第26話 報国玉砕
永遠に続く闇。見えるものはなく、聞こえるものもなかった。
清美はふと思った。自分は死んだのだろうか。ここは死後の世界なのだろうか。
それとも全てが夢であり、目覚めればまた、あの七丈島の日常が始まるのだろうか。
清美は後者を望んだ。そして、ふたたび友人たちを会えることを望んだ。
「清明殿……清明殿……」
どこからともなく女の声が聞こえてきた。
ほがらでもジュリアでもなければ、かおるでもともえでもなかった。
それでいてどこか懐かしく、温かい声だった。
「清明殿……目をお開けください……」
清美はまぶたを上げようとした。肉体の感覚がない。
闇はどこまでも続き、明けることを知らなかった。
「清明殿……」
「君は……だれ……?」
「いづなの名をお忘れにございますか……?」
清美は七丈島で出会った人々の顔を想起した。
その思い出の中に、いづななる人物は見当たらなかった。
「知らない……ボクは君を知らない……」
「記憶を封じられておいでなのですね……さあ、お立ちください……」
「立つ……? ボクは死んだんだ……ともえちゃんも……みんな……」
清美は、涙が頬を伝うのを待った。
だが悲しみは溢れることなく、清美の胸の内にとどまっていた。
「まだ決着はついておりません……このいづなも、お力になります……さあ、清明殿、瞳をお開けください……」
「セイメイ……? ボクはセイメイじゃない……キヨアキだ……キヨミだ……」
「では清美殿、あちらでお待ちしております……大切なものを思い浮かべなさいませ……あなたの、守らねばならないものを……」
女の声は消えた。姿は見えないが、その気配もまたどこかへと去って行った。
清美はしばらくの間、思考の空白を彷徨った。
次第に彼女の中で、いくつもの影が浮かんでは消えていった。
ほがら……ジュリア……かおる……ともえ……博士……。
記憶の洪水の中で、少女は一点の光を見た。
それは瞬く間に波紋を広げ、少女を包み込んだ。
○
。
.
市民公園は静寂につつまれていた。
木々はなぎ倒され、壊れた電灯は小さな明滅を繰り返していた。
その破壊の中心部に、蘆屋はそっとたたずんでいた。彼は扇子を閉じ、全身の力を抜くように肩の荷を降ろした。
「父上、無念をお晴らし致しました。なにとぞ、安らかに……」
蘆屋はそうつぶやくと、辺りをゆっくりと見回し、自らが作り出した惨状をながめた。
「私もまだ修行が足りぬ。力を正確に操れぬようでは」
そう言って、少年は静かに耳を澄ませた。
人の気配はない。手応えからして、3人とも消滅したはずだ。
そう考えた蘆屋は、緊張をはらんだ顔で、次の作戦を練り始めた。
「蛇姫はどうしたのだ……? 残りの双性者をここへ連れて来る手筈のはずだが……まさか……?」
そのときだった。
蘆屋は周囲に異様な霊力を感じ取った。
扇子を押しひらき、辺りへ視線を走らせた。すると、目の前の地面で、風が小さく渦巻き始めていた。それは次第に大きくなり、木の葉を巻き込みながら広がっていった。
ただの竜巻ではない。蘆屋がそのことに気付いた瞬間、風の柱が弾けとんだ。
「くッ!?」
蘆屋は身をひるがえして、噴水のふちへと着地した。
そして、眼前に現れた少女の姿に刮目した。
「き、貴様はッ!?」
少女は先ほどまでの服装と打って変わり、蘆屋と同じ烏帽子の白い正装になっていた。
その顔に落ち着きを漂わせながら、少女はゆっくりとまぶたを上げた。彼女は澄んだ瞳で蘆屋をとらえ返すと、気を練り、そのくちびるを動かした。
「蘆屋道遥……この安倍清美が、お相手つかまつる!」
少女の口上に、蘆屋は思わずその身を引いた。
凄まじい気を感じる。それは、少年の十余年の人生において、一度も感じたことのないほどの迫力に満ちていた。
「なぜだ? なぜ生きている?」
「わたくしがお救いしたからでございます」
上方から聞こえた女の声に、蘆屋は空を振りあおいだ。
黄金色のオーラを身にまとった長髪の女が、白装束を着て宙に浮いていた。
その腰には、真砂のような薄黄色の尾が垂れていた。
「おぬしは誰だ? 名乗られよ!」
「わたくしは安倍清明様にお仕えする式神、狐火のいづなにございます」
女の名に、蘆屋はくちびるを噛んだ。
「おのれ……能力が目覚めたか……かくなる上は式神諸共……」
「そうはさせないッ!」
清美もそでから扇子を取り出すと、それを蘆屋へと向けた。
気の清流が迸り、蘆屋は寸でのところでそれをかわした。
蘆屋は2度地面を跳ねると、近場の茂みへと飛び込んだ。
傷付けられこそしなかったものの、少年の背中に冷たい汗が流れた。
「さすが安倍家の血……素でこの威力とは……」
蘆屋はライバルの才能に半ば嫉妬し、半ば戦慄した。
だが、破れたわけではない。蘆屋は先ほどの攻撃から、少女の気脈が荒削りであることを見抜いていた。あの精度ならば、射抜かれることはない。
そう考えたのも束の間、今度は別の方向から炎が飛んできた。
蘆屋は再度空中へ飛翔し、林の中で最も高い木のこずえへと避難した。
公園の全貌を見回し、蘆屋の顔に影がさした。
噴水の近くにいる仇敵と、空中に浮かんでいるいづな。
2対1という状況に、蘆屋は形勢が逆転していることを悟った。蘆屋が見る限り、いづなの能力は、並の式神を遥かにしのいでいた。
「こちらは式神がもう出せぬ……ひとまず退散……」
「そうはさせません!」
背後から殺気を感じ、蘆屋はこずえを蹴り上げて、地面へと舞い降りた。
手裏剣が2つ、蘆屋の残像を貫いた。
それを見た蘆屋は、自分の形勢判断が間違っていたことに気がついた。
2対1ではない。3対1なのだ。
「くのいちめ、どこへ逃げていた?」
「逃げていたのではありません。機をうかがっていたのです」
そう言い放つと、忍は大木の上に颯爽と姿を現した。
いづなもいつの間にか移動し、三方を囲まれる形になっていた。
蘆屋はふところに手を入れ、それを一気に引き抜いた。
「破ッ!」
いづなの前方に向けて、折り紙の嵐が舞い上がった。
鶴の形をしたそれは、生き物のようにいづなへと襲い掛かった。
「火に紙とは愚かな。炎ッ!」
いづなの手のひらから炎がほとばしり、折り紙の群れを焼き尽くした。
「それが狙いッ! 破ッ!」
蘆屋は腕を振り上げ、折り紙の方向を忍へと転じた。
炎をまとった鶴が、渦を巻いて忍へと吹き付けた。
「チッ!」
忍は舌打ちをして飛び上がり、後方へと姿を消した。
蘆屋は、忍のとっさの判断に感心せざるを得なかった。彼女を左右のどちらかへ跳躍させ、この三角形の包囲網を一気に破るはずだった。しかし、林の奥へ姿を隠されては、おいそれとそちらへ向かうことはできなくなっていた。
蘆屋はもう一度扇子を握り締めた。かなりの力を消耗してしまっていた。
「牛鬼か蛇姫がいればたやすいものを……戦力を分散し過ぎたか……」
蘆屋は険しい顔をして、忍の逃げた方向を凝視した。3人の中で、最も強硬突破できる可能性の高い相手だ。
だが、すぐに右から炎のかたまりが飛んできた。まわりが火の海になり、蘆屋は茂みを飛び出した。
いづなに炙り出されたことは百も承知だったが、他に回避の仕様がなかった。
「えいッ!」
それに合わせるかのように、清美の霊力が蘆屋の肩をかすめた。
少年は苦痛に顔をゆがめた。
「清美様! 焦らずに狙いをお定めください!」
「そ、そんなこと言われても……」
いづなのアドバイスに、清美は少しばかり戸惑いを見せた。これまで一度も使ったことのない能力なのだ。上手くコントロールしろと言う方に無理がある。
一方、蘆屋は肩の痛みに手をそえ、傷口の具合を確かめた。状態はかんばしくない。出血していることは、火を見るより明らかだった。
「清美様! わたくしが蘆屋を追い詰めますので、その間に気を練ってください!」
「わ、分かった!」
大声で連絡を取り合う2人。
あまりにも舐められた行動に、蘆屋はその美しい顔をしかめた。
しかし、プライドだけではこの状況をいかんともしがたい。
「誰か、誰か来ぬか……」
来るはずの蛇姫が来ない。蘆屋道遥にとって、それは痛恨の誤算だった。
少年の経験不足が、隠密課との初陣を致命的なものにしていた。
「炎ッ!」
いづなの攻撃に、蘆屋は間一髪の回避行動を取った。
それを見たいづなが第二弾を放とうとしたところで、それは起こった。
空中に浮かんだいづなに、何者かが飛び掛かったのだ。
影にしか見えないそれは、いづなを巻き込んで林の中へと落下した。
あっけに取られた清美の隙を突いて、蘆屋は扇子を向けた。
霊力を放った瞬間、少年の脚に激痛が走った。
「ぐッ!?」
見れば、足の腱に手裏剣が刺さっていた。蘆屋は地面に膝を屈した。
だがそれとは別に、閃光は清美の脇腹をかすめ、少女は悲鳴を上げた。
「清美さん!」
忍が林から飛び出し、清美へと駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「い、痛い……」
少女の着物が赤く染まっていく。相当な出血だ。
それを見た忍は一瞬目を細めた後、意を決したように清美の耳元でささやいた。
「清美さん、ホウコクギョクサイと唱えてください」
「ホウコク……ギョクサイ……?」
言葉の意味が分からなかったのか、それとも脇腹の苦痛に耐えかねたのか、清美は絞り出すように尋ね返した。
忍はさらに口を近付け、もう一度その呪文を繰り返した。
「ホウコクギョクサイです」
「と、唱えると……ど、どうなるの……?」
「安倍家に伝わる奥義です。蘆屋にとどめを」
忍はそこで、少し悲し気な目をした。蘆屋に同情しているのだろうか。
痛みで意識が薄れそうになり、清美は奥歯を噛み締めた。思えば、自分は初恋の男性を相手に闘っているのだ。なぜこのようなことになってしまったのか、清美には分からない。分かりたくもなかった。
殺したくはない。だが、仲間を死なせるわけにもいかない。
清美はほがらたちの顔を思い返し、その意を決した。
「ホウコク……」
視界がかすんできた。清美はその中で、蘆屋の驚きに満ちた顔を見、声を聞いた。
「ば、馬鹿なッ! その呪文はッ!」
「ギョクサイ!」
そう叫んだ瞬間、隣から忍の気配が消えた。
少女の中でなにかが弾け、凄まじい熱が広がっていく。
それは巨大な炎となり、目の前が赤々と染まった。
清美は再び、永遠とも思われる闇の中へと沈んだ。
○
。
.
「ジャン!?」
ほがらは扉を叩き開け、室内へと踏み込んだ。
窓が破れ、そこから吹き付ける風がカーテンを揺らしていた。
「ジャン!」
最悪の状況だった。
カオルの予想通り、蛇女はジャンの体に絡み付いて、その骨をきしませていた。
着物に隠れていて見えなかった蛇の体が、鱗をきらめかせてじりじりと絞まった。
「ジャンを放しなさい!」
「ホッホッホ……放して欲しければ、その変身を解くがよい……」
ほがらとかおるは、お互いに顔を見合わせた。
変身を解く。妖怪の前では死を意味する行為だ。
生身の体で勝てる相手ではない。
「あ……あかん……」
ジャンはうめくように、友人たちへと声を掛けた。
「ジャン! しっかりして!」
「わいは……もうええ……さよならや……」
「なにを言ってるの!?」
絶句するほがら。
ジャンの体はますます締め付けられ、今にも骨が折れそうになっていた。
歯を食いしばって耐えるジャンに、ほがらは血の気を失った。
「どうしたのかえ? このままでは死んでしまうぞえ?」
蛇女は舌を伸ばし、ジャンの顔をぺろりとひと舐めした。
ほがらの瞳に怒りの炎がともった。しかし、手を出すことはできない。
「……ほがら、変身を解きましょう」
「!?」
カオルの提案に、ほがらは目を見ひらいた。
変身を解きたいのは、ほがらも山々だ。ジャンを見殺しにする気はなかった。
しかし、そうしたところで、敵がジャンを解放する保証はないのだ。仮に解放されたとしても、今度はほがらたちが餌食になってしまう。
なんのメリットもない。そう言いかけたほがらのお尻に、なにか固いものが当たった。
それがなにかのメッセージであることに、ほがらはすぐさま気がついた。
時計のような感触──ヒーローのリストウォッチだ。
ほがらは、一瞬にしてカオルの作戦を理解した。
「分かった……変身を解くわ……」
「あかん……わいはどうでもええ……こいつを……倒し……」
ジャンの懇願を無視して、ほがらとカオルは魔法少女であることをやめた。
蛇女は満足そうに目を細めると、さらに注文を付け加えた。
「その棒切れも捨てるのじゃ」
ふたりは言われた通り、ステッキも手放した。
それと同時に、蛇女はほがらたちへと襲い掛かった。
だが、ほがらたちもその体を動かした。
「性別転換アーンド変身!」
胴体がジャンに絡まっていたため、蛇女の動作は緩慢だった。
ほがらたちはそれを利用して左右に散り、性別を男へと変化させた。
ふたりの体を光が包み、パワースーツにヘルメットという出で立ちへと衣替えした。
「なにッ!?」
二段構えであることを知らされていなかった蛇姫は、目の前の光景に一瞬たじろいだ。
ほがらからゲンキへと変わった少年は、その頬に強烈な跳び蹴りを喰らわせた。
「ジャンの仇ッ!」
まるで弔い合戦のような力強さに、蛇姫の体が壁に叩き付けられた。
「ゲンキ、逃げるぞッ!」
ジャンをだきかかえたカオルは、大声でそう指図した。
「なに言ってんだッ! ここで決着をつけるんだよッ!」
「馬鹿ッ! ジャンがいるのに暴れられるかッ!」
カオルの合理的な説得にうながされ、ふたりは部屋を後にした。
数メートル走ったところで、背後の扉が吹き飛ばされた。
「おのれぇ……小癪な……うッ!?」
蛇女の顔色が変わり、ゲンキとカオルは階段の前で足を止めた。
様子がおかしい。
「なんだッ!? 苦しんでるぞッ!」
「ゲンキ、油断するな! 罠かもしれん!」
ふたりのやり取りの前で、蛇女は軽く嘔吐し、爬虫類の胴体をねじ曲げた。
それが演技でないことは、ゲンキたちにも伝わってきた。
先ほどの顔面キックが効いたのだろうか。そんなことをゲンキが考えていると、蛇女は口元を拭いながらなにかをつぶやき始めた。
「こ、これは……蘆屋様の身になにか……!?」
蛇女はずるずると部屋へ引っ込み、その姿を消した。
誘き出すための罠か。ゲンキたちが様子を見ていると、ガラスが割れ、外へ飛び出す音が聞こえた。
用心深かった2人も、これには顔を見合わせ、部屋の中をさぐることに決めた。ステッキも回収しなければならない。持ち去られては大変だ。
カオルがジャンの介護を担当し、ゲンキが壁伝いに部屋の中をのぞき見た。
「い、いないッ!?」
ゲンキはカオルへと振り返り、その事実を告げた。
「もぬけの空だぞッ!」
「隠れてるんじゃないのか?」
カオルの忠告に、ゲンキは再度室内をつぶさに観察した。
ステッキは床の上に転がったままであり、タンスなどの物陰に隠れている気配もない。
逃げたのだ。そう判断せざるをえなかった。
それを聞いたカオルは、
「どういうことだ? なぜ逃げた?」
と、首をかしげるばかりだった。
「俺に訊くな……まあ、勝てないと思ったんじゃないのか?」
「いや、あれは様子がおかしかった。まるで急病にでもなったみたいだ。蘆屋がどうこうとか言ってたし、もしかして清美たちが、ボスにとどめを刺したんじゃないのか?」
カオルの推測に、ゲンキはぎょっとした顔を向けてきた。
そして大声で叫んだ。
「なにィ!? じゃあ俺たちはただの雑魚退治ってことッ!?」
「あのな……だれがボスを倒したっていいだろうが……」
あきれ返るカオル。それでもゲンキの苦悶は収まらなかった。
「よくねぇよ! ラスボスのシーンに立ち会えないとか、ありえねえだろッ!」
ゲンキの抗議に、かすかな笑い声が聞こえて来た。
2人は言い争いを止め、傷ついたジャンへと視線を落とした。
「ゲンキは……あいかわらず、ゲンキ……やな……頼もしい……で……」
そう言って、ジャンはがくりと首を垂れた。
2人は大慌てでジャンを室内に運び込み、119番へと通報した。




