第24話 千年のライバル
キヨミとともえのマンション──
時計の針が時間をきざんでいく。7時10分、11分、12分──
長針の動きを見つめる清美は、落ち着かないようすでモゾモゾと体を動かしていた。
13分、14分、15分──清美は唐突にソファーから腰をあげた。
「おぬし、どこへ行く気だ?」
正面に座っていたともえが、雑誌から顔をあげた。
ファッション雑誌ではない。『月刊カタナ』と書かれたそれは、七丈島時代から定期購読しているともえの愛読書だ。購入者がともえしかいないので、コンビニで毎回注文している代物であったが、今回は忍にわざわざ買って来てもらったのである。
「ちょ、ちょっとトイレ……」
「トイレはそこであろう? なぜ廊下に出ようとする?」
「た、たまには別のトイレにしようかなあ……なんて……」
ともえは雑誌を閉じ、おもむろにソファーから立ち上がった。
清美は両手のゆとさしゆびを絡めながら、視線を床に落とす。
「あ、あのさ、今から外出したいんだけど……」
「なにを申しておるのだ? 先ほどのニュースを見たであろう。敵が迫っておるのに、暢気に夜遊びなどと……」
「わ、分かったよ……おとなしく待機してるよ……」
清美は不満そうにソファーへ腰を下ろし、ともえも自分の席へともどった。
警戒されているのか、ともえは雑誌を手に取ろうとはしない。逃げ出すことも困難だ。
清美は再び時計に目をやる。7時20分。もはや約束の時間には間に合わない。清美は少年の顔を思い浮かべ、大きくタメ息をついた。
こっそりと抜け出せば良かったか。一瞬そう思う清美だったが、ともえの言い分はもっともだった。新宿に虫の大群が現れたのだと言う。これが敵の攻撃なら、今夜にでも出動命令が出るはずだ。それを無視してまで、待ち合わせを選ぶことはできない。万が一のことが起きれば、5人の友情はおしまいになってしまう。
「……忍ちゃん、遅いね」
張り詰めた空気を破るように、清美は何気なくそうつぶやいた。
「うむ、嵐の前のなんとやらだ。間違いなく戦いになる。忍殿も、その準備をしておるのだろう。拙者たちも、そろそろ支度に取りかからねば」
そのとき、ニッキーの声がした。
「ああ、それがいい」
ともえは窓辺へと首をひねった。
例の光の玉が、カーテンの近くでふわふわと音もなく漂っている。
「ニッキー殿、遅かったではないか。なにかあったのか?」
「忍くんと鉢合わせになりかけてね……とにかく、君の予想は正しい。忍くんがこちらへ到着次第、ヘリで出発することになっている」
「新宿へか?」
「それは本人の口から聞くといい」
ニッキーが言い終えるや否や、部屋の隅から忍が登場した。
相当急いだのか、息が上がっている。ともえと清美は席を立ち、忍に歩み寄った。
「何事か?」
「敵の本体が赤坂に出現しました。ヘリでそちらへ向かいます」
「赤坂だと……? 新宿は囮か?」
「はい。敵は黒井建設の本社を襲撃するつもりです」
忍の返事に、清美は心持ち目を細めた。
「黒井建設……? それって、七王子自然公園の開発元のこと?」
清美の問い掛けに、今度は忍がさぐるような目付きで問い返した。
「そうですが……なぜそのことを?」
清美はハッとなり、両手を振って話題を変えようとする。
「ちょ、ちょっと耳にしたんだ……なんでもないよ……」
「……そうですか。まずはこれを」
忍は端末を2人に返し、ほがらたちと連絡が取れることを告げた。
ともえは早速液晶に触れ、バッテリーを確認する。
「では早速、ほがらたちと連絡を……」
「時間がありません。まずは屋上へ。連絡はそれからにしてください」
忍は2人を引き連れ、屋上へと向かった。人気のない廊下を抜け、普段は使わない非常階段を駆け上がる。
鉄の扉を開けると、高所に吹き付ける強風が、ともえの髪をなびかせる。空はまだ青さを失っていないが、東の空は黒ずみ、西にはまばゆい夕焼けが広がっていた。夕風に乗って、待機中のヘリのプロペラが鳴り響いている。
「おふたりとも、準備はよろしいですね?」
「うむ。リストバンドも持ったし、魔法のステッキも所持しておる」
「ボクもオッケーだよ」
2人の返事に満足し、忍は屋上の中央に停まるヘリに2人を案内した。
後部座席にともえと清美を乗せ、忍が運転席へ腰を下ろす。
「ヘリの操縦もできるの?」
「軍用機は一通り……では出発し……」
操縦桿を握り締めた途端、無線機の呼び出し音が鳴った。
《こちら隠密課情報室。応答願いたい》
忍は空いた手で無線機を取り外し、口元に近付けた。
「こちら忍。双性者を確保しました。これより赤坂へ向かいます。どうぞ」
名前ではなく属性で呼ばれた2人は、あまりいい顔をしなかった。
そんな2人を他所に、無線は続けられた。
《緊急事態発生。七王子市民公園にも敵が現れた。かなりの強敵の模様。双性者は赤坂ではなく七王子市民公園に輸送してもらいたい。どうぞ》
清美は大声をあげた。
「市民公園!?」
清美は後部座席から身を乗り出そうとした。
ともえが慌ててその襟首をつかみ、席に引きずりもどした。
「は、早く行かないと!」
「どうしたのだ? なにを慌てている?」
ともえは清美の焦燥に首を傾げた。市民公園に敵が出没したとなれば、ともえ自身も若干の焦りを感じざるをえない。しかし、清美のそれは尋常ではなかった。まるで、誰か大切な人がそこで待っているような気配を孕んでいる。
忍はちらりと清美を盗み見たあと、無線を再開した。
「お言葉ですが、赤坂はどうなさるおつもりですか? 敵の目的からして、赤坂の黒井建設が本命と見られますが? どうぞ」
《赤坂はこちらでなんとかなりそうだ。どうも様子がおかしい。敵が本腰を入れて攻撃してこない。七王子市民公園付近にも黒井建設の支社があり、本社ではなく建設現場の方を叩くつもりなのかもしれん。とにかく急行してくれ。どうぞ》
「……了解です」
忍は無線を切り、操縦桿をにぎりなおした。
後ろで聞き耳を立てていたともえは、腕を組み、声をかけた。
「少し行動が適当過ぎるのではないか?」
「ご安心を。隠密課はこれでも組織的に行動していますので。では、出発します」
忍が操縦桿を引き、ヘリは上空へと舞い上がった。
納得のいかない顔をするともえ。
隣では清美がそわそわしている。
「清美、どうしたのだ? おぬしらしくないぞ? 武者震いか?」
「ちょ、ちょっとね……忍ちゃん、全速力でお願い」
清美の頼みを、忍は前を向いたまま聞き流した。
気まずい空気が流れる。
ともえは下方を流れる景色を見やり、清美は運転席の背中を見つめている。
「市民公園が見えました。攻撃されないよう、近くの駐車場へ着陸します」
ヘリは市民公園を迂回し、ガソリンスタンドのそばにある駐車場へ舞い降りた。
パトカーが2、3台通り過ぎ、住民の気配はない。
ともえと清美がヘリから降りると、さらにもう1台のパトカーがそばを通過する。
《現在、凶悪な犯罪者が市内を逃亡しています。屋外へ出ないでください。繰り返します。現在、凶悪な犯罪者が市内を逃亡しています……》
それを見送ったともえたちの背後に、忍が運転席から飛び降りた。
「あれは市民対策か?」
「はい。公園も無人のはずです。急ぎましょう」
3人は駐車場を出て、市民公園へと向かった。
本当に人の気配がない。野良猫すらも怯えて逃げてしまったようだ。
公園に近づくに連れて、ともえは妙な気配を感じ始める。
「これは凄まじい気だ……常人の拙者でも分かるぞ……」
「一般人には分かりません。ともえさんが鋭敏なだけです」
2人の会話を他所に、清美は両腕をさすっていた。悪寒がするらしい。
それに気付いたともえは、心配そうに最後尾の友人を振り返る。
「どうした? 寒いのか?」
「な、なんか変な気分なの……胸が苦しい……」
「……病気か? おぬしは休んで……」
「見えました! 公園の入口です!」
3人の前に、車の進入を拒む赤いコーンが見えた。
周囲には警察の車が何台も停まっている。
警官の1人が忍に気付き、礼儀正しく敬礼をした。
忍も敬礼を返し、警官に挨拶をする。
「お疲れさまです」
「お待ちしておりました。公園は完全に封鎖してあります」
「では、私たちがこのまま突入します。脱出口を塞いでおいてください」
「ハッ!」
ロープをくぐり、3人は薄暗くなり始めた公園へと足を踏み入れた。
四方を見回し、ともえはその規模の大きさに目を見張る。
「これは本格的な公園だな……向こう側が見えぬ……」
「東京都西部でも有数の公園です。黒井建設の私有地でもあります」
忍たちはお互いに隙を作らないよう、固まりながら奥へと進んで行った。
街灯の明かりを頼りに、3人は影から影へと視線を這わせて行く。
ちょうど噴水の前へ来たところで、3人は歩調を合わせて立ち止まった。
「これはなんだ……? 異様な雰囲気だぞ……?」
「お気をつけください……敵は近くにいます……」
「うぅ……寒い……」
ともえは忍ばせておいたステッキを取り出し、決め台詞なしで即座に変身した。
紫色の光に包まれ、フリフリの魔法少女に衣替えする。
「清美、おぬしも変身しろッ!」
「ようこそおいでくださいました」
闇の向こうから、烏帽子の少年が、ぼんやりと姿を現した。
その顔に、清美は驚きの声を上げた。
「先輩ッ!?」
驚いたのは、清美だけではなかった。
ふたりのあいだに面識があることに、ともえはいぶかり、反射的に身構えた。
「そなた、何奴!?」
少年はともえが視界に入らないかのように、清美へと言葉を掛けた。
「緑川殿、やはりあなたでしたか……残念なことです……」
「名を名乗れ!」
少年は大儀そうに扇子を取り出し、それをひと煽ぎした。
突風が吹き付け、宙を舞ったともえの体が、近くの木に激しく打ち付けられた。
「ともえちゃん!」
友人を助けようとした清美だったが、なぜか足が言うことを聞かない。
忍もいつの間にか姿を消していた。
ともえと同じように吹き飛ばされたのだろうか。清美が絶望に沈む中、少年は緩やかにその距離を詰めて来る。
「先輩! これはどういうことなんです!?」
「まだシラを切るおつもりですか……安倍清美殿……」
「アベ……? ボクはアベじゃない! 緑川だよ!」
「問答無用!」
少年は扇子を持ち上げ、清美にそれを振り下ろそうとした。
その瞬間、2人の間に強烈な閃光が走る。
「キャッ!」
清美は一瞬目を瞑り、その光から逃れようと身悶えした。
すると、誰かが彼女の体を持ち上げ、遠くへ跳躍するのを感じる。
忍かと思って目を開けると、そこには見知らぬ男がいた。
「やれやれ、私を置いて行こうとするのは感心しないね」
「……ニッキー!」
ニッキーは遠くの茂みに飛び込み、清美を地面へと下ろす。
かなりの距離を跳んだらしく、辺りの風景が一変していた。
「ニッキー、他のふたりは!?」
「静かに……トモエくんは、少し離れたところへ先に避難させた。意識もあるし、自分で隠れられるだろう。忍くんは居場所が分からない……どこかへ飛ばされたのか、それとも逃げたのか……」
「逃げた? 忍ちゃんが?」
「可能性の話さ。3人バラバラになってしまったが、逃げるにはかえって好都合かもしれないね。いきなり敵の大将に当たるとは、隠密課も作戦が甘い……」
ニッキーの台詞に、清美は目を見開く。
敵の大将……それはつまり……。
「ま、まさか、先輩が蘆屋……?」
「そのようだ。あの強大な霊力、牛男とは比べものにならない。あれだけの気配なら、東京の端にいても分かるはずなんだが……どうやら力を隠すのも上手いようだ。これはしてやられたよ。私のミスだ」
あくまでも冷静なニッキーの前で、清美は悲し気な顔を浮かべた。
「そんな……先輩が敵だなんて……そんな……」
「キヨミくん、申し訳ないが、今は感傷に浸っているときではない。敵が蘆屋本人と分かった以上、この面子で勝負を挑むのは無理だ。ほがらくんたちと合流しなければ」
今にも泣き出しそうな清美をなだめ、ニッキーは逃亡をうながした。
2人が茂みから外を確認しようとしたところで、遠くからともえの声が聞こえた。
悲鳴というよりは、魔法を撃つ掛け声のようだった。
「いかん……ともえくんが見つかったようだ……キヨミくん、君は先に逃げなさい。ともえくんは私が救出しよう」
「ヤダよ! ボクも行く!」
ニッキーが止めるのも聞かず、清美はステッキを取り出して即座に変身した。
相変わらず顔色の悪い清美だったが、力をふりしぼって地面に降り立った。
そんな少女の勇気にも、ニッキーは例の鉄面皮を崩さなかった。
「キヨミくん、感情的になるのは分かるが、君は逃げなさい」
「ダメだよ! ともえが襲われてるのに、一人だけ逃げられないよ!」
「そういう友情が役に立つ局面ではない。戦力の損失は少ないほど良いのだから」
ニッキーは冷酷なまでに落ち着き払っていた。
ともえを救出できない可能性まで考慮に入れた行動のようだ。しかし、そのことがかえって清美を意固地にしてしまう。
「イヤだよ! ニッキーにはともえちゃんの代わりがいくらでもいるかもしれないけど、ボクたちにとっては世界に一人しかいないんだからね!」
ニッキーはやれやれと首を振り、諦めたように溜め息を吐いた。
「人間はどうも合理性に欠けるな……だが、各個撃破されるよりはマシか。目標はともえくんの救出だ。助け次第、即座に離脱するぞ」
清美はうなずき返すと、茂みから飛び出した。
魔法と呪術のぶつかり合う音は、だんだんと近くへ迫って来る。
ともえに武術の心得があったことを、清美は今さらながらに深く感謝した。他の面子では、ここまで粘れなかっただろう。
清美が現場へ到着したとき、再び目の前で閃光が走った。
「ともえちゃ……」
「話し掛けない方がいい。気が散ってしまう」
ニッキーの注意に従い、清美は物陰から戦闘の様子を伺った。
ともえの姿を視界に収め、少女は思わず喫驚を上げてしまう。
「ハァ……おぬしの力……ハァ……ここまでとは……」
肩で息をするともえ。すでに血だらけだった。致命傷こそ負っていないものの、腕からも足からも出血していた。明らかに劣勢だった。
「た、助けないと……」
清美が飛び出そうとしたところで、ニッキーがその肩を掴んだ。
「ダメだ。やはりパワーに差があり過ぎる。ここは私に……」
「来ましたね」
少年は攻撃を中断し、清美たちの方へ声をかけた。
「仲間を痛めつければ駆けつけると思いましたが、やはり……」
こうなっては隠れても無駄だ。ニッキーが立ち上がり、清美もそれに続いた。
蘆屋の作戦にまんまと乗った形になってしまった2人。後悔はしていなかった。自分たちが駆けつけなければ、ともえは間違いなく殺されていただろう。手加減してこの有様なのだから、本気になれば息の根を止めることも容易いはずだ。
そう考えた清美は、さらに一歩前へ出る。これまでの経緯から、自分が狙われていることは明らかだった。その理由が、少女には分からなかった。
「先輩、ボクになんの用なのッ!?」
「申し遅れました。私の名前は蘆屋道遥、あなたの仇敵です」
「仇敵……? なにを言ってるの……?」
清美の反応に、蘆屋はしばし口をつぐんだ。
そして、ようやく合点がいったように言葉を返した。
「なるほど……本当に知らされていないようですね……まさか、安倍家から双性者が出るとは思ってもみませんでしたが、これも政府の策略か……いずれにせよ、ここで始末せねばなりません。悪く思わないでください」
「清美、かまうな! 奴の相手は拙者が引き受ける!」
ともえの叫びを無視して、蘆屋は片手で器用に扇子を押しひらいた。
急激な気の膨張。ニッキーの顔色が変わった。
「まずい! 2人とも逃げたまえ!」
「破ッ!」
強烈な旋風と共に、扇子の先からまばゆい光が、八方へ解き放たれた。
その光に包まれながら、清美は意識を失った。




