第33話 吸血鬼の入れ知恵
九段下結界内、蘆屋邸──
清閑な座敷に、狐の尾を生やした女と、白髭の老人が座っていた。
女は老人にたずねた。
「して、蘆屋様のご容態は?」
老人は思わしくない顔つきで、しわの寄った口もとを押しひらいた。
「命に別状はございません。ただ意識がおもどりにならず……」
老人は声をひそめ、襖を見やった。
その奥になにがあるのか、それは狐尾のいづなにも分かっていた。
そこには、彼女の主人もまた伏せているのだから。
いづなは、
「清明様……いえ、清美様もお目覚めになりません」
と言って、嘆息した。老人はふたたび正面を向いた。
「当然でございます。あの技をお使いになられたとなると……むしろ、命のあったことが不思議なくらいでございましょう」
「あれは不幸中の幸いでした……主は能力をコントロールできていないのです」
「ふむ……」
老人は伸びた髭をなでながら、豊かな眉毛で目を細めた。
「この屋敷で清明殿を匿うことになるとは、予想だにしませんでしたな」
「それはこちらも同じこと。ただ、今はそうも言って……」
ふたりはふと口を噤む。異形の者の気配を察したのだ。
タイミングを合わせるかのように、障子に長身の男の影が映った。
老人は、
「……マーシャル殿、どうぞ中へ」
と催促した。影は、障子をそっと開けた。
犬歯の尖った端正な顔立ちの男が、あいさつもなく部屋へ踏み込んで来た。
男は左腕に包帯を巻いていた。それを見せないためか、それとも生来的に暗闇を好んでいるのか、マーシャルと呼ばれた男は薄暗い部屋の片隅に陣取った。
「ロウキ殿、お二人の容態は?」
それが男の第一声だった。
老亀はうなだれたように首を左右にふった。
「まだ意識がもどっておりません」
マーシャルは見舞いの言葉も口にしなかった。淡々と話を続けた。
「回復までどの程度かかりますか?」
「それは、いかなる意味でおたずねですかな?」
「戦線に復帰なさるにはどのくらい時間がかかるか、という意味です」
マーシャルの返答に、いづなは睨みを利かせた。
一方、老亀は冷静に答えを返した。
「一日あれば、なんとかなりましょう」
一日。常人ならばありえない回復力である。だが上級の陰陽師ともなれば、話は別だ。そのことは、いづなもよく理解していた。彼女の見立てでは、清美が戦線に復帰するまで24時間ほどしか掛からないはずなのだ。
けれどもマーシャルは、その報告に顔をけわしくした。
「……それでは間に合いません」
「仙薬などを用いても、これが限界なのです。お察しください」
「敵は……日本政府は、間違いなく数時間以内に動きます。一日などと悠長なことは言っていられません。しかも、あなたたち式神の霊力は、主人のそれと一体化している。こちらには今、まともな戦力がないのです。そちらの……」
そこでマーシャルは、いづなに視線を向けた。
「いづなさん……とおっしゃいましたか。あなたも霊力が弱まっている。公園で会ったときの半分も力が出ていませんね」
いづなは口元を結び、その目を線のように細めた。
そして、軽い怒気を含んだ声で言い返した。
「もとはと言えば、あなたが公園でわたくしを奇襲しなければ良かっただけのこと。そうすれば忍とやらの企みは見抜けました。全ては、わたくしとあなたが茂みの中で無意味な乱闘を繰り広げていたことが原因なのですよ」
いづなの言い分にも、マーシャルは顔色ひとつ変えなかった。
「あのときはまだお互い敵同士でした。私は劣勢のアシヤ様を援護しただけです」
「それが余計だと……」
「まあまあ、おふたりともお静まりください」
老亀の制止に、いづなとマーシャルは口論を中断した。
ふたりの間に険悪な空気が流れた。
「ロウキ殿、誤解されては困ります。私は今の状況を分析しているだけなのです。私は主人であるエミリア様から、アシヤ一族への助成を承る身。これはその任務の一貫です」
「ではそのエミリア様の代理人に問い申す。共に闘っていただけるのですな?」
老亀の問いに、マーシャルは力強くうなずきかえした。
「それは問うまでもありません。しかし、私たちの手勢も十分とは言えない状況です。全面対決を想定したメンバーではないのですから。したがって、いづな殿にも協力していただく必要があります」
マーシャルは再びいづなに視線を向ける。老亀もそれに続いた。
いづなは居住まいを正し、慎重に言葉を選んだ。
「わたくしは清美様の式神です。全ては清美様の意思次第」
「それならば、すぐに清美さんの意思を確認してください」
マーシャルは挑発するわけでもなく、平静とした調子でそう告げた。
いづなの顔色がくもった。
「清美様が意識不明なことは、ご存知かと思いますが?」
「この重大事に、意識不明な人の意思を持ち出すのがおかしいのではありませんか?」
質問を質問で返されたいづな。
とはいえ、マーシャルの言葉にも一理ある。彼女はそのことを否定できなかった。
いづなはさらに言葉をつむいだ。
「式神は主人の意には決して逆らえないのです。わたくしも、清美様が蘆屋様との共闘を望まれるなら、命を賭して隠密課と闘う所存。しかしながら、清美様がそのように……」
「キヨミさんはその隠密課に殺されかけたのです。あちら側につく義理はないでしょう。目が覚めずとも、そのように考えて良いはず……ちがいますか?」
「ちがいます」
いづなの強気な姿勢に、さすがのマーシャルも眉をひそめた。
「何が違うのです……? 私の推測に間違いがあると……?」
「あります」
「では、どこが間違っているのか仰ってください」
いづなとマーシャルの視線が交差した。
老亀はふたりの間で、会話の行き先を静かに見守っていた。
「清美様のご友人は、まだ隠密課の手中にあります。清美様が彼らあるいは彼女らを裏切ることは、ありえないと存じます」
「……復讐より友情が勝ると?」
「そもそも清美様は、復讐を為さるようなお方ではございません」
いづなは、それ以上の説明を控えた。清美と他のメンバーとの関係を目の前の吸血鬼に話しても、理解されないと思ったのだ。
マーシャルは納得したのかしていないのか分からぬ表情で、言葉を返した。
「キヨミさんがまだ隠密課サイドにつくと、あなたはこうおっしゃるのですね?」
「そうは申していません。ただ、ご友人を相手に闘うことはないと申しているのです」
「それは同じことでしょう。この状況では……」
コホンと、咳払いがひとつ聞こえた。
見かねた老亀が割って入ったのだ。
「おふたりとも、しばらくお待ちくだされ。安倍殿のご容態からして、いずれにせよ即戦力というわけには参りません。回復なさってから話し合っても良いかと……」
「……確かに」
マーシャルはこの話題を打ち切った。
しかし、問題が解決したわけではない。戦力は明らかに不足しているのだ。
そのことは、この場の誰もが承知していた。
「……こうなっては、彼らの力も借りざるをえませんね」
マーシャルはそう言うと、指をパチリと鳴らした。
屈強な男の吸血鬼が闇の中から現れた。
「お呼びですか、マーシャル様」
「ワンの部下をここへ」
「ハッ」
男は頭を下げ、闇に消えた。
しばらくして、廊下から女の声が聞こえてきた。
「放すアル! あたしを誰だと思ってるネ!?」
「いいから歩け」
障子の隙間から、チャイナドレスのすそが見えた。
そして、背の低い女と、これまた子供のような外見の男が部屋に放り込まれた。
「お連れしました」
そう言って、男の吸血鬼は部屋の隅にひかえた。
マーシャルは連れて来られたふたりを交互に見比べ、まずは女に視線を固定した。
「お名前はイーシャンテンさんでしたか。そちらは……」
マーシャルが鋭い視線を少年へと移した。
少年は憮然とした表情で名乗りを上げた。
「十三不塔」
「では、イーシャンテンさんとシーサンプーターさんにおたずねします。今回の潜入は、アシヤ一族への敵対行為なのですか? それとも、他になにか理由があったのですか?」
マーシャルの質問に、一向聴は拳を握っていきり立った。
「あたしたちを甘く見ると、痛い目にあうアル!」
「……それは答えになっていませんね」
一向聴がもう一度歯向かおうとしたところで、金属のこすれる音がした。
見れば、一向聴の喉元に剣先が突きつけられていた。
目にもとまらぬ早業に、一向聴は腰を抜かしてしまった。
「アヤヤ……」
「もう一度だけおたずねします。ここに潜入した目的は?」
「し……十三不塔がやろうって言ったアル……」
マーシャルは、もう一人の四風仙に目を移した。
剣先は一向聴の喉元に向けられたままだった。
「今の話は本当ですか?」
「事実と言えば事実かな」
脂汗を流す一向聴とは裏腹に、十三不塔はあっさりとそう答えた。
マーシャルは剣を引っ込め、本格的に十三不塔の方へと向きなおった。
「ずいぶんと落ち着いているのですね。返答次第では首が飛ぶというのに」
「それは嘘だね」
十三不塔はあぐらをかき、畳の上でふんぞり返った。
それを見た一向聴の顔が青ざめた。
「こ、こいつに逆らっちゃダメヨ! こいつは吸血姫の……」
「知ってるよ。侍従武官のマーシャルさんだろう? データを見たことがある」
マーシャルはふむと息をつき、面白そうに口元をゆがめた。
「そこまでご存知なら、なぜそうも強気なのです?」
「簡単さ。君は僕たちを殺せない……人手が足りないからね」
十三不塔の指摘に、一向聴もアヤと声を上げた。
自分たちの身の安全を知り、一向聴も態度を変えた。
「そうアル! あたしたちを殺したら、日本政府にやられてしまうアルヨ!」
マーシャルは一向聴を睨みつけ、その口を閉じさせた。
あくまでも交渉相手は十三不塔のほうらしかった。
いづなと老亀も、そのやり取りを静観していた。
「シーサンプーターさん、単刀直入にお訊きします……ご協力いただけますね?」
日中独の共闘。意外な提案だが、この場ではいづなも口を挟めなかった。
マーシャルと十三不塔の睨み合いは、数秒ほど続いた。
「……断ると言ったら?」
「断らないはずです。いや、断れない」
「理由は?」
腹の探り合い。マーシャルは先ほどよりもゆっくりと先を続けた。
「東京のアシヤ一族だけでなく、北京のワン様も窮地に立たされているとか。明らかに北京警察と隠密課で連絡を取り合っている形跡があります。となれば、ワン様とアシヤ一族どちらかが倒れた時点で、2対1になる……ワン様もそれは避けたいはずです」
「……なるほど、僕たちの組織も見張ってたってわけだね」
「我々は常に世界中を見張っていますよ」
マーシャルの発言に、十三不塔だけでなくいづなも面白くない顔をした。ヨーロッパからの使者がこの場を取り仕切っている事態に、何となく不快な思いがしたのだ。
けれども、マーシャルの情報網はここでは頼りになった。現に、十三不塔もこれまでの反抗的な態度を変え、和解の雰囲気をかもし出していた。
「確かに、王様もピンチなんだよね。このまま戦力分散を続けていると、本部が壊滅しちゃうかもしれないし。かと言って、蘆屋一族が滅んでも困る。そうなると、次はうちの番だから」
「ならば、ここは協力して隠密課を押さえましょう。返す刀で北京を救助します」
「それは約束と受け取っていいのかな?」
「……エミリア様に確認しましょう」
そのときだった。マーシャルの懐で軽快な音が漏れた。
一瞬身構えたいづなだが、どうやら携帯電話が反応したようだ。
マーシャルは端末を抜き出し、番号を確かめた。
「……噂をすればなんとやらですね。しばしお待ちを」
そう言って、マーシャルは姿を消した。
残された十三不塔は、いづなたちに顔を向けた。
「えーと、君は……」
「わたくしはいづな……安倍清明様の式神です」
いづなの自己紹介に、十三不塔は少々驚いた顔をした。
「安倍清明の式神……? どうしてここに?」
「話せば長くなります」
「ぜひ聞きたいね」
好奇心を示した十三不塔に、いづなはこれまでの出来事を話した。
安倍清明こと清美が捨て石に使われた段に及び、十三不塔は合点がいった顔をした。
「……なるほどね、要するに隠密課からこちらへ寝返ったわけだ」
「それは清美様がお決めになることです……まだ真意はうかがっておりません」
「だけどこうなっちゃ、政府を裏切るしかないだろう?」
マーシャルと同じ質問をしてくる十三不塔。
いづなが同じ答えを返そうとしたところで、当の吸血鬼が再び姿を現した。
「失礼しました」
マーシャルは携帯を懐に戻し、それから一同を見回した。
なにか大きな動きがあったことを、その場の誰もが悟った。
「良いニュースと悪いニュースがあります……どちらからお聞きになりますか?」
十三不塔が間髪入れずに
「良いニュースから」
と答えた。
「エミリア様から、王様への協力を承諾していただきました。ただし、これは同盟ではありません。あくまでも北京警察を勝たせないための応急処置です。それ以上の事項は、帝国議会の承認が必要ですので、責任を負いかねます」
「なるほどね……一応良いニュースだ」
十三不塔はおどけた調子でそう答えた。
そこへ、一向聴が割り込んできた。
「悪いニュースってのは、なにアルか?」
かすかに部屋の空気が変わった。
それがどういうものであれ、自分たちに不利なことは察しがついていた。
マーシャルも声を落とした。
「ラスプーチンが我々の協力要請を断りました」
意外な人物の名に、周囲が音もなくざわめいた。
最初に口を開いたのは、老亀だった。
「それはどういうことですかな?」
「実はエミリア様を通じて、ラスプーチンに仲介工作を依頼していました。クレムリンが太平洋上に現れたことは、我々も情報を掴んでいます。そこで、少しくらいは戦力を分けてもらえるかと思ったのですが……」
十三不塔はあまりおどろいたようなようすもなく、
「ああ、それなら無理だよ」
と口をはさんだ。マーシャルは目を細めた。
「まるで最初から分かっていたかのような言い方ですね」
「そりゃそうさ。だって、僕らはそのラスプーチンに襲われたんだからね」
「襲われた……?」
意味が分からないといった顔をするマーシャル。
十三不塔は、自分たちと謎のロボットとの闘いを打ち明けた。
話を聞いているうちに、マーシャルの顔が険しくなった。
「ラスプーチンは、アナスタシアを完成させていたのですか……」
「アナスタシア……? それがロボットの名前?」
十三不塔の質問にもかかわらず、マーシャルはなにも答えなかった。
どうやら、今後の対応に考えを巡らせているらしい。
いづなもその場で思考の海に沈む。この場を打破する名案はないだろうか。
マーシャルが畳の上を往復していたとき、十三不塔がいきなり声を上げた。
「僕にいい考えがある」
いい考え。その甘美な響きに、一同は顔を上げた。
マーシャルが代表してその中身をたずねた。
「なんですか、それは?」
「ラスプーチンにこの屋敷の場所を教えるんだよ」
正気か。そんな声が、どこからか聞こえてくるようだった。
老亀が真っ先に反対した。
「なりません。それは断じてなりませんぞ。いったいそのようなことで……」
「なんとかなるんだよね、これが。アナスタシアが投下されたのは、この九段下なんだ。彼女は地元警察には目もくれず、なにかを探していた……そう、アナスタシアは、九段下にあるこの屋敷を奇襲するつもりだったんだ。ラスプーチンに情報をリークすれば、間違いなくアナスタシアをここへ派遣するはずさ。そうすれば……」
そこまでの説明で、マーシャルは十三不塔の計画を察した。
唐突に口をはさんだ。
「隠密課と相打ちさせるわけですか?」
「そういうこと」
十三不塔は名案だとばかりに、ひとさしゆびを立ててみせた。
しかし、老亀は納得しなかった。
「そんなことをすれば、隠密課にもこの屋敷の場所が……」
「それはもうバレてるよ。断言してもいい。隠密課が安倍清明をぶつけて来たのは、この屋敷を突き止めた証拠だよ。でなきゃ切り札を出してくるわけがない。アナスタシアを引き込もうが引き込むまいが、この屋敷自体はもう破棄しないといけないってことさ」
説明を終えた十三不塔は、一同を見回した。
老亀は悔しそうにくちびるを曲げていたが、反論をしなかった。
いづなも、隠密課がここを突き止めた可能性が高いと踏んでいた。十三不塔の予想には説得力がある。これは日本政府から挑んで来た決戦なのだ。通常の手段では勝てない。
マーシャルは目を閉じ、静かに同意を示した。
「これしか手がないようですね。ラスプーチンにこの場所をリークし、三つ巴の戦いに発展させるしか方法がありません」
マーシャルは老亀に視線を伸ばした。
老亀も不承不承、うなずき返した。
それを確認したマーシャルは、次の段取りに移った。
「では、アシヤ様とキヨミさんが回復するまでの24時間をなんとか……」
「24時間? そんなにかかるアルか?」
口をひらいたのは一向聴だった。
話の腰を折られたマーシャルは、蘆屋たちの容態を説明した。
「それなら、あたしがなんとかするアル」
一向聴の台詞に、ただひとり十三不塔が納得顔で答えた。
「そうだよ。一向聴お姉ちゃんは、仙医の心得があるもんね」
十三不塔の台詞を耳にして、いづなも興味を示した。
「では清美様も?」
一向聴は狐尾の女にふりむき、目を丸くした。
「も、もちろんアル。医者は誰でも平等に診るアルヨ」
マーシャルは、
「どのくらいで治せますか?」
と質問した。
一向聴は腕組みをし、眉間にしわを寄せた。
「実際に診ないと分からないアルが……自力で24時間なら、その半分くらいネ」
「……12時間ほどですね?」
一向聴はうんうんと首を縦にふった。
これは望外の助っ人だ。一座の雰囲気が軽くなるのを、いづなははっきりと感じた。
場を締めくくるように、マーシャルが指示を出した。
「イーシャンテンさんは、すぐ治療に取りかかってください。老亀殿、いづな殿、私たちは早速迎撃の手筈を整えましょう。ラスプーチンへのリークは、ヨーロッパを中継して当方が行います」




