第32話 欺き合う正義
七王子市民病院の駐車場は、夜の静寂につつまれていた。
無理もない。今は午前0時。日付が変わり、なにもかもが寝静まっている時刻だ。学生などはまだ起きているのだろうが、彼らは病院とは無縁な存在であった。木々は沈黙し、夜風がどこからともなく吹いては消えて行った。
そんな駐車場の片隅に、ふたりの少年の姿があった。ゲンキとカオルだ。
ゲンキは檻の中の虎よろしく、車のない駐車場をうろつき回っていた。
それとは対照的に、カオルは両腕を組んで静かに瞑想していた。ゲンキの足音と草むらの虫の音だけが、カオルの聴覚に刺激を与え続けた。
しばらくその状態が続いた後で、ふいにゲンキが口をひらいた。
「忍ちゃん、遅いな……なにかあったんじゃないのか?」
ゲンキの独り言に、カオルはようやくそのまぶたを上げた。
目の前でうろうろする友人を見つめ、それから小さく言葉を返した。
「……知らん。ここで待てと言われたんだ。ここで待つしかないだろう」
カオルの返事を受け、ゲンキは再び駐車場の片隅を徘徊し始めた。カオルはそんなゲンキを観察しながら、今日の、いや昨日の出来事を思い返していた。
蛇女を退治したふたりは、あの後すぐに救急車を呼び、ジャンを病院へと運んだ。詳しい話は聞けなかったが、大した怪我ではないらしい。骨折していた腕は蛇女の尾に巻き込まれておらず、下半身に打撲の痕が見られるだけのようだ。
もっとも、その打撲の痕が奇妙な文様を描いていたため、いったいどういう事故があったのか、医師はしきりに不思議がっていた。ゲンキたちにとっても、それを誤摩化すのが一番の難事だった。カオルがいなければ、ゲンキは狂人扱いされていたかもしれない。というのも、ゲンキはうっかり蛇女のことを口にしてしまい、カオルが慌ててそれを打ち消したのだから。
「おいカオル、ともえたちとはまだ連絡が取れないのか?」
ゲンキは歩を止め、カオルへとふりむいた。
カオルはポケットからユニバーサルフォンを取り出し、画面を確認した。
「……返信はないな」
「もう1回電話してみたらどうだ?」
カオルはゲンキの提案を無視して、端末をポケットへと押し込んだ。
「さっきから10回はしてるぞ。出られる状況なら、とっくに出てるさ」
説得力のある推論。ゲンキは顔を曇らせ、地面の小石を軽く蹴った。
小石は宙を舞い、近くの茂みへと音を立てて消え去った。
「やっぱりともえたちも怪我を……」
ゲンキは気遣わしげにそうつぶやくと、空をふりあおいだ。
下弦の月が天頂から傾き、西の空へと次第に近付いていた。
カオルは首を左右に振り、それからぼそりとつぶやいた。
「とにかく忍を待とう。なんの情報も入ってこないんじゃ、判断のしようが……」
「お待たせ致しました」
忍の声。闇から降って湧いたように、くの一姿の少女が現れた。
ゲンキは彼女に駆け寄り、すぐさま事情を問いただした。
「ともえと清美はどうしたんだ!? 無事なのか!?」
大声を出したゲンキに、忍は静かな調子で返した。
「ゲンキさん、今は深夜です。病院の近くで大声を出すのはお止めください」
「いいから早く答えてくれ! ともえは!? 清美はどうなったんだ!?」
答えを返すのが一番手っ取り早いと考えたのか、忍は二度注意しなかった。
ひどく真面目な顔付きになり、ゲンキとカオルを一瞬凍りつかせた。
「おふたりは無事です。現在は潜伏先に戻り、怪我の手当をしています」
「怪我? 怪我をしてるのか?」
にじり寄るゲンキ。忍は表情を崩さず、先を続けた。
「大した怪我ではありません……蘆屋の長者と遭遇し、その際に負ったものです」
忍はそこで言葉を区切った。
今度はカオルが割り込んできた。
「蘆屋の長者? 敵のボスと出会ったのか?」
「はい」
忍は端的にそう答え、ふたたび口をつぐんだ。
カオルは納得しない顔をして、さらに問いを放った。
「それじゃ話が見えない。ボスと遭遇して逃げたのか? まさか闘ったわけじゃ……」
「そのまさかです。どうやら敵はあちこちに囮を撒き、それから蘆屋自身があなたたち双性者を一網打尽にする作戦を立てていたようです。無論、新宿が囮であることをこちらも見抜いたため、奇襲にはなりませんでしたが」
カオルを押しのけ、ゲンキが顔をのぞかせた。
「ともえと清美がそれに勝ったって言うのか?」
「……はい」
「蘆屋は、日本の裏社会の頂点に立つ存在なんだろう? どうしてそんなにもあっさりと負けるんだ? 本当に勝ったのか?」
ゲンキの疑わしげなまなざしを、忍は真剣にとらえかえした。
ふたりは視線をしばし交叉させたあと、忍から会話を再開した。
「蘆屋の長者は代替わりしたばかりで、実戦経験が浅かったのです。戦力分散という罠を張ったつもりが、全てはこちらの読み通り。蘆屋がともえさんたちを襲ったところで、私たちが返り討ちにしました……それに、カオルさんたちが蛇女を退治してくれたのも、大きな戦果です。ありがとうございました」
忍は礼を述べ、軽く頭を下げた。
元同級生の会釈に、ゲンキはどうも馴染むことができなかった。
一方、カオルはカオルで、忍の言葉を信じられないでいた。
眼鏡を直し、自分の違和感を忍に伝えた。
「信じられないな。そんな簡単に倒せるなんて」
「しかし、事実は事実です。隠密課では、この戦果を踏まえて、明朝にも敵のアジトを叩く手筈になっています。カオルさんたちもご協力ください」
突然の作戦発表に、カオルとゲンキは別々の反応を見せた。
「よっしゃ! これで少しは出番が増えたぜ!」
「明朝……? 今から数時間後に行動を開始するってことか?」
忍はゲンキのほうを無視し、カオルにうなずきかえした。
「善は急げです。ここは一気に攻勢へ転じます」
「ちょっと待ってくれ……これじゃまるで、最初からそういう計画が……」
カオルの疑念をさえぎるように、空から光の玉が下りて来た。
その玉の正体を察したゲンキとカオルは、その眩さに目を細めた。
「お待たせ、ゲンキくんにカオルくん、無事でなによりだ」
ニッキーの大人びた声に、ゲンキは吠えかかった。
「ニッキー! どこ行ってたんだ!?」
「おっと、深夜の病院で騒ぐのは感心しないな……それに、まるでサボっていたかのような言い方をされても困る。私は清美くんたちと行動を共にして、帰って来たばかりだよ」
清美の名前を出され、ゲンキはこれまでニッキーがどこにいたのかを悟った。
「じゃあ、ニッキーも蘆屋と?」
ニッキーは空中で一回りすると、そのまま答えを返した。
「うむ。どうやら今回は、私たちの勝ちに終わったようだな」
「そっか……」
ゲンキは口をつぐみ、地面へと視線を落とした。
カオルはその動作を見て、友人の思考を読み取った。忍とニッキーが同じことを言っている以上、勝利の報告に間違いはないと、ゲンキはそう判断したのだろう。実際、カオルもそう考えざるを得なかった。
しかし、なにかがおかしかった。カオルの理性が、そう告げていた。それがなにかも分からぬまま、他の3人は打ち合わせを始めた。
「これからもゲンキさんたちには二手に分かれてもらいます。ゲンキさんとカオルさんは例のマンションに戻り、休憩を取ってください。男性でいるか女性でいるかは、お任せ致します。ジャンさんの看護は隠密課が引き受けますので、ご了承を」
「ようするに、これまで通りってことか」
ゲンキは、少しばかり肩を落とした。
ともえたちに再会できると思っていたのだ。
忍はゲンキの落胆には目もくれず、先を続けた。
「いえ、ひとつだけ変更点があります。ニッキー殿には、ゲンキさんたちのマンションで待機してもらいます。これからは、ニッキー殿と行動を共にしてください」
「ニッキーと?」
顔をしかめたゲンキに、ニッキーはふわふわと宙をさまよった。
「ん、私と一緒は不満かね?」
「いや、そういうわけじゃねえけど……なんで今さら配置換えするんだ?」
ゲンキの疑問に、ニッキーではなく忍が答えを返した。
「今回の蛇女の襲撃は、ゲンキさんたちに適切なアドバイザーがついていなかったからだと思われます。私が分身するわけにもいきませんので、これからは、ニッキー殿がゲンキさんたちを、私が清美さんたちを補佐する体制で行きたいと思います。いかがでしょうか?」
いかがでしょうか、の部分を、忍はやや断定的な口調でそえた。
こうなってしまっては、ゲンキたちに断る権利などなかった。そもそも、ふたりは指揮官でもなければ参謀でもないのだ。黙って忍の指示に従う他なかった。
それに、ニッキーと一緒にいるほうが安全だ。そんな気さえしてくる。
ふたりがなにも言わないでいると、忍はそれを了承と解釈し、話題を転じた。
「ゲンキさん、カオルさん、申し訳ないのですが、通信機器をご返却ください」
通信機器。堅苦しい言い回しに、ゲンキとカオルは一瞬目を白黒させた。
だが、それがユニバーサルフォンであることを、彼らはすぐに理解した。
「ユニバーサルフォンを……? なんでだ?」
ゲンキが噛みついた。当然である。自分の所有物を、はいそうですかと気安く差し出すタイプではなかった。カオルも忍の理由づけを待った。
忍はふたりが言いなりにならないことを察し、すぐに言葉を継いだ。
「アジトの制圧に当たり、通信規制がなされます。盗聴などの可能性がありますので、通信機器での連絡の取り合いはご遠慮ください」
「……ってことは、ともえたちとも連絡が取れないのか?」
ゲンキの問いに、忍は首をたてにふった。
「申し訳ありません」
「じゃあ、ともえたちも携帯返したの?」
「はい、ともえさんたちの通信機器は、すでに回収済です」
「なんだ、そうなのか……通りで返信がねえわけだ……」
ゲンキはぶつくさとそう呟き、ポケットから赤いユニバーサルフォンを取り出すと、名残惜しそうにそれを差し出した。忍はそれを受け取り、今度はカオルへと視線を向ける。
「カオルさんも、お願い致します」
「……分かった」
カオルはポケットから自分の端末を取り出し、ゆっくりとそれを手渡した。
忍はそれを手中に収め、それからふたりとニッキーを交互に見比べた。
「なにかご質問などは?」
その台詞に合わせて、ゲンキが一歩前に出た。
忍は、軽く身がまえた。
しかし、ゲンキの質問は単純明快なものだった。
「敵の本拠地はどこにあるんだ? 東京なのか?」
「……それについては、まだお教えできません」
ゲンキとカオルは、お互いに顔を見合わせた。普段のゲンキならば、さらに食ってかかるところだが、その気力すらなかった。蛇女との戦いに、ふたりとも疲労困憊していた。
カオルは先ほどのことが気にかかっていたものの、敢えて質問するのをひかえた。はぐらかされてしまうと思ったのだ。問い詰めて答えを引き出したところで、それを検証する術すらないのである。
ゲンキは早く帰りたいと言った雰囲気だった。
それを悟った忍は軽く頭を下げ、別れの挨拶を交わした。
「では、本日はお疲れさまでした。ご活躍に感謝しております。上から指示が入り次第、ご連絡さし上げますので、少しでも睡眠をお取りください」
忍はそこで言葉を区切り、ニッキーを見上げた。
「ニッキー殿、後は頼みました。すべては打ち合わせ通りに……では……」
ここでゲンキが声を上げた。
「ちょい待ち!」
消えかかった忍の残像が、もとに戻った。
「……なにか?」
「えっと、俺たちこっから歩いて帰るの?」
「……いえ、それについてはニッキー殿から説明していただく予定でしたが……こちらへ隠密課の車を回しておりますので、それにご乗車ください。では、失礼致します」
そう言って、忍は今度こそ姿を消した。
残されたふたりはニッキーをふりあおぎ、先ほどの説明の裏を取った。
「車はいつ来るんだ? もう疲れてヘトヘトなんだけど」
「うーむ、忍くんからは確かにそう聞いているが、正確な時刻までは……」
そのとき、垣根の向こうで重たいタイヤの音がした。
自家用車とは異なる強烈なライトが射し、一台のジープが駐車場に乗り込んで来た。
それが忍の手配した車であることを、3人はすぐに理解した。
助手席のドアが開き、苔色の制服を着た男が下りた。
男はゲンキたちに気が付くと、歩み寄って敬礼をした。
「赤羽ゲンキ様ですね?」
「あ、ああ、俺がゲンキだ」
「忍様から連絡を受けております。マンションへお運び致しますので、ご乗車を」
ゲンキとカオルは、男の前で慎重に目配せし合った。
また敵の変装ではないだろうか。
そこへ、ニッキーが声を掛けた。
「大丈夫。この人はれっきとした人間だ。私が保証しよう」
ニッキーにうながされ、ゲンキたちは後部座席に腰を下ろした。
タイヤが回り始め、ジープは病院の敷地を離れて行く。
マンションから救急車で20分。帰りも同じ距離だ。
急に疲れが出たのか、ゲンキは大きく溜め息をついた。
「あー、これでちったあ寝られるな……」
だらしなくあくびをしながら、ゲンキは隣に座る友人へと目を向けた。
相方は、ひどく浮かない顔をしていた。
「ん、カオル、どうした? 眠いのか?」
「さっきの話なんだが……どうもおかしい気がするんだよな……」
「おかしい? なにが?」
「なにが、と言われると困るんだが……全体的にうまく行き過ぎてる気がする……」
カオルの台詞に、ゲンキは両肩をすくめて見せた。
「うまく行って、なにが悪いんだよ?」
「いや、それ自体はいいんだ……ただ本当に……」
「ゲンキくん、カオルくん、君たちは男になっているようだが、魔法少女ではなくヒーローで戦ったのかい?」
いきなりニッキーに割り込まれ、ふたりは一瞬言葉に窮した。
だが、ゲンキはすぐにあらましを説明した。
ニッキーは黙って話を聞き、最後にこう付け加えた。
「……なるほど、ということは、魔法少女よりもヒーローのほうが使い勝手がいい、というわけではないんだね。咄嗟の判断で、男にチェンジしただけなのか」
「そういうこと……なにか問題あるのか?」
「いや別に……魔法のステッキは、ちゃんと回収したのかい?」
ゲンキはニヤリと笑い、ポンと腰の部分を叩いた。
「当たり前だろ?」
「そうか……それならいいんだ。紛失は困るからね」
そこで会話は終わった。
魔法のステッキ自体は大切な話だが、カオルは今のやり取りにも違和感を覚えていた。まるでゲンキとの会話を中断させるため、わざと話題を変えたような印象を受けた。
カオルは車外の景色を眺めながら、今日一日のことを振り返り、そして妙な胸騒ぎがするのを、どうしても押さえることができなかった。
【第2章 東京潜伏編 完】




