表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

127/178

第126話 M細胞

「はあ、こんなの見つかるわけあらへんのや」

 ジャンは音をあげて、公園の芝生に身を投げ出した。

 燦々と降り注ぐ太陽が、かえって心地よかった。

 ここ数日のじめじめとした天気が、嘘のようである。

「困りました。手掛かりがまったくありません」

 アナスタシアは、立ったままあたりを警戒していた。

 まるで、そのへんに犯人が潜んでいるかのような緊張感だった。

 しかし、現実はと言えば、カップルや老人、子どもたちが遊び回る、いたって平和な日常が繰り広げられていた。それとも錯覚なのだろうか。平和というものは、もろくて壊れやすい。ジャンは、七丈島(しちじょうじま)での暮らしが一変したことを思い出し、不安になった。

「なんや……尾行でもされとるんか?」

 ジャンは、おっかなびっくり尋ねた。

「いえ……」

「だったら、そないぴりぴりせんといてや。気が滅入るで」

「奇妙だと思いませんか?」

 ジャンは、芝生から上半身を起こし、アナスタシアを直視した。

 草のちくちくとした感触が、布越しに伝わってきた。

「なにがや?」

「尾行されていないことが、です」

 ジャンはアナスタシアの言葉遣いに、違和感を覚えた。だんだんと、発言が曖昧になっているような気がした。人間らしいと言えば人間らしかったが、目の前にいるのは人工知能である。猿から進化した生命ではなかった。もっと冷たい喋り方をしていたはずであった。

 彼女に初めて出会ったのは、いつのことだったろうか。確か、クレムリンの中で襲われたのが、ファーストコンタクトであった。あのときの機械じみたアナスタシアと、今の人間らしいアナスタシア……ジャンは、そのギャップに、うすら寒いものを感じた。

(このロボット、進化しとるんか……?)

 進化。この言い方が正しいのかどうか、ジャンには、よく分からなかった。殺人マシーンとしての凄みは、彼女から消えていた。もしラスプーチンの目的が、大量殺戮兵器の開発にあったのなら、今のアナスタシアは、完全な失敗作である。もっとも、ラスプーチンの真意がどこにあったのかなど、ジャンには知るよしもなかった。

「普通、尾行なんかされへんやろ? それとも、隠れてそうなんか?」

「私のセキュリティをくぐり抜けて尾行するのは不可能です。アメリカの軍事衛星を使い、近辺をすべてフォローしていますから」

「ほな、なにがおかしいんや?」

「犯人は、私たちが捜査を始めたことに、気づいていないのでしょうか?」

 アナスタシアの発言の意味が、ジャンには一瞬分からなかった。

 遠くで子どもたちの歓声が聞こえ、鳩が空へと飛び立つのがみえた。

「なにが言いたいんや? はっきりしゃべってえな」

「ジャンさんは、犯人が人間だと思いますか?」

 ジャンは視線を落とし、10秒ほど考えた。

「……その可能性は、低いんとちゃうか?」

 イギリスの警察にも、アナスタシアにも証拠を残さない連続殺人犯。

 その正体が一介の人間だとは、とても思えなかった。

「では、だれだと思いますか?」

「せやな……まず、ジャック兄さんの話が正しいと仮定して……」

「ジャンさんは、ジャックのことをなぜ『兄』と呼ぶのですか?」

 質問を突然切り替えられて、ジャンは戸惑った。

「んー……なんでやろな……」

「普段から練習して、ボロが出ないようにするためですか?」

「……わい、兄貴か姉貴が欲しかったさかい、そのせいかもしれんな」

 ジャンは、一人っ子である。

 双性者(ヘテロイド)5人組のなかに、兄弟姉妹を持つ者はいない。

 お互いに親友だが、それは家族がいるのとは少しばかり違っていた。

「よく分かりません」

「アナスタシアはんは、もとから兄弟とかおらんやろうしな……まあ、それは置いといて、ジャック兄さんの言うことが正しいなら、犯人は、えーと、あれや、あれ」

「貴族団ですか?」

 アナスタシアの返しに、ジャンはパチリと指を鳴らした。

「それや! ……どういうもんかは、知らんけどな」

「貴族団というのは、Commonwealth realmの国々を支配する悪の組織です」

「コモン……なんやて?」

「Commonwealth realmです。イギリス国王を戴く国々の総称です」

「イギリスの王様がおるんは、イギリスだけやろ?」

 アナスタシアは、首を左右に振った。

「イギリス国王が国王として承認されている国は、全部で16あります。イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アンティグア・バーブーダ、バハマ、バルバドス、ベリーズ、グレナダ、ジャマイカ、パプアニューギニア、セントルシア、ソロモン諸島、セントクリストファー・ネイビス、セントビンセント・グレナディーン、ツバル」

「なんでそんなにあるんや?」

「大英帝国が世界中に植民地を持っていたからです」

 政治の時間にやったかかもしれないと、ジャンは記憶を掘り起こしてみた。

 しかし、ほとんどの授業はさぼっていたので、うまく思い出せなかった。

 ちなみに、ジャンが通っていた七丈島(しちじょうじま)海浜(かいひん)自由(じゆう)学園(がくえん)では、履修が文字通り自由であった。ジャンが選択した科目には、世界史も日本史も含まれていなかったので、こういうことにはからっきしであった。

 カオルがいればなあ、と、ジャンはあらためて悔やんだ。

「その貴族団っちゅーのは、世界中におるんやな?」

「とはいえ、ロンドンのメアリー邸が本拠地であることに、変わりはありません」

 さて、なんの話をしていたのかと、ジャンは疑問に思った。

「えーと、話が逸れとるで。尾行についてやろ?」

「貴族団が張本人だとして、私たちの捜索がバレないと思いますか?」

「相手がマヌケなら、バレんと思うけどなあ」

「貴族団がそこまでマヌケなら、なぜメアリーの捜査網に引っかからないのです?」

 アナスタシアの指摘に、ジャンははたと困った。

 自分たちの捜索についてはうっかり見逃しているが、メアリーの捜査に対しては慎重に行動しているのだ、と答えられないこともない。しかしそれは、相手の能力を、自説に都合がよいように割りふっているに過ぎない。あまり説得的ではなかった。

「せやけど、わいらは見落とされやすいんとちゃうか? 部外者や」

「日頃からジャックのまわりをうろうろしているのに、ですか? 貴族団のだれかが真犯人だとすれば、目的はジャックが後継者になるのを阻止するためでしょう。彼の行動を監視しているはずです」

「ジャック兄さんには、ロンガはんがついてるやろ? ロンガはんは勘がええさかい、貴族団も監視できんのとちゃうか?」

「もし監視ができないなら、貴族団がジャックをハメること自体不可能です」

 それもそうだと、ジャンは思った。ここまでの経緯をみる限り、ジャックの行動は、相手方に筒抜けになっている。ジャックがいつ単独行動しているのかは、四六時中監視していなければ、分からないことであった。

「んー、せやけど、なんか納得いかんな」

「人間の勘、というやつですか?」

「まあ、そういうことになるな……」

「人間の勘はバカにしていません……それどころか、私も胸騒ぎがします」

 ジャンは、いぶかしげに眼を細めた。

「アナスタシアはんが胸騒ぎやて?」

「ロボットが胸騒ぎを起こしてはいけませんか?」

「そういうわけやないけど……」

 なんだか、矛盾しているような気がする。ジャンは、そう言いかけた。

「アナスタシアはんなら、勘なんかに頼らずに、計算した方が早いやろ?」

「それは誤解です。あなたが言う計算とは、おそらく全探索なのでしょうが、そのような計算はCPUがいくらあっても足りません。例えば、オセロやチェスの指し手には、日常生活と比べれば遥かに少ないパターンしかありません。それでも、コンピューターで完全解析するには、膨大な時間がかかるのです」

「どのくらい大変なんや?」

「チェスのゲーム木は10^120、宇宙に存在する原子の数は10^80です」

 もっと分かりやすく、と言いかけたところで、アナスタシアは先回りした。

「チェスを完全解析するより、宇宙の原子の数をすべて数える方が早いのです」

 ジャンは、にわかに信じられなかった。

「ほんまか? たかがボードゲームやろ?」

「本当です……と、また話が逸れました。このように、【CPUのごり押しで全探索する】というのは、現実的な解決ではないのです。探索結果を記録する媒体も必要ですから、私のような人間型のコンピューターには、なおさら向いていません」

「そこで勘が大事っちゅーわけか」

「そういうことです……おや」

 アナスタシアは、公園のほうを振り向いた。

 ジャックもそちらに視線をむけたが、目立ったものはなにも見当たらなかった。

「……問題が解決しました」

「は?」

「公園の入り口に、巨大なエネルギー反応……どうやら、お出迎えのようです」


  ○

   。

    .


 テーブルのうえに置かれた、書類の束。

 そのそばには、険しい顔のジャックとロンガの姿があった。

 古いランプの灯りが、天井で意味もなくゆらゆらと揺れていた。


【計画名】

Project for developing Heteroid-Soldiers MN-001

【日付】

15th June, 2028

【項目】

・貴族団によるヘテロイド自主開発研究の必要性。

・それにともなう競争的資金の獲得。

・ヘテロイドの軍事利用に関する長期的プラン。

【概要】

近時、欧州各国において、ヘテロイドと呼ばれる新型生物兵器の開発が盛んである。貴族団情報部の報告によれば、この流れはアメリカ、中東、アジア諸国へも波及している。軍事的な利用が見込まれているものと推測される。そこで、貴族団兵器開発部では、ヘテロイドの開発資金を申請し、この独自研究を行うことを決定した。3年以内にプロトタイプを、5年以内に量産型を製造する予定である。ハイリング主任博士によれば、予期せぬ副作用がない限り、ヘテロイド開発は短期間で終了する。その軍事的用途としては、オルレアンの魔女の牽制、吸血鬼一族の駆逐、各国へのスパイ活動など、様々なものが見込まれている。


 ジャックは、次の頁をめくった。

 その指は、かすかに震えていた。

 

【計画名】

Project for developing Heteroid-Soldiers MN-002

【日付】

23rd February, 2031

【項目】

・ヘテロイド開発の中断。

・サンプル紛失に関する処分。

【概要】

貴族団兵器開発部は、今年の3月をもって、ヘテロイド計画の永久凍結を決定した。コストパフォーマンスの絶望的な悪化が、主たる原因である。貴族団情報部の報告によれば、各国の研究開発も次々と中断しており、技術的劣後は生じないものと予測される。なお、研究中のサンプル、とりわけ■■■の紛失事件については、厳重な処分をくだすものとする。当該不祥事には、■■■■■が関与しているとの情報あり。目下、調査中。他方で、■■■の運搬先は■■という未確認情報も存在しており、情報部は混乱をきたしている。


 最後の1枚をめくり終えたジャックは、もう一度念入りに黙読した。

「この四角で潰されている箇所は、なんだ?」

「検閲削除済みと思われます」

「だとすれば、1番目の四角はサンプル名か……」

 ジャックは、そのことを不審に思った。なぜサンプル名を削除しなければならないのか。機密事項だから、とも言えようが、他の書類には、サンプル名がそのまま書かれていた。そもそも、伏せ字になっているのが、この最後の段落だけなのである。

「ここだけ再現できるか?」

 ロンガは書類を受け取ると、ランプの光に透かした。

「……癒着インクが使われています」

 癒着インクは、機密情報を隠蔽するための、特殊素材である。あとから塗ったインクが、さきに塗ったインクと完全に融合する性質を持つ。つまり、光学的にも化学的にも分離できなくなる。

「もちろん、原本であれば再現は簡単です。お任せください」

 ロンガは褐色の指を、インクに添えた。

「戻し過ぎるなよ」

「ご心配なく」

 ロンガが念を入れると、うっすら紙質が白くなった。それはまるで、紙が元通りになっているかのようであり……実際に元通りになっていた。これがロンガの能力《魔女の逆時計》であった。指先の範囲でだけ、物質を昔の状態に戻すことができる。サリカが持つ《真実の美爪術》ほど戦闘向きではなかったが、こういうときはもってこいの能力であった。

「……戻りました」

 ロンガが指を離すと、検閲済みの箇所は、文字に置き換わっていた。

 そこだけ印刷したばかりのような美しさだった。

 ジャックはそこに眼を通した途端、眉間に皺を寄せた。

「ん、これは……」


なお、研究中のサンプル、とりわけM細胞の紛失事件については、厳重な処分をくだすものとする。当該不祥事には、ラスプーチンが関与しているとの情報あり。目下、調査中。他方で、M細胞の運搬先は日本という未確認情報も存在しており、情報部は混乱をきたしている。


「ぼっちゃま、M細胞とは?」

「……分からない」

 ジャックは、素直に答えた。

「ぼっちゃまも、この計画に参加なさっていたのでは?」

 ジャックは、黙ってうなずいた。

 記憶を振り絞るように、額にこぶしを当てた。

「確かに、僕も研究プロジェクトの一員だった」

「この不祥事については、ご存じないのですか?」

「いや、まったく」

 ジャックは自分の記憶力に、そこそこの自信を持っていた。

 だからこそ、なおさら疑問に思った。

「サンプルというのは、どのようなものをお使いだったのですか?」

「ただの人間の細胞だよ。ヘテロイド計画のメリットは、『人間の細胞から簡単に怪物を量産できること』だったんだからね。でも、それは勘違いだった。実際に生産プロセスが明らかになった段階では、もう採算が合わなくなっていた。ヘテロイドを一体作るくらいなら、軍用ロボットを導入した方がマシなレベルだった」

「おかげで、私たちもまだ仕事があるわけですね」

 それは杞憂きゆうだなと、ジャックは思った。

 ヘテロイドだろうがロボットだろうが、時間を巻き戻せはしないからである。

「ひとつ思い出したのですが……私たちのサンプルもお取りになられたのでは?」

 ジャックは、ふと顔を上げた。

「ああ、あれは実験には使われなかったよ。すべて廃棄され……」

 そこで、ジャックは口を閉じた。

 廃棄されたというのは、だれから聞いたのだろうか。

「……サリカだ」

「サリカが、どうかしたのですか?」

 ジャックは答えずに、虚空を睨んだ。

 あのとき、どういう経緯で、なにを説明されたのか。それを思い出す。

(プロジェクトの凍結が決まって……試験体は保存、未使用のサンプルは破棄。そう聞いた気がするな。あの時点で未使用だったのは、僕とロンガとサリカと……)

 ジャックは、アッとなった。

 震える手で、書類を確認する。

「M細胞……M……そんな、まさか……!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ