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第16話 ローマ通信

ロンドン、魔貴族の館──

「……というわけでございます、血塗れブラッディメアリー様」

 礼服に身をつつんだサン・ジェルマンこと不死伯は、ふかぶかと頭をさげた。

 目のまえには、ロッキングチェアーがひとつ、音もなく揺れていた。

 そこに座る人物──全身に包帯を巻い女は、くぐもった声を出した。

「ほお……同盟の申込とな?」

 包帯からかろうじて見える碧眼が、不死伯を見すえた。

 全身に包帯を巻き、そこから垣間見える金髪と碧眼が、彼女の美しさを辛うじて外部に漏らしている。彼女こそ、英国の悪の頭領、血塗れブラッディメアリーその人だった。

 メアリーの左右には、メイド服を着た白人と黒人の女がひとりずつ、手に包帯を持ってひかえていた。すこしばかりタイミングが悪かったな、と不死伯は思った。ちょうど包帯の取り替えのときに謁見してしまったのである。

 メイドたちが巻きなおす端から、包帯は血の色に染まっていく。毛穴から噴き出す血液が、布地から滲み出しているのだ。メイドたちは粛々と包帯を張り替え、今や最後の両腕に取りかかっていた。

 憂鬱な作業に身を任せながら、メアリーは血に塗れた口もとを動かした。

「おもしろい……その同盟とやら、承認しよう」

 メアリーの返事に、不死伯はいささか眉をひそめた。

 決断が早過ぎる。これでは、なんのために回答を保留したのか分からない。

 そう考えた不死伯は、うやうやしく言葉をついだ。

「お言葉ではございますが、メアリー様。プレジデントの招待にのらなかった幹部がいる以上、早急な態度決定は危ういかと存じます。しばらくご返答を引き延ばされては?」

 不死伯の諫言に、メアリーは血のしたたる歯を剥き出しにして笑った。

 おまえの考えは全てお見通しだよと、そう言いたげなあざけりの微笑みだった。

 これには、不死伯もあまりいい気がしなかった。

 あるじの真意をさぐるため、しばらく様子を見る。

「サン・ジェルマンよ……おぬしは大陸からここへ来てまだ日が浅い……わらわとプレジデントの関係を、よく知らぬと見えるな……わらわからすれば、あやつは出来の悪い息子のようなものじゃ……ここはひとつ、母親の度量で救いの手を差し伸べてやらねば……」

 メアリーの威丈高な態度も、不死伯の耳には強がりとしか聞こえなかった。

 日の沈まない悪の帝国──それはもはや、過去の栄光であった。第二次世界大戦を経て覇権をプレジデントにゆずってしまったこの組織に、そのような力はもはや残されていなかった。立ち回りはうまいが、実質が伴っていないのだ。

 不死伯は敢えてそれを口にせず、右手を胸に当てて頭をさげなおした。

「おっしゃる通りでございます。血塗れブラッディメアリー様」

 まるでタイミングを見計らったかのように、メイドたちが包帯を巻き終えた。

 白人のメイドは、あまりの包帯をかたづけながら、

「メアリー様、お色直しが終わりました」

 と告げた。

 メアリーは包帯の具合を確かめるように、自分の右手を眺めた。

 布地が吸いきれなくなった血が、点々と床に滴り落ちていた。

「うむ……もう下がってよい」

「では、失礼致します」

 メイドたちは会釈をすると、そのまま幽霊のように立ち消えた。

 あとには、メアリーと不死伯だけが残された。

 メアリーはだるそうに首を前へ傾け、不死伯の目を見つめ返した。

「イースター島の会談に来たのは、例の人間とあの小娘だけなのじゃな?」

「はい、蘆屋あしや一族の代表と、吸血姫きゅうけつきでございます。蘆屋は当時の者が亡くなったらしく、その子孫と称する若者が参りました」

「ふむ……」

 メアリーが息をつくのと同時に、口の端から血の飛沫が漏れた。

 メアリーはしばしのあいだ、思案にふけった。

「小僧のほうは、プレジデントの提案に従うじゃろう……先の戦争以来、プレジデントの小間使いのようなものじゃからの……となれば、問題は……」

 メアリーは、そこで言葉を区切った。

 先は言うまでもなかろうと、不死伯の顔を見すえた。

 不死伯はあるじの代わりに先を続けた。

「となると、問題は吸血姫きゅうけつきのほうでございますな。会談のときは、渋い顔をしておりましたが……」

「なに、小娘の組織は、一枚岩ではない……議会制などと言う、愚かしい制度を採用しておる……神聖帝国時代の名残なのじゃろうが、そんなものが機能せんことは、先の大戦で証明済みよ……熱に浮かされた多数決は、決して止められぬものじゃからな……小娘一人の意思など、なんの意味も持たん……」

 メアリーはそう言って、昔を懐かしむように目を細めた。

 どうも思い出話になっていけないと、不死伯は話を本題にもどした。

帝国議会ライヒス・タークの動向、いかに予想なさいますか?」

「そうじゃな……30年戦争のときは、まとまるのに5年かかった……今回も2週間では無理じゃろうて……しばらくは小娘を除き、英米日で三国同盟を……」

 そのとき不死伯は、背後に何者かの気配を察した。

 振り向くと、先ほど消えたはずの白人のメイドが、お辞儀をしてひかえていた。

 メアリーはメイドのほうへ視線を移した。

「……なにかあったか?」

「ローマより通信が入っております、メアリー様」

 不死伯は、その都市の名前に眉をひそめた。

「おやおや……メアリー様、連中がすでに嗅ぎつけてきたようですな」

 不死伯はそう言って、メアリーを見た。

 メアリーはロッキングチェアーを揺らしながら、包帯の下でニヤリと笑った。

枢機卿カーディナルじゃな……地獄耳とはこのことよ。サリカ、ここに繋げ」

「かしこまりました」

 メイドは上体を起こし、メアリーから向かって左の壁に向かった。

 燭台を半回転させると、中央の天井がひらき、巨大なスクリーンが下りて来た。

 すぐに映像が映し出される。

「地獄のしゅの恵みが、メアリー様にあらんことを」

 それが、スクリーンからの第一声だった。

 薄暗い画面の中に現れたのは、金銀宝石で縁取られた三重冠を被った、顔中皺だらけの老人。頭髪が冠の端からわずかにのぞいているだけで、眉はほぼ消えかかっていた。スクリーンの下端には、これまた金銀で縁取りされた僧衣の一部が垣間見えた。

 そしてなによりも特徴的なのは、その老人の眼だった。そこには、あるべきはずの眼球がなく、ぽっかりと闇が口をあけていた。

 メアリーは笑みを消し、わざとらしいあいさつを返す。

「これはこれはカエクスII世殿……わらわになんの用事かえ? ローマから祝福を与えるためだけに、この回線を使っているわけではなかろうて?」

 カエクスII世。

 大層な肩書きで呼ばれた老人は、身じろぎもせず、そのしなびた唇を動かした。

「メアリー様。我が枢機卿団は、かの講和条約が先日失効したことを、大変憂慮しております。世界情勢はますます切迫し、悪を悪とも思わぬ輩が……」

「そのような取りつくろいは要らぬ……率直にお話あれ」

 カエクスII世は表情ひとつ変えず、すぐに話題を転じた。

「先ほど、ワシのもとに気になる情報が入りましてな。アメリカのMr.プレジデントが、メアリー様に同盟の誘いを申出たとか」

 首領ふたりの会話が始まり、不死伯はメイドと同じように、隅へ移動した。

 ちょうど不死伯が壁際に寄ったとき、メアリーはようやく返事をした。

「どこでそれをお聞きになられたのかえ?」

 質問を質問で返した──メアリーとカエクスII世のあいだに、沈黙が流れる。

 どちらも動じた様子はなかったが、先に折れたのはメアリーだった。

「まあよい……ローマの情報収拾能力は、わらわも身に染みておる……で、それがどうかしたのかの……わらわも、プレジデントにはまだ返事をしておらんのじゃが……」

 うまい返しだ。不死伯は、あらためてメアリーの冴えに感心した。メアリーはすでに態度を決めている。同盟を承諾すると、さきほど言ったばかりではないか。だが、それを外部に悟らせないようにしながら、しかも嘘はついていなかった。プレジデントに返事をしていないというのは、事実なのだから。

 しかし、カエクスII世も狡猾さでは負けてはいなかった。

「はて……メアリー殿のことゆえ、すでに承諾なされたかと思いましたがな……まあ、それはプライベートということに致しましょう。ワシがこの度連絡を差し上げたのは、枢機卿団を代表して、ひとつ提案があるからでしてな」

「同盟への参加かえ? ……それならお断りじゃ。おぬしと組むほど危険なことは、他にないからのお……いくら毒も薬とは言え、そちの毒は悪質じゃ……吸血鬼の小娘も、散々な目に遭うたし……」

 メアリーの皮肉に、カエクスII世はホッホッホと軽い笑い声を上げた。

 喉の奥から聞こえてくる、しわがれた不気味な笑いだった。

「いえいえ、むしろ逆でございます」

「逆? ……同盟をするなと申すのか?」

 メアリーの問いに、カエクスII世はこくりとうなずいた。

 メアリーは包帯の奥で、しばらくのあいだ沈黙した。

「……なるほど、ローマはこう考えたわけじゃな……世界中の悪の組織が再び同盟を組めば、いつかバランスの偏りが生じ、ふたたび大戦を引き起こすと……」

「その通りでございます。さすがはメアリー様。もしメアリー殿とプレジデント、それに蘆屋一族と吸血姫きゅうけつきが同盟すれば、東方ではラスプーチンとワンが手を組みましょう。かくして、悪の冷戦構造の再来ということになりかねませんぞ」

 カエクスII世の説明を、メアリーはふんと鼻であざわらった。

「冷戦構造なら、大いに結構ではないか……勢力均衡政策バランス・オブ・パワーじゃろう……?」

「キューバ危機のことはお忘れですかな? あのときはたまたま回避できましたが……二度目の幸運があるとは、お思いにならぬほうがよろしいですぞ」

「バカバカしい……そもそも、ラスプーチンとワンが動いたという情報はまだ……」

 そこまで言って、メアリーは口をつぐんだ。

 スクリーンの中の老人が、ふいに首をかしげたからだ。

 そんなことも知らないのかという風情で、カエクスII世は虚ろな眼孔を向けてきた。

 メアリーの背が、思わず玉座から離れた。

「カエクスII世……おぬし、なにかつかんでおるな?」

「さあ……それはお答えいたしかねますが、しかし……」

 カエクスII世はすこしばかりもったいぶって、最後の通信を告げる。

「東洋の島国では、風雲急を告げておるとだけ、お伝え致しましょう。では、貴族のなかの貴族、高貴なるメアリー様に、しゅの祝福があらんことを」

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