第14話 牛鬼退治
「虫けらどもがッ! さっさと俺様の下敷きになれッ!」
ほがらの背後で、倉庫が崩れ去った。
後方から飛んでくる瓦礫の破片をよけながら、ほがらは全力疾走した。
すこしうしろで、かおるが息を切らせ始めていた。
「かおる! もっと速く走りなさい!」
「ハァ……ハァ……んなこと……言ったって……」
喋るとますます息があがった。
かおるはいつもの軽口をやめて、走ることだけに集中した。
背中ごしに聞こえる足音が、だんだんと近づいてくる。
ほがらと違って、かおるは体力に自信がなかった。正直なところ、体育もあまり好きではなかった。中でもマラソンは大嫌いだ。巨大化した怪人と持久走をしろと言うのは、彼女にとって酷な話だった。
とはいえ、牛鬼は牛鬼で、左右にひしめく倉庫を破壊しながら進むという、怪獣映画顔負けの作業を強いられていた。まだ彼女との距離には余裕があった。
「かおるッ! そこを右ッ!」
十数メートル先が十字路になっていた。
ほがらは勘で右をえらび、左脚に力を込めて曲がり角をドリフトした。
そして、ぴたりと脚がとまった──行き止まりだ。
じぶんの勘を呪ってふりむいたが、反対側も行き止まりだった。
袋小路に入ってしまったのだ。
「うっそ……」
「ちょッ!」
勢い余ったかおるが、ほがらの背中に突っ込んだ。
ぽよよんと頭の輪っかがゆれた。
倉庫の屋根が崩れ落ち、唖然とするほがらのそばをかすめた。
牛鬼の巨体が、夜空をおおうようにあらわれた。
「ぐふふ……ここまでのようだな……」
ニヤリと笑った口もとから、白い歯がのぞいた。
「さて……どんなふうに殺してほしい? ひと思いに踏み潰されるか、それとも……」
牛鬼は右手をあげ、五指の関節をポキポキと鳴らした。
「じわじわと絞め殺されたいか?」
「……どっちもごめんよッ!」
ほがらの強気な態度に、牛鬼は鼻でせせら笑った。
「ぐふふ……選択肢を与えてやったのに無視か……いいだろう……」
牛鬼はふたりにむけて両腕を伸ばす。
「ならば、ふたりとも喰ってやろうッ!」
「そこまでですッ!」
夜空に女の声がひびきわたった。
牛鬼は腕をとめて、周囲をみまわした。
「その声……さてはあの忍者か?」
視界の端でなにかが光った。
反射的にふりむいた牛鬼の目に、小さな痛みが走った。
「うおッ!?」
いくら巨大化しても、目の角膜は強化できなかったらしい。
牛鬼は右目を押さえて、そのままうしろに倒れこんだ。
腰を乗せられた倉庫が、音を立てて崩れた。
特撮セットのような光景をよそに、ほがらたちは声の主をさがした。
小さな影が颯爽と屋根をつたい、月明かりに透けてみえた。
「忍ちゃん!」
「ほがらさん! かおるさん!」
忍は地面に着地した。
ほがらとかおるも駆け寄って、おたがいの無事を確認しあった。
ほがらはコウモリ女がどうなったのかをたずねた。
「ぼこぼこにしてやりました。それよりも、早くこちらへッ!」
忍は倉庫の壁をゆびさした。
さきほどの崩落で、ちょうど人の通れそうな穴があいていた。
3人はそこへ飛び込もうとした──が、一瞬遅かった。
牛鬼の手がとびだして、穴を塞いでしまった。
「ぐふふ……ここは通さん……」
牛鬼の赤い目が光った。右目に痛みが残るのか、まぶたをひくひくと動かしていた。
脱出口を塞がれた3人は、寄りそいながらうしろにさがった。
「さて、メニューが増えたわけだが……どいつから喰って欲しい?」
牛鬼はぺろりと舌舐めずりをした。
跳ねたヨダレが、べちゃりとほがらたちの顔に散った。
忍は小太刀をにぎりしめ、
「ここは私が引き受けますッ! ほがらさんたちは格納庫へ急いでくださいッ!」
ほがらはおどろいて、
「なに言ってるのッ!? 忍ちゃんこそ先に逃げてッ!」
「私が生き残っても意味はありません。未来に必要なのは、プロトタイプである貴女たちです。政府からもそのように指示を受けました。さあ、早くッ!」
忍はほがらたちを押しのけ、一歩まえに出た。
とんだ茶番だと、牛鬼はさげすみの表情を浮かべた。
「なんだそれは? お涙頂戴か? まあいい……据え膳喰わぬはなんとやらだ……おまえから喰ってやろう」
牛鬼は忍の体へ手を伸ばした。
どうにかして隙を作らなければ──忍は、捨て身の構えをとった。
その瞬間、忍の肩越しに青い光が放たれ、牛鬼の眼球を襲った。
「モオオオオッ!」
牛鬼の絶叫。
光線を撃ったかおるが、いち早く駆け出した。
「今のうちよッ!」
3人は暴れ回る牛鬼の股ぐらをくぐり抜けた。
脱出成功! そう思った3人は、はたと脚を止めた。
積み上げられた瓦礫の山が、どこまでも続いていた。
もはや通路などと呼べるスペースは、どこにもなかった。
背後で、牛鬼の咆哮が空気を波打たせた。
それはもはや、痛みを訴える声ではなかった。怒り狂った獣のそれだった。
「殺すッ! 殺してやるッ!」
牛鬼は右目から血をしたたらせ、3人に殺意のまなざしを向けた。
鼻から白い噴煙が舞い、牛鬼の燃えさかる怒りがあたりに吹き荒れた。
「死ねえええッ!」
牛鬼の腕が振りおろされ、地面に激突した。
筋肉が緊張し過ぎて、的をはずしてしまったのだ。
3人は左右に散った。
だが、これでは時間の問題だった。逃げ回るスペースがないのだ。
「うろちょろするなッ!」
牛鬼はメチャクチャに腕をふりまわした。
残っていた壁が崩れ、3人に襲いかかる。
そのひとつが、かおるに直撃した。砂礫が舞いあがり、彼女の姿をかくした。
ほがらは真っ青になって、悲鳴の聞こえた地点を確認する。
「かおるッ!?」
「ほがら……ここ……」
かおるは生きていた。ホッとしたのも束の間、かおるの下半身に、大きなコンクリートがのしかかっていた。脚をやられたのか、抜け出すことができないらしい。
「モオオオオッ! 死ねぇ!」
自分の眼を潰した張本人に、牛鬼の怒りが頂点に達した。
天空へこぶしを振りあげ、ありとあらゆる力を込めた。
ほがらは身を張ってかばおうとした。忍が彼女を引き止める。
牛鬼の腕が振りおろされようとした瞬間、それは起こった。
「ぐッ……ぬぅ!?」
牛鬼はこぶしを振りあげたまま、硬直して動かなくなった。
理由はわからなかったが、ほがらと忍はこの隙をついてかおるを救出した。
脚から血が出ていたが、大した怪我ではなかった。
魔法少女でも、肉体強化の作用はあるらしい。
ふたりはかおるを抱きかかえ、安全そうな場所をさがした。
「モオオオオッ!」
突然よみがえった咆哮。
3人をまとめて潰すための罠だったか──ほがらは、思わず眼をつむった。
「……?」
ほがらはそっと目を開けた。
痛みも感じずに死んでしまったのかと、彼女はあたりを見回した。
天国でもなければ地獄でもない。
先ほどと同じ、瓦礫の山だった。
「ぐ、ぐぅ……力が……入らん……ッ!」
牛鬼は腹を押さえて、だらだらとヨダレをたらした。
ほがらたちはそのよごれた雨を回避し、瓦礫のすみへ身を隠した。
かおるは傷口を押さえながら、
「な、なにが起きたの……?」
とたずねた。ほがらは「わ、わからない」とだけ答えた。
忍が体を乗り出して、牛鬼をゆびさした。
「見てくださいッ! 体の大きさがッ!」
ビルほどの大きさもあった牛鬼の体が、次第に小さくなり始めていた。
ほがらは事態を把握した。
「あいつの術が解けたんだわッ!」
牛鬼の身長は、ほとんど巨大化前の大きさに戻っていた。
苦しそうに息をはき地面に膝をついた。
「お、おのれぇ……あの小娘……裏切りよって……!?」
牛鬼の肩になにかが触れた。
呼吸をととのえながら振り返ると、ほがらの姿があった。
肩には魔法のステッキがそえられていた。
「ずいぶんと楽しませてくれたじゃない……お礼に……」
ほがらはひと呼吸置く。
「スーパーほがらちゃんマジカルウルトラ怒りの3倍返しビーム!」
牛鬼の体が真っ赤に光り、灼熱の炎につつまれた。
ほがらはステッキを放してぽんと自分の肩に乗せる。
黒こげになった牛鬼は、ぷすぷすと煙をあげながらその場に倒れ込んだ。
「牛の丸焼き、いっちょあがりッ!」
ビシッとポーズを決めたほがらに、忍が駆け寄った。
「さあ、早く島を脱出しましょうッ!」
忍の言葉に、ほがらは眉をひそめた。
決めポーズを邪魔されたからではない。忍の言葉を理解できなかったのだ。
「島を脱出……? 敵は倒したでしょ? 今の様子だと、あのアルアル娘だって……」
「まだクレムリンがいますッ!」
「……クレムリン?」
なんだソレはと、ほがらは首をひねった。
そして例の空中要塞を思い出した。
「あ、あれってやっぱり敵なのッ!?」
忍は、当然だと言わんばかりにうなずきかえした。
「あれはロシアの悪の組織です」
「じゃあ、なおさら倒さないと……」
「クレムリンをこの面子で撃墜するのは無理です。それに……」
忍は言葉を区切った。
「それに?」
忍は空を見上げた。
「奴らは、重力子砲でこの島ごと消滅させる気ですッ!」
◆
◆
◆
「エネルギー充填100%」
兵士はパネルとにらめっこしながら、すべてのパラメーターをチェックした。
最後の円グラフに目を通したあと、うしろをふりかえった。
「ラスプーチン様、重力子砲の準備が整いました。いつでも発射できます」
男の報告に、ラスプーチンは満足げな笑みを浮かべた。
スクリーンに目をやり、遠ざかった島の全景をながめた。
「あの島ともお別れか……短い時間だったが、観光料は払ってやらんとな……」
ラスプーチンはそう言いながら、視線を右手の壁にむけた。
そこには棺桶のようなものがひとつ、立てかけてあった。
「アナスタシアの試運転ができなかったのは残念だが、まあいい」
ラスプーチンはそっとあご髭に手をやる。
「これも世界の悪のためだ……総員、耐ショック姿勢」
「ハッ!」
男はコンピューターに向きなおると、マイクに手をかけた。
「こちら中央司令室、これより重力子砲の発射に移るッ! 総員、安全区域に移動せよ」
各砲台、機関室、食堂、兵器庫……諸々の担当部署から、準備完了の連絡が入る。
「総員退避完了。安全装置を解除します」
兵士がスイッチを押すと、パネルの一部がひらいた。
黒いレバーがせり上がってくる。その先に赤いボタンがついていた。
兵士はボタンに親指をかけ、関節を90度に折り曲げた。
ラスプーチンはひとさしゆびで、椅子のひじかけを小突いた。
「ヒッグス砲、発……」
そのときだった。べつの兵士が計器から顔をあげた。
「れ、レーダーに高エネルギー反応ッ! 本艦へ接近中ッ!」
男の報告に、ラスプーチンは発射を見合わせた。
「島からのミサイル攻撃か?」
兵士は計器をみて、その結果に愕然とした。
「ほ、本艦の真下ッ! か、海中からですッ!」