第27話 隠密課課長、柳生影勝
燃え上がる炎。けぶり立つ煙。
灼熱の炎につつまれた公園では、決死の消火活動が行われていた。
苔色の特殊服に身を包んだ男たちが、消防隊の代わりに右へ左へと駆け回っていた。
発火源となった公園の中央には、ふたりの少年と少女が倒れていた。火傷こそ負っていないものの、全身が煤と血にまみれていた。ふたりは寄り添うように噴水の近くへ横たわり、周囲の喧噪にもかかわらず、死んだようにその身を投げ出していた。
ふたりのそばへ、くの一の格好をした女が舞い降りた。忍だった。
忍はくちびるを固く結び、2人の無惨な姿を交互に見比べた。その瞳には、故意に感情を押し殺した石のような冷たさが宿っていた。
「ご苦労だったな、忍」
忍の背後で、男の低い声がした。
忍は振り返ると同時に身をかがめ、軽く頭を下げた。
「課長、お待ちしておりました」
課長と呼ばれたオールバックの男は、サングラスを外して辺りを見回した。炎は既に消えかかり、茂みのあちこちに残り火が広がっているだけであった。
男は若いようにも、年を取っているようにも見える風貌をしていた。その鋭い目付きに相応しい威厳と殺気が、体臭のように発せられていた。
「これが蘆屋の長者か。若いとは聞いていたが、これほどまでとはな」
男は感慨深げに、そうつぶやいた。
そして、おもむろに忍の方へと顔を向けた。
「結局、例の作戦を発動したのか?」
「ハッ……安倍殿も深手を負い、勝ち切れないと見ましたので……」
忍の声は少しばかり震えていた。
男はそれを気に留めることもなく、今度は少女の方へと視線を向けた。
「安倍清明も、まさか初仕事が捨て身なるとは思うまいて……」
「大切な戦力を失ってしまい、もうしわけございません」
忍は深々と頭を下げ、その場にかしこまった。
その謝罪は男だけにではなく、清美にもまた向けられているように思われた。
「まあよい……安倍家の任務は、裏社会の魑魅魍魎を退治すること。その頭領である蘆屋さえ仕留めてしまえば、後はどうにでもなることだからな。安倍家と蘆屋家が同時に滅びるのも、なにかの宿命だろう」
男はそう言うと、懐から煙草を取り出し、ライターで火を点けた。
目をつむり、白い煙を口から吐き出す。煙は夜風に流され、宙へと消えて行った。
「さて、今後の作戦だが……」
そこまで言って、男は口を閉じた。
目の前の少年が動いたのだ。男は煙草を捨て、右手の指を軽く屈伸させた。
「あの爆発で生きていたとは……さすがは蘆屋の長者……」
「うぅ……お、おぬしは……?」
少年は苦痛に顔をゆがめながら、かろうじて左目のまぶたを上げた。
男は居住まいを正し、敬意を込めて自己紹介をした。
「ご紹介が遅れました。私の名は柳生影勝。隠密課の課長を務めさせていただいている者です。どうぞお見知り置きを、蘆屋殿……」
「柳生……? お、おぬしは……柳生一族の……?」
「先代ともお相手させていただいたことがございます。残念ながらこの影勝、当時の腕では力不足もよいところでしたが……こうしてそのご子息にお会いできるとは、光栄です」
男の慇懃無礼な態度に、蘆屋は歯を食いしばりながら言葉を継いだ。
「こ、これがおぬしたちの……やり方……なのか……?」
「お言葉ですが、自然公園の開発を阻止するために殺人を犯そうとしたのは、他ならぬあなたです。そのようなことを言われる筋合いはございません。これは正当防衛。私も、黒井建設の社外取締役の一人なのですから……」
蘆屋はうめき声をあげ、そばに倒れた少女へと視線を落とした。
「あ、安倍殿は……き、清美殿は……なにも知らされて……」
「ええ、なにも知らされておりません。木の葉を隠すなら森の中とは、なかなか言い得て妙ですな。彼女には、普通の少女として暮らしていただきました。先代の安倍清明が子供を残さずに逝ってしまわれたゆえ、人工授精で誕生させた子供ですが、そのとき少しばかり細工をさせていただいたのですよ……」
「双性者手術……か……うッ!?」
そこで蘆屋は血を吐いた。首を垂れ、地面に倒れ込んだ。
瀕死の少年を尻目に、影勝は先を続けた。
「その通り。実は最初からこれが目的だったのです。天下の安倍清明がまさか双性者とは、誰も思わないはず……あなた方は、双性者退治という餌に誘き出されたネズミに過ぎません。七丈島に双性者がいることをリークしたのも、ラスプーチンと王傑紂を日本へ呼んだのも、全て我々だったのですからね」
影勝の独白に、少年は目を閉じたまま小さく言葉を返した。
「そんなことをすれば……日本は……乗っ取られる……ぞ……」
「ご安心を。既に北京警察とも協力体制を取り、王傑紂を中国へ帰還させました。クレムリンの方も、あなたと王が大破させてくれた……感謝致します」
男はそう言うと、腰に手を掛けた。
暗闇に隠れていた鞘を抜き、怪しげな煌めきを伴って空中に弧をえがいた。
影勝は上段の構えを取り、その刃を空高くかかげた。
「村正も血を欲しがっています。蘆屋が相手と知り、興奮しているのでしょう……数百年に渡るその呪われた血筋、ここで絶たせていただこうッ!」
影勝が踏み込みを入れ、一気に日本刀を振り下ろした。
剣先が水平に達するよりも早く、なにかがその刃を力強く受け止めた。
「ムッ!?」
影勝は身をひるがえし、ふたたび構えを取った。
忍も隣で小太刀を抜き、戦闘態勢へと入った。
周囲がにわかに騒がしくなり始める。悲鳴と銃声。
影勝は、敵が蘆屋だけではないことを悟った。
「貴様、何奴ッ!」
影勝の怒声に、闇の中から若い男が浮かび上がった。
尖った耳先と赤い唇から覗く犬歯に、影勝はその男の正体を見抜いた。
「吸血鬼かッ!?」
男は丁寧に胸の前へ両手を差し出し、東洋式の拝礼を行った。
そして、ゆっくりと影勝に話しかけた。
「七王子市が成田エクスプレスの停車駅でなければ、間に合わないところでした。私の名はマーシャル・フォン・ザクソニコ。エミリア・フォン・ローゼンクロイツ様の下僕にして、侍従武官にございます。この度はエミリア様のご命令により、蘆屋様のお命を預かりに参りました」
影勝はマーシャルの口上に身構え、その剣先をととのえた。
一気に攻勢に入ろうとした影勝だったが、その手を寸でのところで止めた。
別の気配が、マーシャルの後ろでうごめいていた。
牛面人身の大男が、闇の中から姿を現した。
「マーシャル殿、かたじけない」
「牛鬼殿、早く蘆屋様を安全な場所へ。ここは私が引き受けます」
マーシャルが言い終えるが早いか、牛鬼は主人を抱え上げようと身をかがめた。
辛うじて息をする蘆屋は、虚ろな目で式神の存在を確認する。
「牛鬼……動ける……のか……?」
「蘆屋様のおそばにいるので、なんとか。蛇姫は妖力を失ったやもしれません。お屋敷の面々も心配です。ここはお引きください」
牛鬼が蘆屋を持ち上げようとすると、少年の裾を引く者があった。
清美だった。死んでいたと思っていた清美の生還に、蘆屋は複雑な表情を浮かべた。
「ごめん……全部……ボクの……せい……」
清美はそれだけ言うと、再び意識を失った。
手が蘆屋のすそから離れ、力なく地面へと落下した。
蘆屋は整わぬ呼吸の中、目を瞑って牛鬼に語りかけた。
「この少女も……屋敷……に……」
主人の言葉に、牛鬼はその真っ赤な目を細めた。
「この女もですか? そう言えば、この顔どこかで……!?」
牛鬼は清美の顔を覗き込み、鼻息を荒げた。
「こ、この女は双性者!」
その瞬間、牛鬼の背後で金属のぶつかり合う音がした。
「牛鬼殿、早くッ!」
ひと太刀交えたマーシャルが、影勝とつば迫り合いをしながらそう叫んだ。
牛鬼は主人と清美の顔を交互に見比べた後、大きなうなり声を上げた。
「えーい、おおせのままにッ!」
牛鬼は蘆屋を左腕に、清美を右腕に抱えると、そのまま闇へと溶け込んで行った。
それを見届けたマーシャルは、刀を滑らせて噴水へと跳躍し、指笛を鳴らす。
周囲の茂みから、続々と吸血鬼の群れが顔を覗かせた。忍もその対応に追われ、影勝の援護をすることができなかった。一匹の吸血鬼が空を舞い、マーシャルのもとへと参じた。
「マーシャル様、ご命令を」
「いくら人間相手とは言え、敵の本拠地だ。蘆屋殿の容態も気になるゆえ、ここはひとまず撤退するぞ。殿は私が努める」
「御意に」
従者はそう言うと、再び仲間の群れの中へと戻って行った。
隠密課の隊員と戦闘を繰り広げていた吸血鬼たちは、規律正しく後退を開始した。
「逃げる気かッ! そうはさせんッ!」
影勝が構え直したところで、ひとりの隊員が息を切らして伝言を告げた。
「課長! 双性者を輸送するはずのヘリが撃墜された模様です! 双性者3名とは音信不通! 敵の別働隊かもしれません!」
隊員の報告に、影勝は舌打ちをした。
引き下がって行く吸血鬼たちを目で追いながら、影勝は忍に命令を下した。
「殿は私が引き受ける! 部隊を撤収させ、一部をヘリの墜落現場へ、残りを九段下へ派遣するのだ! 忍は本部へ帰還し、吸血鬼の介入を報告しろ! よいな!?」
「ハッ!」
忍は一瞬にして姿を消し、足音だけが影勝の背中から遠ざかって行った。
影勝とマーシャルはお互いに対峙し、間合いを計りながらその距離を詰め始めた。
「私の剣と互角な人間は初めてお会いしました……お名前を」
「隠密課課長、柳生影勝だ。互角かどうか、今試してくれるッ!」
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「もうこんな時間になってしまったアル! 完全に出遅れてるアル!」
一向聴はそう叫ぶと、道ばたで地団駄を踏んだ。
周囲を行き交う人々が、電柱の隅にいる3人組を怪訝そうに横目で盗み見ていた。
「山手線と中央線を間違えるなんてありえないアル! しかも変に近道しようとして、迷子になっちゃったヨ! ここはいったいどこなのネ!?」
耳元で大声を出す一向聴を無視して、十三不塔はタブレットでグーグル検索をしていた。自分たちの位置を確認し、それから帽子をかぶりなおした。
「参ったね。ここは九段下だよ。方向が全然違うじゃないか」
「最初からそうやって調べれば良かったアル!」
そばにいた大蝙蝠はため息をつき、
「必要ないとか言って駆け込み乗車したのは、どこのだれなんですかね……」
と、あきれ顔で空を見上げた。
夏とは言え、辺りはすっかり暗くなっていた。
東京なので星は見えないが、月はしっかり顔を出していた。
大蝙蝠は、
「どう致しましょう。今から行っても間に合わないと思うのですが……」
と、やや悲観的な意見をした。一方、十三不塔はネットで情報を調べていた。
あちこちのSNSにアクセスし、新宿の様子をうかがっていた。
「……ダメだ。虫は少し前に消えちゃったらしい。交通機関も回復してるって。赤坂でもなにか騒ぎがあったみたいだけど、それも収まってるっぽい」
十三不塔の報告に、一向聴は頭をかきむしった。
「あー、もう滅茶苦茶ヨ! こうなったら、アジトに帰って寝るアル!」
自暴自棄になった一向聴だが、口走っていること自体は比較的まともであった。
実際こうなってしまっては、新宿へ行く理由がなかった。
だからと言って、次の候補地があるわけでもなかった。
ようするに、詰んでいるのである。
「そうだね……一回アジトに帰ってそれから……」
そのときだった。
東の空から、ヘリの爆音が聞こえてきた。
まさか見つかったのかと、3人は路地の物陰に駆け込んだ。
用心深く空を見上げると、ヘリは彼らの頭上を通過し西へと飛んで行った。
なにかを運んでいる。ヘリの底部には、箱のようなものがぶら下がっていた。
「ん、あのマークは……!」
十三不塔が叫ぶが早いか、箱は100メートルほど先で切り離され道路に落下した。
自動車が急ブレーキを駆け、辺りが急に騒がしくなった。
「なんだなんだ? 荷物の落下事故か?」
そばを通ったサラリーマンが、現場を物珍しそうに眺めていた。
「不味いネ。人がいっぱい集まって来たアル。早く帰るアル」
「さっきのヘリのマーク見なかったの? 自衛隊機じゃない。赤い星だったよ!」
「赤い星……?」
一向聴はしばらく首をひねったあと、すぐさまその紋章の意味に思い当たった。
「ラ、ラスプーチンのアルか!?」
「そうだよ。この混乱に乗じて動き始めたんだ……不味いことになったね」
十三不塔の解説に、大蝙蝠は混乱した顔でたずねかえした。
「しかし、なぜ九段下なのですか? 新宿ではないのですか?」
「僕に訊かれても……」
十三不塔は言葉をにごし、再度道路のほうを見やった。
どんどん人が集まって来ている。ついには、箱が野次馬で見えなくなってしまった。
「……ちょっと様子を見に行こう」
十三不塔は物陰から飛び出し、他のふたりも後に続いた。
箱のまわりはすでに満員御礼状態で、警察も駆けつけていた。
通行止めになった道路に、クラクションが鳴り響いていた。
「はーい、近付かないでください」
無理矢理最前列へと出た3人を、警官たちは押し返した。
それをなんとか踏ん張って、3人は地面に刺さった箱を視界に入れた。
棺桶のようなそれは、煙を上げてその場にたたずんでいた。
「なにアルか? ば、爆弾だったらヤバいヨ」
「はい、そこの女の子、もっと後ろに下がって!」
警官が一向聴の肩へ手を掛けたところで、なにかが開く音がした。
警官も驚いて後ろをふりかえった。
「お、おい、箱が開いたぞ!」
3人のそばにいた男が叫んだ。
男の言う通り、棺桶はその口をひらいて、中身を露出させた。
それはだれも予想していないモノだった。
「お、女だ! 女が入ってるぞ!」
「やだ。もしかして死体?」
「い、いや、よく見ろ! 動いてる!」
ロシア民謡に出てくるようなカチューシャを被った金髪の女性が、ゆっくりと箱の中から姿を現した。人形のような白い肌に、パトカーの赤が映えた。
彼女が歩く度に、奇妙な金属音が聞こえてきた。重々しく脚を動かし、女は箱から数メートル離れたところで歩みを止めた。
静止した女は直立不動のまま、周囲の見物人たちを見回し始めた。
だがすぐにその動きを止め、関節部から白い蒸気を噴出させた。
「うわッ! なんだこの煙!?」
「おい、下がれッ! 下がれってッ!」
異常な熱気に、見物人の輪は次第に半径を膨らませ始めた。そんな中、白んだ視界の向こう側で女が口をひらいたのを、大蝙蝠の鋭敏な聴覚がとらえた。
「計器オールグリーン。アナスタシア、起動シマス」




