第38話 いづなの奔走
打ち合う鋼。飛び散る汗。周囲に転がる死体と灰の山。
刃をかまえてから、どのくらい経っただろう。
数分とも、数時間とも思えるほどの疲労。
「ハァ……ハァ……」
肩で息をする忍。
目の前に立つ吸血鬼の技量に、彼女はあせっていた。相手が影勝との闘いで負傷していなければ、とっくにやられていただろう。忍はそう感じた。
勝てない。よくて引き分けだ。忍は覚悟を決めていた。
けれどもそれは、彼女個人の問題。大勢は決していた。
忍は、くちびるを動かす。
「マーシャル殿、すでに正門は突破しました……我々の勝ちです」
忍の勝利宣言を、マーシャルは軽く聞き流していた。
隠密課はさきほどの大規模な発破で、屋敷の内部へ突入することに成功していた。予定よりも損害を出したが、あとは本陣を掃討するだけだ。それにもかかわらず、マーシャルは戦況に関心のなさそうな顔をしていた。吸血鬼の思考を、忍は読み取ることができないでいた。
忍は小太刀をかまえたまま、マーシャルとの距離をたもった。かかとが灰の山に触れた。火薬の跡ではない。吸血鬼が死ぬと、灰になって崩れ落ちるのだ。公園でそれを目の当たりにした忍には、別段新奇な光景でもなかった。
味方の兵力と損失。敵の兵力と損失。忍はその正確な把握に努めていた。確実なことは言えないが、政府側が押している。忍はそう結論づけた。
「マーシャル殿、もう一度言います……この戦い、我々の勝ちです。日本政府は欧州の情勢に介入するつもりはありません。ここで兵を引いていただければ、それで手打ちと致します」
マーシャルは答えない。
なにを考えているのだろうか。忍は吸血鬼の表情を読み取ろうと、目を細めた。
自分の形勢判断が間違っているのだろうか。忍の心がぐらつく。いくら忍者の養成機関で鍛えられたとは言え、これは彼女にとって初めての陣頭指揮。今後の国運を左右するものとあっては、震えざるをえなかった。
忍はその震えを打ち払うかのように、奥歯をかみしめた。
かすかに血の味がした。
屋敷の中では、銃声が鳴り止まない。やはり勝っているのだ。蘆屋の首級は近い。忍は無理矢理に自信をとりもどした。
最後の勧告をしようと身構えたところで、突然マーシャルが口をひらいた。
「開戦からおよそ2時間半……予想通りと言ったところですか……」
「……敗北を認めるのですね?」
「敗北……?」
マーシャルはニヤリと笑い、真っ赤なくちびるから犬歯をのぞかせた。
忍は寒気を感じながらも、すぐさま自分を奮い起こした。
「強がりは止めてください。これ以上は時間の無駄です」
「強がりではありません……こちらもひとつだけ誤算はありましたが……」
誤算。なんのことだ。忍は見当がつかなかった。
隠密課の兵力だろうか。それとも、救援の予定でもあったと言うのか。確かに、屋敷前の広場を急襲されたという連絡が入った。けれどもそれ以降、背面攻撃を受ける気配はなかった。ほがらたちからの連絡もないが、上手くやってくれたのではないだろうか。
忍の憶測をよそに、マーシャルは先を続けた。
「期待はしていませんでしたが……それにあなたも、なかなかお強い」
マーシャルは余裕の笑みを浮かべた。
こうも実力差を見せつけられては、皮肉にしか聞こえなかった。
「お世辞はけっこう。欧州へ帰るのですか? 帰らないのですか?」
「そこまでだよ!」
いきなりとどろいた少女の声に、忍は隙を作ってしまった。
その声音に聞き覚えがあったからだ。
その隙を見逃さず、マーシャルは素早い剣さばきで忍の小太刀を払い落とした。
「ご加勢ありがとうございます……安倍清美殿」
安倍清美。それは幻聴ではなかった。
忍は喉元に突き立てられた剣先に汗しながら、目の前の少女を凝視した。
「清美……さん……」
白い衣に身をつつんだ清美が、険しい表情で松の木の下に立っていた。
「よくもボクを裏切ったね!」
清美の怒声。忍はなんとか息を整え、言葉を返す。
「裏切ったわけではありません……あの局面では、ああするより他に……」
「それを裏切りって言うんだよ! ボクを自殺させる気だったんでしょ!」
忍は言い訳を考える──無理だ。誤摩化しようがない。
絶望と同時に、忍はかすかな違和感を覚えていた。なにか合点がいかない。清美の仕草をつぶさに観察する忍。だがその猶予を与えず、マーシャルは口をひらいた。
「さて、屋敷の中の兵に撤退命令を出してもらいましょうか……その首のところにあるマイクで、味方に指示が出せるのでしょう?」
「……断ると言ったら?」
そんなことは分かっているだろうと、マーシャルはあきれ顔で答えた。
「その首が飛ぶまでです」
剣先を近付けるマーシャル。忍はせせら笑うように返事をした。
「私もくの一の端くれ。覚悟はできています」
交差する視線。マーシャルは敬意を表した。
「なるほど、あなたも武人ということですか……いいでしょう」
マーシャルの指に力がこもる。
忍の意識から、清美の存在が消えかけた──その瞬間だった。
「キャッ!?」
清美の悲鳴。今度はマーシャルに隙ができた。
忍は寸でのところで体をかわし、忍者特有の瞬発力で一気に距離を作った。
追跡を諦めたマーシャルと、命拾いした忍は、一斉に清美のほうを見た。
「!?」
清美の姿は消えていた。その代わり、銀色の体を持つ奇妙な生命体が、小柄な少年を羽交い締めにしていた。目鼻もなければ口もない。どろどろとした水銀の塊のような人形だった。
なにがなにやら分かぬまま、忍は小太刀を拾い上げた。
銀色の生命体は、
「やれやれ、キヨミくんに変身するとは、考えたものだね」
と、どこからともなく発生した。
ただ忍は、その声に聞き覚えがあった。
「ニッキー殿!」
忍の呼びかけに、マーシャルは眉をひそめた。
「ニッキー……? 貴様、何者だ!?」
マーシャルは、犬歯を剥き出しにして睨みつけた。
ニッキーは、腕の中でもがく少年を抱き締めたまま、答えを返した。
「通りすがりの変なおじさん……とでも言っておこうかな」
「貴様ッ、ふざけるなッ!」
マーシャルは侮辱されたと感じたのか、あからさまに敵意を示した。
そんな吸血鬼を無視して、ニッキーは忍に声をかける。
「ここは私に任せたまえ。君はほがらくんたちを頼む」
「ほがらさんの身になにか?」
「おかしなロボットに襲われている。ラスプーチンの手下だ」
ニッキーの発言に、忍だけでなくマーシャルも目を見張った。
「チッ、ラスプーチンか……」
マーシャルは苦々しくそう言い捨てると、剣をかまえなおした。
ニッキーの登場。消えた清美。変身能力を持つ謎の少年。ラスプーチンの参戦。
情報の異常な増大に、忍の頭は処理が追いつかなかった。
「これはいったい……」
「忍くん! 早くほがらくんたちの救援に向かってくれ! 強敵だ!」
いつもの調子とは異なり、声を荒げるニッキー。
忍は全神経を集中し、広場へ戻ることを決意した。ラスプーチンの派兵があった以上、ほがらたちが負ければ挟み撃ちになってしまう。そう判断したのだ。
「ニッキー殿、ここはお任せ致します!」
「ああ、大船に乗ったつもりで頼むよ」
大口を叩くニッキー。普通なら死亡フラグだが、宇宙人となれば話は別だ。
その意図については深く考えず、忍はその場を立ち去った。
○
。
.
「やっぱり、ぶっ壊れたみたいね」
煙を上げるロボットを見つめ、ほがらはそうつぶやいた。
かおるは襲われたことがトラウマになったのか、ほがらの後ろに立っていた。その表情は依然として険しかった。
「ほがら、なんとか忍ちゃんに連絡して……」
「連絡って言っても、通信車両が壊されたんじゃ、どうしようもなくない?」
そのときだった。ほがらは背後に妙な気配を感じた。
振り返ると、和服を着た女が立っていた。
狐目に獣耳。明らかに人間ではなかった。
「式神!?」
一難去ってまた一難。ほがらはステッキを持ちなおした。
かおるも息を合わせて散開した。
ほがらは、
「蘆屋の式神ね? 神妙に……」
と言いながら、ステッキを向けた。
「お待ちください。わたくしの名はいづな。安倍清美様の使いで参りました」
アベキヨミ? 誰だそれは。ほがらの頭にハテナマークが浮かぶ。
キヨミという名の友人はいる。しかし、彼女の名字は緑川だった。アベではない。
ほがらは怪訝そうに目を細め、女を警戒した。
「アベキヨミって誰よ?」
「緑川清美様の本名でございます」
「はあ?」
ほがらは、思わずすっとんきょうな声を上げた。
そのボーイッシュな顔立ちは、若干の怒りを見せた。
「あんたねえ……人の友だちを騙るとは、いい度胸してるじゃないの」
「嘘ではございません。まずは話をお聞きください」
ほがらたちの前で、謎の狐女は話を始めた。
それは彼女たちにとって信じ難い内容。ほがらもかおるも、ぽかんと口を開けた。
「清美が陰陽師……? あんたなに言って……」
そのとき、ふとほがらは、あることに思い至った。
清美は子供の頃から、妙に勘が鋭かった。
特に天気を当てること百発百中。
もし清明こと清美が陰陽師なら、それも納得が──
「って、んなわけないでしょ!」
ほがらは自分の思考をさえぎり、大声で怒鳴った。
そんなわけの分からない話があってたまるか。それが彼女の結論だった。
「さっさと掛かって来なさい。そんな嘘ついて時間稼ぎしても無駄よ」
「嘘ではございません。その証拠に……」
いづなは、手に握り締めていた物をさしだした。
ほがらは、少しばかり首を前に伸ばした。
そしてカッと目を見ひらいた。
「そ、それは!」
「清美様のリストウォッチです。これで納得が……」
「あんた、清美になにをしたの!?」
ほがらは血相を変え、狐目の女に吠えかかった。
女はそんな当然の反応を予期していなかったらしく、軽く動揺を見せた。
「ち、違います。これは清美様からお借りして……」
「嘘ついてんじゃないわよ! 清美はどこにいるの!?」
「で、ですから、屋敷の中にかくまい……」
「監禁してるっての!?」
ほがらはステッキを握り締め、戦闘態勢に入った。
狐目の女は、両手で彼女を制した。
「お待ちを! わたくしの話を聞いてください!」
「話、話って、さっきから全然辻褄が合ってないのよ! 私は今朝、清美とリストウォッチで連絡取ったんだからね! そのときはそんな話してなかったわよ!」
少し離れたところで、かおるは眉間にしわを寄せた。
「通信規制されてたんじゃないの?」
そんなことはどうでもいいと、ほがらは大声を出す。
「だれと連絡取ろうが、こっちの勝手でしょ! とにかく、この狐野郎は嘘吐きよ!」
「そ、それはわたくしの声真似です! ほ、ほらこのように……」
狐女の声音が瞬く間に変わり、清美のそれになった。
ほがらは目をぱちくりさせると、歯ぎしりして怒りをあらわにした。
「あんたッ、騙したわねぇ!」
ほがらの殺気を感じ取ったのか、女も思わず身構えた。
「だ、騙したわけではありません。これにはワケが……」
「問答無用ッ!」
ステッキから、真っ赤な魔法弾が放たれた。
しかしあからさま過ぎたのか、狐目の女はひらりとかわしてしまった。
かおるは、
「なにやってんの!? 無駄撃ちしちゃダメじゃない!」
と叱った。だが、放ってしまったものは仕方がない。
ほがらは少しばかり怒りを鎮め、かおるに指示を出した。
「あの狐野郎を追うわよ!」
「追う? 追ってどうするの?」
「清美の居場所を吐かせるのよッ! しっぽの毛をひとつ残らずむしってやるわッ!」
いきり立つほがら。乗り気でない顔をするかおる。
そうこうするうちにも、狐女はぴょんぴょんと跳ねながら逃げて行く。
「ほらッ! 逃げられるわよッ!」
「わ、罠だったらどうするの? 追って行って待ち伏せされてたら……」
「そのときは返り討ちにしてやればいいのよ!」
ほがらはそう言い切り、かおるをおいて駆け出した。
清美を助けなければ。彼女の中にあるのは、その想いだけだった。
○
。
.
「そこの狐! 待ちなさい!」
背中越しに聞こえてくる少女の声。
速い。普通の人間より圧倒的に速い。
いづなは脇目もふらず、ぴょんぴょんと広場を逃げ回した。
ほがらたちを説得するつもりが、追いかけられるハメになってしまった。なぜこんなことになってしまったのか、いづなにはさっぱり分からなかった。
清美を友人たちと再会させる。いいアイデアだと思ったのだが。
いづなは首をひねる暇もなく、全速力で歩を進めた。
「待たないと、そのしっぽちょん切るわよ!」
おっかないことを言い始める少女。いづなはしっぽをくるりと巻いた。
ビルの角を曲がったところで、いきなり襟首をつかまれた。
「なッ!?」
しまった。待ち伏せされたか。いづなの背筋が凍った。
「こっちだ!」
野太い声。いづなは、ビルの垣根の向こうがわに引きずり込まれた。
「牛鬼殿!」
「シッ」
牛頭人躯の大男が、いづなの発声を制した。
耳を澄ますふたり。ほがらのものと思わしき足音が、垣根を通り過ぎた。
いづなは、ホッとしっぽをなでおろした。自慢のこれを切り取られてはたまらない。
「貴様、なにを考えてるんだ? いきなりいなくなったかと思えばこんなところで……」
牛鬼は、いさめるようにそうたずねた。
いづなは、これまでの事情を説明した。
一向聴と一緒に看病をしていたこと。
リストウォッチが突然鳴り、清美の物真似でその場を乗り切ったこと。
ほがらたちに会おうとしたが、一向聴にリストウォッチを奪われてしまったこと。
一向聴が巨大な爆音に気を取られた隙に、それを取り返したこと。
そして屋敷を抜け出し、ほがらたちと話し合ったこと。
全てを聞き終えたところで、牛鬼はひとこと、
「……バカの極みだな」
と嘆息した。
バカ。そう言われては、いづなも黙ってはいられなかった。
ピンと尾を立て、爪を剥き出しにした。
「バカとはなんだッ!? バカとはッ!?」
「静かにしろ……俺様が来なければ、今頃ミンクのコートになってたぞ」
牛鬼のからかいに、ますます機嫌を悪くするいづな。
彼女がなにか言おうとしたところで、牛鬼が先に口をひらいた。
「3+5はいくつだ?」
牛鬼の質問に、いづなはきょとんとした。
「……な、なにを言って」
「3+5はいくつだ?」
いづなは両手を広げると、右手の親指から順番に3本、さらに薬指と小指、それから左手の親指、人差し指、中指を折り曲げた。
「……8だ」
「5×7は?」
再度算数を挑んでくる牛鬼。いづなは眉間にしわを寄せる。
「こんなことをしてる場合では……」
「いいから答えろ。5×7は?」
5×7……5枚の油揚げが7組ということだ。
右手の指を全て曲げ、左手の指を全て曲げ……足りない。
仕方がないので右脚の指、左脚の指も器用に折り曲げるいづな。
それでも足りない。
「た、たくさんだ」
ハァと、牛鬼はわざとらしいタメ息をついた。
「おまえ、相当獣に戻ってるな……九九もできんとは……」
「そ、それは主人の清美様が……」
分かっている分かっていると、牛鬼は先を続けさせなかった。
その大きな手で、話題をふりはらった。
「とにかく、今のおまえではロクな作戦が立てられん。大人しくして……」
ガサリという葉擦れの音。
牛鬼はいづなを突き飛ばした。
コンという悲鳴が早いか、真っ赤な光がふたりのいた場所を襲った。
「チッ!」
垣根からこっそりと出ていたステッキが引っ込む。
いづなは、ほがらに見つかってしまったことに気が付いた。
「このポンコツステッキ!」
垣根の向こうで悪態をつく声が聞こえる。
どうやら連射ができないらしい。牛鬼はそのことをあらかじめ知っていたのか、つとめて冷静に対処した。
「いづな! 屋敷にもどるぞ!」
牛鬼はいづなを右肩に抱きかかえると、ゆっくりと影に変じた。
だがそれに合わせて、垣根の向こうで雄叫びが聞こえた。
地面を蹴り上げる音と同時に、真っ赤なスーツを着た少年が飛び出した。
「赤羽レッド参上、っと!?」
牛鬼はすでに腰まで地面にめり込んでいた。
それを見たヒーロースーツの少年は、ひるむどころか思いっきり突っ込んできた。
「てめえら逃がさねえぞ! 清美を返せ!」
いづなは手のひらに青白い狐火を浮かべ、ゲンキにそれを向けた。
「止めろ! 移動中に技を使うな!」
「逃げんじゃねえ!」
ゲンキは、いづながかかえられているのとは逆の肩にしがみついた。
牛鬼は咆哮を上げて、ゲンキを振り落とそうとした。
しかしヒーロースーツで強化されているのか、少年は二の腕をつかんで放さない。
ふたりの格闘を傍観しながら、いづなの視界はそのまま闇へと沈んだ。




