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第99話 スられたステッキ

 ジャンヌは給仕を呼び、カードでふたり分を支払った。

 レストランを出たところで、ともえは一礼した。

「この分は、出世払いで返す故……」

「いいのよ、私がホストなんだから」

 ジャンヌはあっけらかんとそう言って、カードをしまった。

 ふたりはエレベーターに乗り込み、地階へのボタンを押した。

 ぐらりと足下が揺れ、ゆっくりとカーゴが動き出した。

「ずいぶんと、動きが緩やかなのだな」

「年代物だからね」

 地階に到着したふたりは、エレベーターを下りて、真夏の日差しへと向かった。

 ともえはそのあいだも、先ほどの会話を、注意深く反芻していた。

「ジャンヌ殿、ヨーロッパには、夢の国に関する、なにか特別なものがあるのか?」

「へ? なんで?」

「さきほど、おっしゃったではないか。フランス、ドイツ、イギリスに……」

 そのときだった。後ろから誰かにぶつかられ、ともえはつんのめった。

「pardon」

 バンダナをまいた若い男は、軽く謝って、ともえの隣を通り過ぎた。

 細長いクリスタルのピアスが、太陽光にかがやき、遠ざかった。

「大丈夫?」

「平気だ。ただ、尻をさわられたような気が……む?」

 ともえは腰に手を伸ばし、黒い長ズボンをまさぐった。

 そして青ざめた。

「す、ステッキがないッ!?」

 ポケットに突っ込んでおいたはずの魔法のステッキが、紛失していた。

 裏地を引っ張りだしてみるが、中身は空だった。

「どこかで落とした?」

「レストランを出るときは、確かにあったは……ず……ッ!」

 ともえは瞬時にして、自分の身になにが起こったのかを察した。

「スリだッ!」

 ともえはそう叫んだのと同時に、地面を蹴った。

「そこの男ッ! 止まれッ!」

 観光客に紛れ込もうとしていた男は、ともえの制止に気付き、同じく走り出した。

 男はどうやら、簡単にまけると考えていたらしい。最初は小走りで、公園の出口を目指していた。しかし、ともえが急接近し始めると、男は焦ったように歩を速めた。最後には、お互いに全力疾走になっていた。

「待たぬかッ!」

 ともえの足も速かったが、相手の方が一枚上手だった。縮まっていたふたりの距離が、今度はだんだんと離れていく。地理にうといことが、ともえの状況を不利にしていた。男は路地を巧みに選択しながら、ともえを翻弄した。

 ムサシに変身するか。そう考えたともえだが、街中では人目についた。

「くッ! 財布をスレばいいものをッ!」

 フランスに連れ去られてから、ともえはほとんど無一文だった。ステッキを盗まれるよりは、百倍マシに違いない。

 薄汚い路地裏を走り回り、通行人や猫を驚かせるふたり。

 懸命の追跡にもかかわらず、男の姿はこつ然と消えてしまった。

 ともえは膝に手をつき、肩で息をする。

「ハァ……どこへ……ハァ……行った……?」

 返事があるはずもない。大変なことになった。

 そう思ったともえの耳に、若い男の悲鳴が聞こえる。

「いたたたッ! ストップ! ストーップ!」

 それは、路地の奥、2つ目の十字路を、左に曲がったところから聞こえてきた。

 ともえは歯を食いしばり、なんとかそこへと駆け込んだ。そして吃驚した。

「ジャンヌ殿ッ!」

 小道の影に、ジャンヌの姿があった。彼女は、バンダナ男の腕を背中にひねり、いとも容易く組み伏せていた。男は苦痛に顔をゆがめて、もう一度悲鳴を上げた。

「ジャンヌさんッ! マジ関節に入ってますッ! 折れるッ! 折れるッ!」

「折られたくなかったら、盗んだものを出しなさい」

「地面に落ちてますよッ!」

 男はあごで、石畳の一角を示した。

 ともえがそこへ視線を向けると、空き缶のそばに、ステッキが落ちていた。

「最初から、そう言えばいいのよ」

 ジャンヌは、男の背中からぴょんと飛び降り、ステッキを拾い上げた。

 ポケットからハンカチを取り出し、丁寧にふいた。そして、ともえに手渡した。

「はい、奪還成功」

「か、感謝いたす……」

「大事なもんなんだから、ポケットはファスナー付きにしときなさいよ。残念だけど、パリは治安がよくないからね……ま、私のせいでもあるけど」

 ジャンヌは腕組みをして、男に向きなおった。

 男は右肘をさすりながら、うーッとうめいていた。

「ジャンヌさん、どういうことなんですか? 俺は悪いことしてないですよ?」

 窃盗だろう。そう言いかけたともえは、男の容姿におどろいた。よく見れば、ファッションモデルような、端正な顔立ちと服装をしていた。ワックスで奇麗に尖らせた黒い前髪と、それによく似合う漆黒の瞳を持っていた。白人ではなく、アラブ系の移民に見えた。

 相手はなんと、まだ10代の少年であった。

「残念、この子は、私の大事なお友だちだから」

 ジャンヌの返事に、少年は右の眉を軽く持ち上げた。

 信じられないといった顔をしている。

「ジャンヌさん、友だちがいたんですか?」

「こら、私がぼっちみたいな言い方しない」

 どうやらこの少年、ジャンヌと面識があるらしい。ということは、ジャンヌの部下……ではない。ともえは、考えなおした。ジャンヌは組織のようなものを持たず、一匹狼で通しているらしかった。セバスチャンも執事というだけで、他の悪の組織が言うような、配下ではないように見えた。

 もっとも、その区別になにか意味があるのか、ともえには分からなかったが。

 一方、少年もともえの顔を、あけすけにのぞき込んできた。

「んー……中国人?」

「拙者は日本人だ」

「日本人のわりには、バイタリティがあるな。追ってくるなんて」

 男はそう言って、軽く舌打ちをした。

「その態度、気に食わん。一言謝ったらどうだ?」

 ともえは男をにらみつける。

 すると男は、後頭部に両手を回して、目を閉じた。

「やだね。スリは俺の仕事だから」

「泥棒は職業ではない。犯罪だ」

「いーや、職業だね」

「職業ではない」

「職業」

「ちがうッ!」

「はいはいはい、水掛け論は止め」

 語気を荒げるふたりの間に、ジャンヌが割り込んできた。

 憤懣ふんまんやるせないともえだが、ひとまず口論を中止した。

「ジャンヌ殿、知り合いなら、一言注意してくださらぬか?」

「それを私に言いますか?」

「……確かに」

 悪の幹部にスリをたしなめろとは、自分の迂闊さに呆れるともえであった。けれども、この少年が悪事を働いたのは、事実である。そう考えたともえは、ふたたび相手の顔を凝視した。

「おぬし、名は?」

「自分から名乗れよ」

 減らず口な奴だ。そう思いつつも、ともえは自己紹介をする。

「拙者は、黒金(くろがね)ともえ……おぬしは?」

「俺はアベルだ」

 少年の返答は、ひどくそっけなかった。

「今回は大目に見るが、次に会ったときは……」

「おまえ、本当にジャンヌさんの友だちなの?」

 男はいぶかるようなまなざしを、ともえに向けてきた。

 それほど信じられない話なのだろうか。ともえは、隣にいるジャンヌを盗み見た。ジャンヌは、ふたりのやりとりに関心がないのか、それとも事態を見守るつもりなのか、なにも口にはしなかった。

 ともえは、わざとタメ息をついた。

「まったく反省の色が見られんな。将来が案じられる」

「だから、仕事だって言ってるだろ」

「泥棒が仕事だと? ……バカも休み休み言え。泥棒は犯罪だ」

「そんなのは、法律が勝手に決めてることだろ? 余ってるところから貰うのは、余ってないところから搾取するよりも、ずっと良心的じゃないか? なにが悪い?」

「貰いかたの問題だ」

「貰いかたの問題? 俺は真面目に技術を磨いて、それで食ってるんだ。小手先の商売なんかより、よっぽど働いてるぜ?」

「スリの技術を普通の労働と一緒にするな。そもそも、私は金持ちではないぞ?」

「パリくんだりまで、観光に来てるのにか?」

「拙者は観光客ではない」

 ともえがそう言い切ると、アベルはくちびるをすぼめた。

 頬をかき、うつむき加減になる。

「そうか……悪かったな」

「うむ、それでよい。水に流そう」

「なんか、言いかたがムカつくな……同世代だろ?」

「拙者は16だ」

 ともえが答えると、アベルは「ふーん」とつぶやいた。

「なんだ、俺のひとつ上かよ」

「貴様、年下なのか? 無礼な……」

「まあまあ、出会っていきなり喧嘩する必要もないでしょ」

 ジャンヌが、あいだに割って入る。

 ともえはジャンヌの顔を立てて、ケンカ腰の態度をあらためた。

「まあ、ステッキも返ってきたことだ。今回は、大目に見てやろう」

「なーんか偉そうなんだよな。俺のこと、下に見てないか?」

 アベルが、ふたたび混ぜっ返した。

「おぬしこそ、初対面の乙女にセクハラとは、どういう了見だ?」

「セクハラ? セクハラなんかしてないぜ?」

「ステッキをスルときに尻をさわっただろう?」

「さわってない」

「さわった」

「おたがいに譲らねえ性格か……まあ、いいや」

 アベルは両手をポケットに差し込み、それから爪先で石畳を小突いた。

「それにしても、なんだ、そのステッキは? オモチャか?」

 アベルは好奇心に満ちた瞳で、ともえの手中にあるステッキをのぞきこんだ。

 年相応の無邪気な視線に、ともえはどきりとなった。

「そ、そうだ……オモチャだ……」

 ともえは嘘をついた。

 とはいえ、魔法少女に変身するステッキだと正直に答えても、結局は同じことかもしれなかった。似たような玩具は、いくらでもあるのだから。

「レストランを出るとき、念入りに確認してたから、財布だと思ったんだが……俺の勘も、当てにならねえな」

 レストランから尾行されていたことに、ともえはショックを受けた。人一倍警戒心の強い自分が、スリの行動にまったく気付かなかった。その事実が、ともえのプライドを傷付けたのである。

 ともえは虚勢で胸を張り、ふんと鼻を鳴らした。

「泥棒の目など、所詮はその程度ということだ」

「なにぃ?」

 三度目の諍いに、ジャンヌはタメ息をついた。

「あなたたち、もうちょっと仲良くできないの?」

「初対面のスリと仲良くする必要など、ござらん」

「そりゃ、こっちの台詞だ」

 アベルの発言に、ともえは眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

「ジャンヌさんの友だちってことは、あんた、人殺しかなんかだろ?」

 少年の指摘に、ともえは一瞬、頭が真っ白になった。

 そして、激しく動揺する。

「ち、違う……拙者は、人殺しでは……」

 人殺しではない。そう言いかけたともえは、躊躇した。

 確かに、人を殺めたことはない。しかし、殺めようとしたことは、あった。上海で実父と戦ったときのことを思い出し、ともえは今さらながらに身震いした。

 彼女の中で、急激に自制心が揺らいだ。

「ほら、その様子だと、図星じゃないか。だったら俺に……」

「拙者は人殺しではないッ!」

 絶叫とともに、ともえの涙腺が崩壊した。

 目の前をにじませながら、ともえは嗚咽おえつした。

「拙者は……人殺しではない……」

 咽び泣くともえの横で、ジャンヌが茶化すような声を上げた。

「なーかしたー、なーかしたー」

 少年がどのような反応を示したのか、ともえには涙に隠れて見えなかった。軽い舌打ちとタメ息だけが、彼女の鼓膜を震わせた。

「ちぇッ、女はこれがあるから卑怯なんだよ……悪かったな」

 ともえは袖口で瞳をぬぐいながら、ぐすりと鼻を鳴らした。

「すまぬ……取り乱してしまった……」

「それにしても、おまえ、ほんとにジャンヌさんの友だちなのか?」

 アベルは自問自答するように、そうつぶやいた。

 そして答えを待たずに、背中を向けた。

「ま、大切なもんなら、もうちょっとマトモに隠すんだな。あばよ」

 少年はそう言って、街路の奥へと消えて行った。

 あとに残されたともえに、ハンカチが差し出される。

「どうしたの? トモエちゃんらしくないわね?」

 ともえはハンカチを押し返し、もう一度鼻をすすった。

「気が動顛どうてんしただけだ。面目ない」

「動顛ね……ところで、これからどうするの? 観光の続き?」

 ジャンヌの質問に対して、ともえはすぐには答えられなかった。

 さきほどまでの観光気分は、彼女の中から、すでに消えていたからである。

 ともえは相手の気持ちを推し量りつつ、くちびるを動かした。

「もうしわけないが、続きは後日に願いたい」

「ま、そう言うと思ったわ。アベルの奴、余計なことしてくれたわね」

 そう返したジャンヌだが、怒っているようには見えなかった。

 ともえは、ふと別の疑問に行き当たった。

「ところで、ジャンヌ殿は、他人に正体を教えているのか?」

「ん? なんのこと?」

「さきほどの……アベルとか言う少年、おぬしの正体を知っていたような……」

 なんだ、そのことかと、ジャンヌは肩をすくめた。

「教えてないわよ。多分、マフィアの女ボスかなんかと、勘違いしてるんでしょ。まあ、私がこのへんの悪党のあいだじゃ有名なのは、事実だけどね」

 ジャンヌは、まんざらでもなさそうな顔で、そう答えた。

「なるほど……そういうことか……」

 さすがに、自分が悪の幹部であるなどと、名乗りはしないのだろう。ともえはそう解釈して、この話題を打ち切った。

「アジトまで、送っていただけぬか? 道が分からぬゆえ」

「はいはい、お易い御用よ」

 ジャンヌはそう言って、くるりときびすを返す。

 どうやら、家路は反対側のようだ。ともえは、彼女のあとに続いた。

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