第23話 蟲使い
ほがらとかおるのマンション──
ひとりの若い配達員が、かおるに一通の便箋をさしだした。
「遅くなってしまった。これがトモエくんからの手紙だ」
少女には見覚えのない顔だったが、その声音からニッキーだと判断した。光の玉では手紙を運べないので、人間のすがたを取ったのだろう。そう考えたかおるは、すぐに便箋をひらいて読み始めた。
ほがらがとなりからのぞきこんだ。
紙には細かい点のようなものが打たれているだけで、仮名も漢字も見えなかった。
しかし、それはかおるたちの間で理解し合える、一種の暗号のようなものだった。点字の簡単な応用で、点の数と配置で仮名に変換できるのだ。かおるは右上から縦に読み進め、次第にその顔を険しくした。
「……ともえたちは隣町にいるの?」
ニッキーはうなずいた。
「そうだ。こちらも最初からそう見当をつけていてね……意外だったかな?」
「いえ、言われてみれば納得だわ……距離的に往復できる範囲となると、そのあたりが限度よね」
じれったくなったほがらが手紙を抜き取り、その文面をゆっくりと読み上げた。
「『こちらともえ。清美と一緒に某マンションに潜伏中。一度会いたし。可能ならば返信を願う』か……ちょっと簡潔過ぎない?」
かおるはメガネをなおしながら、
「あっちから色々指示されても、対応できないでしょう。誤解がないように、少しずつ連絡を取り合った方がいいわ。携帯もタブレットも没収されちゃったし、相手のメールアドレスすら分からないんですもの」
と返した。ニッキーがわりこむ。
「メールアドレスなら、私が教えよう」
ほがらはけげんそうな顔で、
「知ってるの?」
とたずねた。
「ああ、彼女たちのメールというわけではないが、キヨミくんが管理しているアドレスなら覚えているよ。打ち込みに熱中してて、盗み見るのは簡単だったからね」
悪びれた様子もなく、ニッキーはあっさりとそのアドレスを口にした。
ペンを用意したかおるは2度入念に聞き直し、それを手紙の裏に書きとめた。
「これで連絡は取れるわね。捨てアドを取得して……」
「だが連絡を取り合ってどうするんだい? まさか家出でも?」
本気なのか冗談なのか、ニッキーは2人にそう質問した。
かおるルとほがらはお互いに顔を見合わせた後、代表してかおるが答えた。
「まだそこまでは決めてないわ。でも……」
「でも、なんだい?」
「忍ちゃんたちが私たちをずっとここに閉じ込めておく気なら、家出の可能性もあるわね」
少し語気を強めて、かおるはそう言い切った。
穏やかでない返答に、ニッキーは宇宙人らしく無感動な問いを重ねた。
「このマンションを出て、行く当ては?」
「……それについても少し考えてあるわ。七丈島にいたとき、博士の実家が横浜にあるって聞いたことがあるの。そこに行けば……」
「どうだろうね。見ず知らずの女の子たちを受け入れてくれるほど、のんびりとした地域には見えないが。それに、ここから近過ぎやしないかい?」
ニッキーの指摘に、かおるも難しそうな顔をして右手を振り上げた。
少し自嘲気味な笑みを浮かべ、少女は言葉を返す。
「そうかもね。どうやら私たち、自立するにはほど遠いみたいだわ」
「君たちの年齢なら仕方がないさ。こういう事件に巻き込まれたのなら、なおさらね」
「あら……ずいぶんと優しいのね」
「おっと、勘違いしてもらっちゃ困る。あくまでも日本人の平均的な生活習慣から、そう判断したまでだ。とにかく、ここを出るにせよ出ないにせよ、私はどこまでもついていくつもりだから、無断外出は止めてくれたまえ」
ニッキーがそう言い終えたところで、ほがらが口を挟む。
「どのみち、今すぐにってわけじゃないわ。ジャンの怪我が治ってから……」
「わいなら置いて行けばええやろ」
ベッドから聞こえた少年の声に、3人はそちらを振り向いた。
それまで一言も発さなかったジャンが、掛け布団から顔を出している。ただ、金髪の後頭部が見えるだけで、ほがらたちには背を向けていた。
「置いてくわけないでしょ? なにを言ってるの?」
ほがらが怪訝そうに言葉を返す。
「足手まといになるやろ……骨折はすぐには治らんしな……」
「だからそれを待つって言ってるのよ」
「待たんでもええねん」
そう言って、ジャンは再び布団の中へ潜り込んでしまった。
ほがらは両手を腰に当て、頬を膨らませる。
「なによ、最近ずっとこんな調子じゃない。ちょっと、ジャン!」
大声を出したほがらに、かおるが話し掛けた。
「ほがら、テレビでも観てなさい」
「なんでテレビなんか観ないといけないのよ?」
「ニュースの時間でしょ」
かおるはそれだけ言うと、ほがらから手紙を取り返し、ポケットに突っ込んだ。
朝晩のニュースに目を通すかおるの習慣は、東京に来てからも続いている。
ほがらは渋々リモコンを手に取ると、ホログラムテレビの電源をONにした。
「キャーッ!」
突然悲鳴を上げたほがらに、かおるとニッキーはふりかえった。
そして、2人とも目をうたがった。
壁一面に、気味の悪い6本足の生き物が飛び回っていた。
ほがらはかおるの背中に逃げ込み、膝を震わせた。虫が苦手なのだ。
「な、なにこの虫の大群は!? どこから……!?」
「かおるくん、落ち着きたまえ。これはカメラの映像だ」
ニッキーの冷静な指摘に、かおるはもう一度目の前の光景を凝視した。
彼の言う通り、虫の群れはテレビの映像範囲に収まっている。
呆然とするかおるの前に、雨具を着たレポーターが現れた。
《こちらレポーターの岸です。新宿は虫の大群に襲われ、大変なことになっています! こうしている間にも、警察は避難勧告を……痛ッ! やばいッ! 背中に潜り込んだッ! 誰か取ってッ! おいッ! カメラ逃げるなッ!》
カメラマンが逃げ出したのか、画面が転倒し、一斉に虫に覆われた。
マイクも妙な衝突音を拾った後、住民の悲鳴だけを拾い続ける。
放送事故と判断されたのか、画面がスタジオに切り替わった。
中年の人の良さそうな男と、スーツを着込んだ若い女のコンビが映り込む。女はスタッフからメモを受け取り、それに目を通した。
《失礼致しました。現在新宿では、屋内避難命令が出ています。むやみに外出なさらないように、近隣住民の皆さんはご注意ください。なお気象庁では、昨今の異常気象による食糧不足で凶暴化したバッタの群れと分析しており、駆除の準備を進めている模様です》
そこでこの話題は打ち切られ、サミットの映像が流れ始めた。
まだ虫の群れが網膜にこびりついて離れない少女2人に、ニッキーが声をかける。
「バッタの群れだって? ありえない。あれは妖魔の一種だ」
「ヨウマ? 敵の仕業だって言うの?」
「そうとしか考えられない。気象庁の発表も、国民を安心させるための情報操作だろう」
ニッキーの解説に、かおるは眉をひそめる。
「あなた、敵の気配は読み取れるんじゃなかったの?」
「おいおい、無理を言わないでくれよ。東京全域をカバーできるわけないだろう。ここから新宿までは、電車で30分以上掛かるんだからね」
それは言い訳になっていないだろうと、かおるはそう言いたげな眼差しを向けた。
それに気が付いたのか、ニッキーはさらに弁解を続けた。
「もちろん、蘆屋の長者が動けば、ここからでも分かるだろう。だが、あれは低級……」
その瞬間、ニッキーの姿が消えた。
事情の把握できないほがらとかおるは、室内を見回した。
「ちょ、ちょっと、ニッキ……」
「お待たせ致しました」
天井から忍が舞い降りて来た。
この気配を察したのだと、かおるはニッキー失踪の原因を察した。
かおるは自分を落ち着かせ、忍に挨拶をした。
「こんばんは、忍ちゃん。まだ定時報告の時間じゃ……」
「テレビをご覧になられましたか?」
そう言って、忍はニュースの画像を見やった。
ニッキーとの会話は気付かれなかったらしい。かおるはそう考え、逸れた話題に付き合うことにする。
「ええ、観たわよ。新宿が大変なことになってるじゃない」
「はい、そのようですね」
忍の平静な口調に、ほがらが口をはさんだ。
「そのようですね、じゃないでしょ! あれは蘆屋一族の仕業じゃないの!?」
「……どうしてそのようにお考えで?」
「そ、それは……」
口ごもったほがらに、かおるがすぐさま助け舟を出した。
「あんな昆虫、図鑑にも載っていないわ。バッタなんて嘘なんでしょ?」
忍はしばらく押し黙っていたが、2人の視線を交互に見つめ返し、それから口を開いた。
「……はい。現在は内閣府より、情報統制令が出ております」
かおるは初めて忍から引き出せた情報に満足し、さらに踏み込んだ質問をした。
「それじゃ、ついに私たちの出番ってわけね? ……なにをすればいいの?」
「ここで待機願います」
「待機……?」
眉間に皺を寄せるかおる。ほがらも納得しなかった。
「待機なんてありえないでしょ! 虫を操ってる奴を倒さなきゃ!」
「その労には及びません。新宿の騒動は、隠密課と警察で対処致します」
忍は事務的な、それでいて断固とした口調でそう返した。
しかし、ほがらの興奮は収まらない。両手に拳を握り、一歩前に出る。
「これじゃ私たちがいる意味なんてないわ! 出動させなさい!」
「あれは蘆屋一族が私たちを誘き出すための罠です。彼らの目的は他にあります」
忍の何気ない一言に、かおるは機敏に反応した。
「誘き出す……? 他の目的……? ということは、真の目的は分かってるわけね?」
忍は少し気まずそうな顔をした。口を滑らしてしまったことを自覚しているのだろう。
そう読んだかおるは、じっと忍の目を見つめ続ける。事情を話すまでは帰さないと言った顔だ。その気迫に圧されたのか、それとも情報を共有した方がよいと思ったのか、忍は一段と畏まって説明を始めた。
「蘆屋一族の目標は、黒井建設です」
突然飛び出した会社名に、ほがらは拳を解いた。
「クロイ建設……? それって建設会社?」
「日本有数の大手ゼネコンね」
かおるの一言に、忍はうなずきかえした。
「蘆屋一族は黒井建設を脅迫し、営業を妨害しています。新宿区に黒井建設関連の子会社は存在していないので、あれは間違いなく囮なのです」
「営業妨害……? それが蘆屋一族の仕事なの?」
かおるの質問を、忍は聞き流した。顎を引き、目を閉じて頭を下げる。
「囮作戦が始まった以上、本体もそのうち動くはずです。連絡が入り次第、そこへ急行致しますので、それまでは待機してください。念のため、これはお返ししておきます」
忍は懐に手をやると、3つの携帯機器を取り出し、かおるに一括して渡した。
「これは私たちのフューチャーフォン……ともえたちと連絡を取ってもいいの?」
「黒金さんと緑川さんには、まだ返却していません。私は2人のところへ向かいますので、戦いの準備をお願い致します。では!」
「あっ、ちょっと……!」
かおるの制止も空しく、忍は煙のように姿を消した。
ぼんやりと携帯を握り締めるかおるに、頭上からニッキーの声がする。
「やれやれ、今回は間一髪だったな」
「ニッキー? どこにいるの?」
かおるの声に合わせて、一匹の小さな虫が、目の前を旋回した。
それはすぐに形を変え、まばゆい光の玉になる。
「ふぅ、やはりこの姿が楽でいい」
「楽でいい、じゃないわよ! 戦闘準備! 戦闘準備!」
息巻くほがらの肩に、かおるはタメ息をついて手をかける。
「戦闘準備って言ったって、リストバンドをしてステッキを身につけるだけでしょ?」
「今のうちに変身しておくのよッ!」
ほがらの提案に、光の玉がキラキラと輝きを放つ。
「それは止めたまえ。魔法エネルギーの無駄遣いだ」
ほがらとかおるは、ニッキーに問いた気な眼差しを向けた。
2人とも同じ疑問にぶつかったようで、ほがらがそれを代表してたずねた。
「どういうこと? 変身時間に制限があるの?」
「時間制限はない。ただ、体内の魔法エネルギーが切れると、そこで変身が解けるのだ。魔法を使うほどに消耗するが、なにもしていなくても少しずつ発散してしまう。パソコンのスタンバイモードと思ってくれればいい」
「そ、そう……だったら、敵の前で変身した方がいいわね……その方がカッコいいし……」
ほがらの理由付けに、かおるは呆れ顔で頭をかいた。
「あのねえ……そういうのは物陰でやった方が安全でしょう?」
かおるの反論に、ほがらはグッと口元をむすんだ。
「物陰で変身する魔法少女なんていないでしょう!?」
「そんなことないわよ。昭和の魔法キャラは、どっちかって言うとこっそり変身している方が多いんじゃない? ……よく知らないけど」
「それは魔女っ子モノの話でしょ! バトル魔法少女と混同しないで!」
「はあ? なにが違うわけ?」
「魔法使いサ○ーちゃんとプ○キュアくらい違うのよ!」
「そんな何十年も前の例を出されてもねえ……観たことないし……」
かおるが議論を打ち切ろうとしたところで、ジャンが起き上がった。
「……わいも行くで」
ジャンの唐突な宣言に、かおるとほがらはお互いに顔を見合わせた。
そして、ほがらはそれを拒否した。
「ダメよ、あんたはここで寝てなさい」
「敵が出たんや。じっとしてられるかい」
「腕を折ってるんじゃ、戦力にならないでしょ!」
ほがらの一言に、ジャンは悔しそうに目を瞑る。
ギブスを震わせながら、ジャンは口を開いた。
「なんでや! なんでいつもこうなんや! 5人ずっと一緒におるのに、わいだけいつも中途半端やないか! スポーツは足が速いだけでゲンキとムサシに叶わんし、勉強はかおると清美に歯が立たん! おまけにわいだけ怪我してリタイアとか、情けなさ過ぎるやろ!」
ジャンは拳を握りしめ、頬に涙を流した。
それを見たほがらは、すまなさそうにベッドへと駆け寄り、腰を屈める。
「ジャン、そういう意味で言ったんじゃないわ。一度もジャンのこと中途半端だなんて思ったことないし、これまでずっと友達だったじゃない……謝るから、もう泣かないでね?」
ほがらの慰めを受け、ジャンは片手で目元を拭った。
その仕草に笑みを漏らすほがら。
そのとき、かおるの手の中で呼び出し音が鳴った。
ほがらが腰を上げる。
「ともえたちから連絡!?」
かおるは3つある携帯から発信源を突き止め、画面を確認した。
「ち、違うわ……忍ちゃんからよ!」
液晶画面には、忍の名前が表示されている。
七丈島の学校で交換したアドレスだ。
かおるは液晶に触れ、それを耳元に当てた。
「もしもし?」
《もしもし、赤羽さんですか?》
「あ、これほがらの携帯なのね……違うわ、かおるよ。どうかしたの?」
《緊急事態です。敵が赤坂方面に現れました。例の牛男です》
「なんですって!?」
かおるの大声に、ほがらも携帯に走り寄る。
「敵が出たのね!?」
「シーッ!」
かおるはほがらを制し、忍に先を続けさせる。
「私たちの出番なのね?」
《はい。赤坂には黒井建設の本社があります。敵はそちらに向かっている模様》
「赤坂ね……移動手段は?」
《隠密課のヘリがそちらへ向かっています。それに乗ってください》
「了解。清美たちとは赤坂で合流?」
《はい。私は清美さんたちと行動を共にします。では、後ほど》
そこで通話は切れた。
かおるは携帯をほがらに手渡し、代わりに犬のストラップ付き携帯を受け取った。
「例の牛男が出たらしいわ。場所は赤坂。目標は黒井建設本社よ。迎えのヘリが来て、それで移動する手はずになってる」
かおるの要約に、ほがらは真剣な顔でうなずき返した。
2人の視線が交差する中、ニッキーが再び登場する。
「私もそろそろ、キヨミくんたちのところへ戻るとしよう」
「え、こっちにいればいいじゃない?」
ほがらの尤もな疑問にもかかわらず、ニッキーはふらふらと窓辺へ向かっていく。
「私はキヨミくんたちと一緒にいることになってるだろう。こちらへ出張したことが、忍くんにバレてしまうよ」
「でも、今から戻って間に合うの?」
かおるの問いかけに、ニッキーはくるりと一回転して答える。
「いくら忍者とは言え、人間の脚には限界がある。私の方が速いさ。それじゃ、また後で」
そう言い残すと、ニッキーは窓ガラスをすり抜けて消えた。
それを見送ったほがらとかおるは、早速外出の準備を始めた。




