第30話 敵の敵は味方
2羽のカラスが、夜空を西に急いでいた。
強い追い風を受けながら、カラスは夜景を下に飛行した。
そのうちの1羽が首を曲げ、もう1匹のカラスに話しかけた。
「そろそろ地上へ降りよう」
話しかけられたカラスは、1匹のネズミをかかえながら、嘴を動かした。
「アイヤ? まだ九段下を出てないネ」
「もうすぐ変身してから30分経っちゃうよ。僕はこのままでもいいけど、一向聴お姉ちゃんと大蝙蝠は一回戻らないと」
「……すっかり忘れてたネ。あそこのビルの上に降りるヨ」
カラスはそう言うと、目の前にある巨大な高層ビルを嘴で指した。
しかし、もう1羽のカラスがそれに同意しなかった。
「あそこじゃ地上へ戻るのが大変だ。すぐ下の公園にしよう」
小柄なカラスはそこで羽を折り曲げ、公園の灯を目指して急降下した。
別のカラスも、すぐそれに続いた。
公園の樹木が接近し、2羽のカラスはその手前で旋回すると、人目につかない場所を求めてしばらくうろうろしていた。すると、ちょうど公園の端にベンチが見え、ネズミを抱えたほうのカラスが、鳴き声でそれを相手に知らせた。
「あのベンチがいいアル。ちょうど誰もいないアル」
「……オッケー、ほんとに変身が解けちゃうよ。急ごう」
2羽は争うようにベンチへと舞い降りた。
細い足がベンチに触れたかと思うと、ポンと煙が上がった。
2羽のカラスと1匹のネズミは、2人の少年少女、それに気絶した女へと姿を変えた。
「空を飛ぶのは疲れるアル……」
ベンチの上に立ったまま、一向聴は大きく背伸びをした。羽ばたきし過ぎたのか、肩甲骨の辺りが軽い筋肉痛になっていた。
一方、十三不塔は変身に慣れているのか、そのような素振りを一切見せず、気絶した大蝙蝠を介抱し始めた。介抱とは言っても、医療器具もなにもない中、意識を確かめてベンチに寝かせることしかできなかった。
一向聴はもどかしそうにベンチから飛び降り、十三不塔のそばへと歩み寄った。
「どうアル? 大丈夫アルか?」
「……寝てるだけみたいだね」
十三不塔の見立てに、一向聴はホッと胸を撫で下ろす。
「良かったアル……あのロボット女、今度会ったら許さないネ!」
鼻息を荒げる一向聴。だが、十三不塔の顔色は晴れなかった。
大蝙蝠の顔を見つめながら、一向聴に話しかけた。
「許さないって言っても、あれは相当強敵だよ……僕たちを生け捕りにしようとしていたみたいだし……全力で来られたらどうなるのか、見当もつかないね」
十三不塔の冷静な分析に、一向聴もその闘志をやわらげた。
そして、がくりと肩を落とした。
「その通りアル……そもそもあたしと十三不塔の能力は、生物が相手じゃないと意味ないネ……ロボットとは相性が悪過ぎるアル……」
「そうなんだよね……僕の変身能力を使って、蘆屋一族を内部から混乱させる予定だったけど、まさかこんな戦闘に巻き込まれるなんて……」
意気消沈する2人。そこへ、誰かの足音が近付いて来た。
2人は慌てて口を噤み、その足音の正体をさぐった。
それは、デート中と思わしき若い男女のカップルだった。男は3人を無視してそばを通り過ぎようとしたが、女の方が大蝙蝠に気付いて男を引き止めた。
「どうしたの? 病気?」
「ア、アイヤ、こ、これは……」
女の質問に、一向聴は両手を振ってしどろもどろになった。
十三不塔がすぐさま助け舟を出した。
「すみません。ちょっとお酒を飲み過ぎて、寝てるだけです」
「酒の飲み過ぎ? そいつは危ないな。救急車を呼ぼうか?」
男の方がポケットに手を突っ込んだ。
十三不塔はそれを全力で阻止した。
「いえ、よくあることなんです。大丈夫ですから、どうぞデートを続けてください」
後半部分の余計な台詞に、カップルはお互いに顔を見合わせた。
とはいえ、これ以上関わり合う気も失せたのか、2人は腕を絡めてその場を離れて行った。
「気をつけろよ。なにかあったら110番か119番だぞ」
「わ、分かりました。さようなら」
一向聴と十三不塔はカップルを見送り、それから会話を再開した。
「ここは目立つネ。少し場所を変えるアル」
「場所を変えるって言っても、公園から出たら道路だし……お金は持って来た?」
一向聴はポケットに手を入れ、小銭を取り出した。
「イー、アル、サン、スー……520円しかないね」
「帰りの電車代もないじゃないか……どうする気だったの?」
呆れ気味に両腕を頭の後ろへと回す十三不塔。
一向聴は口をすぼめ、機嫌を悪くした。
「お金があったら肉まんなんか売ってないアル!」
「しーッ、静かに……とりあえずそこの茂みの奥へ隠れよう。さっき上から見たとき、空き地が見えたから」
十三不塔が大蝙蝠の頭を、一向聴がその足を持ち、2人は彼女を茂みの中へと運んだ。
十三不塔の予想通り、そこには芝生の生えたちょうどいい空き地が広がっていた。2人は大蝙蝠を芝生の上に寝かせ、作戦会議に入った。
「これからどうするアル? アジトへ帰るアルか?」
「……アジトって、肉まん屋のこと?」
「それ以外にどこがあるって言うネ!?」
一向聴は両腕を上げ、どさりとその場に腰を下ろした。
十三不塔は立ったまま、悩ましげに夜空を見上げた。月が恐ろしいほどに眩い。まるで今晩の事件を予期していたような明るさだ。
「うーん……麻酔弾だから、そのうち目を覚ますんだろうけど……」
「別に寝てても大丈夫ネ。ネズミに戻して、早く先へ進めばいいアル」
「また鳥になるの? ここから凄い時間が掛かるよ?」
「時間が掛かるのは仕方ないヨ。他に移動手段がないアル」
一向聴は半分諦め気味にそう言うと、芝生の上に寝転んだ。
野宿する気はないのだが、心身ともに疲れてしまったのである。夜中にもかかわらず明るさを失わない東京の空を見上げ、一向聴は大きく溜め息をついた。
「王様……」
「うぅ……」
どこからともなく聞こえた女のうめき声に、一向聴は上半身を勢いよく起こした。
大蝙蝠が目を覚ましたと思った一向聴は、彼女の方へ顔を向けた。
ところが、予想とは裏腹に、大蝙蝠は眠ったままだ。
これには一向聴だけでなく、十三不塔も首をかしげた。
「うぅ……蘆屋……様……」
蘆屋。その名前に、2人は臨戦態勢を取った。
2人は茂みの奥へと視線を凝らし、声の主をさがした。
「だ、誰かいるアル……敵に違いないネ……」
「でも気配を感じなかったよ? それにどこか苦しそうだ……」
十三不塔はそう言うと、茂みへと近付いて行った。
同僚の軽率な行動を前にして、一向聴は慌ててそれを止めようとする。
だが、大蝙蝠の体を跨いでいるうちに、十三不塔は茂みへと顔を突っ込んでいた。
「アッ!」
十三不塔の喫驚に、一向聴もその場へ駆け寄った。
そして、同じように驚きの声を上げた。
「お、女が倒れてるアル!」
茂みの向こう側、木のすぐ根元に、上半身裸の女が倒れていた。
「こ、子供には刺激が強過ぎるアル!」
一向聴は顔を赤らめ、十三不塔の両目をおおった。
「ちょ、ちょっと! 余計なことしなくていいから!」
「余計じゃないアル。こういうのはちゃんと……アイヤ!?」
一向聴は、そこでまた大声を上げた。
女の下半身に目を向けた瞬間、彼はその異様な体躯に気が付いたのである。
ズボンのように見えたそれは、鱗に覆われた巨大な蛇の尾だった。
「へ、蛇女アル!」
「えッ!?」
十三不塔は目元を覆う手を振り払い、女の容姿を視界におさめた。
一向聴の発言が真実であることを悟り、十三不塔は眉間に皺を寄せた。
「こ、こいつは蛇姫だ!」
十三不塔が口走った名前に、一向聴は怪訝そうな眼差しを向けた。
「ダッキ……? 知ってるアルか?」
「知ってるもなにも、例の蛇女だよ! 僕が昼間見せた奴!」
「昼間……? アイヤ!」
一向聴の脳裏に、タブレットの画像がよみがえった。
2人は顔を見合わせ、それからもう一度女の顔を確認した。
木に寄りかかるように顎を上げた女は、髪が乱れて傷ついてはいるものの、間違いなくあの顔写真と一致していた。
突然の闖入者を前に、2人はますます深刻な表情をした。
「や、やっぱり蘆屋が負けたんだ……彼女も巻き込まれて……」
「じゃあこいつは蘆屋の式神アルか!? 霊力が全然感じられないネ!」
「それはそうだよ。式神は、その主人と一蓮托生だからね。蘆屋が負ければ、式神もその霊力を急激に失うんだ。近くに蘆屋がいないとなれば、なおさらだよ」
蘆屋の名を連呼した2人に、蛇女が反応した。
2人は会話を止め、女の様子をうかがった。
「蘆屋……様……うぅ……」
蛇女はそう呻くと、がくりと首をうなだれた。
今度こそ本当に気絶してしまったようだ。
「ど、どうするアル……? 助けるアルか?」
「助けたいのはやまやまだけど……」
蛇姫を救助する。それについて、2人の意見は一致していた。蘆屋一族にここで滅亡されては困るのだ。日本政府およびラスプーチンと戦わねばならない以上、蘆屋の式神を生かしておく必要があった。
だが、どうすれば助けられるのか、それが判然としなかった。人間を治療するのとはワケが違う。
2人が腕組みをして頭を悩ませていると、茂みのさらに奥から声が聞こえた。
「おい、こっちだぞ」
木の葉が揺れ、何者かが近付いて来た。
2人は蛇姫を抱きかかえようとしたが、重くて動かせなかった。
黒い影が茂みから顔を覗かせたところで、2人は蛇姫が寄りかかっている木の上へと避難した。それと入れ替わるように、小さな影がひとつ、木の根元へ姿を現した。
「おい、いらっしゃったぞッ! 蛇姫様だッ!」
「なに? 本当か?」
影の呼びかけに応えて、ぞろぞろと赤ん坊のような影が木の根元に集まって来た。
暗くてよく見えないが、人のようで人ではなかった。
痩せ細った体に腹の突き出したそれは、餓鬼と呼ばれる妖魔の一種だった。
餓鬼たちは数人で蛇姫を取り囲み、彼女の容態をみた。
「……おお、生きておいでだ」
「さすがは蛇姫様。普通の式神ならば死んでいたところ」
「無駄口を叩いている暇はないぞ。早く屋敷へお運びせねば」
餓鬼たちはその小さな体を蛇姫の下に潜らせ、よいしょとそれを持ち上げた。どこから力が湧いているのか、えっちらおっちらと蛇姫の巨体を運び始めた。
「おい! こっちにもいるぞ!」
余っていた餓鬼が、茂みの奥を指差してそう叫んだ。
それを見た一向聴は、思わず声を上げてしまった。
「アイヤ、まず……」
彼女の口を、十三不塔がふさいだ。
一向聴が驚いて振り向くと、十三不塔は人差し指をくちびるに当てていた。
静かにしろと言っている。一向聴は彼を信頼して、しばらく様子を見ることにした。
「こ、これは……どなただ?」
手の空いた餓鬼のひとりが、首をひねりながら周囲にたずねた。
だれも答えを知らなかった。
「うーむ、分からん。お屋敷では見かけたことのない顔だが……」
「しかし、人間ではないようだ。妙な気を感じる……蝙蝠のようだな」
「なるほど、それではやはり式神か。このお方も運ぶとしよう」
餓鬼たちは作業を分担し、大蝙蝠の体を持ち上げ始めた。
これには一向聴も色を失ったが、彼女が大声で叫ぶ前に、ポンと煙が上がった。
「ん? なんだ?」
餓鬼の一人が、木の上に視線を向けた。
「どうした? なにかいたか?」
「木の枝に人影が見えたのだが……」
他の仲間たちも、荷物の重さに四苦八苦しながら、木の枝へと顔を上げた。そして、葉の一枚一枚まで確認するように、闇の奥へ警戒心のこもったまなざしを投げかけた。
「……なにもいないではないか」
「気のせいだろう。早くずらかろう」
「そうだそうだ。いつ誰に襲われるか分からんからな。我々は蘆屋様の霊力からおこぼれを与れない身だ。とてもではないが敵にはかなわん」
「まあ、そのおかげで、こういうときは役に立つわけだがな」
餓鬼たちはめいめいそうつぶやきながら、蛇姫と大蝙蝠を運び出した。
その後をつけるように、2匹の蠅がふらりと大蝙蝠のスカートへと忍び込んだ。
蠅は潰されないように気をつけながら、スカートのひだに身を隠した。
「……どうする気アル?」
蠅の片方が、手をすりながら尋ねた。
「このままアジトまで運んでもらおう……千載一遇のチャンスだよ……」
「アジトに忍び込んだところで、なにもできないアル。絶対バレるアル」
「大丈夫……それについては考えてあるから……」
スカートの揺れが急に止まり、2人はそこで口をつぐんだ。
「おい、さっきから独り言を言ってるのは、だれだ?」
餓鬼の一人が、いらだたしそうに尋ねた。
他の面子は口々に自分ではないと言い、その場がにわかに騒然となった。
「……まあいい。静かに運ぼう。人間には見つからないのが一番だからな」
2人は大蝙蝠の体が規則的に揺れるのに任せ、蘆屋の屋敷へと運ばれて行った。会話をすることもできず、ただひたすらに蠅のフリをし続けた。
一向聴はぼんやりと夜風に吹かれながら、今日の出来事を振り返り、そして王傑紂の無事を祈った。蘆屋が破れたという事実に、彼女はなにか不吉なものを感じていた。




