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第21話 あやしげな環境保護団体

 蝋燭の灯に照らされて、白い着物に身を包んだ少年が、老人と向かい合っていた。

 ふたりとも正座し、おたがいに緊張した面持ちで、ひそひそと言葉を交わしていた。どこからともなく吹き込んでくる夜気が、ときおり蝋燭の炎を揺らし、ふたりの人影を揺らした。

「して、それは誠にございますか?」

 白髪白髭の老人は、額のしわを深くしてたずねた。

 少年はわずかに首を縦にふり、その薄いくちびるを動かした。

「うむ……安倍一族の者に出会ったやもしれぬ……」

「それはまた……」

 老人は右手を上げ、膝元まで伸びたあご髭をなでた。

 それ以上の言葉を発することなく、老人は黙って虚空を見つめていた。

「それはまた、なんだね?」

 少年のうながしに、老人は渋々先を続けた。

「お早い巡り合わせで……」

「父上が安倍家の者に相見えたのは、いくつのときか?」

「確か、42のときでございました」

「そうか……」

 少年は目を細め、畳へと視線を落とした。

「父上が亡くなったのも、その歳だったね」

 少年の言葉に、老人は両手を膝の上でそろえ、軽く背筋を伸ばした。

「悲観なさることはございません。お父上は破れましたが、次は道遥(みちはる)様が相手をお破りになられればよろしいのです。蘆屋家と安倍家は、何百年にも渡ってそのような因縁に囚われておるのですからな。業深きことですが、こればかりは……」

 老人が声を潜めたところで、蘆屋はふと顔を上げた。

老亀(ろうき)、ひとつたずねたいことがある。安倍家は長年、直系の男子で家督を相続しておるな? 奥義もそのように伝わっておると聞くが……」

「左様でございます。その点は、蘆屋様とご一緒で……それがいかが致しましたか?」

 老亀は主人の澄んだ瞳を見つめ返した後、長年の主従関係からか、相手の考えをただちに読み取った。やや驚いたように白眉を持ち上げ、欠けた歯をのぞかせて問いかけた。

「もしや、相手は女であったと……?」

 老人のためらいがちな問いに、蘆屋は軽くうなずいた。

 深くしわの刻まれた老人の目元が、にわかに押しひらかれていく。

「ならば、なにかの間違いなのでは……?」

「……分からぬ。ただその少女からは、人並みならぬ霊力を感じた。あれはまさに、陰陽師のもの。名前にも『清』の字が入っていた。しかし……」

「しかし?」

「姓が分からぬというのだ。一応は緑川(みどりかわ)と名乗っているようなのだが、孤児ゆえに本名を知らぬと申しておる」

 蝋燭の炎が揺らめき、少年はそこで口をつぐんだ。

 老亀は悩まし気に先を続けた。

「孤児でございますか……となると……」

「うむ、生き別れの兄弟がいるのやもしれぬ。その男子が清明の名を持つとすれば、非常に厄介な話だ……父の仇でもあるし、私も呪術で引けをとるつもりはない。しかし、今は敵が多過ぎる。ひとつ幸いなことと言えば、その少女は自分の能力に気付いておらぬことか」

「気づいておらぬですと? それはまた奇異な……」

「これまで話を通じて幾度かさぐってみたのだが、天気を予知できるなど、特殊な能力があることはうすうす勘付いているらしい……されど、霊力のただよわせ方、仕草などは、全く洗練されておらぬ。要するに、才はあるのだが、陰陽師となる教育を受けていないように見える」

「演技なのではございませぬか? 一流の陰陽師ともなれば、逆に一般人を装うことも容易いこと。現に道遥様も、普段は霊力を封じておいでではありませぬか?」

「とはいえ、どうにも様子が……」

 そのとき、ふすまの向こうで女の声がした。

 少年は会話を取りやめ、返事をかえした。

蛇姫(だっき)か? 入れ」

「失礼致します……」

 ふすまは音もなく開き、髪の長い平伏低頭した女の姿が現れた。

 女は顔も見せずに頭を下げたまま、主人の言葉を待った。

「なにごとか?」

「お言いつけの件にございますが……」

 女の言葉に、蘆屋の表情から憂いが消えた。

双性者(ヘテロイド)が見つかったか?」

「まだ居場所までは突き止めておりませぬが……厚木基地から七王子市へ向かったものと思われまする……」

 女の報告に、老人と少年はにわかに色めき立った。

「それは真か?」

「蟲を使って調べましたゆえ、ほぼ間違いないかと……七王子市には、蟲を阻む護符も散見され、かえって分かり易い目印となっております……」

 蘆屋は空中から扇子を取り出し、パチリをそれをひらいた。

「そうか……隠密課が動いておるな」

「そのようでございますな……ぼっちゃま、いや道遥(みちはる)様、いかが致しましょうか? どうやら敵の作戦は、双性者(ヘテロイド)に黒井建設を守らせるものと推察されまする。黒井建設の本社も、七王子市にございますからな」

 老人の問いに、蘆屋はしばし沈思黙考した。

 障子をへだてた庭から、虫の音だけが聞こえてくる。

 数分ほどそうしていたであろうか。蘆屋は、静かにこう告げた。

「……蛇姫、明日から私と合流しなさい」

「かしこまりました……」

 女の返答と被さるように、老亀が割って入った。

「黒井建設を先に潰すのですな?」

「いや、黒井建設を襲撃すると見せかけて、双性者(ヘテロイド)を適当な場所へ集め、一網打尽にするのだ。牛鬼(ぎゅうき)が破れたとは言え、トドメを刺せぬようでは、まだこちらの相手ではない。隠密課については、他の幾人かに事を起こさせ、そちらへ注意を向けさせるとしよう」

 主人の提案に、老人は少しばかり身を引いた。

「それは少々危険ではございませぬか? 隠密課が誘いに乗らなかった場合、道遥様の身にも危険が……」

「背に腹は代えられぬ。ラスプーチンと(おう)傑紂(けっちゅう)の部下も、おそらくはこの国に潜伏しているはず。このままでは、双性者(ヘテロイド)征伐を口実に、東京を乗っ取られてしまうやも知れぬからな」

 理由を付した少年に、老人は不承不承従う意向を見せた。

 やや納得がいかぬと言った顔をしていた。

「どうした、老亀? 不満があるなら申せ」

「いえ、不満があるわけではございません……ただ……」

「ただ、なんだ?」

 老人はしばらく言い難そうにした後、ゆっくりと言葉を継いだ。

「ただ、道遥様のお年でこのような難事が持ち上がるとは、思っておりませんで……先代の唐突なご逝去と言い、蘆屋家の危難と言ってもよいでありましょう。我ら式神も、全力で道遥様をお助けする所存でございます」

 老亀の力強い申し出に、少年は微笑み返した。

「では、期待しているよ」

 

  ○

   。

    .


「七王子の自然公園保護にご協力くださーい!」

 快活な少女の声が、蘆屋を回想から引き戻した。

 目の前の座敷は消え去り、炎天下の街並が続いている。

 アスファルトで舗装された道路の上に立ち、少年は真夏の光に目を細めた。

「七王子の自然公園保護にご協力くださーい! ありがとうございまーす!」

 道行く人々が汗を拭う中、隣にいる少女は笑顔を浮かべてチラシを配っている。

 

  もしや……相手は女であったと……?

 

 老亀の声が、どこからともなく木霊した。この女が、生涯のライバルになる存在なのだろうか。蘆屋は首を捻らざるをえない。数百年前に呪術合戦で破れ、表社会から去らねばならなかった彼の一族とは異なり、安倍家は常に国の陰陽道を支えて来た。その役割が公になっていないだけで、その威信は官財界に轟いているのである。その子孫が孤児として生きているなど、ありうるのであろうか。蘆屋には、どうしても合点がいかなかった。

「……」

 蘆屋が手を休めてその横顔を盗み見していると、少女は彼の視線に気がついた。

 人懐っこい笑みを浮かべて、少年に話し掛けてきた。

「どうしたんですか、先輩?」

 先輩という呼び名に慣れない少年は、無表情に言葉を返した。

「いえ……少し休みましょうか……」

「え、まだ全部配ってませんよ?」

「既に1時間近く経っていますし、今日はもういいでしょう。そこの喫茶店にでも」

 蘆屋の誘いに、少女は目をキラキラさせながらうなずきかえした。

 少年には、この同世代の少女の反応が、イマイチ理解できないでいた。

 やたら自分と行動を共にしたがるので、もしやスパイなのではないかと、そのようなことすら考えてしまうのだが、諜報活動をしている気配は見られなかった。それに、少女が自分の能力に気付いていないことも、ほぼ確実になってきている。上位の陰陽師ならば誰にでもできるはずの、体温調整ができていないのだ。少女は汗だくになっている。わざとそのように振る舞っている可能性も考えられたが、それならば霊力自体を完全に封じるはずだ。無防備に漂わせている少女の霊力は、あくまでも生まれつきなそれに思われた。

「じゃ、じゃあちょっとだけ」

 なぜか頬を染める少女を連れ、蘆屋は喫茶店の扉をくぐった。

 2人は店員の挨拶を受け、人目につかない最奥の席を占める。

 すぐにウェイトレスがやって来て、注文をうかがった。

「ボクはアイスティー。砂糖だけ」

 少女が真っ先に注文を済ませる。一人称がボクとは珍しい女だと思いつつ、蘆屋は抹茶ラテを注文し、ウェイトレスがいなくなるのを待った。

 そして、おもむろに口を開く。

「緑川さんにひとつ伺いたいのですが……お住まいはどちらで?」

 蘆屋の質問に、緑川と呼ばれた少女は戸惑いを見せた。

 それから、少し躊躇いがちに答える。

「ご、ごめん、それは教えられない……かな?」

「駅から来ているようにも見受けられませんし、この近くなのでは?」

「ご、ごめんなさい。それもちょっと……」

 蘆屋は、そこで追及を止めた。それには訳がある。

 少年が黙っていると、今度は緑川の方から話し掛けてきた。

「ところで……そろそろ先輩の名前を教えていただけないでしょうか……?」

 少女は、もじもじしながらそう尋ねた。

 これを回避するために、少年は先ほど詮索の手を緩めたのだ。

「申し訳ありませんが、それはまた別の機会に……」

「名前も教えてもらえないんですか?」

「自然公園を守る会には、匿名で参加しております。会員同士の交流が目的というわけではありませんので、ご理解ください……」

「そうですか……」

 緑川は寂し気な表情を浮かべて、がくりと肩を落とした。その動作の意味も、蘆屋少年にはよく分からないものであった。

 これまでも同じようなやり取りを繰り返しており、少年が名乗りを拒否する度に、少女は悲しそうに身を引いていた。名前くらい教えても支障はないのかもしれないが、用心に越したことはないと、少年はそう思ったのである。

 再び会話が途切れ、2人の間に妙な沈黙が流れた。

 なにを話したものかと、蘆屋が思案しているところへ、異形の気配が漂ってくる。

「ぼっちゃま、こちらにいらっしゃいましたか……」

 艶かしい女の声に、少年少女はテーブルから顔を上げた。

 そこには、観葉植物を背にした、長い黒髪の女がたたずんでいた。

「遅れて申し訳ございません……」

 女はそう言うと、慇懃に頭を下げた。

 主従関係を悟られぬように、蘆屋は言葉遣いを崩して答えた。

「いや、むしろ早いくらいだよ。準備はととのったのかい?」

「はい……お申し付けのものは、すでに取りそろえております……」

 女の方は、主人の配慮に気付かなかったのか、それとも敬語で話すことが身から離れなくなっているのか、傍から見て酷く不釣り合いな返事をした。

 それを咎めることもなく、蘆屋は先を続ける。

牛嶋(うしじま)とも連絡が取れたと?」

「はい……居場所を見つけ、既に使者を派遣しております……」

「そうか……ならば、しばらく待つように伝えよ」

 蘆屋と女の会話に、緑川が訝し気な眼差しを向けていた。

 幾分か嫉妬の炎が垣間見えるそれを受けて、蘆屋は女を紹介する。

「こちらは(にしき)さんと言って、会の新しいメンバーです」

 錦と呼ばれた女は、切れ長の目をますます細めて、緑川を見下ろしてきた。

「はじめまして、錦と申します……お見知りおきを……」

 女の薄暗い挨拶に、少女は一瞬戸惑いを見せた。

「は、はじめまして。緑川……です……」

 少女は椅子をずらし、テーブルに3人目のスペースを作ろうとした。

 しかし、女はその好意を受け取らず、すぐさま蘆屋の方へと向き直った。

「私は例の場所でお待ちしております……ごゆっくりどうぞ……」

 そう言い残して、女はその場を離れた。

 注文の品を運んで来たウェイトレスとすれ違い、そのまま店を出て行く。

 錦の背中を不思議そうに見送ったウェイトレスは、歩調を少し緩めながら、蘆屋たちの席の前で止まった。

「お待たせ致しました」

 ウェイトレスはてきぱきと注文の品を下ろし、会釈を済ませてカウンターへと戻った。

 緑川が早速アイスティーに砂糖を入れてかき混ぜ、一口すすった。

 蘆屋は自分のカップに手を伸ばし、それからしばしその動きを止めた。

「……先輩、どうかしましたか?」

「いえ、少し考え事を……」

 蘆屋はもう一度、目の前の少女を見やる。

 この女が宿命のライバルだとすれば、今のうちに叩いておかない手はない。この歳で人生を終えるのは酷な話だが、それが両家の数百年に渡る宿命なのだから。ここで見逃せば、将来は自分が命を落とすことになるかもしれない。少年は、そのことを危惧していた。

 しかし、どうやって? それが少年の悩みのタネだった。民間人を巻き込むわけにはいかないので、なんらかの確認作業が必要だ。少女が安倍清明の子孫である証拠が欲しい。そう考えた蘆屋は、これまでの作戦計画を総合し、ある罠を張ることに決めた。

 少年は抹茶ラテを一口ふくんだ後、おもむろに話し始めた。

「緑川さん、ひとつお願いがあるのですが……」

 蘆屋の言葉に、緑川はストローを放して身を乗り出した。

 七王子自然公園を守る会に参加してからというもの、少女は一度も彼の頼み事を断っていない。もちろん、チラシを配って欲しいとか、メールを送って欲しいとか、大した依頼をしていないということもあった。

 そのことを考慮した上で、少年は慎重に話を進めた。

「今夜9時、七王子市民公園に来ていただけませんか? 少し話し合いたいことが……」

「9時……?」

 緑川は、一瞬眉をしかめた。

 さすがに時間が遅過ぎるか。そう思った蘆屋は、心持ち時間をさかのぼらせた。

「8時……いや、7時でも結構です」

 7という数字に、少女は微妙な反応を示した。

 他の作戦との都合上、これよりも早くすることはできない。

 やはり即興では無理があるか。少年がそう考えた瞬間、緑川は口をひらいた。

「7時……うーん、7時半はどう?」

 緑川の時間指定に、今度は蘆屋がわずかに表情を変えた。

「それでも結構ですが……その30分には、なにか意味があるのですか?」

「え? あ、その……ちょっと7時に友達と会うから……」

 これは口を滑らせている。少年は、緑川の言葉に重要な情報を見出した。

 7時に友人と会うということは、七王子市民公園から30分以内に居住区域があるのではないか。少なくとも、この地域になんらかの活動場所があることは間違いない。少年は、そう読んだのである。

「……分かりました。では、7時半に公園でお会い致しましょう」

「うん、遅れないようにするね」

 2人はその後、会の活動などについてたわいもない会話を交わし、それからチラシを半分ほど配り終えたところで、今宵の再会を約して解散した。

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