第17話 蘆屋道遥、帰館す
都内のとあるマンションの一室──
「あちちッ! どこ向けとんねんッ!」
「あんたが動くからでしょッ! 大人しくしなさいよッ!」
「動かんかったら食べれんやろッ!」
マンションの一室に、少年と少女の声がこだました。ベッドのうえに座り、右腕にギブスをして口元からおかゆをこぼしているのがジャン、それを介護するように、そばの椅子に座ってスプーンを差し出しているのがほがらだった。
七丈島を脱出したほがらたちは、忍の手引きで都内の一角に潜伏していた。島内襲撃から2週間が経過したにもかかわらず、敵の動きを察知できていなかった。ひたすら情報を待つ日々。このことが、おたがいの空気をすこしばかり気まずいものにしていた。
「もうええわ……動かんから腹減らんしな……」
ジャンはプイッと横を向き、布団のなかに潜りこんだ。
ほがらの顔が、怒りの炎で燃えあがった。
「あんたね、ひとに料理作らせといて、その態度はないでしょッ!」
「料理っちゅーてもおかゆやろ。そんなんだれでも作れるわ」
「はあッ!? あんたふざけてんのッ!?」
ほがらの大声に合わせるかのように、部屋の入口がひらいた。
ジト目の眼鏡少女が、隙間から顔をのぞかせた。かおるだった。
かおるは部屋に入ると、とびらをうしろ手に閉めた。
「あんたたち、もうちょっと静かにできないの?」
ほがらは興奮冷めやらぬまま席を立ち、ベッドをゆびさした。
「このバカがいけないのよッ!」
「うっさいわッ! バカって言うやつがバカなんやッ!」
布団のなかで、ジャンが大声を出した。
ほがらはキッとなって、
「はあ? あんたもういっぺん……」
と詰め寄ったが、ここでかおるがあいだに割って入った。
「はいはい、ストップ、いつ敵が来るか分からないんだから、仲間割れはダメよ」
敵という言葉に、ほがらも反応した。
こぶしを握りしめてたずねた。
「そうよ、敵はどうなったのよ? なんで出て来ないの?」
かおるは「さあ」と言って、手近なソファーに座った。
政府御用達だけあって、なかなかの座り心地だった。
「出て来ないに越したことはないと思うけど」
「くう……じれったいわね」
ほがらはわなわなと震えた。
かおるには、ほがらの不機嫌の理由に察しがついていた。
敵がいると分かっているにもかかわらず、いつまでも襲って来ない。
そのギャップがストレスになっているのだろう。
かおるは言葉をえらんで、説得を始めた。
「ジャンは骨折してるし、御湯ノ水博士からは連絡がないし、迎撃態勢が取れてないじゃない。こっちのまともな戦力は、忍ちゃんくらいでしょ。おとなしくしておくのが最前だわ」
忍の名前が出て、ほがらはハッとなった。
「忍ちゃんは、まだトモエたちのところにいるの?」
「んー、そうなんじゃない?」
かおるはソファーから立ち上がって、冷蔵庫のなかを物色した。
その背中にむけて、ほがらは、
「忍ちゃん、どうして私たちを二手に分けたのかしら?」
とたずねた。
かおるは炭酸飲料の缶をとりだし、ひとつをほがらに向けて投げた。
ほがらはうまくキャッチした。
さらにもう2本とりだして、1本はジャンの枕元においた。
ジャンは布団から顔を出して「おおきに」と言ってから、上半身を起こした。
かおるは自分の缶を開けた。プシュと爽快な音がした。
ソファーに座りなおし、ひと口飲んでから、
「そこは私も気になってるのよね。まあ、ふつうに考えたら戦力分散でしょ。このマンションが蘆屋一族におそわれたら、一網打尽になっちゃうかもしれないし」
と答えた。
ほがらはあまり納得がいかないようすだった。
「だけど、住所すら教えてもらってないのよ?」
「そりゃ、私たちが拷問されて居場所をバラすかもしれないでしょ」
拷問。その言葉に、ほがらは身震いした。が、すぐに気を取り直して、
「だったら、3:2に分けるんじゃなくて、5人バラバラになったほうがよくない?」
と、質問をかさねた。
ほがらの指摘に、かおるは口をつぐんだ。実は彼女自身、忍たちの行動の意味合いを、イマイチ読み取れていないのである。ほがらの言う通り、5人ばらばらになり、敵を発見してから集合した方がいいのではないだろうか。かおるは、そんな疑念にとらわれた。
かおるは缶をかたむけつつ、ソファーのひじかけにもたれた。
(ほがらの言う通りなのよね……この分け方には、なにか意味があるのかしら? それに、忍ちゃんが私たちのところにいる時間より、キヨアキとムサシのところにいる時間のほうが長い気がするし……)
かおるはそこまで考えて、ふとあることに思い至った。
「オフレコの話をしてもいい?」
ほがらは「もちろん」と答えた。
「今さらオフレコもなにもないでしょ。水くさいわね」
「それもそっか……忍ちゃんって、キヨアキのことが好きなの?」
ほがらとジャンは、おたがいに顔を見合わせた。
ほがらは、
「え? ……そうなの?」
と、寝耳に水のような反応だった。
一方、ジャンのほうは、
「んー、まあ、なんかキヨアキにやたら声かけとったところはあるな」
とつぶやいた。
ほがらは両手の指をわなわなと震わせて、
「しーのーぶーちゃーん、まさか公私混同してるんじゃないでしょうねッ!?」
といきどおった。
そうだとしたら、すこし現状を考えなおさないといけないな、とかおるは思った。
「……まあとにかく、今は大人しくしておくのが吉よ。ジャンの怪我が治って、博士が強化版の変身アイテムを持って来てくれれば、それで問題は解決するんだし」
そうは言ったものの、本当にそれで問題が解決してくれるのか、かおるにも自信がなかった。
と、その瞬間、天井から声が聞こえた。
「お待たせしました」
忍者服の少女が舞い降りてきた。
噂をすれば影で、かおるは「しまった」と思った。
ほがらもあわてて、
「忍ちゃん、どうだった?」
と、ごまかすような質問をした。
「キヨミさんもトモエさんも無事でした。異常はありません」
「ふたりはどこにいるの? いつ行動に移るわけ?」
ほがらの問いに、忍は表情を変えず、
「それは、まだ申し上げられません」
と、いつものおざなりな返事だった。
「敵は悪の組織なんでしょ? もたもたしてると……」
「敵の次の行動は、すでに察知しています」
忍の返事に、ほがらだけでなくかおるも眉をひそめた。
ジャンも妙だと思ったらしく、
「なんや、ほならはよう……」
と言いかけた。
忍は先回りして、
「いずれお教えする機会がくると思います」
と言い、ジャンのセリフをさえぎった。
これにはかおるもおかしいと感じて、
「ねえ、忍ちゃん……私たちになにか隠してない?」
と、核心部分に触れかねない質問をしてしまった。
忍はかおるの瞳を見つめ、機械的に首を左右にふった。
「いいえ、滅相もありません」
「でもね……なんかほがらみたいな言い方だけど、仮にも私たちは、蘆屋一族と闘う主人公なんでしょう? それなのに説明がないって言うのは、ちょっとおかしいんじゃないかしら?」
そうだ、その通りだと叫ぼうとしたほがらに先立ち、忍は即答した。
「みなさんは、確かに貴重な戦力です。しかし今のままでは、蘆屋その他の組織と闘うことはできません。ここは、博士が戻られるまで、我慢していただきますよう、お願いいたします」
答えになっているようななっていないような返事をされ、かおるは口をつぐんだ。
なるほど、そこまで戦力になっていないというのは正しい。七丈島の戦闘でも、蘆屋と王傑紂の手下を撃退しただけだ。しかもそれは忍とニッキーの援護を受けてのことなのだから、とてもではないが自力で勝利したとは言えなかった。
かおるは渋々同意した。
「分かったわ……私たちはまだお呼びじゃないみたいだし……」
忍はかおるに頭を下げた。
「では、ご免!」
サッと忍の姿が消えた。
毎度のことながら大げさだと、かおるは首をコキリと鳴らした。
ほがらはあいかわらず憮然とした表情で、
「これじゃ、私たちが全然主役じゃない」
と愚痴をこぼした。
かおるは缶を手にしたまま、天井をぼんやりと見あげた。そして口をひらく。
「そのセリフ、イイ線いってるかも……」
「え?」
「前々から思ってたけど、どうも様子がおかしいわ……まるで私たちと関係ないところで、事が進められてるみたい……」
「そうでしょ。だから、ここは主役として……」
うんぬんと講釈を垂れるほがらをよそに、かおるはメガネに触れた。
そして、窓から見える東京の街を一瞥した。
(ほんとうに私たちは、主役としてここに呼ばれたのかしら……?)
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薄暗い座敷に、蝋燭の灯がゆらめいていた。座敷のすみずみから、男とも女ともつかぬささやき声が聞こえた。彼らは影のようにうごめくだけで、顔はおろか衣装の色合いすら判然としなかった。ただぶつぶつと、くぐもった会話がおこなわれていた。
「牛鬼がやられたそうで……」
「敵はすでに都へ上ったとか……」
「幸先がよろしゅうない……」
この世のものとは思えぬ雰囲気の中で、ふと障子がひらいた。
「蘆屋様がお戻りになられました」
若い小姓の声に、影たちはささやき合うのをやめた。
それと同時に、美しい少年が姿を現した。
足袋と畳のこすれる音だけが聞こえ、蝋燭の灯が左右にゆれた。
少年は床の間を背にして座った。その隣に、濃い影が浮かびあがった。長々とした白髭をたくわえた、齢の知れぬ老いた男であった。老人は少年に一礼すると、額のしわを深くしながらあいさつをした。
「ぼっちゃまがお戻りになられ、祝着至極。式神一同、喜んでおります」
老人の声に合わせて、あたりにひれ伏す気配が流れた。
少年は、ゆっくりと言葉を返した。
「老亀……おまえは未だに、私を子供あつかいするのだね」
老人は少々恐縮したようすで、頭を下げた。
「これは失礼致しました。道遥様」
老人の謝意を受け流して、少年は先を続けた。
「私が留守のあいだ、コトの進展はいかように?」
「なんらございません」
老人の返答に、蘆屋は目を細めて室内を見回した。
影たちは一様に押し黙り、主人の不興を買わないよう、身を引いていた。
「……黒井建設の件は?」
「使者を立てましたところ、門前払いを受けました」
「……そうか」
少年はどこからともなく扇子を取り出すと、それをひらき、口もとを隠した。
しばらく沈思黙考したあと、その扇子の先を闇に向けた。
「蛇姫」
部屋のすみに、十二単を着た女の姿が浮かびあがった。
女は長い黒髪を垂らし、少年にひれ伏した。
「お呼びでございましょうか……」
「すでに聞いていると思うが、東京に双性者が紛れ込んでいる。おぬしにその始末を任せる。生け捕りが望ましいとはいえ、処分はおぬしが決めよ」
「おおせのままに……」
蛇姫と呼ばれた女は、畳にひたいをつけた。すると、着物の裾から長い爬虫類の尾がのぞいた。女はそれを無礼と感じたのか、鱗をすべらせて衣装の下にしまい込んだ。
老亀はやや声を落としつつ、
「道遥様直々にご出陣なされたほうが、確実ではございませんか?」
と進言した。
少年は首を左右に振る。
「私は黒井建設を受け持つ」
「……お言葉ではございますが、それこそ下の者に任せればよろしゅうございます」
蘆屋は老亀にほほえみかけた。
「老亀、双性者の件、なにか妙だとは思わぬか?」
「妙? ……申し訳ございませぬ。老齢ゆえ、おっしゃることがよく……」
「政府が双性者を回収した時期は、こちらの行動と見事に一致している。本来ならば、黒井建設についてはとうに計画が進行していなければならぬのだ。それが延期されたのも、双性者の所在が突如明らかになったため……」
蘆屋の説明に、老亀は片方の目を見開いた。
「まさか……双性者は囮……?」
「その可能性、十分にありうる。もしかすると双性者の所在地を漏洩したのも、政府自身なのかもしれぬ。七丈島の警備、あまりにも周到であった。まるでこちらが動くのを予期していたかのようだ」
室内に、影たちの囁き声が流れた。
老亀はそれを一瞥でたしなめ、主人に向きなおった。
「となると、道遥様を双性者退治へいざない、黒井建設への介入を阻止するというのが、きゃつらの目論みなわけですな」
「私はそう読んでいる。だからこそ裏をかき、戦力を逆に割り振りたい」
主人の賢明さに感心した老亀は、もはや異を唱えなかった。
あご髭をなで、昔を懐かしむように目を閉じた。
「道遥様も、すっかりご立派になられて……お生まれになられたのが、昨日のことように思うておりましたが……おっと、失礼致しました。それでは、万事そのように手配致します」
「頼んだ……ところで、牛鬼の行方は?」
少年の問いに、老亀はフゥとタメ息をついた。
「依然として知れませぬ。政府の手に落ちたのではなく、どうやら王傑紂の部下と共に、島を脱出したようなのですが……」
「なるほど……ということは、例の一向聴という小娘を連れ、どこかへ潜伏しているということか……見つかり次第、こちらへ戻るよう伝えなさい」
「御意に」
老人は両手を畳につけ、軽く頭をさげた。
それに満足した蘆屋は、この場の一同に語りかけた。
「この蘆屋道遥、長者に選ばれての初仕事。皆の活躍に期待している」




