第35話 式神たちの不安
「まだ目をお覚ましにならないのですか?」
遥か彼方で聞こえる銃声を背に、いづなはそうたずねた。
「そんなの見れば分かるアル」
いづなの視線は、畳の上に敷かれた布団へと落ちた。依然として目を瞑ったままの緑川清美こと安倍清美。部屋の外が騒がしくなっても、彼女のまぶたは微動だにしなかった。
その隣で同じように臥せる蘆屋道遥も、寝息を立てているだけだった。意識が回復する兆候は未だに現れていなかった。
「なにかお手伝いできることはありませんか?」
一向聴はいづなの質問を無視して、清美の額に乗せた湿布を交換した。
新しい湿布を乗せた途端、遠くで巨大な爆発音が鳴り響いた。銃声とは異なる、火薬の爆ぜた音。いづなは襖の奥を、うれい顔でのぞき込んだ。
「……戦闘が始まってから半時。銃声が近付いています」
「そんなことは分かってるアル。心配だったら、おまえも戦いに行くネ」
一向聴の正論に、いづなは下唇を噛んで耐えた。彼女とて戦いたいのだ。しかし今の自分では足手まといになってしまうことを、彼女は十分に承知していた。主人である清美の回復を待たなければ、とてもではないが戦力にはならない。だからこそ、いづなはこうして一向聴の手伝いをしているのだった。
「あとどのくらい掛かりますか?」
何度同じ質問をしたか、いづな自身よく覚えていなかった。
一向聴は蘆屋のほうへ向きを変え、面倒くさそうに返事をした。
「分からないアル」
「半日で治せるという見込みでしたが?」
いづなは室内に時計を求めた。
どこにも見当たらない。彼女の動物的勘からして、まだ早朝に違いなかった。一向聴が看病を始めたのは日付が変わった直後。すでに5、6時間は看病を続けていた。
そのあいだ、一向聴は薬を飲ませたり気功術を使ったり、いろいろと努力を重ねていた。いづな自身、清美が自爆した直後よりも、自分の力が戻っているのを感じた。一向聴の治療は、確実に功を奏しているはずなのだ。
ただ問題は、清美の意識が戻らないことだった。蘆屋と共闘するのか、隠密課と和解するのか、それとも第三の道を選ぶのか──自分の立ち位置も分からぬまま、いづなは悶々とした時間を過ごしていた。少しでも話せる状態になってくれれば良いのだが。
そんないづなの想いも空しく、もどかしい時間だけが過ぎていく。
「……」
息が詰まりそうな空気。ふたたび爆音がとどろき、天井から埃が落ちてきた。
ふたりはお互いに顔を見合わせた。
「……屋敷ごと吹き飛ばす気アルか?」
一向聴も気が気でないのか、独り言のようにそうたずねた。
「まさか……清美様がここにいることは、隠密課も気付いているはずです」
いづなの抗弁に、一向聴はあざけりの笑みを漏らした。
「だからどうしたアルか?」
「どうしたもなにも……清美様がいる以上、屋敷ごと吹き飛ばすことは……」
戸惑いを見せるいづな。一向聴は、口元から笑いを消した。
真面目な顔付きで言葉をついだ。
「自爆はさせるけど無差別攻撃はしない……アルか? 意味が分からないネ」
一向聴の一言に、いづなは顔色を失った。
なぜそのような簡単なことに思い至らなかったのか、いづなを自分を呪った。
冷静さを取戻すため、いづなは自分の内面を見つめ始めた。
思考が鈍っている。それが主人を助けられなかった動揺に起因しているのか、それとも霊力が弱まるにつれて狐の脳みそに逆戻りしているのか、彼女にも判然としなかった。
「……いづな、だったアルか?」
蘆屋に薬を飲ませ終えた一向聴は、ぼそりとそうたずねた。
いづなは半端な瞑想から引き戻された。
「……はい、いづなと申します」
「いづなもここの式神みたいに、何百年も生きてるアルか?」
妙な質問をぶつけてきた。
いづなはその意図が汲み取れないまま、素直に答えを返した。
「いえ……私は清美様と同じ年齢です」
「アヤ?」
一向聴は例のおかしな喫驚を上げ、サッと振り返った。
「……なにかおかしいですか?」
「そ、そういうわけじゃないアルけど……通りで考えが甘いネ」
考えが甘い。そう言われては、いづなも黙ってはいられなかった。
キッと口元をむすび、少々声を荒げた。
「考えが甘いとは、どういうことですか?」
一向聴は相手の意気込みをスルーして、自分の肩を叩いた。
外見が10代の少女に見えるせいか、いづなは妙なギャップに襲われた。
肩叩きを終えた一向聴は、大きくタメ息をつくと、先を続けた。
「味方に騙されてポイされるとか、滅茶苦茶甘いネ。あのマーシャルとかいう吸血鬼が来なかったら、今頃死んでたアル」
「あれはマーシャル殿が、いきなり私に襲い掛かってきたからです。あれさえなければ、隠密課の陰謀は防げました。いくら実戦経験がないとは言え、おそばにいれば……」
「さあ……どうかネ……」
一向聴は呆れたように、いづなの瞳を見つめ返した。
物わかりの悪い子供に向けられた、憐れみのまなざしだった。
いづなはますます気分を悪くした。
「ともかく、あの場にいなかったあなたが、どうのこうのと言う資格は……」
そのときだった。背後の襖が開き、当のマーシャルが姿を現した。
気配に気付いていなかったいづなは、サッと部屋の隅に飛びのいた。
マーシャルはいづなを無視して、一向聴に声をかけた。
「おふたりの容態は?」
いづなと同じ質問。だが、一向聴は彼女のときよりも、真面目に答えを返した。
「まだ目が覚めないアル。でも間違いなく回復してるネ」
「そうですか……」
マーシャルは眉をひそめ、長い犬歯の奥で軽く舌打ちをした。
形勢が思わしくないのだろうか。室内に緊張が走った。
「敵方は正門の突破に失敗しました。現在は部隊を再招集している模様です」
いづなは毛に覆われた狐耳で、遠くの様子をうかがった。
一向聴とのやりとりで聞き逃していたが、確かに銃声は止んでいた。
ホッと胸をなでおろしたのも束の間、一向聴がすぐさま口を挟んだ。
「時間はどのくらい稼げそうアルか?」
「正確には判断しかねますが……このままいけば2、3時間というところでしょう」
「今、何時ネ?」
「ちょうど7時を過ぎたところです」
7時過ぎ。一向聴の予告した半日まで、まだ5、6時間はある。
いづなと同じことを考えたのか、一向聴の顔も険しくなった。
「2、3時間以内に治すのは無理ヨ。もっと時間を稼いで欲しいアル」
「戦力以上の時間稼ぎはできません……撤退も視野に入れる必要があります」
撤退。その一言に、いづなは思わず口をひらいた。
「どこへ撤退するというのです?」
初めて彼女の存在に気付いたかのように、マーシャルは部屋の隅へ視線を移した。
「……とりあえずは、散り散りになるしかないでしょう」
「散り散りに……? それでは各個撃破されるのがオチですッ!」
「アシヤ様とキヨミさんが回復されるまでの辛抱です。現に、アシヤ様の式神は少しずつ戦えるようになっています。あなたも、力を取戻しつつあるのでは?」
マーシャルの指摘に、いづなはうなずいた。
けれども、自分の力がどれほど回復しているのか、いづなにはよく分からなかった。
自分の未熟さに歯ぎしりしつつ、いづなは話をもどした。
「清美様がお目覚めになられたとして、それからどうするのですか?」
「まずは遷都前に使われていた京都の……」
銃声。第二波が来たらしい。マーシャルはその身をひるがえした。
「ふたりの目が覚めなければどうにもなりません。一向聴さん」
マーシャルは一向聴をふりかえった。
一向聴はその仕草の意味を察し、首をたてにふった。
「精一杯のことはやるアル」
「頼みました。それから……」
マーシャルは再度、いづなへと視線を移した。
「ご自身が戦えるようになったと判断したら、あなたも参加してください」
マーシャルは影と化し、その場から消え去った。
あとに残された一向聴といづなは、遠くに銃声を聞きながら、じっと黙り込んだ。
形勢は思わしくない。いづなは、その事実を受け止めた。
「私も参加を……」
「シッ」
一向聴は人差し指をくちびるに当てて、いづなの独り言を制した。
この場に似合わない軽快な音楽が、どこからともなく聞こえてきた。
「これ、さっきも鳴ってたヨ……なにアルか?」
「さっき……? いつのことです?」
「戦いが始まるちょっと前ネ」
戦いが始まる前。いづなはそのとき、まだこの部屋にはいなかった。彼女も前線に出ようとしたのだが、牛鬼に押しとめられてしまったのだ。
「……あそこから聞こえるネ」
一向聴がゆびさしたのは、清美から剥ぎ取った衣服の山だった。
いづなが耳の向きを変えると、確かにそこから聞こえてくる。
一向聴はスッと腰を上げ、ショートパンツのポケットに手を突っ込んだ。
「……ん、なにか入ってるネ」
ポケットの中から出て来たのは、腕時計のような代物。
画面が緑色に光っている。一向聴は怪訝そうな顔で、それをいづなに示した。
「アラームが鳴ってるアル……目覚まし時計ネ?」
「目覚まし時計……?」
いづなはその腕時計を見た瞬間、妙な既視感を覚えた。
どこかで見たことがある。清美の精神に閉じ込められていた彼女は、おぼろげな自分の記憶をたどり、アラームの正体をさぐった。
「……!」
いづなは一向聴の手から、腕時計を取り上げた。
抗議しようと手を伸ばした一向聴を制し、彼女はボタンを慎重に選んだ。
正確には覚えていないが、とりあえず一番大きなそれを押してみた。
《もしもーし?》
突然の通信に、一向聴は悲鳴を上げそうになった。
いづなは、その口を右手でふさいだ。腕時計に耳を当てた。
《もしもーし? 呼び出し音がしないよ? つながったんでしょ?》
一向聴は上目遣いで、いづなに問い掛けた。
いったいどう対応するつもりなのか。そう訊きたいのだろう。
いづなは喉を奇妙に鳴らし、それからおもむろにくちびるを動かした。
「もしもし、清美だよ」
「!?」
一向聴は、その場で飛び上がりかけた。
いづなの声音が変わったのだ。
間髪置かず、腕時計から少女の声が返ってきた。
《あ、清美? いるんだったら早く出てよね》
「ごめんごめん……どうしたの?」
《どうしたもこうしたもないでしょ。戦いが始まってるんだよ。どこにいるの?》
いづなは一瞬、答えに詰まった。
あまり適当に答えると、嘘がバレてしまうかもしれない。
相手の居場所が分からないのだ。いづなは慎重に答えた。
「ほがらちゃんたちとは別の場所だよ……ほがらちゃんはどこにいるの?」
《私たちは屋敷の外、保険会社のビルの真ん前よ》
保険会社のビル。そんなことを言われても、確認のしようがなかった。
いづなは話題を変えることに決めた。
「ほがらちゃんは戦いに参加してないの?」
《してないわよ。留守番。清美のほうは?》
「私も……」
その瞬間、遠くで爆音が鳴り響いた。
前回よりもはるかに大きなそれに、いづなと一向聴は思わず身をかがめた。
《今の音はなに!? 清美は屋敷の中!?》
「違うよ……ちょっと戦場が近いだけ。それよりほがらちゃん、なんの用?」
用件をたずねられたほがらは、すぐに答えを返した。
《このままじゃ私たちの出番なしで終わっちゃうわ。こうなったら忍ちゃんを出し抜いて、ひと暴れしちゃいましょう。敵のボスは寝込んでるらしいし、今がチャンスよ》
予想だにしていなかった提案。いづなは思考を乱された。
今がチャンス。ほがらの台詞とは別の意味で、そんな気がしてきた。
この機会を逃してはいけない。いづなは思考の網を広げ、会話に集中する。
「……どうやって暴れるの? 忍ちゃんに見つかったら止められちゃうよ?」
《そうねえ……なにかいい案はない?》
じぶんから連絡しておいて、なにも考えてないのか。
いづなは主人の交友関係が心配になってきた。
しかし、かえって都合がいい。少しばかり考慮時間が欲しかった。
「あ、だれか来た……5分後にまた連絡してくれない?」
《え、5分後……? これ以上トイレにいると、あやしまれるんだけど?》
「ごめんね、でもだれか来たの。また後でね」
いづながそう告げると、通信は即座に切れた。
5分。これくらいならトイレで踏ん張れないこともない。
いづなは一向聴の口から手をはなした。
「ちょっと! 何勝手に話を進めてるアルか!」
一向聴は、頬を膨らませて怒った。いづなはそれを無視して、用件を切り出した。
「今の女を利用しましょう」
一向聴は、はたと動きを止めた。
「利用……? どうやってアルか?」
「清美様の容態をお見せして、こちらに寝返ってもらうのです」
いづなのアイデアに、一向聴は困惑したまなざしをかえした。
「そ、そんなにうまくいくはずないネ」
「少なくとも、交渉の材料にはできるはず。清美様が隠密課に裏切られたとなれば、ご友人の心象も変わるに違いありません。寝返りとまではいかなくても、戦線離脱くらいは……」
「だからそれが勝手読みと言ってるネ! そんな保証はどこにもないアル!」
猛烈に抗議する一向聴。
だが、いづなも負けてはいなかった。
「一向聴殿が納得なさらないなら、わたくしたちだけでもこの屋敷を出て行きます」
「わたくしたち……? わたくしたちって誰アルか?」
「清美様とわたくしです」
一向聴の顔色が変わった。顔を真っ赤にして、拳を振り上げた。
「この状況でそんな身勝手なことしていいわけないアル! なに考えてるネ!?」
「身勝手で結構です。わたくしたち式神は、主人の命を第一に考える存在。このまま隠密課の流れ弾に当たるくらいなら、人里離れた場所に避難させていただきます」
「それが元ヒーローの言う台詞アルか!?」
「わたくしたちはヒーローなどではありません。繰り返しになりますが、式神にとって主人の命令は絶対なのです。死ねと言われれば死なねばならない。式神の命が主人の霊力に依存している以上、それは当然のことです。しかしながら、今は清美様のご意思を確認すること能わず。ならば、その意思が確認できるまで、身を隠させていただくだけです」
いづなはそこまで言い切り、颯爽と主人の布団に歩み寄った。
ところがあと一歩と言うところで、後ろから襟首をつかまれた。
振り返ると、一向聴が頭から湯気を立てて、彼女をにらみつけていた。
「みんなで頑張ってるときに、自分だけ抜けるのはダメヨ! 認めないアル!」
「わたくしと清美様は戦力になっていません。わたくしたちが抜けても、あなた方の戦況が悪化することにはならないはずです。ここはお見逃しを」
「そういう問題じゃないアル!」
「ではどういう……」
そのときだった。リストウォッチが、軽快な音楽を流し始めた。
いづなが応答しようとしたところで、一向聴の手が伸びた。
「なにをするのです!?」
「それをこっちに寄越すアル!」
畳の上に倒れ、ふたりは揉み合いになった。
普段なら一撃で弾き飛ばせそうな相手だが、力の落ちたいづなではそうもいかない。
二転三転。いづなは高身長を利用して、リストウォッチに指一本触れさせなかった。
一向聴がどんなに手を伸ばしても、目標にかすりもしなかった。
「寄越すアル~!」
「ほがらさんと連絡させてください! このままでは怪しまれ……」
「ほ……がら……」
清美の声。いづなは一瞬、そちらに気を取られてしまった。
一向聴はその隙を見逃さず、サッと飛びついてリストウォッチを奪った。
「あッ!」
「余所見は厳禁ネ!」
一向聴はいづなの体から飛び退き、そのまま布団をまたいで、部屋の反対側に逃げ込んだ。
「返せ!」
いづなはありったけの力で飛翔し、一向聴に飛びかかった。
一向聴は瞬時に片足を上げ、右手で鶴のようなポーズを取った。
「錯和!」
「!?」
いづなは急に足の力が抜け、掛け布団の端で躓いてしまった。
主人の体に倒れ込まないよう、身をひねるのが精一杯だった。
そのまま畳の上を滑り、頭から襖に突っ込んだ。
背後で、一向聴の高笑いが聞こえた。
「あたしを甘く見過ぎネ。ただの無免許医師とでも思ったアルか?」
「くっ……!」
いづなは襖から頭を抜き、一向聴を睨みつけた。
一向聴の手のうちにあるリストウォッチは、幸いなことにまだ反応していた。
早く応答しなければ。いづなは爪を立て、もう一度一向聴に襲いかかった。
「錯和!」
「……なッ!?」
今度は畳が抜け、そこにいづなの足が嵌まってしまった。
いづなはようやく、一向聴が特殊な能力を持っていることに気付いた。
うなる彼女の前で、ついにリストウォッチは点滅を止めた。
「し、しまった!」
いづなは畳から足を抜き、三たび攻撃態勢に移った。
「まだやるアルか?」
「当然!」
「でも、おまえの主人は目を覚ましてるアルよ?」
「!?」
いづなは首を曲げ、清美の伏せる布団に視線を向けた。
嘘ではない。一向聴の言う通り、そこにはうっすらと目を開ける主人の姿があった。
「清美様!」
いづなは清美に駆け寄り、何度も彼女の名前を呼んだ。
清美は生気のない瞳で、いづなを見つめ返した。
「きみは……誰……?」
清美の一言に、いづなの心が痛んだ。
だが仕方のないこと。付き合いが浅いのだ。彼女は自分にそう言い聞かせた。
「わたくしの声が聞こえますか?」
「きみは……どこかで……」
「わたくしです。いづなでございます」
いづなは自分の名前をはっきりと、主人の耳元でささやいた。
清美は視線を宙にさまよわせた後、その薄いくちびるを動かす。
「公園で出会った……」
思い出したようにそううめく清美。
主人が自分を記憶してくれていたという、ただそれだけで、いづなはなにか込み上げてくるものを感じた。震える声をおさえ、何度も首を縦にふった。
「そうでございます。いづなでございます」
「ともえちゃんは……? 他のみんなは……?」
清美の関心は、すぐさまほがらたちへと移った。
いづなは心が痛みながらも、言葉を返した。
「ほがら様の安否はさきほど確認致しました……他の方々も、行動を共になさっているものと思われます。それよりも、隠密課の……」
仲間の安否を聞いた清美は、ホッとしたように目を閉じた。
「清美様!? 清美様!?」
いづなは涙を流し、主人の名前を呼んだ。
彼女の努力も虚しく、清美は再び深い眠りについた。




