第18話 ひとめぼれ
軽やかに響く入口のベル。はずんだ店員のあいさつ。食器の音。席についた人々の歓談。
それらが一様にあいまって、涼やかな空気に華をそえていた。
ここは都内にある喫茶店。連日の猛暑のおかげか、今日も大にぎわいだった。そのごった返した客席の片隅で、2人の少女がパフェに舌づつみを打っていた。黒髪の険しい目つきをした少女と、短髪の中性的な少女。2人は道行く人々をガラス越しに眺めつつ、黙々とスプーンを口に運んでいた。
半分ほど食べ終わったところで、黒髪の少女がくちびるを動かした。
「清美、やはり勝手にマンションを抜け出したのは、マズかったのではないか?」
黒髪の少女は、そう言って時計を確認する。針は3時を少し過ぎていた。
一方、清美と呼ばれた短髪の少女は、平然と言葉を返した。
「一日中監禁状態なんだよ? たまには息抜きしないとね」
清美はもう一口パフェを頬張り、とろける甘さに顔をほころばせた。
黒髪の少女、もとい、ともえの表情は固かった。食べることに集中できないのか、バニラアイスの塊をこねくりまわしながら、静かに先を続けた。
「すべては、拙者たちの身の安全を考えてのことであろう。忍殿にもうしわけが立たない」
「さあ、どうだか……なんかさあ、ヒーローだって言うから、もっとVIP待遇みたいなのを想像してたんだけど……全然違うじゃない。マンションの一室に閉じ込められて……これじゃ、締め切りに追われてる作家と変わらないよ。なんか変だよね」
清美は、最後のひとかけらを口に放り込んだ。清美の好きなストロベリーの味が、舌のうえに広がった。これまでの鬱屈を晴らしてくれるような味。じつは昨晩、アイスが食べたいと駄々をこねたところ、忍がコンビニで200円のカップアイスを買って来てくれたのだった。それはそれでありがたかったのだが、軟禁状態で食べるアイスは、あまりにも味気ない。だからこうして管理人の目を盗み、こっそりとマンションを抜け出して来たわけである。
一方、ともえは溶け始めたアイスに視線を落としながら、口をひらいた。
「確かに……拙者も妙だと感じることはある……忍殿は、なにかを隠しているような……」
少女のつぶやきに、清美はスプーンの先を向けた。
「でしょ? 博士とは連絡が取れない。次の作戦行動は教えられない。だったらこっちの行き先を教えずに出かけても、バチは当たらないよ。牛男とアルアル女を退治したばかりなんだし、羽を伸ばさないとね」
「あれは前哨戦に過ぎぬ。ここは敵の本拠地。気を引き締めねば」
「そうは言ってもねえ……」
カップの底に溜まったアイスをかき混ぜながら、清美は名残惜しそうにそれを見つめた。
ともえはその仕草を見て、すこしばかりお行儀が悪いと思った。
「それにしても、本当に晴れるとは思わなかったぞ……昨日の天気予報では、降水確率100%だったというのに……」
「へへん、ボクの勘は、天気予報より正確なのだよ。子供の頃から、一度も外したことがないもんね」
自慢げに胸を張った清美は、液状のアイスをすくい取り、ペロリと舌で舐めとった。
「清美、行儀が悪い」
「え、もったいないじゃん? 物は大切にしろって、ともえの口癖だよね?」
悪びれた様子もなく、清美はアイスをもうひとすくいする。
「そ、それはそうだが……人前でそういうことは……」
ともえがそこまで言いかけたとき、喫茶店の外で拡声器の音がした。
なにごとかと思ってみると、店のまえの広場に人集りができていた。各人がプラカードや立て看板を持っており、妙に時代錯誤的な印象をふたりに与えた。七丈島では、デモはおろか政治集会すら見たことがなかったのだから、それも無理からぬことだった。
「なんだろあれ? うるさいなあ」
清美が、あからさまに嫌そうな顔をした。喧噪があまり好きではないのである。
それをたしなめるように、ともえは居住まいを正した。
「そのようなことを言うものではない。選挙演説かなにかであろう」
「あ、そう……ところで、それ食べないの?」
許可も得ずに清美がスプーンを伸ばしたところで、ともえはあわてて残りを口におさめた。
「ずいぶんとお行儀のよいことで……」
やれやれと苦笑いして肩をすくめる清美に、ともえは頬を赤らめた。
「お、おぬしが横取りしようとするからだぞ」
「はいはい……じゃ、忍ちゃんに見つかるまえに帰りますか」
ふたりは会計を済ませると、まばゆい屋外へ身を投げ出した。
効き過ぎたクーラーとのコントラストが、かえって心地よい。
ただひとつ、清美にとって不快なものがあるとすれば、それは広場から聞こえてくる例の拡声器の演説であった。演説者は中年の男性で、声を張り上げて道行く人に呼びかけていた。
ともえは興味深そうに、
「ふむ……なにやら環境保護を訴えているようだが……」
と解釈した。
そのとなりで、清美はそそくさと踵を返した。
「早く帰ろ。ここは暑いから」
清美が一歩前に出ようとしたとき、ふいに道を塞ぐ者があった。
少女が顔を上げる間もなく、一枚のチラシがさし出された。
「七王子自然公園の保護にご協力ください」
男とも女とも取れる艶かしい声にうながされ、清美は思わずチラシを手にしてしまった。あわててそれを返そうとしたとき、清美ははたと動きを止めた。
彼女の目の前には、端正な顔立ちの色白な少年が立っていた。
「どうぞ、お持ち帰りください」
チラシの束を手にしたその少年は、硬直した清美の横を通り抜け、他の通行人にチラシを渡していく。
同じチラシを受け取ったはともえ、横合いから清美の顔をのぞきこんだ。
「どうした? 帰るのではないのか?」
彼女の呼びかけに、清美は返事をしなかった。
親友の挙動不審をいぶかりながら、ともえは手中にあるチラシを読みあげた。
「『七王子自然公園の開発に反対しよう』か……なるほど、やはり環境保護団体であったか。清美も、このようなことに興味があるのか?」
「カッコいい……」
清美のうっとりとした声に、ともえはチラシを取り落としそうになる。
険しい目付きをますます険しくし、親友の前で右手を振って見せる。
「大丈夫か? 顔が赤いぞ? 日射病ではないのか?」
「今の人、凄い好み……」
「……なに?」
ともえはもう一度、チラシ配りの少年へと目を向けた。白の開襟シャツに黒の長ズボンという、学生然とした後ろ姿がみえた。その背中と親友のとろんとした瞳を見比べ、ともえはハッと我に返った。
「ま、まさかおぬし、あの少年に一目惚れしたと申すのか!?」
「そう……かも……」
清美は恍惚とした表情で両手を頬にあて、上半身を奇妙にくねらせ始めた。
ともえは顔面蒼白になり、その場で右往左往した。
「お、おぬしはなにを言っておるのだ? この大事なときに……いや、もちろん恋も大事かもしれぬが……ええい! そのようなことを話しておるのではない! 清美、しっかりせぬか……!?」
ともえの叫び声を覆うように、パトカーのサイレンが聞こえてきた。白と黒に縁取られた車が数台、広場に飛び込んできた。
突然の騒動に、道行く人々も手近な店の前へと避難していた。比較的広場の中央近くに陣取っていたともえたちは、運悪く逃げ場を失ってしまった。
「な、なにごとだ?」
あわてたともえのそばへパトカーが滑り込み、助手席から警官が下りて来る。まさか自分たちを捕まえに来たのかと思い、ともえは清美の手を引いた。
しかし、その心配は杞憂だった。警官はふたりを無視して、広場の中央へと向かった。
「そこの集会、今すぐ解散しなさい!」
べつの警官が、大声でそう怒鳴った。
拡声器を持っていた男が、困惑したように言葉をかえした。
「我々は許可を取って……」
「君たちに許可を与えたのは、この広場ではない。隣の公園だ」
「し、しかし、隣の公園はあまりにも狭く……」
弁明が終わらぬうちに、男たちは警官に取り囲まれてしまった。
「集会をこれ以上続けた場合、逮捕することになります」
上司と思わしき中年の警官が、隊列から前に出てそう告げた。
逮捕という言葉に、場が一層騒がしくなった。
「市民には集会の自由があるだろうッ!」
参加メンバーのひとりが叫んだ。
「無許可のデモは法によって認められていません。解散するか移動してください」
「これはデモではありません。商店街の許可も得ています」
べつの女性が断固とした調子で答えた。
「この広場は市の所有物です。商店街の許可は関係ありません。今すぐ……」
そのとき、だれかの叫び声が聞こえた。警官と集会のメンバーが揉み合いになったのだ。
人々がその光景を見守る中、清美はいきなり魔法のステッキを取り出した。
「マジカル……」
「止さぬかッ!」
ともえは清美に飛び掛かり、変身を中断させた。
アスファルトに尻もちをついた清美は、ともえをにらみ返した。
「ちょっと、変身の邪魔を……」
「しーッ!」
ともえは清美の口をふさぎ、彼女を喫茶店の裏口へ連れ込んだ。
清美はステッキを手にしたまま、両腕を組み、声を荒げた。
「なんで変身の邪魔するの!?」
「人前で変身してよいはずがなかろうッ!」
そんなことも分からないのかと、ともえは少々強めに言い放った。
ところが、その説明の意味が伝わらなかったのか、それとも故意に誤解したのか、清美はステッキを握り締め直すと、その場で足をそろえる。
「じゃあ、ここで変身するよ。マジカル……」
「止せと申しておるにッ!」
ともえはステッキの柄を掴み、変身ポーズを妨害した。
清美の顔がますます曇る。だが、ともえも負けてはいない。
「そもそも、なんのために変身するのだ?」
「あれは官憲の横暴だよ。助けないと」
ともえは一瞬目を見張り、それから表情をこわばらせた。
「先ほどの少年か?」
「そ、それもあるけど……」
清美は、急に声のトーンを落とした。
ともえは呆れたようにタメ息をつき、友人の肩に手をかけた。
「それも、ではなかろう……いったいどうしてしまったのだ? 一目惚れした相手を助けるために変身するなど、言語道断。公私混同もよいところだ。ここは拙者たちの関するところではない。マンションに戻り、忍殿の帰りを待たねば」
親友の説得にもかかわらず、清美は納得しなかったようだ。
隙あれば変身してやろうという意気込みが見え見えである。しかし、そこは武術の心得のあるともえのこと、一瞬の隙も覗かせはしない。両者の睨み合いが続く。
「分かった。じゃあ、変身せずに助けに行くから、そこを退いて」
「おぬしが逮捕されたら、誰が助けに行くのだ? 拙者ではどうにもならんぞ」
「忍ちゃんが裏から手を回してくれるでしょう。彼女、公安と繋がりがあるみたいだし」
抜け目のない回答に、ともえは軽く口をむすんだ。
「勝手が過ぎる。それに、おぬしのような計算高い……コホン、今のは聞かなかったことにしてくれ。ともかく、おぬしは一目惚れするようなタイプではなかろう……動悸と恋心を混同しているのではないのか?」
清美は女の子らしく可憐に両手を胸に当て、ポッと頬を染めた。
「ハートにビビッときたの……これは運命の出会いだって……」
「おぬし、運命厨だったのか……」
ともえは思わず、ジュリアに教わったネット用語を口走ってしまった。清美はきょとんとした顔で、彼女の顔を見つめ返す。
「ウンメイチュウ? なにそれ?」
「な、なんでもない」
そうこうしているうちに、広場の騒ぎが一段と激しくなった。
清美がいてもたってもいられなくなったところへ、ふいに声が掛かる。
「そこの人、なにをなさっているのですか?」
ふたりが振り向くと、そこには先ほどの少年が立っていた。日向を背にした少年の顔は、ともえも認めざるをえないほどに美しい。
ふらふらと少年に近付こうとした清美を、ともえはあわてて引きもどした。
「なんでもござらん。そなたこそ、私たちに何用か?」
ともえは警戒心に満ちた目で、少年を見つめ返した。自分たちを巻き込もうとしているのではないか。そう考えたのだ。
そんなともえの疑念をよそに、少年は冷静な口調で言葉を返した。
「警察の手を逃れて、この道を抜けようとしているだけです」
異様なほど落ち着き払った少年の声に、ともえは軽く身構えた。その理由は、彼女自身にも見当がつかなかった。ただ、彼女の直感が、この少年を避けるように命じていた。
ともえは清美を自分の背中に隠し、決然と言葉をはなった。
「では、早く行かれよ」
「あ、ちょ、ちょっと待ってッ!」
清美がともえの肩越しに顔を覗かせた。横目で警告を発するともえだったが、清美はそれを無視して、ポケットから可愛らしい犬のストラップがついた携帯を取り出した。
「で、電話番号を教えて欲しいかな、とか、ね?」
声が裏返っている清美に、ともえは眉をしかめた。
彼女がそれをたしなめる前に、少年は口をひらいた。
「電話番号……ですか。もうしわけございませんが、持ち合わせておりません」
「え、フューチャーフォン持ってないの?」
「文明の利器は、なるべく持ち歩かぬようにしておりますので」
少年の理由づけに、清美はどぎまぎしている。番号を教えないための口実ではないのかと、隣でともえが推理を働かせた。もっとも、少年が嘘をついている気配はなく、そもそもいきなり電話番号を聞き出そうとしている清美のほうがおかしいのだから、それ以上は詮索の仕様がなかった。
清美がまた妙なことを言い出さぬよう、ともえは急いで言葉を継いだ。
「見つからぬうちに、早く行かれよ」
「あ、だったら、名前だけでもッ!」
「清美、詮索が過ぎるぞッ!」
ともえの忠告に、清美はムッと口元をゆがめた。
人の恋路を邪魔するなと、そう言いたげな顔をしている。
再び睨み合いが始まったところで、少年がふいに、
「そちらのかたは、清美さんとおっしゃるのですか?」
とたずねてきた。
少年が関心を示したことに、清美は大喜びして答えた。
「そ、そうだよ! かわいいでしょ?」
ともえは、恥ずかしさのあまり顔を覆った。
少年はちらりと視線を壁に移し、さらに質問を投げかけた。
「どのような漢字をお書きになられるのです?」
「せ、清潔の清に、美しいだよ」
少年は再度視線を逸らした。そして、ゆっくりと3つめの質問を口にした。
「つかぬことをうかがいますが……姓は安倍とおっしゃるのでは?」
「アベ……?」
清美はきょとんとして、ともえと顔を見合わせた。
それから、残念そうに首を横に振った。
「違うよ。緑川だよ。あ、でも、アベがいいなら、今日から改名して……」
「おぬしはなにを言っているのだ……」
あきれ返るともえをよそに、少年は二、三聞き取れぬ言葉をつぶやいた。
清美がもう一度聞き返そうとした矢先、少年は先を続けた。
「ご両親のどちらかが安倍姓ということは?」
両親という言葉を耳にし、清美の顔に影がさした。
「ごめん……ボク、孤児だから……本当の名字は知らないの……清美って言うのは、ボクのママがつけてくれたらしいんだけど……ママが誰か知らないし……」
清美は両手を背中に回すと、さびしそうに爪先で地面を蹴った。
少年は目を細め、軽く頭をさげた。
「失礼致しました。お赦しください」
謝罪する少年に、清美は頬を赤らめた。
「い、いいんだよ、別に気にしてないから……ところで、名前を……」
「私の名前はお教えできませんが、もしよろしければ、近々また集会がございますので、そのときにお会い致しましょう。【七王子自然公園の開発に反対する会】で検索していただければ、ホームページが見つかるはずです。では、私はこれで……」
そう言い残すと、少年は路地の闇へと消えて行った。
片想いの少女とそれに頭を悩ませる友人は、しばらくの間、じっとりとした路地裏の空気に包まれながら、その闇の先を見つめ続けていた。




