表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

110/178

第109話 最後の標的

 ともえが目を覚ましたとき、彼女はジャンヌのマンションにいた。

 白雪のような色をした天井を見上げ、ともえは記憶を掘り起こした。

 昨晩なにがあったのか、にわかには思い出すことができなかった。

 次第に漠然とした印象がよみがえってきた頃、突然、部屋の扉がノックされた。

「だれだ?」

 ともえの問い掛けに、ジャンヌの声が聞こえた。

 ともえは少しばかり上半身を持ち上げ、入室をうながした。

「おはよ、起きて大丈夫なの?」

「ああ、痛みはない」

 ジャンヌは見舞いの品と思しき、リンゴの皿を差し出した。

 ともえは急に空腹と喉の渇きを覚え、一口つまんだ。

 シャリシャリとした感触と水気が、口の中に広がった。

「あなたって、回復が早いのね。アベルは寝込んでるわよ」

 アベルの名前を聞いて、ともえは顔色を変えた。

「アベルは、どうした?」

双性者(ヘテロイド)に攻撃されたみたいで、怪我してるわ……っと、そんな顔しないでよ。大丈夫。かすり傷とは言わないけど、急所は外れてる。肋骨に命中したみたいで、ヒビが入ってるから、しばらく安静にしなきゃいけないけどね」

「そうか……」

 ともえは、安心したような気持ちと同時に、もうしわけないという心地がした。昨晩の状況からして、アベルが自分をかばったことは、明らかだったからだ。役に立たないと思っていた友人に助けられたことは、彼女の自信を奪うとともに、過小評価していたアベルに対して、どこかしら罪悪感のようなものが沸き起こった。

 友人。そこまで考えて、ともえはハッとなった。

 いつ自分とアベルが友人になったのか、彼女には分からなかったのである。

「ジャンヌ殿……昨晩の双性者(ヘテロイド)、追跡できぬのか?」

「それなんだけどねぇ……」

 ジャンヌは、困ったような顔をした。

「無理か?」

「昨日のドタバタで、軍の関係者が死んだでしょ、ちょっと警戒が厳しいのよね」

「どういうことだ?」

「テロ警戒態勢に入ってるみたいなの。ま、双性者(ヘテロイド)捜しの口実なんでしょうけど、こっちも表立っては動けないわ」

 面倒なことになった。ともえはそう思いながら、外の景色を眺めた。

 空の青さが、レース越しに透き通って見えた。

 昨晩の潜入劇が、まるで嘘のようであった。

「ジャンヌ殿は、この件から手を引く気はないのか?」

 ともえの質問に、ジャンヌはおどけたような表情を浮かべた。

「名探偵に撤退なし、よ」

「しかしこれはあくまでも、警察からの依頼なのだろう? 軍が出て来た以上、最後まで付き合う義理もないと思うが」

 ジャンヌはひとさしゆびを立て、それを左右に振ってみせた。

双性者(ヘテロイド)と軍に舐められたんじゃ、魔女の名が泣くってもんよ」

「それだけの理由なのか?」

 ともえは、少し遠回しにたずねた。

 なにか、背景があるのではないか。そう考えたのだ。

 けれどもジャンヌのほうは、あっけらかんとしていた。

「それだけよ」

「……変わった女だな」

「ふふふ、よく言われるわ……さて、もう動けるの?」

 ともえは、昨晩攻撃された場所を、軽くさわってみた。

 多少の痛みはあるものの、それは塞がった傷を押さえるような痛みだ。

 どうやら自分の体は、思っている以上に回復が早いらしい。高校時代も、剣道などで怪我をした部分は、すぐに消えるのが常だった。

「大丈夫だ、動ける」

「オッケー、セバスチャンの見立てでは骨折してないみたいだし、出掛けましょ」

 人使いの荒い魔女だ。

 そう思いつつも、ともえはベッドから出てシャワーを浴び、服を着替えた。

 昨晩の化粧のあとを落とすと、いつもの顔が鏡の中にあった。

「出掛けると言っても、どこへ?」

「軍は、あなたのことを捜していると思う」

「拙者ではなく、ヤワラ・カティンを、であろう?」

「ま、そうなんだけど、軍の技術なら、変装くらい見破れるわよ」

 ジャンヌの指摘に、ともえは顔をしかめた。

「そのようなことは、聞いておらぬぞ」

「まあまあ、素顔は分かんないと思うから。ただ、変装を見破った軍は、市内に捜索の手を広げているはずよ。双性者(ヘテロイド)であることも、バレたでしょうね」

「どうしてだ?」

「チェッカーで、ホールに双性者(ヘテロイド)が2体いたはずだから」

 それも、そうだ。ともえは、ジャンヌの推理を認めた。

 とすると、自分が嵌められたような気がして、愉快ではなかった。

 やはり魔女は魔女だと、ともえは警戒心を抱き始めた。

「ま、気楽に行きましょ」

 ジャンヌはともえの肩を叩いて、部屋を出て行った。

 ともえもあとに続く。

 マンションを出ると、例の熱気が襲い掛かってきた。

 雲がちらほら出ているものの、ほとんど快晴に近い空だった。

「で、どこへ行く?」

「具体的な候補があるわけじゃないけど……ムーラン・ルージュに行ってみる?」

 ジャンヌの提案に、ともえは眉をひそめた。

「現場にもどるのか?」

「犯人は必ず現場にもどって来る……ってね」

「それは小説の受け売りであろう。そもそも、犯人は拙者たちだ」

「私たちだけじゃないわよ。双性者(ヘテロイド)ももどって来るわ」

 歩き出したジャンヌのあとを、ともえは早足で追った。

「ならば、軍ももどって来るのではないか?」

「かもね」

 ジャンヌの無責任な返答に、ともえは呆れてしまった。

「かもしれぬ……ではなかろう。チェッカーで見つけられたら、事だぞ」

「大丈夫、セバスチャンに、これを作らせたから」

 ジャンヌはポケットから、小さな2本の金属棒を取り出した。

 そのうちのひとつを、ともえに手渡す。

「なんだ、これは……?」

 ともえは目の前で、その金属棒をくるくると回した。

 煙草くらいの大きさで、先にランプのようなものがついていた。

「チェッカーのチェッカーよ」

「つまり……チェッカーが近付くと、反応するということか?」

「正解。半径50メートル四方まで調べられるから、先に対処できるわ」

 双性者(ヘテロイド)用のチェッカーの有効範囲が、十数メートル。

 それに比べると、50メートルは破格だ。十分に余裕があると思われた。

「スイッチは?」

「先端のランプ部分を、右に回してちょうだい。もう入ってるけど」

「チェッカーが接近した場合、先端のランプが光るのだな?」

「それプラス、電子音がなるから、注意してちょうだい。耳はいいんでしょ?」

 ともえはうなずきかえし、それをポケットに仕舞い込んだ。

 彼女の服装は、ジーンズに、黒のTシャツ。

 さらに、日除けのツバ付き帽子とサングラス。

 やや男っぽい服装だが、昨日の今日ということもあり、地味な服装を選んだ。

 それに、性別転換セクシャル・チェンジをしたとき、スカートでは動きにくいのだ。

 ジャンヌも、ジーンズに白のブラウス、サングラス、麦わら帽子という出で立ちだった。

「じゃ、ムーラン・ルージュへ急ぎましょ」

 ふたりはタクシーを呼び止め、キャバレーへと向かった。

 昼は営業してませんよ、と、運転手は忠告したが、その後は黙ってハンドルを握った。走行中、ふたりは終始無言で、次に口をひらいたのは、目的地の少し前だった。

「そこで停めてちょうだい」

「え? ムーラン・ルージュは、まだちょいと先ですよ?」

「いいから停めてちょうだい」

 運転手はいぶかりつつも、車を停めた。

 ジャンヌは50ユーロ札を出して、男の手に握らせた。

「細かいのはないんですかい?」

「釣りはいらないから」

「っと、こりゃどうも」

 運転手はふたりを下ろすと、にこにこ顔でその場を去った。

 ジャンヌとともえは、遠目にムーラン・ルージュの様子をうかがった。

「多分、警察がいるはずなんだけど……」

「殺人事件の翌日だからな。やはり、近付けないのではないか?」

 もう少し強く反対すれば良かったと、ともえは思った。

「私は警察に知り合いがいるから、ちょっと様子を見てくるわね」

 ジャンヌはそう言って、キャバレーの方へと歩き去った。

 残されたともえは、日陰を求めて移動し、木立の下で涼を取った。

 そよそよとした風に身を任せ、ともえは目を閉じた。

 これまでの出来事を、順番に反芻し始めた。七丈島(しちじょうじま)で、自身の出生を明かされたこと、中国への脱出、父の死、そして……いや、ともえの思考は、いつもそこで止まってしまう。柳生(やぎゅう)影勝(かげかつ)の死の直接的な原因は、ムサシの攻撃ではなく、一向聴(いーしゃんてん)の特殊能力であった。とはいえ、それはムサシの心にも、ともえの心にも、深いしこりを残していた。

 ともえが瞑想していると、ふいに女の声が聞こえた。

 ジャンヌとは違う声音に、ともえは軽く身がまえた。

「お、おぬしは……ッ!?」

 ともえの目の前にいたのは、あの黒人少女だった。エッフェル塔とシャトー・ルージュでの邂逅が、瞬時によみがえる。それと同時に、ともえは守りの構えを取った。

「何用だ?」

「……昨晩は、兄がお世話になりました」

 やはり、そうか。

 ともえは一歩下がりながら、リストウォッチを確認した。

 点滅していない。

「おぬしは、双性者(ヘテロイド)ではないのか……?」

「私は違います……しかし、兄はそうなのです」

 少女は、悲しみをはらんだ声で、そう答えた。

 ともえはジャンヌを呼ぶか、迷った。

 周囲に視線を走らせながら、女の動きを警戒した。

「なぜ、拙者の前に出て来た? おぬしの兄は、殺人犯で捜索中だぞ」

「あれは正当防衛だったと聞いています」

 ともえは、なにも答えなかった。

 それは、自分やジャンヌも使っている口実だったからだ。

「おぬしの兄は、今どこにいる?」

「それは教えられません」

「ならば、おぬしはなんだ? なぜここにいる?」

「ひとつ、協力していただきたいことがあります」

 女の言葉に、ともえは眉をひそめた。

「協力……?」

「昨晩、兄があなたがたを襲ったのは、あなたがたを軍の人間だと誤解したからです。それについては、大変すまなかったと申しております」

「そのようなことは、本人の口から聞かねば、納得できぬ」

 ともえは、負傷したアベルを思い出し、怒った。

 しかし、女は冷ややかな視線を投げ掛けてきた。

「そのような威嚇的な態度に出られるなら、やはり兄は来なくて正解でした」

「くッ……」

 ともえは、女の正論に歯ぎしりしながら、話をもどした。

「で、なにを協力しろと言うのだ? 我々は敵同士だぞ?」

「敵ではありません……敵はフランス軍です」

「確かに、拙者は追われている身だが……敵の敵が味方とは限ら……」

「はい、はーい、そこのおふたりさん、なにを話してるのかな?」

 ジャンヌの登場に、女はローブの布地で顔を隠そうとした。

「それはズルいんじゃない?」

 ジャンヌはサングラスをずらし、美しい瞳で女を見つめ返した。

 女はしばらくためらったあと、顔をあらわにした。

「さて、なにを話してるのかな? 私だけ除け者?」

 ジャンヌは拗ねたように、そうたずねた。

 わざとらしい演技だとは思うが、ともえはそれを口に出さなかった。

「……あなたも昨晩、ムーラン・ルージュにいらっしゃいましたね」

「んー、かもね」

 ジャンヌは、曖昧な返事をした。

「お名前は?」

「ポンパドゥール夫人」

「……お答えいただけないのですね」

 ジャンヌはうふふと笑った。

「で、繰り返し訊いて悪いけど、なんの話をしてたの?」

 ともえは、女の代わりに答えたものかどうか、思案した。

 とはいえ、女がなにを言いたいのか、ともえも十分に把握しているわけではない。

 しばらくの沈黙のあと、女はようやくくちびるを動かした。

「あなたがたに、兄を助けてもらいたいのです」

「お兄さんって言うのは、昨晩の双性者(ヘテロイド)かな?」

 女は、黙って頷き返す。

「助けるって言うのは? 人間にもどす技術は、まだないんじゃない?」

 やはり、そうなのか。

 その事実は、ともえにも若干の動揺を与えた。

「兄も、普通の人間にもどりたいとは、申しておりません……復讐です」

 復讐。その一言で、ともえはすべてを察した。

 ジャンヌも、うっすらと笑みを浮かべた。

双性者(ヘテロイド)計画関係者の私刑(リンチ)……か」

「彼らがおこなったことは、非道な人体実験です」

「ひとつ教えて欲しいんだけど、あなたはなぜ双性者(ヘテロイド)じゃないの? 双性者(ヘテロイド)は体細胞レベルで異なるから、すべて培養のはずなんだけど?」

「私と兄は、共通の父母を持っています。兄は軍に提供された精子と卵子から作られ、私は母の胎内で育ったのです」

「ふぅん、じゃあ、なんで兄妹だって分かったの?」

「それは、私も驚きでした……兄は、軍の資料から両親の個人情報を突き止め、私に連絡を取ってきたのです。死んだ両親からは、兄がいること自体、知らされていませんでした。もっとも、両親自身、兄の出生を知らなかったのかもしれませんが……」

 ジャンヌは、麦わら帽子に手を触れ、そっと目を閉じた。

「そういうことか……あなたたちの個人情報は?」

双性者(ヘテロイド)に個人情報など、あってないようなものです……兄はシメール 、私はサンドラです。兄の名前は、コードネームだと聞いています」

「いかにも、それっぽいわね」

 ともえには、それっぽいところが見えてこなかった。

 フランスの文化を知らなければ、わからないことなのだろう。

 ただ黙って、会話に耳をかたむけた。

「5人には復讐済み、ってわけね」

「……兄からはそう聞いています」

「で、あと何人に復讐すれば、お兄さんの気が済むの?」

 ジャンヌの質問に、女はあからさまな憎悪の雰囲気をただよわせた。

「兄は、軍に冷凍保存されていたのです」

「永久に目の覚めない、ってやつ?」

「そうです……フランス政府は双性者(ヘテロイド)の開発を中止し、それまでに製造した双性者(ヘテロイド)をすべて、冷凍保存することにしました。とはいえ、将来的な再開のためではなく、単なる標本に過ぎなかったのです」

「ま、そうでしょうね。政府としても軍としても、莫大な研究費をかけた以上、はい処分ってわけにはいかないでしょうし。で、その『関係者』とやらは、残り何人なの?」

 ジャンヌの質問に、女は視線を下げた。

「因果関係を問えば、いくらでもいるでしょう……しかし、いくら双性者(ヘテロイド)とは言え、私たち兄妹でそれを洗い出すことはできません……ただ、ひとりだけ、どうしても殺さなければならない人物が残っています」

「それは?」

「対外治安総局、情報部部長、ブルーノ・フーコー大佐です」

 ジャンヌはにやりとほほえんだ。

「DGSEか……また大物ね。でも、なんで諜報機関を敵に回すの?」

双性者(ヘテロイド)の用途として、スパイが含まれていたのです。開発段階のデザインで、フーコー大佐は大きな役割を果たしました。そのせいで、兄はあのような姿に……」

 ともえは、男がヤモリを模した怪物であったことを思い出した。

 確かに、諜報向きだ。

 青空に似合わぬ重苦しい空気の中、ジャンヌは息をついた。

「だいたいの事情は分かったわ」

「では、協力していただける、と?」

「それはできない相談ね」

 ジャンヌの返答に、サンドラだけでなく、ともえも目を見開いた。

「なぜですか? あなたがたは、諜報部に追われているのでしょう?」

「それとこれとは、別問題よ。私たちは、シャトー・ルージュ連続殺人事件の捜査をしているの。あなたの兄が犯人であることは、もはや明白だわ」

「捜査……?」

「そう、捜査。私たちって、探偵なのよね、ワトソンくん」

 ジャンヌは、ともえにウィンクした。

 サンドラは、それを冗談だと思ったのか、ふたりの顔を交互に見比べた。

 そして、すぐに後ずさりをした。

「あなたがたは、まさか兄を警察に……」

「んー、そういうわけじゃないわよ。もし殺人を思いとどまるなら、こちらも手を引いてあげるわ。悪くない取引でしょ?」

「……兄に、そう伝えます」

「よろしく」

 おつかいでも頼むように、ジャンヌはサンドラの背中に手を振った。

 ともえは言葉なく、この茶番を眺めるばかりであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ