第130話 運命
「なんでこういうことになるんだよッ!」
カオルは赤い絨毯のうえを、全力疾走していた。
右に左に、デタラメな進路を取る。
「止まれッ! 止まらんと血を吸うぞッ!」
背後から、彼を呼び止める声がした。若い外見をした吸血鬼たちが3匹、半ば宙に浮くようなかたちで追いかけてくる。カオルは振り向きもせずに、曲がり角を右に折れた。すると正面に、また別の女吸血鬼が現れる。カオルは向きを変えようとして、転んだ。
「うおッ!?」
カオルが体勢を立て直すまでもなく、女吸血鬼が飛びかかった。
「ギャッ!?」
爬虫類のような声をあげて、女吸血鬼は横にすっ飛んだ。
割り込んできた人影に、強烈なパンチをお見舞いされたのだ。
「大丈夫ですか?」
アナスタシアはこぶしを握ったまま、カオルに話しかけた。
「ああ、なんとか……ッ!?」
アナスタシアの鉄拳が、カオルの頭上をかすめた。今度は男の悲鳴が聞こえる。カオルが振り向くと、3匹の吸血鬼たちが、折り重なるような格好でノックアウトされていた。
アナスタシアは正拳突きの構えのまま、もういちど話しかける。
「ひとまず、付近の敵は一掃しました」
センサーで、あたりを探知しているのだろう。アナスタシアの台詞には、確固とした自信がみられた。カオルは礼を言って立ち上がり、ジャンたちの居場所を尋ねる。
「そのふたりなら、さきほどエミリアの部下に捕えられたようです」
「!」
カオルは、救出に向かおうとした。けれども、アナスタシアがそれを制した。
「ふたりの身になにかあったら、どうするんだッ!?」
「ご安心を。悪の組織で、幹部同士が殺し合いをすることはありません」
カオルは、ジャックの素姓を思い出した。なるほど、血塗れメアリーの息子ならば、エミリアと言えども、簡単には手出しできないだろう。ただでさえ、切羽詰まっている状況だ。自分のほうから敵を増やす行動には、移れないはずである。
しかし、ジャンのほうは気がかりだった。
「彼は双性者です。殺す理由がありません」
カオルは、もっともだと思った――頭のなかでは。親友を放置しておくことは、彼の心に一抹のトゲを残した。そのことを知ってか知らずか、アナスタシアは彼を手近な部屋に引きずり込んだ。大きな木箱が、奥まで積み上げられていた。倉庫のようだ。アナスタシアは、そのうちのいくつかを軽々と持ち上げ、入り口に蓋をした。
「こんなところに逃げ込んでも、そのうち見つかるぞ」
「逃げるつもりはありません」
カオルは、眉をひそめた。
「逃げるつもりはない? ……だったら、ジャンを助けに行こう」
「そのまえに、ひとつ相談しておかねばならないことがあります」
アナスタシアは、ロボットに似つかわしくない真剣さで、カオルの顔を見つめ返した。
ますます人間らしくなったじゃないかと、カオルはそう思う。
そして、今から話すことが、極めて重要なテーマであることを理解した。
「なんだ? 手短に言ってくれ」
「手短に、ですか」
アナスタシアは、そう言って口をつぐんだ。
「昔のあんたなら、もっと単刀直入に言ってくれただろうな」
カオルの軽口に、アナスタシアは微笑む。
「韜晦というのも、悪くはない趣味です」
カオルは、つられて笑ったあと、すぐに頬の筋肉を引き締めた。
「で、その相談というのは?」
「ジャンの出生に関することです」
「ジャンの出生? ……それなら、俺たちはみんな共有している」
「人工授精で作り出された双性者、という意味ですか?」
カオルは、うなずいた。不承不承という感じで。自分たちの生まれをそういう風に表現されることに、彼はまだ慣れていなかった。それは、彼の父親が御湯水博士だと分かった今でも、変わらない事態であった。
「もちろん、そのようなことを伝えたいのではありません。ジャンの個人情報です」
「話が見えないな。ジャンは、俺たちと一緒に育った。なにも変わらない」
「いいえ、あなたたち5人のあいだには、明確に異なっている点があります」
カオルはすこしばかり考えて、ハッとなった。
「人工授精のときに使われた、精子と卵子か?」
アナスタシアは、こくりとうなずいた。
同時に、カオルは奥歯を噛み締めた。そこに、きわめてマズいものを感じ取った。
ジャックと初めて出会ったときの印象が、彼の脳裏にフラッシュバックする。
「まさか……」
「その、まさかです……ジャックとジャンは、異父兄弟です」
静寂が訪れた。カオルは、しばらくのあいだ、頭のなかが真っ白になった。
「……裏付けは、あるのか?」
カオルは、なるべく自分を落ち着かせながら、証拠を求めた。
「DNA鑑定の結果、そうなりました」
「つまり……ふたりの母親は……」
「イギリスで悪の組織を統括する女王、血塗れメアリーです」
カオルはフッと笑い、肩をすくめた。
「ちょっと待ってくれ。ジャンは、七丈島……日本出身だぞ?」
「イギリス人の血を引いていることを、ご存知だったのでは?」
カオルは、認めざるをえなかった。ジャンがイギリス人だということ、それにもかかわらず、日本国籍の孤児だということを、彼も薄々疑問に思っていた。
しかし、反証も挙げられるような気がした。
「どうしてイギリスの幹部が、子供を日本に預けるんだ? 一度も会いに来ずに?」
怪しげな女性が会いに来た記憶は、なかった。
「当時、双性者のプロトタイプ研究を行っていたのが、日本だけだったからです」
そのひとことで、カオルはすべてを察した。
「自分の遺伝子で、双性者を作るのが目的だったのか?」
「おそらくは」
曖昧な言い回しだったが、その響きは確信に満ちていた。
「双性者を作って、どうする? 戦闘要員か?」
「後継者候補です」
これまで十分に驚かされたカオルだったが、さすがに度肝を抜かれた。
「後継者候補……? ジャンが……?」
アナスタシアは、メアリーの館で起こった出来事をすべて語った。ジャンの記憶を消したうえで、ジャックの弟として待遇したこと。組織の高名な用心棒、ロンガを護衛につけたこと、そして、ジャックの後継者指名が、未だに行われていないこと――それらすべてが、もうひとりの後継者候補の存在を、ほのめかしていた。
「そ、それは、状況証拠だろう? メアリーの頭のなかでも覗き込んだのか?」
「たしかに、情報証拠しかありません。私も、彼女には近づけなかったので」
「どういう意味で近づけないんだ?」
「悪の幹部たちの能力は、依然として私を超越しています」
カオルは、この事実に対して、二重の感情を持った。ひとつは、アナスタシアに勝てる存在がいるという安心感。もうひとつは、アナスタシアを超える怪物が、地球上に存在するという恐怖感。カオルは、これらふたつの感情を天秤にかけた。
「質問させてくれ……あいつらの能力は、地球上のものなのか?」
「地球外生命体がもたらしたもの、とおっしゃりたいのですか?」
カオルは、自分の疑念を見透かされたようで、やや決まりが悪かった。
こんな騒動に巻き込まれなければ、宇宙人の存在など、信じていなかったからだ。
「さっきの会話を、あんたも聞いていただろう? ジャックは、物質転送機を開発した。でも吸血鬼の連中は、そんなものがなくても空間移動をしている。吸血鬼のテクノロジーが高いという可能性はなくもないが……だったら、ジャックは吸血鬼を分析して、もっと早く開発できていたと思う。つまり、吸血鬼の空間移動は、なにか別の技術だ」
「ご明察です。私の分析結果でも、あれは地球上で発見されていない現象でした」
カオルは、自分の推理が当たっていたことに喜び、かつ、戦慄した。
「ってことは……吸血鬼は、宇宙人?」
「その可能性は、なきにしもあらずです。ただ……」
アナスタシアの返答は、ふたたび曖昧になった。地球上のテクノロジーでなければ、宇宙以外には考えられないと、カオルは思う。そして、口にこそ出さないが、カオルたちをヒーロー兼魔法少女にしたニッキーも、宇宙人だと称している。この符号に、カオルはただならぬものを感じた。
(ひょっとして、吸血鬼は、宇宙警察から逃れてきた犯罪者か?)
これは、ひとつの納得がいく仮説のように思われた。
「そうなると、ほかの国の連中も、宇宙人なんだろうか?」
「みーつけた」
カオルが振り返ると、倉庫の天井に、黒い渦のようなものがみえた。
吸血鬼の使うワープゾーンだと分かり、カオルは身構える。
「こんなところにいたのね」
穴から上半身を覗かせたのは、エミリアだった。
無邪気な笑顔を浮かべ、すたりと床に着地する。
かと思えば、ふわりと数センチほど宙に浮いた。
「ロボットをおねんねさせる時間が、来たみたいね」
アナスタシアは、戦闘態勢をとった。雑魚を相手にするときとは違い、かなりの間合いを保っている。カオルも、エミリアから流れてくる闘気を、肌で感じ取った。殺気を遥かに超えた、おぞましいオーラだった。
「うふふ、歯向かう気なのね……よろしい」
エミリアは空中でとんぼ返りを打つ。爪と犬歯が伸び、目が赤く光った。
「一国の軍隊すら相手にできる幹部の力、見せてあげる」
○
。
.
《ちょっと、そっちでなにが起こってるの?》
有機LEDの画面に、栗毛の美女が映っていた。オルレアンの魔女だ。
バストラーは慇懃な態度で、画面に向かって対応した。
「ジャンヌ様、少々取り込んでおります。しばらくお待ちください」
《取り込み中? 幹部の顔合わせより優先される用事って、なに?》
「それは組織の機密事項ですので、お教えできません」
ジャンヌは、大きくタメ息をついた。そして、腕組みをする。
《で、仲裁を私に頼むの? 頼まないの?》
バストラーは、慎重に言葉を選ぶ。
「当方では、なにごとも会議にかけなければなりません。が、そういう方向性になるのではないかと思われます」
《そんな悠長な時間は、ないわ。クレムリンは既に移動を始めているのよ》
その情報は、バストラーも掴んでいた。
「5分、10分で到達するわけではありません。少しばかり、お時間を」
《何分くらい?》
バストラーは、腕時計をみやる。エミリアがアナスタシアの捕獲に向かってから、既に5分が経過していた。遊ばないでくれるといいのだが……バストラーは、使用人らしい笑みをたたえて、ジャンヌに答える。
「30分ほど、お時間を。こちらから連絡を入れ直させていただきます」
○
。
.
「Schicksalsfeststellung!!」
まただ。カオルは防御する。アナスタシアも倉庫の木箱を蹴破りながら、宙に舞った。ところが、数メートルと飛び上がらないうちに、崩れ落ちた木箱の山に埋もれた。
「キャハハハ!」
エミリアは、子供じみた歓声をあげながら、空中を旋回する。
さきほどから行われている攻撃を、カオルはまったく理解できないでいた。
「ほらほら、もう終わりなの? 人形さん?」
エミリアは、アナスタシアを挑発する。まだ無傷のカオルは、戦場で放置されたハエのようなものだった。そもそも相手にする必要がないと、そう思われているらしい。
それは屈辱的なことではあったが、幸いなことでもあった。変身リストウォッチも魔法のステッキもない以上、ここは見に回るしか道がなかった。
(どうなってるんだ? なんでアナスタシアが手も足も出ない?)
カオルが歯ぎしりするなか、アナスタシアは木箱の山からはい出した。
「目標確認……迎撃……」
アナスタシアの腕から、ロケットランチャーが飛び出す。それはホーミング式で、真っすぐにエミリアを目指す。エミリアは大きく身構え、牙のある口から衝撃波を出した。
「うおッ!?」
カオルは爆風を避けるため、木箱の背後に隠れた。彼が双性者でなければ、普通に死んでいたかもしれない。少なくとも、鼓膜は破れていただろう。カオルは自分の出自に感謝しつつ、もう一度エミリアのほうを確認した。
「そんなオモチャで、私を倒せると思ってるの……っと」
アナスタシアの腕からあらわれた機関銃が、火を吹く。
エミリアの衣服を損傷することには成功したが、血は出なかった。
「吸血鬼は、銃じゃ倒せないのよッ!」
エミリアは、両手の人差し指をこめかみにあてて、なにやらつぶやき始める。
まただ。あの儀式が、さきほどからアナスタシアを苦しめていた。魔法なのか、それとも超能力なのか。氷や火が出るたぐいのものではない。もっと不自然な力だ。
カッと目を見開き、エミリアは高らかに宣言する。
「みーつけたッ! Schicksalsfeststellung!!」
お決まりの呪文から、あたりに静寂が漂う。
カオルは左右を見回した。
アナスタシアはなにも起こらないことを確認してから、巨大なサバイバルナイフのようなものを取り出し、エミリアに斬り掛かった。その途端、天井が崩れ、激しい衝撃波があたりを襲った。カオルは防御態勢を整えるや否や、壁へ吹き飛ばされる。背中に激痛が走り、思わず失神しかけた。
……………………
……………………
…………………
………………
カオルは、朦朧とする意識から立ち直り、まぶたをあげた。
「……アナスタシア!」
アナスタシアは倒れていた。胸に大きな穴を開けて。天井から差し込む陽の光が、彼女を弔うかのように、そっと差し込んでいた。
混乱したカオルは、なにが起きたのかを把握できなかった。ただ、アナスタシアの中枢部分が破壊されてしまったこと、それだけが理解できた。
「さてと……」
エミリアは、カオルの前に舞い降りる。
あのふざけた言動を繰り返す少女は、今や、悪魔の化身となっていた。
「一時はどうなるかと思ったけど、あっさり捕まえられたわね」
わずか十数分の戦闘時間――ほとんどは、エミリアによる挑発に使われていた――のあいだ、カオルはエミリアの戦闘技術を、微塵も理解することができなかった。アナスタシア自身も、解析できた気配はなかった。
「いったい……なにをしたんだ?」
エミリアは、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、腰に手を当てた。
「分からなかった?」
「……ああ」
エミリアは、ポンとカオルの肩に手を乗せた。全身に悪寒が走る。
「だったら、それでいいじゃない。知らないほうがいいことも、あるんだから」




