第9話 日中合策
七丈島は静まり返っていた。
自宅待機は午後になっても解除されず、警備隊の車とヘリが市内を巡回するばかり。島の中央部、小高い山の中腹にある自然公園も、午後の日差しに閑散と照らされていた。
その人気のない公園の片隅に、木造の休憩小屋があった。
夏めいてきた6月の太陽を避けるように、3つの人影がゆらいでいた。
ひとりは白い開襟シャツを着た半袖姿の少年だった。
少年はひどく丁寧な口調で、ほかのふたりに謝辞をのべた。
「お暑いなか、わざわざご足労いただき、ありがとうございました」
少年の向かいには、木のテーブルを挟んで、20代そこそこの外見の男がいた。
男はほっそりとした瞳で少年をみつめ、紅を塗ったくちびるをうごかした。
「蘆屋様こそ、わざわざお手数をおかけいたしました」
男は正面を向いたまま、となりに座る少女の後頭部に手をかけた。
少女は額から脂汗をしきりに流していた。
「まさか一向聴が独断専行でこのようなことをするとは、思ってもみませんでしたので……さあ、一向聴、蘆屋様に謝罪を……」
「ご、ごめんなさいア……」
少女の言葉を待つことなく、男は腕を折り曲げた。
一向聴の頭がテーブルに思いきり打ちつけられた。
突然の物音に、カラスが一羽、近くのこずえから飛び立った。
男と蘆屋は、おたがいに視線をまじえた。
「これでお赦しいただけますね?」
質問というよりは確認に近い調子で、男はそうたずねた。
「……今回の件は、これで手打ちといたしましょう、王桀紂殿」
王と呼ばれた男は静かにほほえんだ。
だがすぐに表情をもどして、先をつづけた。
「では今後の方針などを……」
王の発言に、蘆屋は待ったをかけた。
「お待ちください。そのまえに確認いたしたいことがございます」
王はひらきかけたくちびるの動きをとめた。
「……蘆屋様から、なにかご提案でも?」
「この七丈島は、国連の委託自治領。されど本来は、我が国に所属する島でございます。したがいまして、この島での悪事は、すべて我が蘆屋家の管理下にあるものと、お心得いただきとうございます」
「ほお……そうでしたか……忘れておりました……」
王はとぼけたような返事をすると、右手を上げ、くるりと手首をひねった。
すると手品のように、一枚の真っ赤な扇が現れる。
王はそれで右頬をひとあおぎして、それから口もとを隠した。
「しかしながら、今は緊急時。日本政府が密かに用意していた双性者のプロトタイプとやらが、この島にいるそうではありませんか……一向聴、あなたはその者たちを見たのですね?」
一向聴は、不必要に何度も首を縦にふった。
「ほ、本当ヨ! この目で見たネ!」
「……というわけです。したがいまして、これは悪の組織全体の……」
「いいえ、それはなりませぬ。この島で起こっていることは、我が国の問題。世界犯罪憲章第9条、相互不干渉の合意にもとづき、お引きとりを願いとうございます」
王は謎めいたタメ息をついた。そして小屋のそとへ目を転じた。
どこまでも澄み切った青空の広がる、美しい島の風景。
ただひとつ目障りなものがあるとすれば、蘆屋が張っている結界だった。
あれをくぐり抜けるには、王もかなりの労力を要した。
おかげでパワーを消費してしまい、蘆屋と対決する余力をのこしていなかった。
王はしばらく雲の流れを追ったあと、おもむろに蘆屋へむきなおった。
「我々としても、蘆屋様の意志を尊重したいのですが、事は急を要しまして……」
「先ほども申しあげたとおり、プロトタイプの処分は我が……」
違う違うと、王は扇をふってみせた。
その動作に、蘆屋は眉間にしわをよせ、口をつぐんだ。
「朕が述べているのは、シベリアからの贈り物のことです」
シベリアからの贈り物。
そのぼかした言い回しに、蘆屋の顔色が変わった。
「……まさかクレムリンが?」
察しがよろしいと、王は扇をサッと閉じた。
波打った空気が、蘆屋の頬をなでた。
「そう、そうのまさかです。オホーツク海を南下し、こちらへ向かっているとのこと」
蘆屋は平静を装おうとした。が、彼の動揺は王に筒抜けだった。
まだまだ若いと思いながら、王は先をつづけた。
「さて、いかが致しましょう? ラスプーチンのやりかたは、蘆屋様もよくご存知のはずです……それにクレムリンが動いたとなると、ラスプーチンだけでなく、その部下も大勢やって来ることになります」
王はそこで説明を止めた。
蘆屋は苦虫を噛みつぶすような顔で、しばらく思案した。
「……承知いたしました。ここは共闘ということで、お願い申しあげます」
王はふたたび扇をひらき、口もとを隠した。その裏でニヤリと笑った。
「こちらこそ……では、今後の作戦を……」
「本当にクレムリンがこの島へ来るのですか?」
蘆屋は王に問うた。
王はあっさりと答えを返す。
「あなたの組織は、どうも情報戦に弱い……技術力はあるのに、情報軽視とは、よく分からない体質ですが……クレムリンがこちらへ向かっているというのは、本当です。もし嘘だったときは……」
王は扇を閉じて、その先端を一向聴の首筋にそえた。
「この一向聴の首を差し上げましょう」
びっくりした一向聴は、あわてて自分の首に手を回した。
「あ、あたしの首アルか!?」
「……冗談です」
一向聴は首に腕を伸ばしたまま、ぶるぶると震えていた。
王は扇をひらいた。
「おふざけはここまでにしましょう。蘆屋様は、どのような作戦をお考えで?」
この質問は、蘆屋にとって意外だった。
王が仕切りたがると、そう思っていたからだ。
蘆屋はじっと目を閉じた。
考えがまとまるのに、それほど時間はかからなかった。
少年の澄んだ瞳が、ふたたび真昼の光をとらえた。
「……こう致しましょう。クレムリンが来る以上、桀紂殿と私はそちらの対処へ当たらねばなりません。それに、貴殿は少しお疲れのご様子。そこで……」
蘆屋は、一向聴に視線をむけた。
「プロトタイプの処分は一向聴殿にお任せし、私たちはクレムリンの到着を待つ、という作戦はいかがでしょうか?」
「ふむ……まあそれが無難ですか……しかし……」
王は蘆屋のアイデアに注文をつけた。
「朕は大蝙蝠を助け出さねばなりません。だいじな部下ですからね。ここはひとつ、惻隠の情をかけてやらねば」
「そのような時間がおありですか?」
「クレムリンの移動速度からして、到着は20時頃のはず。まだ時間はあります。それよりも、この一向聴なのですが……」
一向聴はびくりとした。
「防御には定評があるのですが、攻撃がからっきしでして……蘆屋様の陣営から、協力をあおぐ必要があるかと思います。どなたか適任者などは?」
「その心配はご無用です……牛鬼、ここへ」
蘆屋は右手をあげ、そのすらりとした指を伸ばした。
すると小屋の一角の影が、夕暮れどきのように広がった
そのまま立体に形を変え、地面から起きあがった。
子供ほどの大きさだったそれは次第にふくらみ、蘆屋の背をこえる。
牛面人身の、黒い巨大な怪物となった。
「お呼びでございますか、道遥様?」
怪物は獣くさい鼻息をついた。
「牛鬼、そちらの娘さんと協力し、この島にひそむ正義の味方を退治しなさい」
牛鬼は一向聴に視線を落とし、もういちど鼻息をついた。
ゆったりとした低い声であいさつする。
「お嬢さん、よろしく」
一向聴は王のすそにすがりついて、びくびくと怪物をみあげた。
「よ、よ、よろしくアル」
怖がる一向聴をよそに、蘆屋は王へむきなおった。
「桀紂殿、お仲間を救出する算段は、いかように?」
蘆屋の質問に、王はくすりと笑った。
心配無用──目もとがそう語っていた。
「当代の蘆屋様とお会いするのは、今日が初めてでしたね……お気づかいなく。朕の能力は、こういうことにうってつけですので……では今晩また、お会い致しましょう」
◆
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真っ白なテーブルのうえに一枚、ダイヤのクイーンが切られた。
それを覆うように、スペードのキングが一枚。
さらにハートのエースが上乗せされて、しめくくりにジョーカーが顔を出した。
「よっしゃ、あがりやッ!」
ジュリアがガッツポーズを決める。
となりのほがらは顔をあげずに、
「はい、それチョンボ」
とつぶやいた。
「なんでや? 一番最初にあがったで?」
「ジョーカーあがりはナシだって、何回説明したら分かるの?」
ほがらの冷静な一言に、ジュリアは頭をかかえた。
「しもうたッ! 忘れとったーッ!」
身もだえするジュリアの横で、清明が8のクラブを出した。山をどける。
そしてその空いた場所へ、カードを一気に4枚置いた。
「はい、革命」
ほがらはそれをみて、
「はいはい革命ね……えええッ!?」
とさけび、椅子から立ちあがった。
なにをそんなに興奮しているんだと、カオルはけげんそうな顔をした。
ジュリアはほがらのうしろへ回り込んだ。
「ははーん、これはあかんわ」
ジュリアはあごに手をあてて、意地悪な笑みを浮かべた。
クラブのキングが1枚、それに中途半端なダイヤの9と10。
完璧に詰んでいた。
目の前で飛び交うカードを、ほがらは黙って見送ることしかできなかった。
全部パスしたあとで、ムサシがハートの3を出し、ゲームは終わった。
「また私とジュリアがドベじゃないッ! どうしてええぇ!?」
知らんな──と言った表情で、ムサシはカードの山に手を伸ばし、整理を始めた。
カオルはつかれたような顔で、壁の時計をみやった。
針は7時半を指していた。博士から事態の説明を受けた5人は、敵の居場所が判明するまで、この地下研究所で過ごすよう指示されていた。
蘆屋なる人物が見つかったという知らせは、一向に入って来ない。
巨大なスクリーンは、真っ暗な画面を映すだけ。スピーカーも沈黙していた。
ほがらは腕組みをしながら、
「もう、これじゃただの自宅警備員じゃない」
と愚痴った。
「自宅やないけどな……」
「じゃあなに? 職場警備員?」
「それはただのガードマンやな……」
ほがらとジュリアの漫才を無視して、カオルはムサシに視線を送った。
ムサシはトランプを箱にしまってから、カオルの視線をとらえ返した。
「どうした? なにか言いたいことでもあるのか?」
「なあムサシ、俺はずっと気になってるんだが……蘆屋とかいうやつが見つかったところで、俺たちにどうしろって言うんだ? そいつがこの国の裏社会を牛耳る親玉なら、今の俺たちに勝ち目はないと思うんだが……?」
ムサシは天井のLEDをみあげた。
そして、おもむろに口をひらいた。
「まあ、勝ち目はないだろうな……あの一向聴とか言う女が、中国大陸を仕切ってるボスの部下だとすれば、そのボスはあの女よりもっと強いはずだ……そのボスと日本で対等に渡り合ってるのが、蘆屋ってことになる……一向聴との戦いだって、あの変な黒い物体に助けられなければ、今頃俺たちのほうがやられていたかもしれない……」
ふたりは会話をやめた。
時計の針が、規則的に時をきざむ。
カチリと長針が動いたところで、ふいに司令室のとびらがひらいた。
「すまん、遅くなった」
とびらから入って来たのは、御湯ノ水博士だった。
5人は緊張した面持ちで、椅子からたちあがった。
博士は背中で手を組み、司令室の中央へと足を運んだ。
カオルが代表して、
「なにか分かりましたか?」
とたずねた。博士は目を閉じ、黙って首を左右にふった。
じれったくなったほがらが、一歩まえに出た。
「こうなったら、私たちでさがすほうが早いんじゃない? 海老で鯛を釣るのよ」
これを聞いたムサシは、
「力関係の比喩は合っているが……釣られたら死ぬぞ?」
とつっこみをいれた。
そこへ、清明が身を乗り出す。
「ここで待ってても、仕方がないんじゃないかな? ボクたちが寮に戻ったって言う情報を流して、蘆屋をおびき出したら?」
清明のアイデアに、ほがらはパチンと指を鳴らした。
「それよッ! さすがは清明、腹黒い作戦には定評があるわねッ!」
褒めているのかけなしているのかよく分からない評価に、清明は微妙な顔をした。
しかし博士は、清明の提案にも首をふった。
「それはならん……寮が襲われたら、大変なことになるからな……」
「じゃあどないするんや?」
「……こちらへ来てくれ。見せたいものがある」
博士はそう言うと、5人に背を向けた。
5人はおたがいに顔を見合わせ、それから博士のあとをついていった。
司令室を出て、いくつもの十字路を通り過ぎ、迷路のような研究所のなかをさまよい、そしてあるとびらの前に案内された。
そのとびらは既にロックを外され、廊下からなかをうかがうことができた。
が、暗くてよく見えなかった。
5人の視線を背中に受けながら、博士はその部屋へと姿を消した。
ほがらは、
「ちょっと、いいかげんになんなのか説明してよ」
と言いながら、その部屋に入った。
他のメンバーもそれにつづいた。
「なんや、なんも見えんで?」
ジュリアの声に合わせて、パチリとスイッチの音がした。
すると室内が明るくなり、5人のまえにその全貌をあらわした。
そこは巨大な格納庫だった。
合体ロボのアニメで出て来るような、屋内滑走路が3つ、ほがらたちの右手から左手へと平行に伸びていた。奥の2つは未使用で、一番手前の滑走路に一機、小型の戦闘機のようなものが、機体を鈍く光らせているだけだった。その進行方向の先には、大きな金属製の扉があり、発射口をふさいでいた。
その光景に最初に反応したのは、ほがらだった。
「か、かっこいいッ!」
ほがらは目のまえの機体に駆けよった。
「もしかして、ヒーローの乗り物ってやつ? 変形合体したりできる?」
ほがらは博士に、憧憬の眼差しを向けた。
ところが博士は無表情に、ほがらの問いを受け流した。
「さあな……」
ほがらの顔から輝きが消え、曇り空に変わる。
「さあって……博士はここの所長なんでしょ? なら、当然知って……」
「この飛行機自体はどうでもいいのだよ……」
「え……? じゃあ、なんでここに……?」
不穏な空気。なにかがおかしいと、ほがらは感じた。
ほがらは機体から離れて、本能のまま博士と距離をとった。
博士はほがらの動きに合わせて、彼女のほうへ正面を向けて来た。
「おまえたちは、ここで死ぬのだからな」
一瞬の沈黙──博士の言葉の意味を、ほがらの脳は認識できなかった。
次に爆発したのは、ムサシの大声だった。
「ほがらッ! うしろだッ!」
ムサシは腕時計へ手を伸ばした。カオルと清明も変身する。
ほがらの反応は、それに一歩遅れてしまった。
体が宙に浮く。ぐにゃぐにゃした物体が、全身を締めつけて来た。
もがけばもがくほど、そのチューブのような物体に圧力が加わる。
最初にその正体を見破ったのは、ジュリアだった。
「こ、コウモリ女やんけッ!」
コンテナのうえに、大蝙蝠の姿があった。
大蝙蝠の口から伸びた舌が、ほがらの体をからめとっているのだ。
「はなしなさいッ! 汚いでしょッ!」
ほがらの悲鳴を受けて、変身を終えたムサシとカオル、それに清明が前に出た。
その3人のまえに立ちはだかったのは、なんと博士だった。
「それ以上近づくと、お友だちの骨が粉々になってしまいますよ」
博士の口から、男とも女ともつかない気味の悪い声がもれた。
ムサシはこぶしをにぎりしめて、
「貴様……変装してるな!」
とさけんだ。
攻撃することはできない。人質がいるのだ。
やり場のない力を溜めるムサシのまえで、博士の顔がぐにゃりとねじれた。
「変装ではなく……いえ、ここで教える必要もありませんか……」
博士の容貌は粘土細工のようにくずれ、ゆっくりと若い男に変わった。深紅のくちびるをした、切れ長の目を持つ男だった。
ジュリアはハッとなって、
「おまえが蘆屋とかいうやっちゃな!?」
とゆびさした。
男は小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「それは、朕の同業者です……私がお相手をしてもよいのですが、あいにく蘆屋とは約束をしてしまいましたもので……またの機会に」
男は胸に手を当てて、慇懃に頭をさげた。
あまりの余裕っぷりに、変身したメンバーも攻撃をとまどってしまった。
男は顔をあげ、口の端に笑みをもらした。
「思ったより賢いのですね。やみくもに攻撃してこないとは……命拾いしましたよ。数十分ほどのことかもしれませんが」
王は片足で地面を蹴り、空中に舞ったかと思うと、一羽の鳥に変じた。
通気口のなかへと姿を消す。
あっけに取られたカオルたちだったが、すぐにほがらへと視線を転じた。
「ほがらを放さんかい!」
ジュリアが大蝙蝠に怒鳴りかけた。
大蝙蝠は余裕の笑みを浮かべたまま、さらに舌を引きしめた。
「ぐぅ!」
ほがらの顔が苦痛にゆがんだ。
4人は、その光景を見守ることしかできなかった。
人質がいる場合の怪人の倒しかたなど、学校では教わっていないのだ。
ムサシはカオルに、
「こうなったらおまえが司令塔だ。なにか案はないか……?」
とたずねた。
「待て、考え中だ……」
カオルが思考をフル回転させている、そのときだった。
格納庫のなかに、ひとりの少女の声がひびきわたった。
「そこまでです!」