第133話 持ち出された秘密
「よし、完成だ」
ジャンたちがふたたび研究室に入れたのは、それから1時間後のことだった。手術台のうえに乗せられたアナスタシアを、関係者が取り囲む。吸血姫のエミリアは、腕組みをしたまま、半信半疑の眼差しだった。
「ほんとに、直ったの?」
「今から、テストをする」
ジャックはカオルに、起動を命じた。カオルがパソコンを操作すると、アナスタシアのなかで軽い起動音が聞こえた。そして、静かに機関が動き始める。その音は、ジャンが以前聞いたときよりも、少しだけやかましかった。
1分ほどして、アナスタシアの目がひらいた。真っ青な瞳で、天井を見上げている。
「アナスタシア、起きろ」
ジャックの命令で、アナスタシアは起き上がった。ジャックは、彼女の体に接続されているパイプのようなものを取り外しながら、容態を尋ねた。
「スコブル順調デス」
ジャックは満足げにうなずくと、エミリアのほうへ向き直った。
「さて、これで満足かな?」
「……」
エミリアは、無言でアナスタシアに近づいた。そして、彼女が空けた胸の穴の痕を、指先で小突いた。ジャンはヒヤヒヤしたが、カオルもジャックも、まったく止める気配がなかった。
「……ほんとうに、修理できたみたいね。気分は?」
「上々デス、吸血姫様」
エミリアとジャックは、今後の予定について話し合った。ラスプーチンへの引渡をどうするかについて、そして、ジャンとカオルの処遇について。ふたりが出した結論は、ジャンをイギリスへ返し、カオルをドイツに引き止めるというものだった。
「しかし、ラスプーチンが納得するのか?」
カオルの質問に、エミリアは、
「納得させるのよ。さすがにジャンヌがいたら、拒否できないでしょう」
と答えた。それと話を合わせたかのように、侍従武官のマーシャルが入室した。
「ジャンヌ様が、ベルリン空港に到着されたそうです」
「あら、ずいぶんと早かったわね」
エミリアは忌々しそうに鼻を鳴らして、マーシャルに出迎えの指図をした。
「ちょっと待って……シェンカにしましょう。マーシャルは、ここに待機しなさい」
「承りました」
マーシャルは胸に手を当てて一礼し、研究室を出て行った。
「じゃあ、打ち合わせ通り、カオルは部屋へ戻りなさい」
「いいかげん、飯にして欲しいんだが」
エミリアは、これを拒否した。するとジャックが、さきほどのディナーの続きをしたいと申し出て、カオルも誘った。
「料理は冷えてるわよ」
「構わないさ。僕も、作業でお腹が空いたからね」
「……勝手にしなさい」
ジャンも交えて、3人で夕食をとることになった。晩餐会場へもどると、室内には美味しそうな匂いが充満し、ワインボトルもそのままになっていた。ジャンは、マーシャルと会談していたときの椅子に座り、そのとなりにカオルを呼び寄せた。
「ほな、再開を祝してパーッとやろな」
「パーッとって言うけどな……俺は酒は飲まんぞ」
「わいかて、飲んどらんわい。気分や、気分」
カオルは肩をすくめてみせたが、まんざらでもない様子だった。ワイングラスにミネラルウォーターを注いで、乾杯をした。
「おっと、僕も混ぜてくれないかな」
ジャックの乱入に、ジャンは驚いた。
「どうしてそんな顔をするんだ、ジャン?」
「あッ……すまんで」
ジャックはグラスを持ち上げつつ、なにに乾杯するか、と尋ねた。
「せやな……」
ジャンは、カオルとジャックの顔を、交互に見くらべた。共通するテーマがない。カオルとだけならば、再会を祝して、あるいは、これからの友情の続きのために、あるいは、ふたりの無事を祝って、乾杯することができただろう。一方、ジャックとだけならば、兄弟の絆のために、乾杯することもできただろう。
そこまで考えて、ジャンはふと、疑問に思った。
(兄弟の絆って、なんや? ほんまもんの兄弟でもあらへんのに)
ジャンが悩んでいると、ジャックは笑って、
「あいかわらず、決断が遅いな。アナスタシアの修理を祝して、でいいだろう」
「せ、せやな……アナスタシアの修理を祝して」
3人は乾杯して、そのままグラスに口をつけた。
一番最初にくちびるを離したのは、カオルだった。
「それにしても、よく直せたな。機関部がめちゃくちゃだったのに」
「ハハハ、きみのおかげだよ」
「お世辞はいい。あんたの作業を見ても、9割がた理解できなかったからな」
ジャックは微笑んで、それは残念だ、と添えた。
「あらためて聞くが、あんたは何者なんだ?」
ジャックはナプキンで口もとを拭くと、食事にしようと告げた。
カオルとジャンは顔を見合わせてから、それぞれナイフとフォークをとる。
ジャンはローストビーフに舌鼓を打ち、カオルの出方をうかがった。
「ジャック、答えてもらえないのか? あんたは何者なんだ?」
「自己紹介ならば、既にしたよ」
「イギリスの悪の幹部、血塗れメアリーの長男……か。つまり、次期幹部ってわけだ」
ジャックは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「残念だが、悪の組織は、世襲制を採用していなくてね」
「……そうなのか?」
「とはいえ、僕の組織は、事実上世襲になっている」
なんだそれは、と、カオルは肩透かしを喰らったような顔をした。
「だったら、やっぱり次期幹部なんだろう?」
「幹部になるためには、貴族団に推挙される必要がある」
「……まるで、推挙されないような言い方だな」
カオルはナイフとフォークを止めて、じっとジャックの顔を見つめた。
「それとも、幹部になりたくないのか?」
「さあね……こればっかりは、なってみないと分からないものさ」
「なりたいかなりたくないか……なってから分かる、というのか?」
「人間の真の欲望は、決断したあとでこそ、正しく分かるものだ。きみも経験があるだろう、なにかを手に入れたあとで、ほんとうはそんなものが欲しくなかったと分かる瞬間が。それと同じことだよ。人間には希望がある。だが、予知能力はない」
ずいぶん哲学的な話になったな、と、ジャンは思った。
「せやけど、わいはジャック兄さんがなって欲しいで」
何気なく口をついて出た発言に、ジャックとカオルは、別々の反応を示した。
ジャックのほうは、ややうれしそうな表情で、
「ほぉ……それはまた、どうしてだい?」
と尋ね返した。ジャンは、あまり深く考えずに言ったことなので、きちんとした理由は思いつかなかったのだが、とりあえず、
「兄さんは賢いやろ」
と答えておいた。ジャックは首を左右に振った。
「頭がいいというのは、リーダーの必要条件でもなければ十分条件でもない」
「なんでや?」
「頭脳労働は、参謀がやればいいからだ」
「ほな、リーダーに必要なもんって、なんや?」
ジャックはすこしだけ間を置いて、「決断力だ」と答えた。
「決断力……? 決断なら、だれにだってできるやろ?」
ジャンがそう言った途端、ジャックは懐から拳銃を取り出し、カオルに向けた。
「ジャン、今から10数えるうちに、僕を殺すかカオルを殺すか選べ」
「な、なにを言うとるんやッ!?」
「さっき言っただろう。決断なら、だれにだってできる、と」
ジャンは、失言だと認めた。ジャックは拳銃を懐にしまう。
「悪の組織は、1を切って99を活かすために……いや、どちらかの50を切って、どちらかの50を活かすために、決断を迫られることがある。その決断は、もはや合理的な思考なんかじゃない。まったく別のなにかだ」
ジャンは、ジャックの研究室で耳にした、ロンガの決意を思い出した。彼女は、ジャックのために命を投げ出すつもりだった。それもまた、ひとつの決断なのかもしれない。組織の幹部としての、ではなく、組織の従属者としての。
ジャンがそんなことを考えている横で、ジャックはカオルに向き直った。
「きみも、顔色ひとつ変えないとは、変わり者だね。弾が入っていないと思ったのか?」
「あんたがなにを言いたかったのか、察しがついていたからな」
これには、ジャックも笑った。
「兄さん、笑っとる場合じゃないで」
ジャンは呆れて、水を飲む。そこへ、カオルが割り込んだ。
「なあ、ジャン……さっきから気になってるんだが、どうして『兄さん』なんだ?」
「それは、説明したやろ。ロンドンで、そういう設定やったんや」
洗脳されていたとは言いにくかったので、ジャンは『設定』という言葉を使った。
けれども、カオルは納得しなかった。
「どうして今でもその『設定』にこだわってるのか、その理由を訊いてるんだ」
ジャンは、唐突な質問――それでいて、急所を突いた質問に、たじろいだ。なぜ急所かと言えば、ジャンには、心当たりがあったからである。これまで、ロンドンでもベルリンでもちらほらと考えていたことを、ジャンは吐露した。
「わいな、ずっと兄貴が欲しいなあ、と思うとったんや」
短い台詞だったが、ジャンはなんだか恥ずかしくなって、頬を掻いた。
「そうか……七丈島にいるときは、おくびにも出さなかったよな?」
「カオルたちのまえで言うのは、なんか気が引けてな……もの足らん、って言ってるみたいやし……それに、カオルたちは、兄貴って言うよりは親友やし……」
「つまり、僕のような兄が欲しいと思っていたのかい?」
ジャックの質問は、妙に鬼気迫るものを持っていた。
ジャンは、あまり適当に答えられないと思い、慎重に頭を使った。
「なんて言えば、ええんやろ……頼れる兄貴、やな」
ジャックは、ふたたび笑った。
「ずいぶんと、人任せな性格なんだな」
「わい、おっちょこちょいやし、七丈島でもカオルたちがおらんと、なかなかうまく生活ができんかったさかい……性分やわ」
「ハハハ、ずいぶんと甘えん坊だな。我が家の母は厳しいぞ」
母という言葉が出て、ジャンは頬を赤くした。
「あんな美人なおふくろがおったら、自慢しまくったるわ」
ジャンはそう言って食事を続けた。すると、なにやらカオルの視線を感じた。その視線は、ジャンを値踏みするような、いつもと違う視線だった。
「あ、なんや、マザコンやと思うたんか?」
「いや……なんでもない」
カオルは、ふたたび食事に取りかかった。
ジャンはそれを横目で見ながら、首をかしげるばかりだった。
○
。
.
「さてと……」
食事を終え、自室にもどったカオルは、歯を磨いてからベッドに横たわった。
薄汚れた天井を見上げつつ、目下の難儀について、考えをめぐらせる。
(あの様子だと……ジャンは、直感的に気付いてるな。ジャックが実の兄だと)
おそらく、無意識のうちに、肉親の温もりを感じ取ったのだろう。カオルは、そう推測していた。そして、それが非常に危険であることも悟っていた。
(ジャックのやつは、どこまで情報を握ってるんだ?)
食事中の会話に耳を澄ませてみたが、その点は明らかにならなかった。事実を掴んでいるようにも見えたが、掴んでいないようにも見えた。ただ、なによりも奇妙なのは、ジャンが彼を『兄さん』と呼ぶことに、何の抵抗も見せていないことだった。
(もし気付いていたら、どうなる? ……ジャンを消すのか?)
ジャックがジャンとの血の繋がりに気付いていたら――それは、あまり考えたくない事態だった。ジャックの口ぶりからして、メアリーの跡を継ぐことを、嫌がっていないようにみえたからだ。少なくともカオルは、相手の立場に立ってみて、そう考えた。黄金律、すなわち、「自分がされたくないことは、他人にもするな」という、あるいは、「自分がしてもらいたいことを、他人にもなせ」という、心理学的なルールの応用だった。
(俺とジャックは、どこかしら考え方が似ている……特に、合理性重視なところだ。もし俺がジャックと同じ立場に置かれたら、幹部の座にあからさまな執着はみせない。周りから警戒される。のらりくらりとした態度を取るだろう。今日のジャックみたいに)
ジャックは、自分が幹部に向いていないと答えた。だが、あれは謙遜であって、本心からそう思っていない可能性があった。それとも?――カオルは、ジャックほどの重たい選択肢に追われたことがない。その先は、どうしても憶測にならざるをえなかった。
カオルは、アプローチを変えることにした。
(メアリーは、ジャンが実子だと知っている。卵子を提供した張本人だから、知らないはずがない。そのジャンが消されたら、ジャックを怪しむに決まっている。ジャックもバカじゃないから、この危険性には気付く。つまり、ジャックがジャンを消すのは、リスクが高過ぎるということになるな)
ジャンの安全は、メアリーとの血の繋がりにある。なんとも皮肉なことだったが、カオルは自分ともうひとり――清美のことを思い浮かべた。
(清美は、安倍清明の子孫だった……ジャンはメアリーの実子。俺は大した血筋じゃないが、御湯之水博士の息子だった……これは、どういうことだ? 適当にドナーを選択したように見えない。もしかして、ゲンキとムサシも……)
コンコン
カオルはベッドから上半身を起こし、ドアに向かって声をかけた。
「だれだ?」
「僕だ」
やや押し殺したような声――ジャックだった。
カオルはベッドから飛び降りると、ドアを開けてやった。ジャックは、寝間着姿ではなく、いつものように正装していた。
「どうした、こんな時間に?」
「ちょっと冒険してみる気は、あるか?」
カオルは、意味が分からないと答えた。
「学問のために危険を冒す勇気はあるか、と訊いてるんだよ」
「勇気? いったい……」
カオルはそこまで言って、はたと口をつぐんだ。
ジャックは、
「察しがついたようだね……さあ、行こうか」
と告げ、カオルを先導し始めた。カオルは、黙ってあとをついて行く。廊下は、奇妙なほどに静まり返っていた。
「警備もいないのか?」
「幹部会のために、出払っているのだろう」
「そう言えば、ラスプーチンとジャンヌが来てるんだったな」
いくら双性者とは言え、このふたりのまえでは、なんの意味も持たないようだ。カオルはそんなことを考えつつ、ジャックのあとを追った。すると、アナスタシアを修理したラボに到着した。ジャックは、どこで手に入れたのか分からないカードキーを使い、ラボの扉を開けた。電灯のスイッチが、自動的に入る。まぶしい。
「で、これからなにが始まるんだ?」
ジャックは答えを返さず、ラボの片隅にある大型コンピューターに歩み寄った。
「量子コンピュータだよな?」
「ああ、型は古いがね……なかなか優秀だ」
ジャックはそう言って、コンピューターを起動させた。
《……》
しばらく、無音の起動が続いた。
《……ア……ス……》
音声が入る。カオルは、自分の推測が当たっていたことに身震いした。
《私は……アナスタシア……》
ジャックは、匣体に寄りかかりながら、人差し指の関節で、軽くノックした。
「ごきげんはいかがかな、人工知能くん」
《私は……アナスタシア……》
カオルは心配になって、ジャックに尋ねた。
「おい、データが破損してるんじゃないか?」
「いや、そんなことはない」
「会話になってないぞ? 同じ台詞しか言わないじゃないか」
「『スペックが足りない』というやつだよ。アナスタシアの記憶容量は、ペタバイトを軽く超えていた。残念なことに、吸血鬼たちは予算が足りなかったようだ。もっと最新式のコンピューターを買ってくれれば良かったんだが」
どうやら、アナスタシアのデータは、ムリな圧縮をされた挙句、コンピューターのメモリをギリギリまで使用しているらしかった。要するに、空き容量不足というわけだ。
「吸血姫に引渡したのは、ダミーか?」
「あれは僕が開発していたAIだ。アナスタシアとは比べものにならないが、ごまかすくらいの知能はある。研究所のパソコンに保管していたものを、衛星通信を使ってアナスタシアの機体に移植した」
修理のとき、ジャックがなにをしていたのか、カオルはようやく理解した。
「吸血鬼の技術者も気付かなかったとは……さすがだな、あんた」
「お褒めにあずかり、光栄だよ……さて」
ジャックは、コンピューターのまえに腰をおろし、キーボードを立ち上げた。空間にホログラムを浮かべるタイプの、仮想キーボードだった。青白い光が、ジャックの顔を染める。カオルは、これから行われることに、多大な好奇心を抱いた。
「それじゃあ、アナスタシアを連れ出そうか。衛星通信を使ってね」




