第25話 蛇姫
マンションの一室に、ほがらの声が木霊した。
「遅ーいッ! 遅いッ! 遅いッ! 遅いッ!」
少女は苛立ちを隠すことなく、室内を右から左、左から右へとうろうろしていた。
友人の徘徊を尻目に、かおるはじっと目を閉じていた。
「隠密課はなにやってるのよッ!?」
大声を上げるほがら。
時計の針は8時を指そうとしていた。
忍と連絡を取ってから、すでに30分以上が経過していた。どこからヘリが飛んで来るのかは分からないが、あまりにも悠長であった。ほがらの苛立ちも無理からぬことで、かおるもそれを咎めはしなかった。
「最寄りの中央線にでも乗った方が速いんじゃないの?」
「都内の交通事情がどうなってるか分からないし、足止めを喰らったら最悪だわ。忍ちゃんを信じて、ここで待ちましょう。もしかすると、情勢が変わったのかも……」
そのとき、入口のインターホンが鳴った。
ほがらがドアへ駆け寄り、かおるもソファーから腰をあげた。
ジャンも布団の中から顔を出した。
「もしもし?」
《隠密課の者です。お迎えに上がりました》
インターホンの返事が早いか、ほがらは即座に鍵を開けた。
扉の向こう側に、苔色の制服を着た男が現れた。
男は俯き気味に敬礼すると、あいさつをかわす間もなく、出発を告げた。
「ヘリは屋上で待機しております。お急ぎください」
「そうよ、急がないと!」
ほがらが廊下へと飛び出し、かおるも後に続いた。
その背中に、ジャンが声をかけた。
「ほな、気をつけてな……」
「ジャンこそ、大人しくしてなさいよ」
ふたりのあいだに笑みがこぼれ、この場の緊張感を解きほぐした。
しかし、隊員はその余韻を許してはくれなかった。
「さあ、こちらです」
隊員を先頭に、ふたりは非常階段を駆けあがった。
扉を開けたところで、猛烈な風が吹き込んできた。
男は扉を支え、ふたりを屋上へと連れ出した。
「エンジンを駆けますので、しばらくお待ちください」
男は運転席に飛び乗ると、計器へと指を掛けた。
「早く! 早く!」
ほがらの催促に、男は黙って作業を続けた。
しばらくして、ようやくプロペラが回り始めた。
「では、後ろへお乗りください」
そう言って男は運転席から下り、後部座席の扉を開けた。
ほがらがそれに乗り込もうとしたところで、かおるが彼女の肩に手をかけた。
かおるは左手を腰の後ろに回しながら、ほがらをヘリから引き離した。
隊員はそれをみとがめた。
「……どうしました? 早くお乗りください」
隊員がそう言って近付くと、かおるの背中からステッキが現れた。
隊員がひるんだ隙を突き、かおるは即座に魔法少女へと変身した。日頃の練習の甲斐あって、変身はスムーズに終わった。
かおるの唐突な行動に、男だけでなくほがらも驚きの目を向けた。
「ちょっと、魔法エネルギーの無駄遣いでしょ!」
「ほがら、私のうしろでさっさと変身しなさい。こいつは敵よ」
「えッ!?」
ほがらは隊員を振り返り、すぐさまかおるの背後へと回った。
見知らぬ者同士ならここで隙を作るところだが、ふたりのコンビネーションは抜群だ。ほがらもステッキを取り出し、決め台詞を唱えながら変身を済ませた。
「エンジェルナイト、スーパーほがらちゃん、ただいま参上!」
ポーズを決めた後、ほがらはかおるへと向きなおった。
「って、なんでこの人が敵なのよ!?」
「このヘリ、エンジンが止まってたでしょ? さっき着いたばかりだとしたら、なんでそんなことするの? すぐに飛び立つ予定なのに?」
かおるの説明に、ほがらはハッとなった。ステッキをきつく握り締め、男と対峙した。
男は2人の前で棒立ちになっていた。
「真相はこうでしょ。ヘリはもっと前に到着してたんだけど、本物の乗組員は誰かに襲われてしまった。私たちの部屋は盗聴対策で防音になってるから、それに気付かなかっただけ。でも、長時間屋上にヘリがいると怪しまれるし、それでエンジンを切ったんだわ。目的は、私たちを赤坂へ向かわせないため。違う?」
かおるが言い終わるや否や、男の体は地面へと突っ伏した。
襲われると思ったふたりは、とっさの判断で後ろへと下がった。
だが男は地面に伏したまま、妙な屈伸運動を繰り返していた。いや、屈伸運動ではない。かおるが目を凝らすと、男の体のあちこちが奇妙にうねっていた。
「こ、これは!?」
かおるが身構えた矢先、男の穴という穴から大型の虫が飛び出した。
「キャーッ!」
ほがらの悲鳴。それと同時に、赤い閃光が男の体目がけて発射された。
虫に驚いたほがらが、反射的に魔法弾を打ち込んだのだ。男の体は飛散し、中にいた虫が一気に空中へと飛び立つ。四方八方を虫の大群に囲まれ、2人はお互いに背中を合わせた。
虫嫌いのほがらは、若干パニックになっている。かおるの指示を待たず、メチャクチャにステッキを振り回し始めた。
「キモイキモイキモイ!」
ステッキは魔力の充填が出来ていないらしく、すべてスカに終わった。
それを見た虫たちは、連射が出来ないことを悟り、さらに間合いを詰めて来た。
仲間のミスに軽く舌打ちしながら、かおるは猛スピードで思考を巡らせた。虫たちは猶予を与えることなく、一斉襲撃の気配を見せた。
「ほがら、跳んで!」
かおるの声に合わせ、ふたりは空高く舞い上がった。
虫たちの羽音が足下に聞こえ、バチバチと相打ちになる音がした。
跳ぶ方向までは打ち合わせられず、かおるはヘリのそばへ、ほがらはそこから遠く離れた貯水槽の上へと舞い降りた。どうやら、脚力は平常時のそれに比例するらしい。かおるは自分の体力のなさを悔やみつつ、次の作戦を練った。
虫はたちはしばらく旋回を続けた後、一斉にほがらへと目を付けた。
「なんでこっちに来るのよ!?」
ほがらの悲鳴に、かおるのニューロンがスパークした。
「でやッ!」
かおるはステッキを突き出し、青い光を虫の群れにぶつけた。
何十匹という単位で虫は弾け飛び、びちゃびちゃと茶色い液体が飛び散った。
虫たちは再び向きを変え、今度はかおるの方へと攻撃を仕掛けてきた。だが、この急襲にもかおるは一切慌てなかった。むしろ予定通りだった。自分が攻撃すれば、新たにエネルギーが溜まったかもしれないほがらよりも、連射が確実に利かないこちらを狙って来た。
それがかおるの読みだった。
「少しは知能があるのね……じゃあ、これはどう?」
かおるは攻撃態勢を取りつつも、その場から動こうとはしなかった。
ほがらは青ざめてさけんだ。
「かおる! 逃げてッ!」
虫の群れが眼前まで迫ったところで、かおるは思いっきり跳躍した。
危険な賭けだと分かっていたが、かおるはありったけの勇気をふりしぼり、ヘリのプロペラへと突っ込んだ。ほがらは両手で顔をおおった。
「目測ぴったし!」
かおるはプロペラの回転軸に靴底を乗せ、もう一度高くジャンプした。
虫たちもそれに合わせて、方向転換しようとする。
ところがそれを、プロペラの気圧差が許さなかった。羽音も空しく、虫はプロペラへと一直線に吸い込まれて行った。ミキサーのような音が鳴り響き、見るも無惨な光景が繰り広げられた。
少し離れたところに無事着地したかおるは、肺から大きく息をついた。失敗すれば足が吹き飛んでいた賭けに、今さらながら冷や汗が流れた。
「敵とはいえ、大量虐殺はあんまりいい気持ちがしないわね……」
「かおる! 後ろ!」
ほがらの声に振り向き、かおるはふいを突こうとした数匹の虫を叩き落とした。
疲れた体にムチを打ち、かおるはほがらのいる貯水槽の上まで避難した。
「気をつけて! まだ残ってるわよ!」
「ええ……でも、9割がた倒したかしら。あと一息……」
「ホッホッホ、そうはいかぬ」
どこからともなく、女の笑い声が聞こえてきた。虫たちは一斉にその姿を消すした。
新たな敵の登場に、ほがらとかおるはステッキを握り直した。
「だれ!?」
「わらわの可愛い蟲たちを殺した罪、その命で償ってもらおう」
「もったいぶらないで、さっさと出て来なさい!」
ほがらの催促に、屋上隅の闇がうごめいた。
2人はそちらへ向き直り、お互いに身を寄せ合った。
闇は次第に形を作り、ついには十二単を纏う黒髪の女を浮かび上がらせた。
「探したぞえ……まさか別々の場所に隠れておるとはの……公園へ連れ出し、一網打尽にする計画であったが、まあよい……この場で始末してくれる!」
女はそう言うと両手を構え、さらに着物の裾から巨大な蛇の尾をさらけだした。
それを見たほがらは、ぎょっと身を引いた。
「なにこいつ!? 蛇なの!?」
「蛇なら助かるわ。動きはにぶ……」
かおるがそう言い終える前に、蛇女はその尾をスプリングのように使い、空高く跳ねた。
この攻撃には、さすがのかおるも冷静さを失った。
ほがらと打ち合わせずに避けてしまい、2人はバラバラに屋上へと散った。
蛇女はそのまま貯水槽に突っ込むと、右手でタンクを凪ぎ払う。
「どこが鈍いのよ! ヌルヌル動いてるわよ!」
十数メートル先でほがらが叫んだ。
蛇女は2人が合流しないように、するりとタンク跡からすべり降りた。
いきなりの大誤算に、かおるは色を失った。このスピードでは、ほがらはまだしも、彼女はとてもついていけそうにない。逃げ回るのがやっとだ。そう判断したかおるは、とにかくほがらと合流することを目指した。
「ほがら! ヘリの……」
蛇女の尾がうねり、鋭い爪がかおるへと向かって来た。
かおるはなんとかそれを避け、ほがらの方向へと跳躍した。
「かかったな!」
蛇女の尾がいきり立ち、かおるの目の前に振り下ろされた。
「キャッ!?」
かおるはしたたか打ちのめされ、屋上入口の扉へと叩き付けられた。
合流しようとする行動を読まれていたのだ。かおるは自分のうかつさを呪った。
「かおる!? 大丈夫!?」
ほがらの声が聞こえても、かおるは返事をすることができなかった。背中を強く打ったせいで、呼吸困難に陥っている。
それに、返事をしたところでどうにかなるわけでもなかった。
蛇女はするりとかおるの前に這い寄り、その右手を高く上げた。
ここまでか。そう思った瞬間、蛇女の口から悲鳴が漏れた。
「ぐおッ!?」
目の前がわずかに赤く光った。
ほがらの魔法攻撃だ。そう察知したかおるは、その場から一気に離脱した。
コンクリートの地面を蹴り、ほがらの方へと駆け寄った。
「かおる、大丈夫?」
「ええ、なんとか……それより、あいつは倒せ……」
2人は高速で近付く影に気付き、再びバラバラの方向へ跳ねてしまった。
蛇女の爪がコンクリートを切り裂き、大きな引っ掻き傷を作った。あれを喰らえば、一発で致命傷になるだろう。かおるは敵の攻撃力に戦慄した。
「ダメだわ! 一発じゃ倒せないみたい!」
ほがらはもう一度ステッキを構え直すが、無駄な動作だった。
エネルギーが溜まるまで時間が掛かるのだ。
「こいつ、前の牛男より格上だわ」
「ホッホッホ、今頃気付いても遅いわ。牛鬼に勝ったくらいで蘆屋様に楯突こうなど、身の程知らずもよいところ……この場でたっぷりと後悔するがよい」
蛇女は二股に分かれた舌を伸ばし、ペロリとくちびるをひと舐めした。
このままでは間違いなくやられる。そう考えたかおるは、この窮地を脱する方法を懸命にひねり出そうとした。
しかし、蛇女はその猶予を与えなかった。
「死ねぇ!」
蛇女は、再度かおるに目標を定めた。
体力でほがらより劣っていることを見抜かれていた。かおるはそう判断し、逃げに徹することを決意した。ほがらのエネルギーが溜まるまで、時間を稼がなければならなかった。かおるはギリギリの間合いで跳躍すると、ヘリの近くへと着地した。
「ハァ……ハァ……」
かおるは大きく肩で息をした。
策はないのか。かおるは自分の頭脳に全力を傾注した。
「休んでおる暇はないぞッ!」
蛇女は、執拗にかおるへと攻撃を仕掛けた。
かおるは逃げようとする姿勢を見せたが、蛇女のスピードが勝った。かおるは喉元を押さえつけられ、空中へと持ち上げられてしまった。
「かおる!」
ほがらが飛び出そうとした。
ところが、かおるは苦しみながらも、彼女をその瞳で制した。
大丈夫だと言っている。ほがらは長年の経験から、友人の思考を読み取った。
「では、首をへし折ってやろう」
蛇女が指先に力を込めた。
その瞬間、彼女の細い首が後ろへと猛烈な力で引っ張られた。
髪の根元に激痛が走り、女はかおるを手放してしまった。
「な、なんじゃ!?」
蛇女が振り向くと、その長い髪がヘリのテールローターに巻き込まれていた。
それがかおるの決死の作戦であることに、女はようやく気がついた。
「しまった! わ、わらわの大事な髪が!」
「そのまま天国まで飛んで行きなさい!」
かおるは運転席に飛び乗ると、操縦桿を引き、シートベルトでそれを固定した。
ヘリは急激に上昇を始め、蛇女ごと空中へと舞い上がた。
テールローターが機能していないため、ヘリは機体ごとでたらめに旋回し続けた。
「やったわ!」
ほがらが叫んだ途端、蛇女はその長い髪に両手をかけ、根元からそれを引き千切った。そのまま胴体から落下し、屋上の壁ぎりぎりに転がり落ちた。
さすがにこの手を予期していたのか、かおるはすぐにほがらのそばへと逃げ込んだ。
そして、早口で次の作戦を伝えた。
「ほがら、ふたり同時に魔法を撃つのよ」
「ふたり同時に? どうして?」
「説明はあとよ。敵が向かって来たら、1、2、3で一緒に撃つわよ」
「わ、分かったわ」
ふたり同時攻撃。それがかおるの頭脳が導き出した結論だった。蛇女は、執拗に自分たちを引き離そうとしていた。なぜか。単体の攻撃ならば耐えられるが、一斉攻撃には自信がないからだ。そう読んだかおるは、一か八かの賭けに出ることにした。
蛇女は落下の衝撃から復活し、血走った目でふたりを睨み返してきた。
「よくも……! よくもわらわの髪を……! はらわたぶちまけて死ねぇい!」
蛇女は尾の弾力で跳躍し、凄まじい形相で2人に飛び掛かった。
「「1、2、3!」」
ほがらとかおるはお互いの腕を重ね合わせ、一点に魔力を集中した。
赤と青の光線が捩じれるように絡み合い、蛇女の胸元を直撃した。
「ぐおおおッ!?」
蛇女の十二単が吹き飛び、露になった胸元に真っ赤な火傷のあとができた。
勢い余って突っ込んで来る女を避け、2人は左右に散開した。
蛇女は地面に突っ伏し、1メートルほどコンクリートの上をすべった。緑色の血が、地面におぞましい線を引いた。
「お……おおぅ……」
「攻撃力は牛男より上だけど、肌とおつむが弱いようね。前回より楽だったわよ」
かおるの挑発にも、蛇女は反撃してこなかった。
どうやら勝負はついたようだ。
かおるはほがらと視線を交わし、お互いにうなずきあった。
しかし、トドメを刺すことはできなかった。魔力がチャージできていないこともあったが、それよりも女から聞き出さねばならないことがあるのだ。
用心して距離を取りながら、かおるは質問をした。
「さっき、私たちを公園へ連れ出すって言ったわね? どこの公園?」
「……」
「ちょっと、訊いてるの!? どこの公園へ連れて行くつもりだったの!?」
「……」
女はうつ伏せになったまま、破れた着物から尾と髪の毛だけをのぞかせていた。
様子がおかしい。そのことに気付いたかおるは、眼鏡越しに視線を凝らした。
十二単の膨らみが、先ほどよりも小さくなっている気がした。
それに尾の大きさも──
「まさか!?」
かおるは十二単に駆け寄り、その着物をはがした。
友人の行動に驚いたほがらだったが、目の前の光景がさらに彼女を唖然とさせた。
地面には、髪の毛と抜け殻のようなものだけが横たわっていた。
「だ、脱皮!?」
「かおる! そこの壁!」
かおるがステッキを身構えると、壁際へと消えて行く鱗が一瞬だけ目に留まった。
壁を這うような音が聞こえ、それは次第に遠ざかって行った。
闇の中でなにが起こっているのか、それはかおるにもはっきりと分かった。
「に、逃げた……?」
呆然とするかおる。だが、蛇女の消えた方向に気が付き、彼女は青ざめた。
「ほがら! 部屋に戻るわよ!」
「え?」
その場に立ち尽くすほがらの腕をつかみ、かおるは入口へと駆け出した。
「奴の狙いはジャンだわ!」




