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第167話 愛の代償

 翌日、リープした清美きよみが相談相手に選んだのは、かおるではなかった。

 ともえだった。

 剣道場へ向かっているところを見つけて、近くのベンチに座らせた。

 清美の説明に対する、ともえの第一声は、

「告白を妨害されている、だと?」

 だった。

 清美は真剣にうなずいた。

「そう、ボクが蘆屋あしや先輩に告白しようとすると、邪魔が入るんだよ」

「なんというか……タイムリープがどうこうの時点で、よくわからぬのだが……」

 清美はもういちど、あらましを説明した。

 ともえは顔をしかめて、

「まったく信じられん」

 と返した。

 清美は天をあおいだ。とはいえ、もっともな反応だった。

「とにかく、好きなひとの前でお腹が痛くなるし、吐いちゃうし、最悪なんだよ」

「それは察して余りあるが……被害妄想ということはないか?」

 ない、と清美は断言した。

 彼女の推理は、こうだ。じぶんがタイムリープしているのは、なにか超常的な攻撃を受けているからであり、その目的は蘆屋への告白を失敗させるためだ。

 けれども、ともえに対しては微塵も説得力がなかった。

「オカルト過ぎる」

「いや、そこはボクも能力持ちだからさ。信じてよ」

「勘がよいだけであろう」

「その勘が言ってるんだよ。だれかが恋路を邪魔してるって」

 お手上げだ、とばかりに、ともえは頭をかかえた。

 竹刀袋を手にとり、腰をあげた。

「せいぜい気をつけるがよい」

「冷たいなあ」

 清美はムスッとして、ともえの背中を見送った。

 この会話のあいだも、清美の意見は変わらなかった。

 リープさせられているなら、逆手にとってしまえばいいのだ。

 蘆屋とSNSで連絡をとり、夕方の自然公園で待ち合わせをすることになった。

 すでにリハーサル済みのイベントだ。

 そのことが清美とって心強かった。

 失敗すればもう一回チャレンジ──できるはずである。

「……だからって、手抜きはダメだよね」

 清美は授業のない時間を見計らって、学校を抜け出した。

 近所の薬局で、胃腸薬と栄養ドリンクを買うことにした。

 薬品の香り。清美は、通路ではたと立ち止まった。

 既視感をおぼえたのである。

 なぜだろう。清美は自問自答した。

(……あれかな、匂いの記憶ってやつかも)

 人間の脳は、匂いと場所を強く結びつけている。

 御湯ノ水おゆのみずが、生物の授業でそう言っていた。

 清美はひとまず胃腸薬を買い、それからドリンクの棚へ移動した。

「えーと……かおるが飲んでるのは……これか」

 清美は、買い忘れがないかどうか考えた。

 しかし、その行動自体がおかしなことに気づいた。

 買い忘れが出るほどのものではないのだ。

 ところが、なにか買い忘れているような気がしてならなかった。

 なぜだろう。シャンプーが切れていたか、それとも他のアメニティグッズか。

 清美は念のため、店内をうろついた。

 ふと、ある商品に目がとまった──妊娠検査薬。

 清美は、どきりとした。羞恥心に襲われる。

(いや、ステップがあるでしょ、ステップが)

 気持ちが先走り過ぎているのではないか。そう思って恥ずかしくなった。

 きびすを返そうとしたところで、清美はその場に固まった。

(……あれ? 前に生理来たの、いつだっけ?)

 清美は記憶をたどろうとした。

 そして、異常な点に気づいた。先週より前のことを考えると、記憶がぼやけるのだ。

 なにを食べたのか、なにをして遊んだのか、曖昧模糊あいまいもことしていた。

緑川みどりかわさん」

 突然の呼びかけに、清美はふりむいた。

 蘆屋が立っていた。清美は思わず、一歩しりぞいた。

「緑川さん、どうなさいました?」

「え、あ、その……先輩こそ、どうしたんですか?」

「生徒会室の備品が切れたので、補充に」

 清美は、うしろにある商品を見られないよう、位置をずらした。

 一方、蘆屋はどこかもうしわけなさそうな顔で、

「すみません、さきほどの件なのですが……」

 と言い、それから口ごもった。

 またダメなのか。清美は気落ちしないよう、ふんばった。

「えっと……ムリにとは言わないんですけど、できれば……」

「待ち合わせには参ります。ただ、そのとき……」

「そのとき?」

 いつもは誠実に目を合わせてくる蘆屋が、横を向いた。

 その頬は、うっすらと朱に染まっていた。

「じつは私のほうからも……相談があります……」

 清美は、一瞬にしてその意味を悟った。

 そして、若干のとまどいと興奮を覚えた。

 片恋かたこい──それは錯覚だった。

 ほんとうは両想いだったのだ。

 奇跡のような事態に、清美は心地よいしびれを感じ──ふと冷めた。

 片想いと誤解していた両想い。

 この感覚を、清美は知っていた。いつか、どこかで。

 異国の地で嗅いだ、潮風の匂い。

 まばゆい夕焼けと、愛するひとのぬくもり。

 思い出がフラッシュバックしたとき、清美はうしろにしりぞいた。

 背中に棚がぶつかった。

「緑川さん、危ないですよ」

「きみ、だれ?」

 質問をぶつけられた蘆屋は、無表情になり、

「どうなさったのです? 熱中症ではありませんか?」

 と言って、一歩前に出た。

 清美は棚からとびのき、距離をとった。

「きみはみっくんじゃない……」

 清美は店内を見回した。

 店員も客も、いつの間にかいなくなっていた。

「ここは……ここは七丈島しちじょうじまじゃないッ!」

 蘆屋はゆっくりと、清美に近づいて来た。

 清美は右手を突き出し、無意識のうちに呪文を唱えた。

急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

 気弾があいての胸をつらぬいた。

 蘆屋はふらつき、奇妙な姿勢でその場にたたずんだ。

 その顔は、どこか面影をなくし、白から灰色へ、そして茶色へと変色した。

 異臭があたりにただよう。

 蘆屋の顔の皮膚がくずれ、さしだされた指が朽ち落ちた。

「緑川……さん……」

 筋肉が剥き出しになった顔面に、清美は一撃を加えた。


  ○

   。

    .


 清美は目が覚めた。

 細かい水の飛沫が、彼女の頬をなでた。

 石造りの円塔。天井は遥か高く、上に行くほど闇が広がっていた。

 視線を落とすと、巨大な貯水槽。底は深く、水の色は濃かった。

 壁には不規則に穴が開いていて、そこから水が滝のようにほとばしっていた。

 その水は下のプールで合流し、しぶきとなって舞い上がった。

 ところどころ壁からブロックが突き出し、清美はそのひとつに倒れていた。

 清美は、じぶんが置かれている状況を思い出した。

 緑のとびらを抜けたところで、この不思議な水の庭へ迷い込んだのだ。

 そこには一匹の人魚がいて、彼女が歌い始めたとき──

「みっくん!?」

 清美は蘆屋の姿を求めた。

 そして、足場のひとつに目を止めた。

 上半身裸の人魚が、今まさに蘆屋の首へ手をかけようとしていた。

「破ッ!」

 清美は右手から気を放った。

 エメラルドグリーンのそれは、人魚の首を射抜いた。

 人魚は喉を押さえてもがいた。

 2発目を撃とうとしたところで、人魚は宙返りをした。

 そのまま下の貯水槽へ飛び込み、姿を消した。

 清美はポケットから鶴の折り紙を取り出すと、それに息を吹きかけた。

 瞬く間に鶴は巨大化し、清美を乗せて宙を舞った。

「みっくん!」

 清美は蘆屋のそばで静止し、声をかけた。

 蘆屋は動かなかった。

「みっくん!」

「……うッ」

 小さなうめき声。

 まぶたが、うっすらとひらいた。

 清美は鶴から降りて、足場に乗った。

 畳1枚分ほどしかないスペースで、清美はバランスをとった。

 抱き起こすと、蘆屋は意識がもどった。

「ここは……」

「塔の中だよ、夢の国の」

 蘆屋も記憶がもどったらしく、すぐに立ち上がった。

「あの人魚は?」

「僕が攻撃したら逃げたよ。けっこう致命傷だったと思うんだけど……」

 そのとき、塔の中が揺れた。

 天井からパラパラと小石が落ちてきた。蘆屋は清美をかばった。

 それに合わせて、壁の穴から、水鉄砲のように水が噴き出した。

「避難しましょうッ!」

 ふたりは鶴に乗って、空中へ避難した。

 揺れはしばらくして収まり、今度は壁から出る水の量が減った。

 そして、まったくの静寂となった。

 清美は、水の絶えた側孔そっこうをのぞきこみながら、

「セキュリティが死んだのかな?」

 とつぶやいた。

「それにしては妙です……人魚の死を、確認なさっていないのですね?」

「うん……水の中に落ちちゃったし……」

 蘆屋は両手で印を結び、呪文を唱えた。

 すると、貯水槽の中央に小さな渦が巻いた。

 それはだんだんと大きくなり、水を飲み込み始めた。

 まるで湯船の湯を抜くように、水は引いた。

 あとには、濡れた石畳と、ぬるぬるした水苔みずごけだけが残った。

「い、今のは?」

「七丈島で使った術と同じです。空間に穴を開けました」

 なるほどと、清美はうなずいた。

 ふたりは上空から目をこらした。

 貯水槽には、さらに横穴があった。

「下水かな?」

「そのようです……人魚は、あそこへ逃げ込んだのでしょう」

 死体がない以上、そう考えるしかなかった。

 蘆屋が空間に開けた穴は、人魚のサイズでは通り抜けられないからだ。

「追う?」

「無論」

 ふたりは鶴を着陸させて、慎重に横穴を確認した。

 奥が見えないほど深く、ぴちゃぴちゃと水滴の音だけが聞こえた。

 蘆屋は右手を上げ、周囲に青白い炎を作った。

 その炎で横穴を照らしてみたものの、依然として奥は見えなかった。

「清美さん、護身の準備を」

「うん」

 ふたりはゆっくりと横穴に入った。

 天井から落ちる水滴をよけながら、耳を澄ませた。

 しばらく進むと、ザーッという水の流れる音が聞こえた。

 ようやく出口が見え、ふたりは立ち止まった。

 巨大な地底湖。天井の割れ目から水が注いでいた。

 異臭はしなかったけれど、どこか潮の香りがした。

「なんだろ。海水かな?」

 清美が水面をのぞきこもうとしたとき、いきなり水が跳ねた。

 小さな影が清美を襲う。

 蘆屋は扇子せんすでそれを叩き落とした。

 ビチャッという音をたてて、影は地面に打ちつけられた。

 その正体に、清美は目を見張った。

「魚……?」

 それは、見たこともない魚だった。

 種類はもちろんのこと、外見そのものが奇怪だった。

 ウロコの一部がはげて、そこの肉が水泡すいほうのようにふくらんでいた。

 歯は口から飛び出すほどに長く、尾びれと背びれもナイフのように鋭利だった。

「うわ……もしかして病気……?」

「……」

 遠くで水しぶきがあがった。

 その音は激しくなり、無数の魚影が水中から飛び出した。

朱雀炎舞すざくえんぶ!」

 蘆屋は炎の帯を放ち、襲ってきた魚たちをすべて焼き払った。

 あたりに肉の焼けた匂いがただよう。

 その匂いの中に、清美はうっすらと異なるものを嗅いだ。

「みっくん、危ないッ!」

 清美は天井に向かって気を放った。

 甲高い悲鳴がひびき、大きな羽を持つ生き物が、どさりと落下した。

 鳥かと思いきや、巨大なコウモリだった。

 そのコウモリも、どこかいびつなかたちをしていた。

 目が飛び出し、舌が異様に長く、爪が不ぞろいに伸びていた。

「清美さん、離れてください」

 まだ息のあるコウモリを、蘆屋は炎で焼いた。

 最後の断末魔を上げるコウモリを見て、清美はあとずさりした。

「みっくん、あんまり目立ったことすると、敵に……」

「これは屍化ゾンビウイルスです」

 清美は一瞬、言葉を失った。

「……ウイルス?」

「はい、この症状は、各国で研究されていた屍化ゾンビウイルスにそっくりです」

 蘆屋の言い回しに、清美はますます混乱した。

「各国? ……どういうこと?」

「生物兵器は、国際条約で禁止されています。しかし、主だった国々は、秘密裏に研究を進めていました。その中には、生物を仮死状態にし、兵器として利用するウイルスがあったのです。そのようなものが外部に漏れれば、深刻な環境破壊になるゆえ、蘆屋家でもその動向を追っていました」

「だけど、夢の国は宇宙から来たんでしょ? 宇宙の技術なんじゃないの?」

 蘆屋は冷徹なまなざしで、地底湖を見渡した。

「ようやくわかりました……夢の国は、進化しているのです」

「進化?」

「2000年前に飛来した宇宙船が、なぜ中世の城のかたちをしているのか……ずっと気にかかっていました。今、謎が解けました。この宇宙船は、地球上のデータを集め、それに応じて自己改造を繰り返しているのです」

「え? 外部アクセスは遮断されてたんでしょ?」

「遮断されていたのは、あくまでもシステムです。おそらく、ニッキーなどの生体デバイスを用いて、外部からの情報を定期的に収集していたのだと思います。屍化ゾンビウイルスも、なんらかのかたちで漏洩したのでしょう」

 清美は納得しかけたが、こんどはべつの疑問にぶつかった。

「そんなことする必要なくない? 宇宙船を作れるなら、地球のテクノロジーなんて頼る必要がないんじゃないかな?」

「この船の目的は、まだわかりません……が、人魚を追い詰める方法ならば、あるいは」

「え、ほんと?」

 不穏な影。

 清美と蘆屋の手足に、植物のつたがまとわりついた。

 ふたりは天井へ引き上げられる。

 炎で攻撃したにもかかわらず、粘液に着火しなかった。

 もがいていると、水面から人魚が顔を出した。

 人魚はその美しい顔を邪悪にゆがめ、そして口をひらいた。

 歌が流れる。恍惚のメロディ。

 清美は耳をふさごうとしたが、蔦をふりほどけなかった。

 視界が暗転しかけたその瞬間、人魚は悲鳴をあげた。

 蔦もほどけ、清美は落下して尻もちをついた。

「清美さん、だいじょうぶですか?」

「へ、平気」

 人魚は喉に手をあてて苦しみ、のたうちながら水の中へ消えた。

 歌声はやみ──あたりに虫の羽音が聞こえた。

 数匹の蜂が舞っていた。

「うわッ!」

 攻撃しかけた清美を、蘆屋は制した。

「それは私が放ったものです」

「みっくんが?」

「蘆屋家は生物兵器対策として、さまざまな抗体の研究もおこなっていました。屍化ゾンビウイルスの抗体を、蜂の針で注入したのです」

 それを聞いた清美は、全身の疲れがドッと落ちた。

「ってことは、さっきの人魚もお陀仏か……でも、セキュリティシステムは、どこ?」

「おそらく、この湖の底です。わずかに気の乱れを感じ……」

 水柱が上がった。その中から2本の触手が飛び出し、ふたりを襲った。

 ふたりは左右に分かれ、臨戦態勢をとった。

 水面が波立ち、巨大化した人魚が浮上した。

 裂けた口、鮫のような歯、目は生気を失い、白く濁っていた。

 胸の谷間の肉が裂け、縦に大きな第2の口が開いていた。

 背中から伸びた触手が、無数にうねっている。

 人魚は背を弓なりに曲げ、ふたつの口で咆哮をあげた。

「こ、これがさっきの人魚ッ!?」

 蘆屋は扇子をひらいた。

「ウイルスが暴走しましたか……いざ、尋常に勝負ッ!」

 炎が宙を舞う。

 人魚は両手で津波を起こし、それを消し去った。

 水の壁から触手が飛び出し、蘆屋を襲った。

 清美はそのタイミングを見計らって、気で津波を凍らせた。

 触手は氷の中に閉じ込められ、人魚が暴れると、そのまま千切れた。

 蘆屋はふところから鶴を取り出し、それを巨大化させた。

 飛び乗って水上を走り、人魚の背後へ回ろうとする。

 人魚は首を曲げ、汚物のかたまりを吐き出した。

「!」

 蘆屋は鶴から跳ねて、その攻撃をかわした。

 汚物は鶴の羽に命中し、軌道が変わった。

 落下する直前、蘆屋はひらいた扇子を水面に投げた。

 そのうえに着地し、体重を操作した。

 人魚は右腕の爪でそれを襲った──瞬間、背中に強烈な気弾が命中した。

 悲鳴と血しぶき。ふりむいた人魚の前には、清美がいた。

 清美はべつの鶴に乗り、反対側へ回り込んでいたのだ。

 清美は触手の攻撃をよけながら、蘆屋を回収した。

「へへん、ボクとみっくんのコンビネーションを舐めるなッ!」

「清美さんッ! 危ないッ!」

 突然の重力。清美の視界は水におおわれた。

 清美はあわてて手足を動かし、水面に顔を出した。

「げほッ! げほッ! な、なに今の……ぐぼッ!?」

 ふたたび水に引きずり込まれた。

 足になにかが絡みついている。

 下を向くと、人魚の下半身からも細かい触手が伸びていた。

 ウロコのいくつかが剥がれ、そこからボウフラのように繊維が出ていた。

 それが何本も束になって、彼女の足首を引っ張った。

 清美はその触手を切断しようとした。

「!?」

 ふいに周囲が暗くなった。

 清美は咄嗟の機転で、上ではなく下へ逃げた。

 水面を叩く音が聞こえ、清美の体は水底へと押し流された。

 しかし、判断はまちがっていなかった。人魚が腕を突っ込んできたのだ。

 刃物のように伸びた人魚の爪は、清美の衣服を間一髪のところでかすめた。

 けれども、窮地にいることには変わりがなかった。

 だんだんと呼吸が苦しくなってくる。

 人魚はそれを見越したかのように、水中深くに体を沈めた。

 尾がゆらめき、振り回された清美は、上下がわからなくなった。

 肺が空気を求める。口から気泡があふれそうになった。

(息が……ッ!)

 肺がしぼみかけたとき、その口をひとつの手がふさいだ。

 蘆屋だった。蘆屋はそのままくちびるを奪うと、舌を入れた。

 なにか不思議な感触のものが、口内に入った。

 清美はスッと息が軽くなった。

(呼吸ができるッ!)

 水を抜いたときと、逆の原理だ。そのことに清美は気づいた。

 例の黒い物体が、舌の上でべつの場所とつながっていた。

 蘆屋はすこし離れて、ジェスチャーで作戦を伝えた。

 それは、日本で打ち合わせておいたもののひとつだった。

 清美はうなずき、足に絡まった触手を切断すると、蘆屋と分かれた。

 手から気を放ち、それを推進力にした。

 水面には上がらなかった。

 蘆屋は時計回りに、清美は反時計回りに、人魚の周囲を旋回した。

 にわかに、ふたりの体から大量の気泡があふれた。

 その泡におおわれて、ふたりの姿は見えなくなった。

 人魚は潜水し、やみくもに攻撃を開始した。

 両腕で水をかきまわし、無数の触手が魚雷のように走った。

 当たった感触がないと悟った人魚は、その場で回転を始めた。

 渦が生まれ、気泡を飲み込んでいく。

 ふたりはそのタイミングを見計らって、水中から飛び出した。

「「えんッ!」」

 巨大な爆発音とともに、地底湖が揺れた。

 飛び散る肉片と血しぶき。

 気のかたまりを盾にしたものの、衝撃を防ぎきれなかった。

 清美は後方へ吹き飛ばされ、そのまま壁に激突した。

「清美さんッ!」

 やや離れたところから、蘆屋が駆け寄った。

 清美を抱き起こし、安否を確認した。

「お怪我は?」

「ご、ごめん、受身をまちがえちゃった……」

 清美は腹部に手を当てたまま、

「人魚は?」

 とたずねた。

 蘆屋は、地底湖のほうへ視線を向けた。

 血が水面に広がっていた。ところどころ、肉塊と思しきものも浮いていた。

「砕け散ったようです」

 水素爆発──いかずちの術で水を電気分解し、あたりに水素を充満させる。

 それに火をつければ、酸素と反応して大爆発を起こすという仕組みだ。

 もともとは、対アナスタシア用の作戦だった。

「えへへ、ってことはボクたちの勝ちだね……セキュリティシステムは?」

「水を抜けば、見えるかと……むッ」

 異音。目の前で、地底湖に渦ができた。

 蘆屋は清美を両腕で抱いた。

 まさか2匹目がいるのではないかと、ふたりは息を呑んだ。

 けれどもそれは杞憂で、地底湖は見る見る干上がって行った。

 ふたりは立ち上がり、中をのぞきこむと、底に緑色のクリスタルが見えた。

 海藻におおわれた台の上で、あやしく輝いていた。

 蘆屋はそれを破壊するため、手のひらに気を溜めた。

 そして、ふと悲しげな表情を浮かべた。

「あの人魚は、夢の国の生体実験だったのでしょうか……どうか、安らかに」

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