじっと見すえている。周りの人間に聞こえないよう、そっと答えを返した。
「ロボット女に、タブレットを壊されちゃったんだよね……それに、一向聴お姉ちゃんは機械音痴だから、携帯すら持ってないし……」
「いったい、どういう了見なのですか。組織間で連絡が取れないとは……」
マーシャルは呆れたように、そう吐き捨てた。侮辱と取れなくもないが、ここで争っても無益だ。そう考えた十三不塔は、あくまでも冷静に先を進めた。
「まあまあ……実はこういうときのために、特別な連絡方法があるんだよね。かなりアナログだけど、一向聴お姉ちゃんも覚えてるだろうし、その点はいいとして……僕らが京都で合流する約束になってるのは、本当なの?」
「それは間違いありません。事前の打ち合わせで、万一の場合には各自戦線離脱し、京都の旧蘆屋邸へ集合する手筈になっていました。ですからこうして……」
マーシャルはそこで、2枚の紙片を見せた。
「リニアの切符も買ったのです。交通封鎖が始まる前に、東京を脱出せねば……」
東京脱出。隠密課も被害が大き過ぎたのか、それともさすがに関東の交通網を麻痺させることはできないのか、交通規制が発動された気配はなかった。だからこうして、謎の金属生命体から逃れたふたりは、新宿駅で悠々と列車を待っていた。
時刻表には10:27発大阪行きの文字。まだ出発まで10分以上ある。駅弁を買う余裕すらあった。ふたりとも金欠でなければの話だが。
「今回の出費、あとでエミリア様になんと弁解すればよいのか……」
「まあ、資金問題は追々考えるとして……京都へ行くかどうかだよね」
十三不塔の台詞に、マーシャルは眉をひそめた。
相手の言いたいことは、十三不塔にも分かった。京都で集合するのだから、京都へ行くのは決定事項だ。そう思ったのだろう。案の定、マーシャルは同じことを口にし始めた。
「京都で落ち合うことになっているのです。とりあえず京都へ行かねば話が……」
「そこなんだよね……本当に京都は安全なのかな?」
沈黙。ホームを歩く人々が、ふたりに好奇の眼差しを向けていた。さすがに衣装は変えたものの、外国人と子供の組み合わせでは目立ってしまう。なるべく会話を聞かれないように注意しながら、マーシャルは言葉を返した。
「それはどういう意味ですか? 少なくとも東京よりは安全かと思いますが?」
「そりゃ東京よりは安全だろうさ。でもね、蘆屋一族も安倍一族も、もともとは京都で暮らしてたんだよ。京都が日本の首都だったんだからね。彼らが東京へ来たのは、明治維新で遷都してからさ」
十三不塔の説明で、マーシャルも全てを察した。
「つまり、隠密課は京都に目を付けてくると、そうおっしゃるのですか?」
「断言はできないけど、日本で2番目に危ないんじゃないかなあ。関東から脱出したことがバレたら、真っ先に疑われるのが京都だと思うよ」
「しかし京都に目を付けたとしても、もはや手遅れです。アシヤ様もキヨミさんも回復しているでしょうし、そうなれば隠密課とは互角に戦えるはず」
果たしてそうだろうか。十三不塔は疑問に思う。今回の戦いには、当の式神もかなりの数が参加していた。蘆屋のダウンで霊力が落ちていると分かっていても、戦力不足だからそうせざるを得なかったのだ。そしてその大勢がやられてしまったことを、十三不塔はその目で目撃していた。どれほどの被害が出たのか、正確には分からない。ただマーシャルの観測は、楽観的過ぎるように思われた。
「うーん……」
十三不塔が黙考していると、彼の脳裏にふととんでもないアイデアが閃いた。あまりにも大胆過ぎて、十三不塔自身がとまどったほどだ。
「なにかいい考えが浮かびましたか?」
相手の表情を読み取ったマーシャルは、静かにたずねた。
「いい考えかどうかは分からないけど……」
十三不塔は、さらに考慮時間を重ねた。マーシャルは黙ってそれを待った。こういうところは性急な一向聴よりも助かった。
とはいえ、十三不塔は一向聴のこともかなり気にかけていた。防御に定評のある一向聴のことだから、まさか戦死したとは思いたくなかった。
「……いいかどうかは分からないや。でも、やってみる価値はある」
「アイデアだけでもお話しください」
「国外脱出だよ」
マーシャルは、あっけに取られたような顔をした。
しかし、すぐさま気を取りなおした。
「どういうことですか?」
「文字通りの意味さ。このまま成田空港へ向かって、上海に行くんだ」
「上海?」
マーシャルはその都市の名を繰り返し、それから考え込むようにうなった。京都へ向かう当初の予定と比べれば、明後日の方向だ。
十三不塔の真意が通じるまで、それほど時間は掛からなかった。1分と経たぬうちに、マーシャルは顔を上げた。
「王の組織と合流して、中国大陸で決着をつける作戦ですか?」
「そういうこと」
無謀過ぎる。マーシャルの顔は、言わずともそう物語っていた。
十三不塔はここまで積み重ねた思考を披露する。
「いいかい、蘆屋一族は式神が多くやられて、もう組織として機能しないんだ。安倍清明が味方についたところで、じり貧だよ。それにうちの組織も火の車。だったらお互いに合流してまずは北京警察を押し返し、それから日本政府と戦っても悪くはないと思う」
「各個撃破ですか……しかし隠密課は、北京警察と組んでいるはずです。こちらが逃げたことに気付けば、中国まで追ってくるでしょう。それでは意味が……」
「だから、僕たちだけで脱出するんだよ」
一見身勝手に思える行動。けれどもそれは、計算づくの答えだった。
マーシャルにも、その意図はすぐに伝わった。
「なるほど……アシヤ一族に残っている戦力の支柱は、ミチハル・アシヤ本人とセイメイ・アベ……そのふたりだけ中国に運び、あとは囮にすると……」
「さすがは吸血姫の侍従武官だね。理解が早い」
はたから見れば、生意気以外の何物でもない口の利き方だった。けれども、十三不塔とて四風仙のひとりなのだ。組織の序列で自分が劣っているとは考えていなかった。むしろ、いちいち敬語で話し掛けてくるマーシャルの態度のほうが、十三不塔には不気味に感じられた。
一方マーシャルは、そんな上下関係など全く気にせず、ひたすら考えを巡らせているようだった。今度は十三不塔が相手の結論を待った。
「……分かりました。リスクは伴いますが、その案に乗りましょう。しかし、成田空港からどうやって上海へ飛ぶのです? それこそ出国管理に引っかかり……」
「それは僕に任せて。成田から上海への定期便には、組織の息がかかっているものがあるんだ。密入国用の貨物室に乗せてもらおう。次の便は……確か今日の正午過ぎだ!」
渡りに舟とはこのことだ。十三不塔は内心小躍りした。
「空からなら、検問も全て回避できますね……となると最後の問題は……」
マーシャルはその先を言わなかった。十三不塔は確認のため、言葉をついだ。
「蘆屋をどう説得するか……だね」
一向聴の話が本当なら、蘆屋が回復するのは今日の昼過ぎ。それも十分に看病できた場合の話だ。逃亡時の混乱で、まともな治療ができているとは思えなかった。だとすれば、フライト前に本人の意思を確認するのは不可能である。
十三不塔はマーシャルに、蘆屋を飛行機に乗せるアイデアを打ち明けた。
マーシャルは最初いぶかしがっていたが、話を聞くうちに合点がいったようだった。
「……今の状況では、そうせざるをえませんか」
うなずき合うふたり。
「よし、これで決まりだ」
意外に早くまとまった。とはいえ当の蘆屋道遥の許可を取っていないのだから、けったいな話ではある。その点は屋敷の防衛戦に参加した貸しで払ってもらおうと、十三不塔は勝手に事態を清算した。
「では早速……」
そう言ってマーシャルは、急にその場から動き始めた。
十三不塔は目を白黒させて、反対方向をゆびさした。
「どこ行くの? 成田エクスプレスのホームはあっちだよ?」
マーシャルは振り向きもせず、さきほどの切符を肩越しに見せた。
「切符を払い戻してもらいます……もうお金がありません」
○
。
.
コンクリート打ちっぱなしの壁。
段ボールの上に置かれた雑音混じりのラジオ。
その前に座る一向聴と、隣で心配そうに主を見つめるいづな。
少し離れたところには、牛鬼の筋骨隆々とした背中が見えた。
誰も言葉を発さない中で、中国語のラジオ放送だけが続いていた。
「……おい、一向聴」
牛鬼の押し殺したような声。一向聴は、ラジオに顔を近付けたまま返事をした。
「なにアルか?」
「少しは医者らしく病人を診たらどうなんだ?」
「あとは安静にするしかないね。治療道具は、そこの狐が全部燃やしたアル」
一向聴の無気力な台詞に、いづなは申し訳なさそうに頭を下げた。耳としっぽがシュンとなり、うなだれてくちびるを動かした。
「申し訳ない……」
鬼首は鼻を鳴らした。
「ふん、まあいい……あの場はああするしかなかったからな」
牛鬼はそう言うと、完全に押し黙ってしまった。気まずい空気。
それを打ち払うように、いづなが口をひらいた。
「清美様はまだ目をお覚ましにならないのか……」
「こうなったら自然治癒を待つしかないアル。多分今日中には目を覚ますネ」
ふたたび静寂がもどる。無人の廃ビルで過ごす時間は、あまりにもわびしかった。
牛鬼の空間移動能力も、さすがに京都までは体力がもたなかった。その事実が発覚したところで、彼らは蘆屋と清美が、意識を取戻すのを待つことに決めた。それが最善なのか、この場にいる誰にも分からなかった。
ラジオから音楽が流れる。故郷で流行っているポップミュージックだ。一向聴は、なんだか北京に帰りたくなってしまった。ホームシックだろうか。それとも、今回の戦いに疲れてしまったのだろうか。彼女は自分の内面を見つめた。
答えは出ない。淡々と音楽が終わり、またニュースが始まった。
「……おい、一向聴、日本語のニュースは入らんのか?」
「入るアル」
「だったらそれにしろ。隠密課の行動について、なにか分かるかもしれん」
「国家機密をラジオで流すバカはいないアル……それにこれは大事な……」
そのときだった。一向聴はがばりと起き上がり、ラジオにかじりついた。
あいかわらず中国語らしきものが流れていた、他の面子は、怪訝そうに彼女を見た。
「どうした、なにか……」
「シッ! 静かにするアル!」
おまえが一番うるさいだろうと、牛鬼は一向聴を睨んだ。
一向聴はそれを無視して、ラジオに耳を当てていた。
「……成田? どういうことアルか?」
彼女の独り言を聞いて、牛鬼たちも察したらしい。お互いに顔を見合わせた。
見守るような視線の中で、一向聴はニュースを聞き終え、スッと立ち上がった。
牛鬼は、
「今のは暗号か?」
とたずねた。一向聴はパンとラジオをたたいた。
「十三不塔から連絡があったネ」
いづなも、四つん這いで前に出た。
「その連絡とは?」
どうにも獣の感覚が抜けないらしく、いづなはしっぽをふりふりしていた。
その動きは、この連絡を朗報とみている証拠だった。
「12時までに、成田空港の第四貨物庫へ行くアル」
牛鬼は眉間にしわを寄せた。
「成田? ……おい、意味が分からんぞ」
牛鬼は立ち上がった。巨大な体躯が、一向聴に影を落とした。
「あたしにも分からないネ。でもラジオはそれを繰り返してたアル」
「分からないだと……? 罠じゃないだろうな?」
「そ、それはないネ。この通信方法はバレてないはずヨ」
「ふん、どうだか……そもそもなぜ成田だ? 飛行機で関空へ飛ぶのか? どうやって搭乗を誤摩化す? 切符の手配すらできてないんだぞ?」
立て続けの質問に、一向聴は困惑してしまった。答えなど知っているはずがないのだ。
けれども仲間からの連絡があった以上、一向聴はそれに従わざるをえなかった。方針は十三不塔が決めると約束したのだから。もしかすると、行方が分からなくなっている大蝙蝠とも合流できるかもしれない。一向聴は上司として、彼女のことをかなり心配しているのだった。
一方、牛鬼は納得がいかないのか、機嫌を損ねてその場に腰を下ろした。
軽い地鳴りが起こり、天井からコンクリート片がぱらりと落ちた。
「とにかく、俺は行かんぞ。行っても飛行機に乗れるわけがないからな。それに蘆屋様も意識不明のままだ。気絶した人間を乗せてくれるはずがない。違うか?」
なにも違わない。そう思った瞬間、一向聴の脳裏にある記憶がよみがえった。
「わ、忘れてたアル! 今日の1時に、成田から北京行きの飛行機が出るネ! その飛行機は王様の所有物アル!」
牛鬼はその太い首を曲げた。
「北京行きだと……? まさか国外逃亡する気か?」
一向聴は首を横に振る。
「違うアル。その便はいったん関空に降りるネ。リニアを除けば、一番早いヨ」
「……俺たちも乗れるんだろうな?」
「秘密の貨物室があるネ。あたしも、それで入国したことがあるヨ」
牛鬼は蘆屋に視線を落とし、それからしばらく考え込んだ。
「……どうせリニアにも式神は乗れん。飛行機で行くか……」
さきほどまで耳を澄ませていたいづなも、こくこくとうなずいた。
「そ、そう致しましょう」
「成田空港までなら、俺の余力でなんとかなる……今、何時だ?」
一向聴はラジオ放送のチャンネルを変える。
日本語のニュースが入り、アナウンサーが10時45分を告げた。
「よし、まだ十分間に合うな。俺の肩に乗れ!」
○
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《間もなく4番ホームに、成田空港行きの電車が参ります。白線の……》
けたたましいベルの音。空いたホームに、変わった外装の列車が滑り込んだ。
十三不塔とマーシャルは車両番号を確認し、ドアが開くのを待った。清掃員がゴミ袋を片手に、車内をうろついていた。まだ時間がかかりそうだ。
「十三不塔殿、うまくいくと思いますか?」
マーシャルは車内の清掃を眺めながら、ぽつりとそうつぶやいた。
「一向聴お姉ちゃんが、かんちがいしてくれるかどうかだね……上海直通便じゃなくて関空経由北京行きで、京都に入るんだと……そこさえクリアすれば、蘆屋たちも誤解するはずさ。電車よりも安全だろうからね」
国外逃亡するのではなく、関空へ向かうだけだ。同僚がそう勘違いしてくれることに、十三不塔は今回の作戦を賭けた。
「クリアできない場合は?」
「そのときは、僕らも飛行機で京都へ行けばいいんだよ。それからまた作戦を……」
目の前のドアが開き、水色の服を着た清掃員が降りてきた。さすがに国際空港行きの列車だけあってか、マーシャルたちにまったく興味を示さなかった。
十三不塔が先に乗り、座席番号を照合した。
「ここだね……まあこれだけ空いてれば、どこに座っても同じだけど」
十三不塔はなるべく奇麗な座席に座ろうと、左右を見回した。
マーシャルはこれを見咎めて、
「ダメですよ。車掌が乗車券の確認に来ますからね。番号通りにしましょう」
と言った。
なんと律儀な奴だ。十三不塔は内心苦笑してしまった。
在来線よりはまともな座席に腰を下ろし、十三不塔は大きく背伸びをした。
「あーあ、疲れちゃったよ……ちょっと寝るから、起こしてくれる?」
十三不塔はそう言って、自分の切符をマーシャルにさしだした。
マーシャルは黙ってそれを受け取った。
「いいですよ。吸血鬼は二日や三日寝なくても、問題ありません」
それは頼もしい。十三不塔は安心して目を閉じた。
あっという間に意識がにごり、少年は安らかな眠りについた。




