第20話 帝国議会
ローマの扇形劇場を模した薄暗い空間に、黒衣をまとった大勢の人間がつどっていた。
いや、人間ではない。正確に言えば、魔物だった。耳の尖った者、犬歯の突き出た者、瞳孔が三日月型に光る者。各人各様の特徴を持ちながら、その姿形は限りなく人間に似通っていた。彼らは吸血鬼だった。
吸血鬼たちは、中央へ向けてくだる階段状の列に腰を下ろし、仲間たちと口数を交わしていた。会話の内容はさまざまで、ひさしぶりの再開を懐かしむ友人たちから、本日の議題について口泡を飛ばして議論しているグループまで、枚挙にいとまがなかった。
そんな喧噪の中、ひとりの若い男が壇上に現れた。執事服を着ていた。彼は手にしているマイクを2度叩いた。その音をスピーカーがひろったところで、場内はしんと静まり返った。
「あー、マイクテスト、マイクテスト。一番後ろのかた、聞こえますか?」
最後尾に座る女から、返事があった、男は満足げにうなずいた。
「ただいまから、第572回帝国議会を開催致します。まずはエミリアお嬢様から、開会宣言を戴きます。エミリア様、どうぞ」
壇上の闇の中から、ひとりの少女が浮かびあがった。
齢数百年を生きる吸血鬼の長、エミリア・フォン・ローゼンクロイツその人であった。
エミリアはマイクを受け取ると、中央からせり上がる会場を一瞥し、言葉を紡ぎ始めた。
「本日はお忙しい中、帝国議会へご出席いただき、誠に感謝しております。思えば、前回の開催はちょうど100年前。我々が苦渋の決断をもって、他勢力と講和条約を結んだ年に当たります。あのような不名誉も、もとはと言えば、それより先の議会において、我々が誤った判断を下してしまったことに起因すると言えましょう。しかし、同族諸候の皆さん、諦めてはなりません。共同体の意思というものは、その一部の権力者の手によってではなく構成員全体の……」
延々と続く演説の中、エミリアの肩を叩く者があった。
不機嫌そうにマイクから口を離した少女は、その手の正体を見極めた。
それは、先ほど開会宣言を依頼した執事服の男であった。
エミリアは目を細め、腹心の部下を睨みつけた。
「ちょっとバストラー、話はまだ終わって……」
マイクに拾われていないと思ったのか、急に口の悪くなるエミリア。
バストラーはそれを聞き流し、主人に耳打ちした。
「開会の挨拶ではなく、開会宣言です。時間がありませんので、挨拶は飛ばします」
「開会宣言?」
エミリアは眉をしかめ、首を右にひねった。
バストラーは、もう一度小声で耳打ちした。
それを聞き終えたエミリアは、おもむろに態度をあらため、衆人に向きなおった。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために!」
少女の後に続き、会場からも同じ宣誓の言葉が響き渡った。
バストラーはマイクを受け取り、用意された壇上の席へと主人を案内した。
「ではこれより、通告済の議題について審議を……」
「お待ちいただきたい!」
最前列左の席から、立派な口髭を生やした男が声を上げた。
バストラーは無表情のまま、その大柄な男に返事をした。
「いかが致しましたか、ケメレール殿?」
ケメレールと呼ばれた男は腰を上げ、石造りのテーブルに積み上げられた書類の束を右手で叩いた。ぼろぼろになっている書類から埃が舞い、隣の貴婦人が迷惑そうにハンカチでそれを払う。
「財務侍従官より、エミリア様にお願い申し上げる。前回の議会から溜まりに溜まった会計文書100年分に目を通し、それにサインしていただきたい!」
「それは後にしてください。えー、それではまずエミリア様から……」
「お待ちください」
バストラーの司会を遮り、今度は右方向最前列の美女が腰を上げた。深紅のドレスを身にまとった女は、カールした栗色の髪を揺らし、犬歯ののぞいたくちびるを動かした。
「献酌侍従長としてご相談したいことがございます。打ち上げのパーティーは……」
「シェンカ殿、それも後にしてください。えー、では……」
「「お待ちください!」」
ケメレールとシェンカの大声に、鉄面皮のバストラーも眉間にしわを寄せた。
「……なんでしょうか?」
「この会計監査は、本来10年おきに行われるはずなのですぞ。いつまで規則違反を続けるおつもりか? 財務侍従官として、それは絶対に認めませぬ!」
「私の用件も、急を要しております。パーティーは議会解散の晩ゆえ、今から決めませんと準備に支障が出るのです」
食い下がるふたりの顔を交互に見比べ、バストラーは軽くタメ息をついた。
「ケメレール殿、シェンカ殿、今回の集まりは、我々吸血鬼の未来を左右するものです。懐具合や晩餐会は、二の次かと思いますが?」
自分たちの職務を馬鹿にされたと思ったのか、ふたりの顔色が変わった。
「バストラー殿、それはあまりにも失礼な物言いではございませんか? このシェンカ、我ら一族のために真心を込めておもてなしする所存でございますに、それを二の次とは……」
「会計監査は予算の編成にも必要なのですぞ。これまでは講和条約があったからよいようなものを、いざ戦いが始まれば、なにはさておき金です。これはいつの時代も……」
その瞬間、壇上でテーブルを激しく打ち付ける音がした。
3人が一斉に振り向くと、そこには機嫌を悪くしたエミリアの顔があった。
「これ以上ごちゃごちゃ言うと、八つ裂きにするわよ?」
少女の剣幕にたじろいだケメレールとシェンカは、コホンと咳払いをして席についた。
束の間の静寂。バストラーも気を取り直し、司会を続けた。
「それでは、議題に入らせていただきます。まずはエミリア様から概要を……」
エミリアは肘掛けにもたれかかり、不機嫌そうに言葉を継いだ。
「大統領からの提案はもう聞いてると思うから、そこは省略するわよ。今から話し合うことは2つ。ひとつ、大統領の誘いを受けるか断るか。ふたつ、受けたときあるいは断ったときの、その後の身の振り方。以上よ」
エミリアは簡潔に説明を終え、バストラーにバトンを返した。
静まり返っていた場内が、にわかにざわつき始めた。
「静粛に願います。ローゼンクロイツの家令兼司会進行役として提案致しますが、まずは同盟のメリット、デメリットについて話し合うのがよろしいかと……いかがでしょうか?」
場内から大きな拍手が起こった。
それを承認と受け取ったバストラーは、すぐに先を続けた。
「では、どなたかご意見を」
バストラーの問いかけと同時に、2つの手が挙がった。
ひとりはケメレール、もうひとりは別の若い男であった。
バストラーは、挙手の早かったケメレールの方をゆびさした。
「ケメレール殿、どうぞ」
ケメレールは大げさに咳払いすると、重々しく腰を上げた。
「財務侍従官として、ご注進奉る! 我々吸血鬼一族は目下深刻な財政難に陥っており、同盟を選ぶにせよ選ばぬにせよ、資金繰りに窮するは必定と心得ていただきたい! 予算を無視した無謀な作戦立案は、このケメレール、1セントたりとも通さぬ所存であるから、そのように心得られよ!」
いきなりの脅しめいた発言に、場内は一瞬静まり返った。
だが、それもすぐさま小声の嵐に取って代わられた。
「えー、お静かに願います。ケメレール殿、ありがとうございました。では次に、マーシャル殿、ご意見を……」
マーシャルと呼ばれた若い男は、革靴の底を鳴らして屹然と立ち上がった。
意志の強い瞳と尖った耳を持つ、いかにも騎士然とした出で立ちの男であった。
マーシャルは両手を前で組むと、エミリアに顔を向け、その口をひらいた。
「侍従武官として、エミリア様に申し上げます。この度の帝国議会、一夜二夜で答えを決する術もあらず、最終議決まで時間を要するものと心得ております。されど、会場の諸候も既にご存知の通り、極東ではアシヤ、ワン、ラスプーチンらが交戦状態に入ったとのこと。双性者もこれに関与しているとの情報を得ております」
場内の一部から喫驚の声が上がった。
バストラーは場内の混乱を制して、マーシャルに先を続けさせた。
「このような切迫した世界情勢におきましては、会期中にもなんらかの応急処置を施しておくのが肝要かと」
男の思わせぶりな一言に、エミリアは身を乗り出した。
「マーシャル、あなたは話が回りくどくていけないわ。端的に言いなさい」
「……失礼致しました。端的に申し上げます。この議会と並行して兵力を東京に送り込み、ラスプーチンおよびワンの勢力を牽制するのが得策かと」
侍従武官の唐突な提案に、会場からは様々な反応が返って来た。
賛意を示す者は稀で、その性急さを危惧する声のほうが強かった。
エミリアも、渋い顔でそれに答えた。
「マーシャル、久々の戦いに胸躍らせるのはいいけど、功を焦るのはよくないわ。そんなことをすれば、ラスプーチンたちに宣戦布告しているようなものじゃない。一気に世界大戦に突入するわよ」
主人のたしなめに、マーシャルは平然と言葉を返した。
「そこで双性者を口実に使うのです」
「双性者を……? どうやって?」
「ラスプーチン率いるクレムリンが日本の孤島に現れました。どうやらこの島には、双性者が匿われていたようなのです。ワン自身も、東京ではなくこの小島に出没したとのこと。つまり彼らの目的は、アシヤ一族との正面対決ではなく、協力すると見せかけて内側から浸蝕する作戦と予想されます。我々はこの手を逆用し、双性者退治と称して東京を内側から守ることに致しましょう」
マーシャルはそこで口を閉じ、エミリアに一礼した。
エミリアはもたれかかる肘掛けを変え、それから頬に手を当てて答えた。
「でも、私たちはまだ大統領の要求を呑んだわけじゃないわ。アシヤに肩入れする義理もないでしょ? まさか、100年前の同盟を持ち出すわけでもないでしょうに……」
「義理で肩入れするのではございません。東京は、ユーラシア大陸東部とアメリカ大陸の双方にとって、前線基地となりえます。その都市の独立が侵された場合、東京を手中にした勢力が著しく有利になるでしょう。それがラスプーチンであれワンであれ、避けねばならない事態かと存じます」
マーシャルの説明に、エミリアはなるほどとうなずいた。
ところがそこへ、別の侍従からの横やりが入った。
財務侍従官のケメレールであった。
「マーシャル殿、貴殿の献策は、確かに尤もなところがある。しかし、極東へ兵力を割いた場合、今度は西の守りが疎かになってしまうのではないか? 西には血塗れメアリーだけでなく、オルレアンの魔女もいるのだぞ?」
金庫番の戦略的な反論に、マーシャルは穏やかな言葉を返した。
「ケメレール殿、その心配はご無用。魔女はパリから動かないはずです」
「……なぜそう言い切れる? 三者が犬猿の仲であることを、忘れたわけでもあるまい?」
「無論、忘れてはおりません。しかしながら、財務侍従官殿、メアリー女王は大統領と必ず組みます。女王は大統領と個人的に親しく、彼女の組織も前世紀初頭に比して著しく衰退しております。栄誉ある孤立はできません。大統領と協同して、ヨーロッパ大陸に圧力をかけてくるはずです。したがって、女王が動き始めるのは、我々が同盟を明確に蹴った後になるでしょう。そのような中立的状況でオルレアンの魔女が東進すればどうなるか、それは火を見るよりも明らか。彼女自身が、ノルマンディーの北から攻められることになるのです」
「つまり、西の守りは外交的に……ということか?」
マーシャルが静かに頷き返すと、ケメレールはそこで口を閉ざした。
議は決した。その雰囲気が、会場に広がっていった。
それを察したバストラーは、急いで採決を取った。
「では、マーシャル殿のアイデアに賛成のかたは、挙手願います」
会場の過半数が手を挙げた。
「反対のかた」
ぱらぱらとまばらな反応。
バストラーは具体的な数を数えず、決議を下した。
「圧倒的多数で可決されました……エミリア様、ご指示を」
バストラーの振りを受けて、エミリアは居住まいを正した。
「……分かったわ。これについては、侍従武官であるあなたに任せましょう。但し、他勢力をむやみに刺激しないこと。アシヤに肩入れし過ぎて、同盟を黙認したと思われると不味いのよね。独断専行は禁止。それともうひとつ、お金をあまり使わないことも条件よ。飛行機は格安のエコノミーにしなさい。ジャンヌの挙動についても、監視を怠らないように」
「御意に」
マーシャルは一礼すると、即座に席を外し、階段状の廊下を上がって行った。幾人かの付き添いが、その後に続いた。
それを見送ったエミリアは、司会のバストラーに向きなおった。
「じゃ、本題にもどりましょう……なんの話だったかしら???」