第2話 襲われた偽カップル
学校を飛び出したゲンキとジュリアは、人通りもまばらな遊歩道を猛スピードで駆け抜ける。先頭を行くのはジュリア、その後を、ゲンキが追いすがるように走っている。
「おいジュリア! そんなに急がなくてもいいだろ!」
「パフェがうちを待っとるんや! ゲンキも全力で走らんかい!」
いや全力で走ってるんだが、という台詞を、ゲンキの自尊心が飲み込んだ。ゲンキも運動神経には自信のある方だが、ジュリアは校内屈指のスプリンターである。かけっこで勝負になるわけがない。
2人の差はどんどん広がり、曲がり角でジュリアの姿が消えた。ゲンキは、なんとなく覚えていた喫茶店までの道のりを頭に描き、悪友の後を追う。
5分ほど走ったところで、ゲシュマックの洋風造りな建物が見えてきた。入口からはみ出た長蛇の列の最後尾で、ジュリアはゲンキを待っている。
「ハァ……ハァ……やっぱここか……」
最後尾に辿り着き、息を切らしながら前屈みになるゲンキ。その前で仁王立ちしたジュリアが、こめかみに青筋を立て、ゲンキを睨んでいた。
「遅いで! もうメッチャ並んどるやんけ!」
ジュリアの怒声に、ゲンキも負けじと睨み返す。
「あのな、こんなの何分前に着こうが、順番待ちに決まってるだろ?」
「いいや、全部ゲンキのせいや。おごってもらうで」
「はあ? おまえが誘ったんだから、おまえがおごれよ!」
売り言葉に買い言葉で、2人は間合いを詰めた。
他のカップルたちがざわつき始めたことに、2人は気付かない。
さて、どう罵ってやろうかと、しょうもない試行錯誤に脳のエネルギーを消費していたところへ、ふいにメイド姿の女が現れる。
歳は20歳そこそこ。平凡な顔立ちの女だ。
それがゲシュマックの店員であることは、2人にもすぐに分かった。
「お客様、店の前では静かにしていただけませんでしょうか?」
店員は、なるべく柔らかめの口調で注意した。
ゲンキとジュリアは、自分たちに向けられている痛々しい視線に気が付き、照れ笑いを浮かべる。
「わ、わりい……こいつが変なこと言うから……」
「なんでうちのせいにするんやッ!? ゲンキの足が遅いのがあかんねんでッ!」
人前で足が遅いと言われ、さすがのゲンキもカチンときた。
ひとさしゆびでジュリアの肩甲骨をこづいた。
「俺はおまえとちがって、陸上部じゃないの。それにな……」
「あのぉ……」
口論を再開したふたりに、店員の女がけげんそうなまなざしを向けてきた。
「お客様方、本当にカップルでいらっしゃいますか?」
店員の疑いに、ジュリアが大慌てで反応する。
「そ、そやでッ! うちらはホンマもんのカップルやッ! な、なあ?」
ジュリアが、ニッコリと不気味な笑みをゲンキに投げかけた。
目が話を合わせろと言っている。
ゲンキも急いで笑顔を作り、わざとらしくジュリアの肩に手をかけた。
その拍子に、ジュリアの肩がびくりとすくむ。
そんなに嫌がるなよと、ゲンキは内心毒づいた。
「も、もちろんだよ……付き合い始めて、もう10年になるかな?」
(それは友達付き合いやろッ! 長過ぎやッ!)
ジュリアは、そう叫びそうになった口を右手で押さえた。
しかし、時すでに遅し。これでは店員の疑いが晴れるはずもない。
店員は、ますます不審の目を向けてくる。
「本日のカップル割りは、大変盛況となっております。本物のカップルのかたしかご案内しておりません。失礼ですが、なにか証明できるものをお持ちでしょうか?」
「証明……?」
ゲンキは、女の質問にとぼけた声を上げた。本当に意味が分からなかったのだ。
どうやらそれがまずかったらしく、女はさらに態度を硬化させてきた。
「お客様がカップルであることの証明です……写真かなにかをお持ちですか?」
その瞬間、ゲンキとジュリアはお互いに視線を交叉させた。
10年来の腐れ縁が、人智を超えたアイコンタクトを可能にさせる。
(この前、洒落で撮ったやつがあるやろッ! あれを見せるんやッ!)
ここまで0.1秒。
(あれはオレが女でおまえが男だ、使えねえ)
ここまで0.2秒。
(あんたが女装、うちが男装しとったことにすればええんやッ!)
ここまで0.3秒。
(バカか、それじゃ変態カップルだろ?)
ここまで0.4秒。
(ほなうちにキスせえッ! パフェのためやッ!)
ここまで0.5秒。
「だが断る」
それがゲンキの結論だった。
「なんでやッ! キスくらいええやろッ!?」
「ファーストキスは、さすがに好きな子としたいじゃん?」
ジュリアは頭をかかえて身悶えする──終わった。すべてが終わった。
ゲンキも自分のセリフが意味するところを悟った。
店員の視線が痛い。
「えー、もうしわけございませんが、列に支障が出ておりますので……こちらへ」
店員はほかのメイドに列を任せて、ゲンキたちをカフェの横に誘導した。
物陰で声をおとす。
「お客さま、本来であれば出禁にさせていただくところですが……」
ジュリアは顔面蒼白になって、
「で、出来心やッ! もうせんッ!」
と詫びをいれた。が、メイドの反応は、彼女が予想しているのと異なっていた。
「おふたりはこのお店でよくお見かけしますので、特別にサービスさせていただきます」
ゲンキとジュリアは、おたがいに顔を見合わせた。
「……ちゅーと?」
「カップル割でパフェの注文をお受けいたします」
ジュリアはガッツポーズをして、
「おおきに、こんどから毎週通うわ」
と感涙した。いっぽうゲンキのほうは、
「俺たちのほうから不正しててこういうのも変なんですが……いいんですか?」
と半信半疑だった。ジュリアはあきれて、
「もらえるもんは、もらっとかんかい」
とたしなめた。メイドはスカートのすそをつまんで、
「表口からでは他のお客さまに見られますので、どうぞこちらへ」
と言い、カフェの横にある小道へ案内した。
そこは草地が踏みしめられて、けもの道になっていた。
左手はすこしばかり高い崖になっていて、下には無人の空き地がみえた。
ゲンキとジュリアは、制服を小枝にひっかけないように、用心してついていった。
「えらい物騒な裏口やな……」
その瞬間、ジュリアの足になにかが絡みつき、彼女を転倒させた。
そのまま崖に転落する。手をかける場所もなく、数メートルを真っ逆さまに落ちた。
アスファルトのうえに叩きつけられ、ジュリアは顔をしかめた。
「いったぁ……」
ほんのコンマ数秒差で、ゲンキも落ちてきた。
同時に、3つめの着地音。
ジュリアが顔をあげると、さきほどのメイドが目のまえに立っていた。
メイドはこちらに背中をみせていた。
「こない危ない道、使うたらあか……」
「ジュリア! ようすが変だぞッ!」
ゲンキの声に、ジュリアはハッとなった。崖をみあげる。
人間が簡単に飛び降りれる高さではなかった。
ジュリアはサッと起き上がった。
「なにもんやッ!?」
メイドは背をむけたまま、静かに笑った。
「ここまで簡単に双性者がみつかるとは、思っていませんでした」
ジュリアは一歩下がる。背中が崖にぶつかった。
「な、なんでうちらが双性者って知っとるんや?」
「それはですね……」
メイドはこちらをふりむいた。
「私もそうだからですよ」
メイドの口から、蛭のような長い管がのぞいていた。
ジュリアは一瞬呼吸が止まる。
その管はジュリアめがけて高速で伸びた。
ジュリアは腰を落とし、ぎりぎりのところでそれを回避した。
管は崖に突き刺さり、ぱらぱらと土くれが落ちた。
メイドの口のなかに、ふたたび管がもどる。どうやら舌が変形したもののようだ。
ジュリアが体勢をととのえるまえに、2発目がはなたれた。
回避不能。ジュリアは目を閉じた──が、痛みを感じなかった。
その代わりに「ぐッ……」という女のうめき声が聞こえた。
ジュリアは目を開けた。
ゲンキがメイドの舌をつかみ、ねじりあげていた。
「おいおい、俺の友人にちょっかいかけるなよ」
メイドは舌をうねらせた。唾液でヌメって、取り押さえがきかなかった。
ゲンキの手から舌が抜け、メイドの口にふたたびおさまる。
「ハァ……ハァ……さすがは双性者……生身でそれですか……」
ゲンキはやれやれという顔で、
「理由はわからないが、子どもの頃からタフなんでね。そもそもこの高さから落ちたら、ふつうは骨折するし、ヘタしたら死ぬだろ。俺たちじゃなかったらとっくに殺人罪だぞ」
と返し、ファイティングポーズをとる。
「ヤルライダー観て予習はばっちりなんだよッ! さっさとかかってこいッ!」
「チッ……バカはバカでも馬鹿力でしたか、ここはいったん……」
メイドは後退しようとした。
そのとたん、背中に強烈な一撃をくらった。
アスファルトに倒れこむ。
首をまげてうしろを確認すると、ジュリアが右脚を高々とあげて立っていた。
「うちの蹴り、ちょいと格がちがうやろ?」
ゲンキとジュリアは、倒れたメイドを前後から包囲した。
ゲンキはメイドを見下ろしながら、
「おい、何者だ? 人間じゃないっぽいが……生物兵器か?」
とたずねた。
「……」
「テロリストかもしれんで。警察に通報したほうがええわ」
「……」
「そうだな、110番して……」
そのときだった。ゲンキのうしろで強烈なクラクションが鳴った。
ふりむくと、自動運転トラックが猛スピードでこちらに向かってきていた。
轢かれる──はずはないのだが、反射的にゲンキとジュリアはその場をとびのいた。
その隙をついて、メイドは舌をトラックのシャフトに伸ばした。
そこから急速に舌を巻き戻し、反動でトラックのサイドにしがみつく。
ゲンキが追いかけようとしたときには、もう手遅れだった。
「くそッ!」
ゲンキは地面を蹴った。
「自動運転だから轢かれるわけないのに……とちったぜ」
「いや、暴走しとったかもしれんで。自動運転ならもっと手前で止まるはずや」
ジュリアの指摘に、ゲンキの表情がくもった。
「……もしかして、あいつの仲間のトラックだったか?」
「ありうるわ。ナンバープレートも見えんかったし、警察に連絡したほうがええわ」
ジュリアは鞄をさがした。
崖のそばに、土まみれで落ちていた。
ジュリアは頭をかかえて、
「うちのお気に入りやのに……あのメイド、マジでゆるせんわ」
と落胆した。
ゲンキはポケットからスマホをとりだす。
「俺のほうで連絡するよ……ん?」
ゲンキは画面をみた──着信がある。
「……博士から?」
ゲンキは警察を優先しようとしたが、またスマホが振動した。
「はい……もしもし?」
電話のむこうから、堅苦しい中年男性の声がかえってきた。
《ゲンキか? 防犯システムに通知がきた。なにがあった?》
ゲンキは頭をかいた。
「ちょっと襲われて……」
《襲われた? だれにだ?》
「あぁ……博士は信じないかもしれないけど、怪人みたいなやつ」
一瞬の沈黙──それから、鬼気迫る声が返ってきた。
《今すぐ迎えにいく。そこを動くな……警察にも連絡するんじゃないぞ、いいな?》