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第132話 御曹司の修理

「なに? ベルリンへ?」

 刀の手入れをしていたトモエは、その指をとめた。

「今からか?」

「そうよ」

 すっかり着替えを終えたジャンヌは、トモエにも支度を命じた。ジャンヌは、いつものラフな格好をやめて、ベージュのスーツを着ていた。そのことが、トモエに一層の不信感を覚えさせた。

「今夜は、町で外食するのではなかったのか?」

「キャンセルしたわ……とにかく、急いでちょうだい」

 トモエは刀身を鞘におさめて、カーペットから腰をあげた。シャワーを浴び、黒い半そでのシャツに、ゆったりとした動きやすい白の長ズボンを履いた。アクセサリなどはつけず、髪をうしろで束ねて、スポーツシューズを選んだ。

 そして最後に、父の形見であるムラマサを手にとった。

「あら、ずいぶんと用意がいいのね」

「緊急事態なのだろう? さすがに察しがつく」

 ただ、その事態の中身については、あまり自信が持てなかった。ジャンヌも、特に深い説明は加えなかった。訊くこともためらわれたので、そのままマンションを出た。

 セバスチャンの運転で、シャルル・ド・ゴール空港へと向かう。街角のライトが、車窓を人魂じんこんのように流れる。トモエは、助手席のジャンヌに、いよいよ事の真相をたずねた。

「ベルリンで、なにがあった? パーティーではあるまい?」

「当ててごらんなさい」

 ジャンヌは、サングラスの奥から、いじわるそうなまなざしを投げかけてきた。

 トモエは、村正をひざのうえで握りしめ、しばし黙考した。

「……ベルリンに、拙者の仲間がいるのか?」

 ジャンヌはサングラスを外し、にやりと笑った。

「ご明察……今日は、冴えてるわね」

「だれだ? ゲンキか? ジャンか?」

 ジャンヌは、メガネをかけたインテリっぽい少年だと答えた。

「カオルか……む?」

 スタジアムで行われた双性者の分配シーンを、彼女は思い出した。

「まさか……吸血鬼のアジトへ乗り込むのか?」

 ジャンヌは、「ビンゴ」だと答えた。これにはトモエも、やや青ざめた。と同時に、これまで離ればなれになっていた仲間と出会えることが、うれしくもあった。ここ数日のパリの生活は、トモエにとって、ジャンヌとの親睦を深めるのに役立っていた。つまり、彼女のなかから、是非はともかくとして、警戒感が失われつつあった。

「ジャンヌ様、クロガネ様、間もなくド・ゴール空港でございます」

 ここで、会話は途切れた。リムジンは空港の特別ゲートをくぐり、そのまま地下駐車場へと降りて行く。最奥に辿りついたそこは、オレンジ色のランプが薄暗く、トモエには、なにやら不気味なもののように思えた。

 セバスチャンがまず降りて、ジャンヌとトモエの降車を手伝った。それから、荷物一式をふたりで分担し、セバスチャンに挨拶をする。

「それじゃ、留守はよろしくね。通信は、全部記録しておいてちょうだい」

「承りました」

 セバスチャンは、胸元に手を当てて一礼し、トモエにもおなじ仕草をした。

「クロガネ様も、どうかご無事で」

「……相分かった」

 なるほどな、と、トモエは思った。緊張感がよみがえる。どうやら、今のセバスチャンの一言からして、自分たちの前途は、安易なものではないらしい。

 遠ざかるリムジンを背に、トモエはジャンヌに話しかけた。

「拙者は、パスポートを持っていないが……」

「大丈夫。これから乗るのは、自家用機よ。職員に話はつけてあるわ」

 話をつけた、という表現が、やや気にかかった。だが、悪の組織に法律論を説いても、仕方がない。トモエは、ジャンヌに付き従って、エレベーターに乗った。すぐに地上階へと出て、ファーストクラスのロビーが広がった。さまざまな人種の客人が、座り心地のよさげなソファーで、搭乗手続きを待っている。

「どの便だ?」

 トモエは、掲示板を見上げた。

 それらしいベルリン行きの便は、見当たらなかった。

「自家用機だって言ったでしょ」

 その途端、場内にアナウンスが入った。

《Jeanne d'Orléans, Jeanne d'Orléans, veuillez venir au comptoir de service la plus proche. Je le répète, veuillez venir au comptoir de service la plus proche.》

「おっと、呼び出しだわ」

 ジャンヌとトモエは、サービスカウンターへ移動した。

 搭乗の準備は、すでにできているとのことだった。

(あいかわらず、各方面に顔の利く女だ。これが、何百年も生きてきた人脈か)

 トモエはあらためて、ジャンヌに畏怖の念をいだいた。

「ぐずぐずしないで、乗りましょ」

 ふたりは荷物を預けて、適当なセキュリティ・チェックを受けたあと、空港内のショップを尻目に、ゲートへと向かった。

「よく刀を通せたな」

「あんなのは、朝飯前よ。テロリストじゃないんだから」

 善意でセキュリティがころころ変わるわけがないだろうと、トモエは思った。しかし、空港の未知なる雰囲気と、これから起こることへの不安に、彼女の思考は飲み込まれた。

 ふたりは用意されていた小型ジェットに乗り込み、添乗員の出迎えを受けた。

「あのアテンダントたちも、悪の組織のメンバーなのか?」

「違うわよ。私は一匹狼だって言ったでしょ」

「知らぬが仏、か……一般人を巻き込むのは、あまり感心せぬな」

 トモエの軽口に、ジャンヌは反応しなかった。ただ、肩をすくめてみせた。

 ふたりはファーストクラスの席に案内された。生まれて初めて乗る場所だったが、そもそも飛行機に乗ったことがなかったので、これがエコノミーよりも快適なのかどうか、トモエにはよく分からなかった。

 それよりも、気になっていることがあった。

「で、つまるところ、用件は何なのだ?」

 ジャンヌはサングラスを外して、窓のおおいを上げた。ガラスの向こうには、だんだんと薄暗くなり始めた、パリの青空がみえた。

「そうねぇ……ひさしぶりに友だちと会いたくなったから、かしら」

 トモエはシートベルトを締めながら、ジャンヌの横顔を睨んだ。

「そのようなはずがあるまい……なにか、マズいことが起きたのではないのか?」

「マズいことって? 例えば?」

 質問を質問で返されて、トモエは言葉に詰まった。

「あくまでも、シラを切る気か……まあ、よい」

 トモエが嘆息したところで、出発のアナウンスが入る。

 パリ観光は、果たして一時の夢に過ぎなかったのか――トモエは、疑心暗鬼になった。

 

  ○

   。

    .


「あ、アナスタシア……どうして、こんなことに……」

 ジャックは、その端正な眉をゆがめて、小刻みに震えた。診察台のうえに乗せられたアナスタシアは、身動きひとつしない。まるで、死んでいるかのようだ。あるいは、事実、死んでいるのだろう。ロボットの死というものを、定義することができるならば、だが。

 一個の芸術品、今世紀最大の発明のひとつが目の前で破壊されていることに、ジャックは動揺を隠さなかった。となりで腕組みをするカオルも、険しい顔をしている。

「壊したのは、エミリア、きみか?」

 ジャックは、吸血姫きゅうけつきを問いつめた。

「そうよ」

 エミリアは、悪びれた様子もなく、そう答えた。組織の指導者と、技術を愛する者とのあいだには、ずいぶんと大きなひらきがあるようだ。

 そして、そのあいだで右往左往しているのが、ジャンであった。

「せ、せやけど、どないして倒したんや?」

 エミリアは、人差し指の爪を舐めて、邪悪な笑みを浮かべた。

「うふふ……あなたたちは、幹部の力を見くびりすぎなのよ」

 そう、見くびっていた。少なくとも、カオルはそう思っていた。アナスタシアが倒される現場を、彼は目の当たりにしていた。そして、エミリアがどのような能力使ったのか、微塵も把握することができなかった。

「そない強いなら、殺さんでもえかったやろ?」

「そ、それについては、ちょっとだけ反省してるわ……で、直せそうなの?」

 エミリアは、ジャックとカオルの顔を、交互に見比べた。彼女の話によれば、吸血鬼の技術班は、修理することができず、サジを投げたとのことだった。もちろんそれは、技術班の未熟さよりも、アナスタシアのシステムの複雑さを物語っていた。

 さきほどから胸の傷口を調べていたジャックは、ここで大きくタメ息をついた。

「これはひどい……機関部がめちゃくちゃだ」

 この台詞に真っ先に反応したのは、機械いじりが得意なカオルだった。

「『機関部がめちゃくちゃ』なのか? ……演算をつかさどっている部分は?」

「電源部が破壊されたときに、ショートしているかもしれない」

 カオルも、やや暗い表情になった。

「AI部分が壊れていたら、だれにも直せないな」

 エミリアは、その理由を尋ねた。

 カオルは、すぐに答えを返す。

「AIっていうのは、最初から完成品としてあるわけじゃない。いろいろな情報を取り込んで、そこから関数を生成する。その関数が何であるかは、開発者にも分からない」

「……つまり?」

「つまり、アナスタシアがああいう能力を身につけたのは、偶然ってことだ」

 これには、エミリアだけでなく、ジャンも目を見開いた。

「ほな、このまま直しても、性格が変わってしまうんか?」

「性格だけでなく、記憶がまっさらになるかもしれない……そうだろう?」

 カオルの確認に、ジャックもうなずき返した。

「ただ、それは、CPUがショートした場合の話だ。していない可能性もある」

「なんだか、よく分からないけど……外見は直せるのね?」

 エミリアの質問に、ジャックは「もちろんだ」と答えた。

「だけど、僕はメアリーの息子だ。敵対組織に協力はできない」

「ちょっと待ちなさいよ。今は、夢の国ドリーム・ランドが……」

 エミリアはそこで、口もとに手を当てた。失言という呈だった。

「その件については、母から聞いている」

「なんだ……それを早く言いなさいよ。今は夢の国が現れて、悪の組織の抗争は、すべて禁止されているわ。だから、協力しなさい」

「それは、全然ロジカルじゃない。契約で禁止されているのは、抗争であって、積極的に協力し合う義務じゃないだろう。違うかい?」

「抗争しないだけじゃ、夢の国に立ち向かえないでしょ?」

 ジャックは、アナスタシアを指差した。

「この人工知能と夢の国とのあいだに、どういう関係がある?」

 エミリアは、口では勝てないとみたのか、ムッとくちびるを結んだ。

 そのとなりで、カオルは、ジャックの物言いに、やや疑念をいだいた。

(機械好きだと聞いたが、なぜ修理を拒むんだ?)

 カオルは、その場で訊いてみようかと思った。が、やめておいた。

 というのも、エミリアはずいぶんと困っているようにみえたからだ。テスラ博士の傑作を破壊したのだから、ちょっとくらいはおきゅうをすえておこうと、彼は思った。

 エミリアは、狭い作業場のなかを、うろうろとし始める。

「……分かったわ。今から説明することを、よーく聞きなさい」

 エミリアは、なぜアナスタシアの修理を焦っているのか、そのことを打ち明けた。

 話が終わったところで、ジャックはくちびるを動かす。

「クレムリンとオルレアンの魔女が、こちらに向かっている……?」

「そうよ。スタジアムでなにがあったのか、あなたも聞いてるんでしょ?」

「いや……いざこざがあったとしか、聞いていない。まさか、ラスプーチンの戦利品を横取りしたとは……おどろいたよ」

 エミリアは、そのほっそりとした指を、ジャックに向けた。

「横取りじゃないわ。トウキョウからペキンまでの抗争で、私たちの組織が一番犠牲者を出してるのよ……まあ、アシヤとワンのところも大概だけど……とにかく、アナスタシアを投入して引っ掻き回したラスプーチンよりも、貢献は大なわけ。分かる?」

「しかし、幹部会の決定だろう?」

「多数決が常に正しいとは限らないでしょッ!」

 いや、おまえの組織は多数決が第一だろうと、カオルは心のなかで突っ込んだ。

 そして、口も挟んだ。

「ジャック、エミリア、ちょっと、いいか?」

 ふたりは、カオルのほうへ向き直る。

「俺は、たしかに、エミリアの手でここへ連れて来られた。が、そのまえは、ラスプーチンのところにいた。だから、俺としては、クレムリンに戻ってもいい」

 エミリアはカオルを指差して、ジャックに吠えかかる。

「ちょっとッ! こいつ、洗脳されてるじゃないッ!」

 待て待て、と、カオルはエミリアをなだめた。

「もう気付いていると思うが、俺はテクノロジーオタクだ。吸血鬼のアジトよりも、テスラ博士のところで、いろいろ話を聞いてみたい。それに、御湯ノ水おゆのみず博士も、まだクレムリンにいるはずだ……ここまで言えば、俺の気持ちも分かるだろう?」

「ふん……クレムリンになんか行ったら、日本へ帰れる保証はないわよ」

「それは、あんたのところだって、同じはずだ。どうやって帰国を保証する?」

 エミリアは、つま先で床を小突いた。イライラしているようだ。

「つまり、俺の提案は、こうだ。アナスタシアは修理できない。代わりに、俺をクレムリンに戻して、全体の戦利品を均一にする……悪い提案じゃないだろう?」

「ダメよ。壊れた人工知能だけもらって、どうするの?」

 ここで、ジャックがまえに出た。

「まえから思っているが、エミリア、きみたちの組織は、ひとり勝ちを狙い過ぎだ。そういうことをしているから、EUの近隣諸国に目をつけられるんだぞ?」

「ひとり勝ちじゃないわッ! 私たちは、自分たちの貢献分をもらってるのよッ!」

「それは結局のところ、強い者のひとり勝ちになる。悪の掟に反している」

 ふたりの政治論争を尻目に、カオルはジャンに、小声で話しかけた。

「ジャン、あいつは、血塗れブラッディメアリーの息子なんだろう?」

「ん? せやで」

「メアリーは、どうして助けに来ない?」

 ジャンは、分からないと答えた。

「イギリスの悪の組織は、大した情報網を持たないのか?」

「そないことあらへんで……ずいぶんと、立派なもんや。いろいろ知っとったし」

 カオルはあごに手をあてて、考え込む。幹部の息子が拉致されて、だれも救援に来ないというのは、おかしなことのように思われた。

(この茶番……なにか、あるな。吸血鬼よりも、むしろイギリスのほうに)

 カオルが物思いにふけっているなか、ようやくエミリアたちの論争が終わった。

「いい? あなたがアナスタシアを修理すれば、それで話は済むの。私たちは人工知能を手に入れて、カオルはクレムリンに帰る。これなら許容できるわ。でもね、壊れたロボットと引き換えに双性者ヘテロイドを引渡すのは、絶対に認められないから」

「なるほどね……そこが落としどころか。しかし、ラスプーチンが納得するかな?」

「納得させるわ。ジャンヌが仲裁に来るから。それに、あなたは総代でしょう?」

「英仏独で、ロシアを説得する……なんとも、剣呑けんのんだね」

 そう言いつつも、ジャックは軽く笑った。話し合いがついたということで、早速修理を始めることになった。

「ここからは、僕とカオル、それに吸血鬼の技術者だけでやる」

 ジャックは、エミリアたちを部屋から追い出した。医者のような作業服に着替え、アナスタシアの残骸のまえに立つ。手袋を嵌めながら、カオルは指示された機材を揃えた。

(さて、この少年がどうやって修理するのか……お手並み拝見といくか)

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