第10話 ふたたび一向聴
どこからともなく、女の声が聞こえてきた。
大蝙蝠は格納庫内を見渡す。
どこにも人影はなかった。
「だ、だれだッ!? 姿を見せろッ!」
大蝙蝠は、もう一度視線を走らせようとした。
そのとき、空中から一枚の円月輪が飛び出した。
円月輪は高速回転しながら大蝙蝠の舌を襲った。
「ッ!?」
刃が大蝙蝠の舌を切り裂き、あたりに血飛沫が舞った。
その血を全身に浴びながら、ほがらは地面へと落下した。
危ない──カオルたちが駆け出そうとした瞬間、闇のなかからひとつの影が飛び出し、ほがらの体を空中でキャッチした。その影は床で2度跳躍し、格納庫の入口に着地した。
大蝙蝠は、あわてて残りの舌を引っ込めた。痛みに身悶えしている。
カオルたちはそのスキを突いて、入口へと駆け寄った。
彼らの前に現れた救世主の正体に、カオルはおどろきを隠せなかった。
「し、忍ちゃん……」
「ふぅ、間に合いました」
忍はひたいをぬぐいながら、ほがらを床に寝かせた。
ほがらは気絶していた。
「な、なんでここにおるんや? それに、その格好は?」
一番近くにいたジュリアが、忍に声を掛けた。
この場に相応しからぬ悠長な質問だが、それも無理からぬことだった。忍は、忍者映画でくの一が着ているような、鎖帷子に軽装の衣という出で立ちだった。
だが忍は、その質問を一蹴した。
「説明はあとでします。先にあの蝙蝠女を倒しましょう」
忍の言葉を受けて、ほかのメンバーも大蝙蝠のほうへふりむいた。
大蝙蝠は右腕で口もとをぬぐい、怒りに目をギラつかせていた。
「おのれぇ……いくら生え変わるとは言え……許さんぞッ!」
大蝙蝠は両腕を胸のまえでクロスさせた。五指の付け根から、かぎ爪が飛び出す。骨を変形させたものらしく、象牙のような色をしていた。
これをみたジュリアが叫んだ。
「昨日ぼこぼこにされたくせに、逃亡せんかった根性だけは認めたるでッ!」
大蝙蝠はニヤリと笑った。
「今回は来賓を呼んである……一向聴様ッ! ご加勢をッ!」
「ハイハーイ♪」
どこからか、あの陽気な声が聞こえてきた。
ジャンたちは声の出所をさぐろうとした。
その瞬間、大蝙蝠の乗っているコンテナが、木っ端みじんに吹き飛んだ。
大蝙蝠は予定通りとばかりに宙を舞い、地面に着地する。
破片をまき散らすコンテナのなかから、巨大な影がのぞいた。
「北の一向聴、ただいま参上ヨ!」
一向聴は、巨大な牛に肩車をされていた。
その牛は二本足でたちあがり、名乗りをあげた。
「同じく、牛鬼参上」
人語をしゃべった牛に、ジュリアは度肝を抜かれた。
「同時に3体も出るのは反則やろおおおぉッ!」
「問答無用アル! これでもまだ3対5のフェアプレイネ!」
ジャンたちは大慌てで身がまえた。そこへ忍が声をかけた。
「落ち着いてください。コウモリ女は、私が引き受けます。みなさんは、あの牛男と中華娘をどうにかしてください」
清明は戸惑って、
「どうにかって……そ、それより、忍ちゃんも闘うの?」
とたずねた。
忍はほほえみかえした。
「ご安心を。私は内閣調査室隠密課の一員です。融合体の一匹くらいなら、なんとかなります。では、ご武運をッ!」
忍は人間離れした跳躍で、大蝙蝠に襲いかかった。
これには大蝙蝠も驚き、かぎ爪で防御をとるのがやっとだった。
忍は腰から小太刀をぬき、大蝙蝠のかぎ爪とぶつかり合う。
大蝙蝠の体は、うしろにのけぞった。
「ぐッ……! 貴様も融合体かッ!?」
「いいえ、私はただの人間です……大蝙蝠さん、人間の限界というものは、あなたが思っているより、ずっと深いのですよッ!」
鋼と骨がすれあい、火花が飛び散った。
その反動を借りて、ふたりは左右対称に散った。
忍は十分に距離を取ったところで、ジュリアたちに声をかけた。
「このコウモリ女は、私が外へ連れ出しますッ! あとは頼みましたッ!」
「つ、連れ出すって、どない……」
忍は大蝙蝠と一気に距離をつめた。大蝙蝠がひと太刀まじえようとした瞬間、忍は小さな火薬玉を取り出し、地面に投げつけた。
爆発音とともに、煙が忍と大蝙蝠を包みこむ。
そしてその煙とともに、ふたりの姿は雲散霧消してしまった。
「あの女、意外とやるアルね」
手品でもみたかのように、一向聴は感心していた。
牛鬼はその太い首をまげ、一向聴をにらみつけた。
「おい……おまえのコウモリ女は、あの忍者に勝てるんだろうな?」
一向聴は、一瞬言葉に詰まる。
「……たぶん大丈夫アル」
「ほんとうか? さっき劣勢だった気もするが……まあいい」
牛鬼は仲間われを避けるため、口をつぐんだ。
一向聴は牛鬼の肩のうえに立ち、急にテンションをあげた。
「さあ、あたしたちはあのヒーローもどきを倒すネ! 牛鬼、攻撃ヨ!」
「わかった。俺は攻め10割でいく。守りは頼んだぞ」
「ばっちり任せてネ!」
牛鬼は足もとに力を込めた。床の金属板が悲鳴をあげ、軽い地響きがおきた。
ジャンたちに、かるい恐怖心が芽生えた。
「モオオオオッ!」
牛鬼は鼻息を荒げながら、一直線に突っ込んで来た。
まっさきに反応したのはムサシだった。
「散れッ!」
ムサシがジュリアを、清明がほがらを抱きかかえ、カオルもサッと左に散った。
牛鬼はそのまま壁に激突する。
鉄板が粘土のようにひん曲がり、牛鬼の角が深々とそこに食い込んだ。
一向聴はその衝撃で、バランスを崩しかけた。
「あ、安全第一ヨ!」
牛鬼は返事をしなかった。両腕を壁にあてて、自分の頭を引っ張った。
「ぐッ……! 抜けんッ!」
「そんなお決まりのパターンやってる場合じゃないアル! さっさと抜くアル!」
この茶番を、ジャンは見逃さなかった。
「今やッ! 性別転換アンド変身!」
ヒーロースーツを身にまとったジャンは、ひと足早くまえに出た。
「ほがらを安全な場所へ頼むでッ!」
そう言い放ったジャンは、牛鬼の隆々とした背中に向かい、猛然とダッシュする。
清明は彼の指示に従い、ほがらを抱いたまま倉庫を脱出した。
それを確認したジャンは、遠距離から飛び蹴りの体勢に入った。
「ジャンキック!」
一向聴がふりかえる。
「無和了!」
一向聴の呪文にもひるまず、ジャンは蹴りの姿勢を変えなかった。
「ここじゃボールは飛んで……ぶッ!?」
ジャンの後頭部に、強烈な痛みが走った。
背中に凄まじい重量を感じ、ジャンはそのまま地面に垂直落下した。
「な、なんや……ッ!?」
上半身が動かない。なにかの下敷きになってしまった。
ジャンは首をひねった。天井から落ちて来た工業用ライトだった。
生身の人間なら、間違いなく圧殺されていたはずの大きさだった。
カオルはジャンに駆け寄りながら、
「こいつの呪文は、どんな場所でも発動するらしいぞ」
と、状況を分析した。
いっぽう、牛鬼の角が、じょじょに壁から抜け始めていた。
「早くするアル!」
「待て、もう少しだ……ふんッ!」
牛鬼が力を込めると、角が10センチほど抜けた。
その反動で、一向聴は背中から転げ落ちそうになった。
「アヤヤ!?」
一向聴は咄嗟に、両足を牛鬼の首にからめた。
チャンスだ──カオルの理性がさけんだ。
カオルはムサシにむかって、
「同時攻撃だッ!」
と指示した。
歩調を合わせてダッシュする。
ふたりのあいだに打ち合わせはなかった。
だがムサシには、カオルの作戦が分かっていた。
呪文は一度に一回しか撃てない──これは先日の戦いからあきらかだ。
だとすれば、どちらかが犠牲になればいい。
「アワワ! 早く助けるアル!」
「防御に定評があるんだろうッ! じぶんでなんとかしろッ!」
一向聴歯ぎしりしながら、片手を伸ばす。
計画通りだ──そう読んだカオルは、並走するムサシに指示を出した。
「俺が犠牲になるッ! ムサシは時間差で突っ込めッ!」
「武運を祈るぞッ!」
「とりゃあああッ!」
ムサシは慣れない格好で地面を蹴ると、キックの体勢に入った。
ムサシも、数秒差で空中へ飛翔した。
その瞬間、一向聴の目が光った。
「錯和!」
呪文の詠唱がちがう──カオルがそう気づいたときには、もう遅かった。
背中に強烈な痛みが走る。
あとからジャンプしたはずのムサシの蹴りが、カオルに思い切りヒットした。
カオルはそのままふっとび、コンクリートの壁にぶつかった。
その衝撃も手伝ったのか、ついに牛鬼の角が抜けた。
「ぐふぅ……手間取らせよって……」
一向聴もひょいと上体を起こし、ふたたび肩車にもどった。
「あんた、さっきからまるで役に立ってないヨ!」
「そうあせるな、今のは余興だ……おまえの防御が完璧だと分かった。これで攻撃に専念できる」
牛鬼は壁に背をむけ、ライトの下敷きになっているジャンに歩み寄る。
ムサシは敵の行動に色をうしない、
「ジャン! 早くライトをどけろッ!」
とさけんだ。
「さ、さっきからやっとるんやけど……おも……」
「手伝ってやる」
牛鬼が、ひょいとライトを持ちあげる。
圧倒的な腕力の差に、ジャンは身震いした。
ムサシはもういちど「ジャン! 立てッ!」とさけんだ。
牛鬼はうるさいハエでもはらうように、ムサシにむかってライトを投げつけた。
高速で飛んで来る重器を、ムサシは寸でのところでかわした。
牛鬼はジャンの頭をつかみ、空中に釣りあげた。
「さて、首をへし折ってやろうか」
そのとき、牛鬼の視界に、なにやら光るものがただよった。
牛鬼は動物の本能から、その光の動きを追ってしまった。
そのとたん、腹部に痛みがはしった。
ジャンの爪先が、牛鬼のみぞおちに深々と食い込んだのだ。
朦朧とした意識のなかではなたれた、ジャンの捨て身の攻撃だった。肩に乗る一向聴の位置からは、ジャンの足の動きがみえていなかった。
牛鬼は思わず、ジャンを力任せに放り投げた。
ジャンは人形のように壁に激突した。
「ぐおおおおおぉ!」
牛鬼は腹を押さえて、咆哮をあげた。
「アヤヤ! 暴れちゃ駄目アル!」
一向聴は牛鬼の角をつかみ、操縦桿のようにそれをにぎりしめた。
「ぬふぅ……前言撤回だ……一向聴、おまえの防御は完璧ではない」
自慢のディフェンスをけなされ、一向聴の顔が朱に染まった。
「下は見えないからしょうがないヨ! 人任せはよくないアル! それよりも、ちょっとは活躍したらどうネ!?」
牛鬼は一向聴の叱責に、不敵な笑みをもらした。
「面目ない……と言いたいところだが、すでに1匹は片づけたぞ」
一向聴は左手の壁を見やった。
先ほど投擲されたジャンが、ぐったりと床に横たわっていた。
「……死んだアルか?」
「さあな……骨の一本は逝っただろう。さて……」
牛鬼はムサシにその鼻面を向けた。
ムサシはジャンの救出に向かいかけたが、その脚をとめた。
ここで背を見せることはできない。隙を作ってしまう。
攻めて来ないムサシに、牛鬼がニヤリと笑った。
「どうした? 来ないなら、こちらから行くぞ?」
「……」
牛鬼は全身に力を込めた。突撃の姿勢をとる。
ムサシは右脚のかかとをうしろにさげた。
「モオオオオッ!」
牛鬼の突進に、ムサシは腹をすえた。
その場にふみとどまる。
「死ねえッ!」
牛鬼は加速した体重を右手に集め、おおぶりに拳をはなった。
その瞬間をとらえて、ムサシは地面を蹴った。
牛鬼のこぶしが鉄板をぶち破り、格納庫に金属音がこだまする。
空中を舞ったムサシは、牛鬼のうしろへひらりと着地を決めた。
が、反撃に転じることはできなかった。
牛鬼の背中には、一向聴がばっちりとひかえていた。
一向聴もそれを承知して、挑発するような態度をとってくる。
「ほらほら、逃げてばかりじゃ駄目ネ。かかってくるアル」
「……」
そんな手には乗らないムサシだったが、一向聴の言うことも事実だった。
逃げてばかりでは、体力を消耗してしまう。
目のまえの化け物に、スタミナ勝負で勝てるとは思えなかった。
(清明と合流するか? 3人ならギリギリ……ん?)
ムサシは、周囲に視線をはしらせた──カオルがいない。
彼がぶつかったはずの壁には、軽いへこみの跡があるだけだった。
牛鬼と一向聴は、そのことに気づいていなかった。
「牛鬼ッ! どんどん攻撃するネ!」
「モオオオオッ!」
牛鬼は重々しいステップを踏んで、ムサシに殴りかかってきた。
ムサシはこれも難なくかわした。
しかし楽観はできなかった。牛鬼の作戦はシンプルだ。敏捷性で勝てないと判断して、ムサシのスタミナ切れを待っているのだ。
その証拠に、牛鬼の攻撃はジャブのような軽いものばかりだった。
床が穴だらけになり、ムサシの息がだんだんと上がっていく。
「ハァ……ハァ……埒があかねないな……」
そのときふと、左のほうでで小さな金属音がした。
ムサシが目を向けると、一本のボルトが地面に落ちていた。
その一瞬のスキを突いて、牛鬼は猛然と次の攻撃に移った。
「チッ!」
間一髪だった。
ムサシは牛鬼の太い腕を、すれすれのところで回避した。
そして、先ほどのボルトの位置まで避難した。
牛鬼はムサシに顔を向け、盛大な鼻息をもらした。
「ぬふぅ、どうだ、そろそろ限界だろう?」
牛鬼の呼吸に乱れはない。
一向聴は勝ちほこったように笑った。
「さあ、牛鬼、トドメを刺すネ!」
「ぐふふ、もう2、3発と言ったところか……では、その1発目……」
牛鬼は肩をぐるりと回し、両手の指を鳴らした。
おもむろに右手を頭上にかまえた。
「モオオオオッ!」
格段に素早い突きが飛んできた。
ムサシはこれもギリギリのところで対処した。
牛鬼の腕はそのまま床に激突した。
その衝撃で、ボルトが宙を舞った。
「ぐふふ……さすがプロトタイプだけのことはある……だが……」
牛鬼は言葉を切った。
もったいぶったからではない──なにかが頭に当たったのだ。
鋼の筋肉を小突いたその物体は、牛鬼の足もとに転がった。
鈍色に光るナットだった。
「なんだこれは……?」
牛鬼は天井を見あげた。
自分の攻撃で、格納庫が倒壊しかけているのではないか。それが心配になったのだ。
その牛鬼の視界を、まばゆい光がおそった。
天井から落下してくる工業用ライトだった。
突然の明るさに目がくらんだ牛鬼は、ライトをよけきれなかった。
「アヤヤ!?」
背中に乗っていた一向聴は、じぶんだけサッと飛びのいた。
ライトが牛鬼の首を直撃する。
牛男は膝をくずして、その場に倒れ込んだ。致命傷でこそなかったものの、攻撃されないと思っていた牛鬼には、大きなダメージだった。
牛鬼は首のうしろを押さえながら、一向聴をにらみつけた。
「こ、小娘……なぜ防御せん……ッ!?」
一向聴は、あわてて弁明した。
「ご、ごめんアル! あたしの術は機械には意味な……!」
一向聴は口もとに手を当てた。
しかし、時すでに遅し。
ムサシの強化された聴力が、それを聞きのがすはずはなかった。
「なるほど……それがおまえの弱点か……おい! カオル!」
「あいよっと!」
ムサシの呼び声に合わせて、天井からカオルがとびおりた。
手にはスパナを持ち、それでトントンと自分の肩をたたいた。
カオルはほこらしげに、
「ダメもとの作戦だったが、予想以上の収穫だ」
と言った。ムサシもこれには得意げに、
「ああ、ほがらの言うとおりだ」
とかえした。
「ハハッ、海老鯛か?」
ふたりは遮光シールド越しにお互いを見つめ、そして笑った。
だが、すぐに表情をととのえて、牛鬼と一向聴へこぶしをむけた。
「「今度はこちらから行くぞッ!」」