第19話 宇宙人と恋バナ
それは、ニッキーの愚痴から始まった。
「これはどういうことなんだい? 毎日のようにキヨミくんの代役とは……」
空中に浮かんだ光の玉が、ともえにそうたずねた。不満があるのか、それとも癖なのか、左右に不規則なジグザグ走行を繰り返していた。
ともえは剣客小説から顔を上げ、耳にかかった髪をかきあげて答えた。
「拙者に訊かれても困る。清美に尋ねていただきたい」
「しかし、肝心のキヨミくんがいないじゃないか」
光の玉はくるりと円を描き、ソファーに座るともえの眼前で停止した。
「こうも頻繁に外出されては、そのうちバレてしまうよ」
「そのためのニッキー殿でござろう? 休まず変身していただきたい」
「ふむ……変身も楽ではないのだがね……」
そう答えつつ、ニッキーはポンと音を立てると、清美にその姿を変じた。
この変身能力を前にして、ともえはいつも驚きを隠せなかった。
「これでいいかな?」
ニッキーは爪先立ちになり、その場で一回転して見せた。顔だけでなく、身長から髪質まで、隙なく清美をコピーしている。声音も、完全に一緒だった。
長年の付き合いからか、仕草に若干の違和感が残るものの、忍相手にはこれで十分である。実際、ここ数日は見破られた気配がない。墓穴を掘らないように、ニッキーがでしゃばった発言をしないことも功を奏していた。
「ところで、キヨミくんはどこへ行ってるんだい?」
「なにかの政治集会なのだが……詳しいことは拙者も知らぬゆえ……」
「政治集会……? 穏やかな話ではないね」
宇宙人にしては社会の事情に詳しい。そんな感想をいだきつつ、ともえは本を閉じた。
そして、おもむろに自分の考えを打ち明けた。
「確かに、穏やかな話ではない……環境保護団体とは言え、毎日のように集会へ参加する熱の入れよう。それに、この手の団体は大抵、政治組織とも繋がっていると聞く。拙者たちが関わるような事柄ではないのだが……」
「それにしても妙だね。七丈島で出会ったときのキヨミくんは、そういう直情的なタイプには見えなかったのだが。もっとこう……」
「打算的、か?」
清美の姿をしたニッキーが、こくりとうなずきかえした。
親友の性格判断には気が引けるものの、ともえは先を続けた。
「その見立て、間違ってはいない。清美は少しばかり、損得勘定に目敏いところがあるからな……しかし、彼女は一目惚れだと言っておるし、そういうものなのかもしれん……」
「一目惚れね……人間の恋愛感情というものはよく分からないが、それは運命みたいなものなのだろうか?」
運命。その表現に、ともえはハッとなる。
「清美もそう言っていた……運命の出会いと……ニッキー殿、そのような出会い、本当に存在するのであろうか? 拙者にはよく分からぬのだが……」
困惑する少女に、ニッキーは清美の顔で笑いかける。
「自然法則を運命と呼ぶなら、それは確かに存在するね。けれども、恋愛に関してはどうだろうか……私は、つととして知らない」
「やはりそうか……」
ともえは手を膝の上で揃え、天井を振り仰いだ。
大きく溜め息を吐き、寂し気に肩を落とす。
「どうしたんだい? 長年の友人が恋に落ちて、少しさみしいのかな?」
「……そうかもしれぬ。拙者たち5人は、子供の頃からずっと一緒でな……男とも女ともつかぬ体ゆえ、今まで浮いた話はなかったのだが……拙者も今年で16。将来のことも考えねばならぬのかもしれん……」
「ハハッ、ずいぶんと大げさだね」
それを最後に、2人は口をつぐんだ。
話題が尽きたのではない。人の気配を感じたのだ。
案の定、その数秒後には、忍がどこからともなく姿を現した。
「遅参して申し訳ございません。異常ありませんでしょうか?」
これまでの経験上、ニッキーとの会話を盗み聞きされた様子はなかった。
ともえは表情を変えず、忍へと顔をむけた。
「こちらは異常ない。忍殿の方は?」
「こちらも異常ありません。では、次の見回りまで失礼……」
どれほど忙しいのか、早速その場を去ろうとする忍。
その忍に、ともえは声をかけた。
「忍殿、ひとつ質問してもよいだろうか?」
質問という言葉に、忍は微妙な変化を見せた。ともえでなければ気付かないであろう、些細な変化だ。大方、今後のスケジュールを訊かれるとでも思ったのだろう。ともえは、そう予想した。
だがその変化はすぐに消え、忍はいつもの事務的な態度にもどった。
「申し訳ございませんが、まだ次の予定は……」
「その件ではない。少々プライベートな話なのだが……」
そこで忍は顔を上げ、ともえの顔を真っ直ぐに見つめて来た。
ともえも気後れせず、彼女の瞳をとらえかえした。
「……お答えできる範囲でならば」
「そうか……ではひとつうかがいたいのだが……忍殿は……いや、日本政府は、私たちを子供の頃から知っていたのであろう?」
忍は、黙って頷き返す。ただその表情は、見るからに固くなっていた。
機密情報に触れていることは承知しつつも、ともえは先を続けた。
「ならば、拙者たちの両親についても……」
「それはお答えできません」
ばっさりと質問を斬り捨てられ、さすがのともえも顔をしかめた。
場の空気が、緊張を孕み始める。
「つまり、誰かは分かっていると……?」
「それもお答えできません」
「……子供には、親の素性を知る権利があると思うのだが?」
忍は大きく息を吸い、申し訳なさそうに目を閉じて答えを返す。
「あなた方、双性者の親族情報は、国家の最重要機密に属します。私の一存ではお答え致しかねますし、隠密課から閲覧の許可が出るとも思えません……以上の回答でご容赦ください」
有無を言わさぬ忍の口調に、ともえは面白くない顔をした。
とはいえ、それ以上追及することの無駄を悟り、ともえは視線を逸らした。
質問から解放された忍は、体の筋肉をやわらげた。
「ご理解いただき、ありがとうございます。では、これにて!」
軽く会釈を返し、忍はどこへともなく消えた。
室内に残されたともえと偽の清美は、お互いに顔を見合わせた。
「どうにも口が堅いね、彼女は」
ニッキーが、少々刺のある言い方をした。
「組織のためとあっては、仕方があるまい……ところで、話を戻すが……」
クラスメイトを庇うように、ともえは話題を変えようとした。
ところが、ニッキーはそれを許さない。
「それにしても、なぜ自分の出自に関心を持つんだい?」
「出自に関心を持ったのではない……少なくとも、拙者はもはや両親に会いたいとも思っておらぬからな……」
「おっと、それは逆の意味で気になるね。理由を聞かせてもらえないかな?」
ニッキーの好奇心に、ともえは諦めにも似た笑みを漏らした。
「拙者、物心ついてから博士に育てられ、はや16年の歳月が流れた。拙者にとって親とは博士のことであり、血の繋がりへの思いはとうに消えておるのだ」
ともえの説明に、ニッキーは首をかしげてみせた。その仕草だけは、清美にそっくりだ。素のニッキーには首がないので、手近なサンプルとして清美の真似をしているのだろう。非常にシニカルで、人を小馬鹿にした特徴をよく捉えてる。そんな推理を働かせながら、ともえはぼんやりと清美のことを思った。
「だったら、なぜあんな質問をしたんだい? なにかのフェイクとか?」
「……清美のことが気にかかってな」
「……キヨミくんの? キヨミくんの出自が気になるというのかい?」
質問攻めをしてくるニッキーに、ともえは広場でのいざこざを打ち明けた。
それを聞き終えたニッキーは、例の意味深な溜め息を漏らす。
「ふむ、それは興味深いね……」
「興味深い? ……人ごとと思っておるな」
「いやいや、本心からだよ。その少年は、なぜそんなことを尋ねたんだろうね?」
ニッキーの疑問は、ともえにとっても周知のものだった。むしろ、あの少年に話し掛けられたときから、ずっと抱いていたと言っても過言ではない。
ともえは探るようなまなざしで宙を見すえた。
「そこが分からぬのだ……もしや敵の一味とも思ったのだが……ニッキー殿、おぬしは、邪悪な思念の有無を感じ取れると申したな? 本当にそのような能力があるのか?」
「もちろん、本当さ。もし君たちが邪悪な存在とすれ違ったら、その残滓を僕が感知できるわけだね。七丈島で救援に駆けつけることができたのも、巨大な思念を感じたからだよ。この東京で大きな動きがあれば、僕のアンテナにも引っかかるというわけだ」
「ならば、あの少年は、敵の一味ではないと……」
そのとき、廊下を走る音がした。
ともえは会話を中断し、入口に歩み寄る。鍵を外すや否や、扉が勢いよく開け放された。
「ただいま!」
清美は挨拶もそこそこに、窓際のパソコンへと腰を下ろした。
電源を入れ、慌ただしくブラウザを立ち上げた。
ともえはソファーから離れ、親友の背中に話しかける。
「清美、少し話があるのだが……」
「ごめん、今忙しいの」
そう言って、清美はカタカタとキーボードを操作した。何事かとともえが覗き込んでみると、環境保護団体のSNSアカウントをひらいている最中だった。
清美の真剣な表情に、ともえはいい知れぬ不安を覚えた。
「き、清美、頼むから聞いて欲しい……こういう活動には、あまり首を突っ込まぬ方がよいと思うのだが……周囲の目もある……」
ともえの心配を受けて、清美はキーボードを打つ手を止めた。
椅子に座ったまま首をねじ曲げ、その顔を上げた。
ともえは身を引き、相手の反応をうかがった。
「ともえちゃんは、どうしてそう奥手なの?」
「奥手……? せ、拙者は基本的に攻めの型なのだが……」
「恋愛の話だよ」
「恋愛の……?」
予想だにしなかった言葉に、ともえは目を白黒させる。
だが、すぐさまその意味に思い当たった。
「お、おぬし、もしやあの少年に取り入るため……?」
「それ以外になにがあるって言うの?」
ともえは顔に手を当て、自分の勘違いを大いに恥じた。
活動の動機が純粋でないことに、呆れるような思いすらしてくる。
「三つ子の魂、百までと申すが、まさかこれほどまで計算高いとは……」
「恋は戦争だよ! あんないい男、他の女も絶対放っとかないだろうし! ここはツバをつけられる前に、こっちからつけておかないとね!」
ともえは再度、あの少年の顔を思い起こした。
……確かに美少年なのだが、あまり彼女の好みではない。なよなよし過ぎている。どこか雰囲気に影が差している点も、彼女の趣味に合わなかった。男は男らしく、覇気が感じられるくらいでなくては。それが、ともえの考えである。
だが、男の好みを云々する気もなく、ともえは素直に引き下がった。
そこへ、光の玉に戻ったニッキーが飛び寄ってくる。
「ハハッ、なかなか見込みがある。戦略家のヒーロー。大いに結構じゃないか」
「おぬしはそう申すが……傍から見るとなかなかに痛いぞ……」
打ち込み作業を再開した清美に聞こえないよう、ともえは声を落とした。
光の玉はキラキラと星屑のような輝きを放ち、再び笑いを漏らす。
「少し心配していたものでね。最初はカオルくんをブレーンに、と思ったのだが、どうやら彼女は優等生タイプらしい。頭は回るのだが、小技に疎いようだ。前回の闘いでも、中華娘を騙したキヨミくんの腕前には感心したからね」
ニッキーの回想録に、ともえもあのときのシーンを思い出した。助けると言いながら、不意打ちで一向聴を倒した清美の行動に、彼女はあまりいい気分がしない。それで命が助かったのだから、感謝しなければならないのかもしれないが、正々堂々を信条とする彼女には、どうにも馴染めない手法だった。
分裂しそうになる思考と悪戦苦闘しながら、ともえは話をもどす。
「ニッキー殿、ひとつ頼みたいのだが……」
「なんだい? お腹が空いたのかな?」
からかい気味に返事をするニッキー。
それとは対照的に、ともえはいたって真面目な顔付きで先を続けた。
「いくらあの少年が無害に見えるとは言え、やはり心配なのだ。ここはひとつ、様子を見に行ってはくれまいか。ニッキー殿なら、見つからずに尾行できるはず」
「それは遠慮させてもらおう」
あっさりと断られたともえは、眉間に皺を寄せて光の玉を見上げた。
ニッキーの表情は分からないが、ひるんだ気配はなかった。
「なぜだ? これくらいの頼み、ニッキー殿なら容易く……」
「僕は魔法少女のアドバイザーであって、保護者ではないからね。魔法少女候補生がどのような生活を送るかまで、関与する気はないんだよ」
「しかし、拙者たちもニッキー殿の貴重な戦力のはず。ここはひとつ……」
ともえの言葉をさえぎるように、ニッキーは空中でくるりと一回転した。
「もちろん、君たちは貴重な戦力だ。しかし、勘違いしてもらっては困るのだが、君たちが魔法少女である必然性はないのだよ。地球には女の子がいくらでもいるんだからね。僕が君たちに目を付けたのは、君たちが地球の技術でヒーローにも変身できるからに過ぎない。だが、この前の闘いぶりを見るに、ヒーローの能力は完全ではないようだ。だからこうして、君たちはいつも女の子でいるわけだろう?」
ニッキーの言う通りだった。東京へ辿り着いたともえたちは、ジャンを除いて全員が女性のままでいるように命じられた。その理由は、ヒーローに変身するよりも、魔法少女に変身する方が戦力になると見られたからだ。
ともえが異論を唱えないでいると、ニッキーは先を続けた。
「ということは、僕が君たちの生活を朝から晩まで管理して、身の安全を保障してあげる義務はないのだよ。それは、君たちにとっても迷惑だろうしね。キヨミくんが単独行動を取ってどのような結果を蒙るか……それは、彼女の自己責任というわけさ」
自己責任。その言葉に、ともえはあまりいい顔をしなかった。
ニッキーの言葉を遮り、少女は自論を述べる。
「随分な言い方ではないか……勝手に魔法少女に勧誘しておいて、いざとなったら面倒を見ないというわけだな……」
「おっと、誤解しないでくれよ。僕はあくまでも、君たちの自由を尊重しているだけだからね。君たちは、夢の国の技術で魔法少女の能力を得る。僕は、君たちの協力を得て、闇の者を退治する。ギブ・アンド・テイクの関係さ。どちらに有利というわけでもなく、どちらに不利というわけでもない」
なんだか言いくるめられてしまった気もするが、ともえはニッキーの説明に、とりあえず納得せざるを得なかった。新しいヒーロー用リストウォッチが到着するまで、魔法少女の力は手放せないのだ。
そのことを理解しているともえは、この話を打ち切ることにした。
「分かった……拙者が清美とよく話し合うことにしよう……」
「そうしてくれると助かる……ところで、ほがらくんたちの居場所なのだが……」
突然の話題転換に、ともえは光の玉をふりあおいだ。
「見つかったのか?」
「ああ、君たちが寝ているあいだにね。タネを明かせば、彼女たちが持っているステッキのエネルギーを追いかけただけなんだが……予想通りだったよ。七王子市にいた」
「やはり隣町だったか!」
ともえは拳を握りしめ、くちびるを固くむすんだ。
ニッキーは先を続けた。
「安全のために潜伏場所を分散すると言っていたが、なんのことはない、いざというとき集合できるよう、すぐ近くに匿っていたわけだ。それに、忍くんが僕たちの間を毎日往復できるのだから、何百キロも離れているはずがないんだよ」
ニッキーは誇らし気にそう言うと、上下に浮遊しながら、ともえの反応を待った。
ともえはあごに手をそえ、しばし黙考した後、おもむろにこうつぶやいた。
「まずは、手紙で連絡を取らねば……文面は拙者がしたためるゆえ、今夜にでもほがらたちのもとへそれを届けて欲しい」
「お易い御用だ……忍くんの許可は取らないのだね?」
ニッキーの確認に、ともえは首を左右に振った。
「取るだけ無駄であろう。そもそも、拙者たちがほがらの居場所を突き止めたこと自体、忍殿にはいい気がしないはず。黙っておいた方が得策だと思うのだが……」
ともえの説明を前に、ニッキーは静かな輝きを放っていた。
それを肯定と受け取ったともえは、すぐさまソファーに座り直し、膝の上に紙を広げて筆を走らせ始めた。部屋にはキーボードとペンの音だけが流れ、ふたりの少女はしばらくの間、お互いの存在を忘れた。




