第3話 悪の招待状
【前回(100年前)までのあらすじ】
第二次世界大戦の裏でくりひろげられていた悪の秘密結社の抗争は、1945年の大条約によって終止符をうたれた。時は流れ、2045年、少子高齢化、地球温暖化、世界経済の疲弊によって資金難におちいった悪の幹部たちは、大条約の更新のため、イースター島の地下宮に集結することとなったのだが──
時が経つのは速い。吸血姫ことエミリア・フォン・ローゼンクロイツは、いつもそう思う。三十年戦争、七年戦争、ナポレオン戦争、普仏戦争、第一次世界大戦。そして、あの忌まわしきベルリン陥落。すべてが、昨日のことのように思い起こされた。
時が経つのは速い。吸血姫が自分にそう言い聞かせて、百年が過ぎた。
「バストラー、ほかの連中はどうしたの? だれもいないじゃない」
吸血姫は、まだ十代前半かと思わせるほど幼い容姿をしていた。栗毛のカール髪で、切れ長の瞳をきょろきょろさせている。背中には小さなコウモリの羽が生えていた。
味気ないむき出しの石壁が、ランプに照らされただけの大広間。壁沿いに螺旋階段が伸びていた。ここは地下なのだ。部屋の中央には、十三の席が設けられた円卓。
「まだお着きになられていないものと存じます。姫様」
バストラーと呼ばれた青年は、粛々と答えた。執事のかっこうをしていた。
彼は吸血姫の付き人だった。
「ふん、これだから時間にルーズなやつはキラいなのよ。でも、あの日本人まで……」
「わたくしならここに」
突然、若い男の声が聞こえた。エミリアと執事は、右奥の暗闇を凝視した。
影がゆっくりと少年のかたちに変わり、ふたりのまえに静々と進み出た。
少年は美しくも無表情な顔に、長い睫毛をまたたかせ、烏帽子直衣をまとっていた。その裾からは、女のようなほっそりとした色白の腕がのぞいていた。
少年は吸血姫とバストラーにむけて、おだやかに頭をさげた。
「あいかわらずおかしな登場の仕方ね……えーと……」
「蘆屋道遥と申します」
「そうそう、アシヤ……ところで、ちょっと若返ったんじゃない?」
吸血姫は、自分の記憶と少年の顔とを比較しようと苦心した。
いかんせん百年前の出来事なので、うまく思い出せなかった。
「エミリア様と以前お会いしたのは、五世前の蘆屋道房にございます。わたくしめは、その子孫。どうぞ、お見知りおきを」
「……そっか、あいつ死んだんだ」
不謹慎な言葉をつぶやいた吸血姫は、ふとさみしさを感じた。
百年前、なんの縁あってか共闘した仲だ。
吸血姫はなにか言葉をかけようとした。
それよりも早く、キザっぽい男の声が聞こえた。
「いやはや、もうしわけございません。飛行機が遅れましてな」
燕尾服を着た紳士が、銀製の懐中時計を見せびらかしながら、階段を下りて来た。顔立ちこそまだ三〇代の若々しさを保っているが、右目にはめたレンズの奥からは、移ろいゆく現世を小馬鹿にしたような光が、ちらちらと漏れ出ていた。
紳士は最後の一段を降り、エミリアの姿を認めた。胸に手を当ててあいさつした。
「おひさしぶりです、エミリア様、お元気そうでなにより」
「ひさしぶりね、不死伯。三百年ぶりかしら」
「ええ、ドレスデンの宮殿でお会いしたとき以来かと」
「あいかわらずふらふらしてるのねえ。今はだれに仕えてるの?」
「本日は、血塗れメアリー様の代理でまいりました」
男の口からその名前が飛び出した瞬間、エミリアは少し表情を硬くした。
「メアリーは来ないの? もう歳かしらね。それとも例の病気?」
男は無邪気に笑った。
「定期的に体から血を流すのが病気なら、ご婦人方はみな病気ということになりますな」
男の下品な冗談に、エミリアは顔を赤らめた。
「そのジョーク、英国紳士のものとは思えないわね」
「失敬失敬。しかし、私は生まれながらのジェントルマンではありませんからな。ロンドンに住み始めたのも、先の大戦後で……おっと」
男は、初めて気づいたというような仕草で、蘆屋に顔を向けた。
「失礼致しました。蘆屋家の長者様ですな。いらっしゃるかたが頻繁に変わるので、下のお名前を存じ上げず申しわけございません。Mr.アシヤ……」
「道遥と申します。お目にかかれて光栄です、サンジェルマン伯爵」
ふたりが握手を交わそうと手を伸ばしたとき、ふいに階段の上で足音が聞こえた。それは、不死伯の気取った足取りとは異なっていた。自信と威厳に満ちた響きで、広間に近付いて来る。
「待たせたな、諸君」
大柄なスキンヘッドの黒人男性が、高級スーツを身にまとい、サングラス越しに、先着の4人に挨拶をした。
だが、彼のプライドに満ちた表情は、すぐに失望にとってかわられた。
無理もない。参加者が少なすぎるのだ。
「ふむ……到着が早過ぎたか」
男は自分を納得させるためか、そうつぶやいた。
不死伯がこれを否定した。
「いいえ、むしろ遅いくらいですよ、Mr.プレジデント」
不死伯は懐中時計を取り出し、針を指し示した。
指定された時刻を、とうに過ぎていた。
「……他の連中はどうした? オルレアンの魔女は? ラスプーチンは? 王桀紂はどこにいる? 枢機卿すら来ていないのか?」
さあ、と言った感じで、不死伯は両肩をすくめた。
吸血姫は腰に手をあてて、プレジデントを威嚇した。
「あんた、ボケて招待し忘れたんじゃないの?」
「そんなはずはない。全員に招待状を出したのだからな」
「じゃあ、なんであたしたちしかいないのよ?」
「……」
プレジデントは沈黙した。
助け舟を出すように、蘆屋が一歩前に出た。
「おのおのなんらかの事情があり、いらっしゃらないのでしょう。それより、ミスター・プレジデントわたくしたちをお集めになられた理由を、お聞かせいただきとう存じます」
ふむ、とプレジデント気を取りなおし、一番近くにあった椅子に腰を下ろした。
それを合図に、他の3人もめいめい腰を落ち着かせた。ただひとりバストラーだけは、吸血姫の後ろに立ったままひかえた。
「本日の議題だが……例の条約が今日で失効することは、みな覚えているだろう」
「忘れるわけないでしょ。だいたいあんたがラスプーチンを見くびって適当な手を打つから、うちがアメリカと……アメリカと……ロマノフ王朝を倒した……」
バストラーが、そっと耳打ちする。
「ソビエト社会主義共和国連邦でございます、姫様」
「そうよ、ソ連。あたしも今思い出したところ。ソ連があんなデカイ顔して今も……」
「姫様、ソビエトは1991年に崩壊し、今はロシア共和国と名乗っております」
吸血姫はぐっと首をひねり、執事を見あげた。
「そうなの?」
バストラーは、こくりとうなずいた。
「まあいいわ。なにを言いたいかって言うと、おかげでうちは国が真っ二つにされるわ、統一後はECに無理矢理加盟させられるわで、もう……」
「姫様、ECは1993年にEUへ改組しております」
ふたたび耳元でささやいたバストラーを、吸血姫はにらみつけた。
「あたしを子供扱いしないでくれる?」
「お許しください。出過ぎたマネをいたしました」
このやりとりに、プレジデントはため息をついた。
「取り込み中のところ悪いが……昔話はあとにして、本題に入らせてもらえないかね?」
吸血姫は、ほかのメンツを見た。みな、プレジデントと同じ意見のようであった。
吸血姫は両腕を組み、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
ひと呼吸おいたプレジデントは、また最初から話を始めた。
「例の大条約、つまり1945年6月6日に我々の間で結ばれた《大量殺戮に反対し、正しき悪の道を進むための講和条約》が、今日めでたく百周年を迎え、無事失効するというわけだ。人類が愚かな第三次世界大戦に突入しなかったのも、諸君らの努力の甲斐あってというもの。素直に感謝したい。そこでだ……」
プレジデントは顔をあげ、同席者の顔を順番に観察した。
言いたいことはもう分かってますよと、退屈そうに宙を見つめる不死伯。主体性のない目でこちらを見ている蘆屋。あいかわらず機嫌の悪そうな吸血姫。
「そこでだ。今後も我々が正しき悪の道を進めるよう、本条約をさらに百年延長したいと思うのだが、どうだろうか?」
返事はなかった。
プレジデントは、ちらりと不死伯に目配せした。
視線を感じとった不死伯は、数秒ほど思案した。
「どうと言われましても、過半数が欠席してる状態で、更新はできないと思いますが」
しばしの沈黙が、円卓をおおった。
プレジデントは両ひじをテーブルにのせ、手を組み、それを口もとにそえた。
言いにくそうに、なにやらつぶやいた。
「私の組織は、財政的に困難な事態に直面している……」
プレジデントは語尾をにごした。
蘆屋も、
「わたくしのほうも、少子高齢化で人手が足りておりません」
と告げた。
不死伯と吸血姫も、うんうんと首を縦にふった。
プレジデントは肩で大きく息をすると、居住まいを正し、3人の顔を見くらべた。
「……どうだろうか。この4人でとりあえず同盟を組むというのは?」
吸血姫は眉をひそめた。右手をテーブルに乗せ、身を乗りだした。
「過半数にも達してないのに? 無謀すぎるでしょ」
「おまえの組織は、百年前にもっと無茶をしただろう」
「だから、あれはラスプーチンの思惑を読めなかったあんたの失策だってば」
ふたりの口論が本格化するまえに、サンジェルマンが席を立った。
「どうした? まだ話し合いは終わってないぞ?」
「もうしわけございません。そのご提案、わたくしの一存では決めかねます。メアリー様にお伝えし、ご裁断をあおがねばなりません」
吸血姫はするどい犬歯をみせて、
「ちょっと、あんた全権委任されてないの?」
と、にらみつけた。
「全権を委任されていることと、相談の要否とは別儀です」
不死伯は、顔色ひとつ変えずにやり返した。吸血姫は、二の句が継げなかった。
不死伯はさらにたたみかけるように、
「エミリア様は、この場で即答されるおつもりですか?」
とたずねた。
「そ、それは……よく考えてみないと……」
「では決まりですな、Mr.プレジデント。今日の議題に対する回答については、しばらくの猶予をいただきたくぞんじます」
「……わかった。1週間だ。1週間以内に、ホットラインで私に連絡しろ」
不死伯は、わざとらしい驚きの表情を作ってみせた。
「世界情勢を決めるYesかNoですぞ。せめて1ヶ月……」
「1週間だ」
語気を強めたプレジデントに、不死伯はやれやれと首を振った。
「わかりました。メアリー様にお伝えし、なるべく早くお返事を差しあげましょう」
サンジェルマンはぱちんと指を鳴らし、煙のように姿を消した。
あとには、重苦しい空気だけが残った。
「……他のふたりも、それでいいな?」
吸血姫はしばらく機嫌が悪かったが、最後には、
「ふん、まあいいわ……ただ、あんまり期待しないでちょうだいね」
と、あいまいな返事をかえした。
蘆屋も、
「善処いたします、ミスター・プレジデント」
と、いかにも日本的な言い回しをした。
もはや話すこともなくなり、気まずい時間だけが流れていた。
プレジデントは、コホンと咳払いをした。
「では、解散」
不死伯は階段をあがり、エミリアはバストラーとともに宙に消えた。
蘆屋もようやくたちあがり、大統領に一礼した。
「それでは、わたくしも……」
「アシヤ、ひとつ質問がある」
蘆屋は頭をさげたまま、視線だけ大統領にむけた。
「なにか?」
「おまえの縄張りに、双性者がいるというのはほんとうか?」
「……初耳でございます」
蘆屋はそれだけ言って、きびすを返した。
着物のそでから扇子をとりだした。
それをひらきかけたところで、大統領はふたたび言葉をついだ。
「ここからは私の独り言だ……双性者の一件で、抜け駆けをしようとしているやつがいる。だれが敵でだれが味方か、よく考えるんだな、おぼっちゃん」