第157話 狂ったお茶会
青いじゅうたんの敷かれた部屋で、初老の女性が窓のそとを眺めていた。
落ち着いた赤のスーツを着た彼女は、ヒスパニックと思しき容貌をしていた。
窓には金色のカーテンが飾られ、向かって左には星条旗が立てかけられていた。
執務机は年代物だった。そのうえには、一冊の本と数枚の書類だけがおかれていた。
彼女のうしろには黒人男性の軍人ともうひとり、白人の女性が立っていた。軍人はスキンヘッドで恰幅がよく、胸の勲章が彼の地位とキャリアを物語っていた。白人女性は40代前半で、目に強い意志があり、緑のカジュアルスーツを着ていた。
軍人はまえに出ると、やや緊張感のこもった声で、こう告げた。
「大統領、さきほど国道191号線で爆発があり、道路が封鎖されました」
話しかけられた大統領は、ふりむかなかった。
軍人はもうひとりの女性──大統領補佐官に目配せした。
補佐官はおちついた調子で、
「アイダボ、モンタナ、ワイオミングの各州知事に、州兵の派遣を依頼可能です」
と簡潔に報告した。
大統領は沈黙を守った。
ふたたび軍人が動いた。
「陸軍からはグリーンベレーも出動できます。ユタ州の第19特殊部隊が待機中です」
大統領は窓のそとを見ていた。青い空と、この国の歴史を。
ふたりの部下はおたがいに目配せした。軍人がもういちど話そうとしたとき、大統領は初老の女性らしい深く澄んだ声を発した。
「ロシナ・ビーはMr.大統領を倒せると思いますか?」
ふたりはしばらく沈黙した。女性補佐官が口をひらいた。
「NSAの分析では互角とのことです」
「合衆国の歴代大統領が手をくだせなかったあいてに互角、と? 一介の少佐が?」
補佐官は口をすぼめ、ややシビアな顔をした。
「科学技術は進歩しています。ビー少佐が極秘に開発したESP兵器は、軍のデータベースには登録されていませんが、NSAの予測では実戦に耐えるレベルです。率直に申し上げまして、千載一遇のチャンスかと」
「つまり、あなたたちはこう言うのですね? 軍紀に違反したロシナ・ビーを拘束するためではなく、Mr.大統領を抹殺するために軍を動かせ、と?」
「……はい、それが大統領主席補佐官としての意見です」
軍人もうなずいて同調した。
大統領は目を閉じる。
彼女は今、就任以来最もむずかしい決断をせまられていた。
「……わかりました。州知事およびスミス陸軍中将に伝えなさい。Go ahead now」
○
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ひとけのない森の中、ゲンキは急斜面に悪戦苦闘していた。
トラックの爆発に巻き込まれる寸前、ゲンキは大統領の能力で車から脱出した。
ステッキも無事で、ほがら用の着替えも大統領が運んでくれた。
ゲンキは息を切らせながら、前を行く大統領に話しかける。
「でたらめに歩いててだいじょうぶなのか?」
大統領はふりむきもせず、
「でたらめではない」
とだけ答えた。
「さっきの攻撃はアメリカ軍?」
「正確には私兵だ」
「私兵?」
アメリカ軍の指揮系統から離れて行動している部隊がいる、と大統領は教えた。
「なんでそんなことしてるんだ? ヘタしたら裁判にかけられるだろ?」
「ヘタをしなくても軍法違反だ」
「だったらなんで……」
大統領は、静かにしろと手で合図した。
手近な木のうしろに隠れる。
ゲンキも黙ってそれに合わせた。
しばらくして、ヘリの飛行音が聞こえてきた。
それはゲンキたちの頭上を通過し、山の奥へと消えた。
「やはりな。敵もクアナを追っている」
「だったら急がないとマズいぞ」
「……ここで分かれよう」
ゲンキは眉間にしわを寄せた。
「分かれるって……俺はどうするんだよ?」
「ビーは我々の行動を予測している」
「ビー?」
「無断で軍を動かしている張本人だ」
なぜその名前を知っているのか、ゲンキは不審に思った。
だが今はそれよりも訊きたいことが山ほどあった。
「俺は能力者じゃないんだ。あんたみたいに飛んだりできない」
「それでいい。クアナの救出には私が向かう。おまえはおまえで考えて行動しろ」
ゲンキは両腕をひろげて抗議する。
「俺ひとりじゃムリだ。なにもできない」
「ゲンキ、おまえは第4のファクターだ。私、ビー、キングはこれから三つ巴になる。それを攪乱するのがおまえの役目だ。だれにも予測できない事態を起こせ。それが敵の作戦を根底からくつがえす力になる」
「待て、意味がわから……」
大統領は、その大きな手をゲンキの肩においた。
「ビーとキングはクアナの確保に失敗した。なぜだ? おまえがいたからだ。やつらの計画には、おまえという存在が考慮されていなかった。ゲンキ、おまえはすでによくやっている。自信を持て」
場当たり的な励ましなのか、それとも本気で言っているのか、ゲンキには見当がつかなかった。
「それと、これを渡しておく」
大統領は小さなUSBメモリのようなものをさしだした。
「なんだ?」
「双性者用のチェッカーを回避する装置だ。航空機事故のとき、チェッカーを回収して分析させた」
ゲンキは黙ってそれを受け取った。
大統領は一歩さがる。そして目にもとまらぬ速さで、その場から消え去った。
あとに残されたゲンキはしばらく途方に暮れたあと、ほがらに変身した。
木の陰で着替えを済ませる。ステッキを腰にさし、地図をひろげた。フューチャーフォンの地図アプリもたちあげた。
しばらくにらめっこしたほがらは、山道らしきものが近くにないことに気づいた。
「まさかここで野垂れ死にさせる気じゃないでしょうね……」
ほがらは天を見上げた。
するとさきほどのヘリの音が聞こえた。
あわてて木陰にかくれる。うまくやり過ごせたと思った瞬間、うしろで声がした。
「おい、そこの女、なにをしてる?」
ふりかえると、ふたり組の猟師が立っていた。
肩に銃をかけ、じっとこちらをにらんでいる。
ほがらは地図を持ったままかたまった。
「え、あ、えーと……道に迷っちゃって……」
猟師のひとりはけげんそうな顔をした。
「道に迷った? ここにハイキングコースはないが?」
「近道しようとして……ほら、なんか有名な滝があるみたいで……」
ほがらの弁明をよそに、猟師たちはひそひそ話をした。
サングラスをかけたほうが、ポケットからライターのようなものをとりだした。
カチッとスイッチを入れる──なにも起こらなかった。
そしてそれが合図だったかのように、ふたりの猟師は圧を弱めた。
(なるほどね……猟師のふりをした兵士ってわけか)
ほがらは、このふたりがビーの部下だと気づいた。
「ここは観光スポットじゃあない。早くパパママのところへ帰りな」
男たちはそう言うと、その場から去ろうとした。
ほがらはここで賭けに出た。
「ねぇ、道があるところまで連れて行ってくれない?」
ふたり組はおたがいに顔をみあわせた。
サングラスの男は肩をすくめた。
「おじょうちゃん、俺たちは忙しいんだよ」
「うーん、そっかぁ……昨日、キャンピングカーのなかで緑色の流れ星をみたから、このへんに落ちてないかなあ、と思ったんだけど」
ほがらのひとり芝居に、ふたり組は表情を変えた。
サングラスの男は、
「おい……まさか……」
と相方に視線をむけた。相方はトランシーバーをとりだした。
「こちらSK、応答願います」
《こちらQB、どうぞ》
「緑色の流れ星をみたという女の子をみつけました。どうぞ」
そのあと何度かやりとりがあって、トランシーバーの男はほがらのほうをむいた。
「おじょうちゃん、その流れ星の落ちた方角を教えてくれないかい?」
「んー、森のなかからだとよくわかんない」
ふたり組はもういちど話し合った。
サングラスの男がうなずき、ほがらに話しかける。
「おじさんたちといっしょにさがそう。めずらしい隕石かもしれないぞ」
ほがらは内心小躍りした。
同時に、引き返せない地点まで来てしまったとも思った。
腰のステッキに願をかけながら、ほがらは兵士たちのあとについて行った。
○
。
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王はコテージの食堂で、ささやかなお茶会の準備をしていた。
席はふたつ。向かいがわの椅子にはだれも座っていない。
テーブルのうえには木製の茶盤がおかれ、わきには茶壷と茶海、それに茶杯があった。
王は鉄瓶で湯をわかし、その蒸気の音に耳をすませていた。
コンコン
ドアをノックする音。
王は席立ち、客人を招き入れた。
ドアのむこうにはタキシードに片メガネの紳士──不死伯が立っていた。
「このたびはお招きいただき、光栄です」
不死伯は胸に手をあてて、いんぎんに会釈した。
王は感じ入ったようすもなく、淡々と不死伯を席につかせた。
おもむろに道具一式へ湯をそそぎ、それからその湯を捨てた。
茶葉を入れ、熱湯をそそぎなおし、蓋をして茶壷に湯をかけた。
蒸らしているあいだ、無音よりも深い沈黙が場をおおった。
不死伯はふところから葉巻をとりだした。
「よろしいですか?」
「味に頓着なさらないのであれば」
不死伯は葉巻をみつめ、ふところに仕舞いなおした。
1分ほどして、王は茶を茶海に移し、すぐさまふたつの茶杯へ交互にそそいだ。
色が均質になったところで、王は茶杯を不死伯のまえにさしだした。
「どうぞ」
不死伯はひとくち飲み、軽く息をついた。
「メアリー様のところでいただくお茶よりは、肩がこりませんな」
王もじぶんの茶杯を手にとり、ひとくち飲んだ。
そしてこうたずねた。
「あなたはヨーロッパにいたはずですが、どのような心変わりで?」
不死伯は口ひげをなで、茶杯をテーブルにおいた。
カタリという小気味よい音がひびき、そのあとを静寂がおそった。
「お答えいただけない、と?」
「あまりにも単刀直入にたずねられたもので……機密とはお考えにならないので?」
王はしばらく間をおいた。
その間のおきかたは、常人ですら勘づく殺気を含んでいた。
「伯爵、あなたは組織を渡り歩き、特定の幹部に仕えていません。なぜそのようなことが許されているのか、不思議に感じることがあります」
不死伯は笑った。
「私が不死身であることは不思議に思われないのですか?」
「あなたが不死身かどうか、朕は存じあげません。似たような人物が入れ替わっている、という噂も耳にしています」
「私は正真正銘の不死身です」
その回答に、王はするどいまなざしを向けた。
不死伯はほほえみで見つめ返した。
「あなたはまるで幹部のように振る舞うのですね」
「いえいえ、私は一介の悪にすぎません。ただ、今ご存命のかたがたよりも長生きなもので……あなたさまは120歳ほどでしたか。ヨーロッパのご婦人がたと比べると、まだお若いですな」
王はそのセリフを受け流した。
「率直に訊きましょう。あなたはルシフェル様を裏切るつもりではないでしょうね?」
王がこれまで集めた情報は、不死伯に謀反の可能性があることを示していた。
双性者に新型リストウォッチを手配したこと。
ジャックにふりかかった殺人容疑の裏で暗躍していたこと。
そして今回、無断で渡米したうえ、どの組織にも協力していないこと。
返答次第では、王は不死伯をこの場で処分するつもりだった。
不死伯はわざとらしくタメ息をついてみせた。
「王様、私の年齢をあてられますか?」
王は軽蔑のまなざしをむけた。
「なにを言いたいのです?」
「純粋な質問です。あなたは私をお疑いですね。私にも沈黙の非があるかもしれません。けれどもそれは、私の役割をこれまで秘匿していたことによるものです」
「役割?」
「私がサン・ジェルマンと名乗って欧州を旅していたのは、300年ほど前のことです。私はその頃生まれたのでしょうか? いいえ、ちがいます。それ以前から……そう、オルレアンの魔女や吸血姫が生まれる以前から、ルシフェル様のお手伝いをしていたのです」
王はにわかに信じられなかった。幹部ですら代替わりするというのに、世代を超えて活動する流れの悪人がいるとは思えなかったからである。
王はその疑いをすなおに口にした。
「幹部よりも長生きする者はたしかにいます。朕の組織の天和はそうです。朕が幹部になるまえ、彼にはさまざまなかたちで助けてもらいました。しかし、あなたの話は荒唐無稽です」
不死伯はお茶を飲みほし、空になった茶杯をおいた。
葉巻をとりだし、それを手に持ったまま、
「私の年齢をあてられますか?」
と、おなじ質問をした。
王は気を溜め始めた。
不死伯はおびえるようすもなく、葉巻の先端を王のほうへむけた。
「2000歳よりも上だとはお考えになられないのですか?」
沈黙──王はその数字の意味に気づいていた。
不死伯は葉巻をナイフで切り、火をつけて一服した。
濃厚な煙があたりにただよう。
「私はあの御方に会ったことがあるのですよ」
「……」
「信じられないというお顔ですな。それもけっこう。まあお聞きください。ルシフェル様はあの御方に敗れて裏バチカンの地下に軟禁されています。そしてその力を分有した幹部たちが、世界の悪のバランスを維持しているわけです。幹部は長生きですが、数百年単位で交代しています。後継者を指名することもあれば、いったん内戦に入ったあとで決まることもあります。あなたさまの場合は後者でしたな……しかし、私はもっと長生きです。なぜでしょう?」
王は不信の感情をこめながら、
「あの御方から直接力を分け与えられた、と言いたいのですか?」
と返した。
「ご明察です」
反論はいくらでも可能なように思われた。
あの御方から選ばれたのであれば、それは幹部よりも高位であることを意味する。
目のまえの不死伯に、そのような威厳も実力もなかった。
そもそも証拠がないのだ。すべては不死伯が自称しているにすぎない。
「仮にそれがほんとうだとして、あなたの役割とはいったいなんなのですか?」
「バランスのコントロールです。あなたたち幹部は、一致団結して夢の国に対処する約束をしておきながら、じっさいには足並みがそろわない。それもムリからぬことです。外部から統制されない関係は、けっきょくのところまとまりようがないのですからな。わたくしはその不安定なバランスに、ちょっとした力を加える役目を負っているのです」
「どのようにして? あなたには戦闘能力がからっきしありません」
「単純なことです。例えばリストウォッチ……ええ、そのごようすですと、私が双性者に強化版リストウォッチを渡したことをご存じのようですね。そのリストウォッチのおかげで、双性者たちがあなたやエミリア、ラスプーチンに総取りされることがありませんでした。双性者はひとりずつ、幹部で分配することになったのです。双性者が特定の幹部にかたよった場合、その争奪戦が始まるおそれがありましたね。私はそれを防ぎました」
「吸血姫は納得していないようですが」
不死伯はそれを認めるかのように、かるく肩をすくめた。
「もちろん完璧にというわけにはいきません。しかし、私が強化版リストウォッチをあの赤い少年と黄色い少年に渡さず、ふたりがどこかの組織にまとめて拉致されるよりはマシだったはずです」
「では、イギリスのジャックの身辺で工作をしているのも、バランスのためだと?」
不死伯は笑った。葉巻をもういちどふかす。
「さすがは王様、そこまで把握されていますか。左様です。あの犯人は私です」
「つまり殺人犯であることを自白するのですね?」
「悪の組織で殺人は日常茶飯事かと思いますが?」
「目的は?」
「後継者の指名をうながすためです。メアリー様はいったいどういうおつもりなのか、後継者を指名なさらない。実子のジャック様がいらっしゃるのに、です。目下の状況でイギリスの後継者が不在となれば困る、と判断しました」
たしかにその件は、王にとっても懸念事項だった。
血塗れメアリーはもう先が長くないと、もっぱらのうわさになっている。
彼女の後継者の指名は、ほかの組織にとっても重要なことがらであった。
やや前のめりになっていた王は、スッと身をひいた。
「すべて作り話……ということも考えられます」
不死伯は「ええ」と言い、葉巻をくわえたまま黙った。
重苦しい空気が流れる。王は今までの情報をすべて吟味しようとしていた。
「……ひとつうかがいます、あなたはなぜアメリカに来たのですか?」
そのとき、寝室でガラスの割れる音がした。




