第15話 ヒッグス砲、不発
波打つ海面が、騒がしく渦を巻き始めた。その渦の底から、銀色の鱗をまとった生き物が、細い体を伸ばした。漏斗のように引き込まれる海水に逆らって、天へのぼる。神話にしか存在しないはずの生き物、一匹の竜が、2本の雄々しい髭をなびかせながら、天へと昇っていった。
その竜の鼻先に、ひとりの少年が立っていた──蘆屋だ。開襟シャツから色白の胸元をのぞかせ、上昇する竜にその身を任せていた。濡れた髪から、海水がしたたり落ちる。
クレムリンのサーチライトが、一瞬だけ少年の顔を照らし出した。
「王殿、あとはわたくしにお任せを」
蘆屋は竜の鼻先を蹴りあげ、クレムリンの船底へと飛翔した。揺らめくサーチライトの柱をかいくぐりながら、船底の主砲に向かい、その華奢な腕を伸ばした。
そして両手で印を結ぶと、目のまえに迫った主砲の先端に、そっと触れた。
「破ッ!」
蘆屋の指先から青白い光が発せられた。それは一瞬にして消え、蘆屋は主砲の左右から伸びる連結パイプの片方に腕を掛けると、そのまま一回転してその上に飛び乗る。
片腕と片膝をついてバランスを取った少年の後ろで、竜の体が空に舞った。
竜は勢い余ってクレムリンの上方を旋回した後、その姿を消した。
いや、消したのではない。元に戻ったのだ。人間の姿に。
竜は王桀紂だった。
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クレムリンの司令室は非常灯に切り替わり、四方の壁が赤く染まった。
緊急事態を告げるアラームが、けたたましく鳴り響いていた。
ラスプーチンは椅子から腰を上げ、怒鳴りつけるように尋ねた。
「どうしたッ!? 何があったッ!?」
部下はパネルを操作しながら、大声で答えた。
「しゅ、主砲付近に異常なエネルギー反応ッ!」
「なにィ!? カメラを繋げッ!」
ラスプーチンの命令が早いか、スクリーンのカメラアングルが切り替わった。
そこに映し出された光景を見て、ラスプーチンは目を見張った。
「アシヤに……ワンだとッ!?」
白いシャツに黒い長ズボンという質素な出で立ちの少年と、金糸細工の豪華な赤い服をまとった男が、砲塔のそばに立っていた。蘆屋の妨害は予期していた。しかし王の登場は完全に計算外だった。
ふたりはカメラに気付いていないのか、それとも最初から気にも留めていないのか、静かに遠くを見つめていた。
ラスプーチンは拳をにぎりしめ、椅子の背もたれに叩きつけた。
「まさかワンの奴が噛んでいるとは……ッ!」
蘆屋の存在に気づいていながら、対策を取らなかったラスプーチン。油断していたわけではなかった。蘆屋がクレムリンを攻撃すれば、それによって妖力を消耗し、他の幹部級と互角に戦うことができなくなる。そこをラスプーチンが叩く計画だったのだ。重力子砲を持ち出したのも、そのまま島が消滅してくれればよし、蘆屋が無理な攻勢に出てもくれてもよしの、リバーシブルな作戦のはずだった。
だが2対1では、その反撃も不可能だった。勝てる保証がなかった。
「主砲は無事かッ!?」
ラスプーチンの命令を待つまでもなく、部下は船体の安全を確認していた。
「は、はいッ! 破壊された形跡はありませんッ!」
おかしなことだが、ハード部分には異常が認められなかった。
オールグリーンだ。
ところが、パラメーターに目を向けた瞬間、兵士の顔が凍りついた。
「エ、エネルギータンクに異常ありッ! 充填率……120%!?」
部下の報告に、ラスプーチンは身を乗り出した。
「しまった! その手で来たか!」
限界までエネルギーを溜めた重力子砲に、余分な力を加える。蘆屋たちの意図を見抜いたラスプーチンは、すぐさま対策を練った。
「射出してエンルギーを解放しろッ!」
ラスプーチンの命令に、部下は発射レバーへと手をかけた。
ところが先ほどの攻撃で、緊急ロックがかかってしまっていた。
ボタンが反応しない。
「だ、駄目ですッ! エネルギーが逆流していますッ! このままでは機関部がッ!」
「おのれぇ! ……主砲を切り離せッ! 海中に投棄しろッ!」
「主砲分離ッ! 海中に投棄しますッ!」
ラスプーチンの指示に従い、部下は切り離し作業に取りかかった。
緊張した空気が、艦内をおおっていた。
スクリーンに視線をもどすラスプーチン。
蘆屋と王の姿は消えていた。
「ジョイントの分離に成功ッ! 5秒後に落下を開始しますッ!」
部下の声にうながされ、ラスプーチンは最後の指示を出した。
「光学迷彩起動ッ! 全力で戦線を離脱ッ! ……アシヤとワンめ、覚えていろッ!」
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足もとから吹きつける風に、蘆屋の前髪がなびく。
その前方には、垂直落下する王の姿があった。
2人は主砲の爆発に備え、クレムリンから飛び降りたのだ。
王は冷たいまなざしで、蘆屋に語りかけた。
「お見事でした蘆屋様……とはいえ……」
王は、遠ざかる船底を見あげた。
「さすがに爆破とはいかないようですね……砲台が落ちてきますよ」
砲身ゆっくりと傾き始めた。
蘆屋は王を見つめ返した。
「王殿、ここは鳥になって私を……」
蘆屋の提案に、王は不気味な笑みを浮かべる。
その笑いの意味を、蘆屋は一瞬にして悟った。
「共闘するとは申しましたが、共逃するとは申しておりません……では」
「!? 王殿ッ!」
蘆屋の叫びとほぼ同時に、王は一羽のカモメになった。スッとその場から飛び去る。
蘆屋は舌打ちをし、足下を見やる。
海面が近付いてくる。上方からも主砲が落下し始めていた。
蘆屋はポケットから一羽の折り鶴をとりだした。
手のひらに乗せ、フッと息を吹きかけた。
折り鶴は手のひらから舞いあがり、パラグライダーの大きさまで巨大化すると、まるで意志があるかのように蘆屋の足下に移動した。
蘆屋がそれに飛び乗った瞬間、折り鶴は海面すれすれを滑走した。左右の羽に水飛沫の壁ができた。その壁が数十メートルほど伸びたところで、蘆屋の背後に主砲が落下した。
水柱が立ち、水滴が蘆屋にふりそそいだ。
「くっ……!」
折り鶴がバランスを失いかけた。蘆屋はそれを制御しながら、白い歯をみせた。
水柱はすぐにやみ、あとには巨大な波紋がひろがった。
蘆屋は息をつき、遥かかなたの七丈島を展望した。
街の灯りが、星のように輝いて見えた。
「プロトタイプどもに逃げられていなければよいが……ッ!」
蘆屋は折り鶴の足を速め、七丈島へと向かった。
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ほがらは忍の案内で、最初の格納庫にもどっていた。
清美、ともえ、かおるもいっしょだった。
破壊された天井から、星明かりがのぞいている。
だが照明はなかった。
ほがらは目をこらしながら、
「真っ暗だわ……」
とつぶやいた。
忍は足をとめた。
「待ってください。灯りをつけます」
数秒後、ポッとほがらたちの目のまえが明るくなった。
忍が非常灯のスイッチに指を伸ばしていた。
清美は、
「で、どうやって脱出するの?」
とたずねた。ほがらは、
「脱出もなにも、島には結界が張られてるんでしょ? 逃げ道がないわ」
と言い、天をあおいだ。
すると忍が、
「その点ならご心配なく。結界は30分ほどまえに消滅しました」
と答えた。
「結界が消えた? ……どうして?」
「分かりません」
忍は滑走路に足を向け、戦闘機へと近づいた。
1時間ほどまえに、ほがらたちが見たものだ。
幸いなことに、天井が崩されたのは別の滑走路だった。戦闘機と発射口を結ぶ線は無傷のまま残されていた。かおるは天井を見上げながら、
「奇跡……ってわけじゃなさそうね」
とつぶやいた。
戦闘機と滑走路の上方は、念入りに鋼材で補強されていた。
かおるは「もしかして攻撃を予見してたの?」とたずねた。
忍はなにも答えず、戦闘機のタラップを降ろした。
「さあ、乗ってください」
忍は搭乗口も開けた。
ほがらはあっけにとられた。
「操縦はだれがするの?」
「操縦はわたしがします」
「忍ちゃんが? ムチャ言わないで?」
「こうみえてもベテランパイロットなんですよ」
ほがらはそれ以上、質問しなかった。
おかしなことの連続で、感覚がマヒしていたこともある。
だがそれ以上に、ジャンのことが気になっていた。
「ジャンと合流するまではダメよ。まずはジャンを見つけて……」
そのときだった。入り口に人影があらわれた。
全員が戦闘態勢をとる──正体は博士だった。
博士はジャンを肩でかついでいた。
「ハァ……ハァ……黄山ならここだ」
入口で、博士の声がした。
ほがらは先ほどのことを思い出し、思わず身構えてしまう。
しかし、こんどこそ本物のようだった。
「は、博士! 無事だったんですか!」
かおるが大声を出した。
内心、かなり心配していたのである。
案外にファザコンなんだからと、他の3人が苦笑する。
「ああ、後ろから殴られて、脳震盪を起こしただけだ……それより……」
博士はジャンに視線をうつした。
ジャンは変身を解き、もとの体操服姿にもどっていた。
「黄山は左腕を骨折している……応急処置は施したが、安静にしてやってくれ」
博士はジャンをほがらたちに引き渡した。
かおるはジャンの右肩を支えながら、
「博士は? もちろん一緒に来るんですよね?」
と確認した。
「ワシはここに残る」
かおるの顔色がくもった。
忍もおどろいて、
「なにをおっしゃっているのですかッ! 島が消滅するのですよッ!」
と大声を出した。
博士は忍を落ち着かせるように、ゆっくりと先を続けた。
「クレムリンのエネルギー反応が消えた」
その場にいた全員が、声にならない声をあげた。
ほがらは目を白黒させながら、
「ど、どういうこと? 結界も消えたし……まさか、そろって逃げた?」
と混乱していた。かおるが口をはさむ。
「蘆屋が逃げたとは思えないわ。飛行機で脱出するところを狙って、いきなり結界を張るつもりなんじゃない? クレムリンだって、気配を消しただけかもしれない」
かおるの疑念を、博士は否定した。
「それはない。あれだけの結界を張るには、相当な時間がかかる。重力子砲も同じだ。おそらく蘆屋とクレムリンとのあいだで、なにかあったのだと思う。悪の組織には、縄張りというものがあるからな……いずれにせよ、油断はできん。おまえたちはこの島を脱出しろ。ワシのことは心配するな。おまえたちに渡した変身用のブレスレットは、まだ試作品に過ぎん。研究データの搬出に時間がかかるだけだ。すぐにあとを追う」
かおるはやや納得がいかないという表情で、すごすごと身を引いた。
その代わりに、ほがらが口をはさんだ。
「じゃ、じゃあ……私たちの指揮はだれがとるの?」
「それは私が引き受けよう」
入り口にもうひとつの人影があらわれた。警備員のようなかっこうをしていた。
こんどこそ見知らぬ人物で、その場の全員がみがまえた。
「やれやれ、君たちは本当に忘れっぽいんだな」
そう言うと男はパッと姿を消し、小さな光の玉に生まれ変わった。
ほがらは「ニ、ニッキー!」とさけんだ。
博士は初対面だったこともあり、絶句していた。
ほがらがニッキーを紹介しても、しばらく信じなかったほどだ。
「地球外生命体……? ほんとうに?」
「あなたがドクター・オユノミズですね。わたしはニッキー。お見知りおきを」
博士はそれでもなにか言おうとした。
が、けっきょくほがらたちを信用することになった。
博士は戦闘機をゆびさし、
「さあ、はやく乗るんだ」
と催促した。
ほがらたちは不承不承、戦闘機の座席に分乗した。
最後尾になったかおるは博士をふりむき、最後のあいさつを交わした。
「お元気で」
「うむ、おまえたちもな」
かおるが機内に収まると、自動的にハッチが閉まった。
発射口はひらいてある。忍は操縦席に腰をおろし、後部座席の安全を確認した。ほがらたちのために作られたらしく、ちょうど5人分の座席が用意されているのだが、空間的にかなり無理をした設計だった。
「シートベルトを締めてください。黄山くんの分もお願いします」
清美がジャンのシートベルトを締め終えると、忍は操縦桿に手をやった。
計器を確認したあと、姿勢を正し、エンジンのスイッチを入れた。
耳をつんざく音が左右から鳴り響き、不快な震動がほがらたちのお尻をおそった。
「計器、オールグリーン。発進します」
カタパルトが作動し、機体が一気に射出された。
滑走があると思い込んでいたほがらたちは、心臓が止まるかと思うほどおどろいた。
風景が消し飛び、異様な重力で頭がおかしくなりそうになる。
機体は爆音をひびかせながら、一気に港をはなれた。
6人と光の玉を乗せたそれは、まるで流れ星のように、夜空へと消えて行った。




