第1話 双性者
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
──ポール・ゴーギャン
体育館にバレーボールが舞う。
ひとりの少女がそれを追い、勢いをつけて飛翔した。
背中をバネにしてボールをはじくと、あいてのコートに強烈なアタックが決まった。
審判の笛が鳴り、少女のチームに得点が入った。
「ほがら、ナイス」
メガネをかけた、すこし背の高い少女が、片手でハイタッチをした。
ほがらと呼ばれた少女は、その勝ち気な瞳に笑みを浮かべた。
ここは七丈島海浜自由学園。
太平洋の人工島につくられた、全寮制の高校だ。
今アタックを決めた少女は、2年生の赤羽ほがら。
ショートヘアで、キュッとかたちのよい小顔の、ボーイッシュな少女だった。
少女はその後も活躍をつづけ、バレーは彼女のチームの快勝だった。
先生にあいさつを終え、ほがらは更衣室で着替えをいそいだ。
となりで着替えていたポニーテールの少女は、
「ほがら、どうしたの? 次、授業じゃないでしょ?」
とたずねた。
「待ち合わせがあるの」
ほがらはパパッと制服に着替えて、更衣室をあとにした。
そのまま体育館の裏手へ回る。
ひとけのない小屋に入ると、さきほどハイタッチをした眼鏡っ子が先に来ていた。
フューチャーフォンの画面をいじりながら、
「ほがらも次は男?」
とたずねた。
「んー、授業はないけど、一応」
メガネの少女は「そっか」と言ったあと、端末をカバンにしまった。
その場でスッと直立する。
「それじゃ、さっさと変わりますか……性別転換」
ぼんやりとした顔にシャープな切れ味が付け加わり、大きくなった肩幅が制服にぴったりと張り付く。豊満な乳房はみるみるしぼみ、そのかわり、胸板が厚くなった。
少女は少年になったのだ。
一方、ほがらはまるで、特撮に出てくるヒーローのように大げさなポーズで、
「性別転換!」
と叫んだ。
少女は身長が伸び、柔らかな肌に、しっかりとした筋肉がつき始めた。
ボーイッシュな顔立ちは少年のものになり、いまどきの男子高校生に変わった。
「赤羽ゲンキ、見参……いてッ」
メガネの少年──青海カオルは、ひたいにチョップを食らわせた。
「バカ、大声を出すな。ひとが来たらどうするんだ」
ゲンキと呼ばれた少年は、胸に手をあてて苦しむ。
「ん? 当たりどころが悪かったか?」
「ブラ外すの忘れた……めっちゃ締まる……」
カオルがタメ息をついたところで、ホックの壊れる音がした。
10分後、男子のブレザー制服に着替えたふたりは、倉庫から出た。
ゲンキはカバンを肩にかかえて、
「ハァ、今月の出費が増えた」
となげいていた。
カオルはまたフューチャーフォンをいじりながら、
「特撮ごっこをするまえに、まずじぶんの生活を見直せ。何年双性者やってんだ」
とつっこみを入れた。
双性者とは、男と女の体を切り替えられる人間のことだ。
ゲンキとカオルは生まれつきの双性者だった。
このことは他の生徒には秘密だったし、なぜじぶんたちが双性者なのかも、詳しくは知らなかった。彼らには両親がいない。御湯ノ水という生物の教師が、彼らの養父だった。御湯ノ水の話では、ちょっとした実験の結果、ということになっていた。ふたりはそれをあまり信じていなかったが、藪蛇になるので根掘り葉掘り聞くこともしなかった。
そもそもこの体に不満があるわけでもないのだ。
ゲンキはカオルのフューチャーフォンに目をやった。
「なに見てんだ?」
「ニュース」
「おもしろいか?」
「社会人の日課だ」
なにが社会人だ、俺たちは高校生だろ、とゲンキは思った。
だが口でカオルに勝てないと知っているので、
「今日は6時から『魔法少女マジカル・ティラミスちゃん』を見ないとなあ」
と話を変えた。
「それこそおもしろいのか?」
「ほがらは大好きなんだよ」
ゲンキとほがらは同一人物だが、性別転換をすると性格に変化が出た。
ゲンキは特撮が好きだったし、ほがらは魔法少女ものが好きだった。
録画の予約をしとかないとな、と思ってゲンキもフューチャーフォンを取り出した。
するとそこへ、猛スピードでこちらに近付いて来る、金髪の少年がみえた。
「大変やーッ!」
それはゲンキの同級生、黄山ジャンだった。
学生データベースではイギリス人ということになっていたが、こどもの頃からゲンキたちといっしょで、英語はからっきししゃべれないという、風変わりな少年だった。
「ジャン、どうしたのッ!? 怪人でも出たかッ!?」
ゲンキのおふざけに、ジャンは取り合わなかった。
「一大事やッ! ゲシュマックのパフェがカップル割半額やでッ!」
「な、なんだってッ!?」
「はようせんと満席になるッ!」
「よし、善は急げだ。ジャン、女になれ」
「そこはじゃんけんやろ」
「さっきブラのホックが壊れた」
ジャンは「アホか」と言ったあと、しぶしぶ承諾した。
ジャンは手さげ鞄から制服一式を取り出し、物陰でこっそり着替え始める。
スカートのファスナーを閉め終え、ジャンは両腕でガッツポーズをした。
「性別転換!」
欧米人にありがちなそばかす顔はそのままに、あごは細く、くちびるは少しふっくらと形を変え、指先が美しさを帯びる。ジャンはジュリアになった。
変身を終えたジャンことジュリアに対して、ゲンキは、
「いやー、おまえはチェンジしてもブラが要らねーからいいよなあ」
とコメントした。
「うっさいわッ!」
ジュリアは思いっきりゲンキの頭をはたいた。
いつもの漫才が始まって、カオルはタメ息をついた。
「4限が始まるまえにもどって来いよ。代返はしてやらないからな」
カオルの忠告をよそに、ふたりは大急ぎで正門へと向かう。
「よっしゃ、いそぐでッ!」
「でもオレたちカップルに見えるか?」
「疑われたらキスくらいしたるッ!」
「それは断る」
「なんでやッ!?」
「おまえがファーストキスとかない」
ふたりは道をまがって見えなくなった。
端末のニュース動画が読み上げを始めた。
《本日未明、東京都七王子市の路上で、男性の変死体が発見されました。身元は明らかになっていませんが、現場の状況から、警察は殺人の可能性も考慮して捜査を進めている模様です》
「この事件、最近多いな。ま、この島には関係ないが……ん?」
カオルはふと、カバンが3人分あることに気づいた。
カバン係を押しつけられたと気づいたのは、それからすぐのことだった。