雨月
不快な雨の音が、耳に突き刺さる。
そんな夜。
少女と少年。
二人共、息は荒く、服も乱れていた。
小学生ぐらいの年齢だろう。只、少年は少女より年上のようだ。
少女が微笑みながら、少年の頬を優しく撫でた。それに答えるかのように、少年はぎこちなく笑った。
少女は始終ずっと少年の目を見詰めていたが、少年は決して目を合わせようとしなかった。
「あのさ」
少年は台所を指差した。
「喉、乾いたよね」
少女は首を横に振った。
「取ってくるよ」
少女はまた首を横に振ったが、少年は少女を押しのけ、逃げるかのように、立ち上がった。
少年は、水をガラスのコップに注いだ。少年はそれを飲まず、少女の横に持ってきた。
少女は立ち上がらず、少年の行動をただひたすらに見詰めていた。
少年がコップを少女の前に突き出した。
「飲んで」
首は横に振られた。
「乾いてなくても、体は水を必要としてる」
少女は頬を膨らませ、もう一度首を振った。
「体、壊すよ?」
少女は懐から手帳とペンを取り出し、書き殴った。
『どうなってもいい』
『おにいちゃんいないならおなじ』
「お前、そんな事ッ!」
少年は手を振り上げたが、途中で悲しそうな顔をして、止めた。
「…言うな、なんて。そんな命令する権利、ボクに、無いか」
少年は止めたその手を少女の肩に回した。
「ごめん、許して」
少女は慌てて手帳に書き直した。
『こっちがごめん』
『ちょっといいすぎた』
『わたしいきる』
少年は泣きそうな顔のまま笑った。
「良かった」
少女もまた笑った。
二人で、笑うあった後、少年がふいに口を開いた。
「後、一時間もないや。他に、して欲しい事は?」
少女は少し悲しそうな顔をしたが、直ぐに笑顔に戻り、手帳に書き始めた。
『くちうつしでのむ』
「口移し?それってボクが?」
少年は頭を抱え、ため息を吐く。
「お前が、考えてる事が、全然分からない」
そうは言いつつも、烏龍茶を口に含み、黙って肩に手を回す。
「ん…」
口をつけ、
流し込み、
舌を絡め、
手を握り、
口付けが終わっても、少女は少年を抱き締め離そうとしなかった。
「泣くなよ。ボクはお前が好きなんだ」
少年が腕を伸ばし、カーテンを開けた。
「見ろ、綺麗な月だ」
雲が厚く掛かっていて、月は何処にも見えなかった。
少女にも、見えなかったのだろう。首を振った。
「見えない月の方が、綺麗なんだ」
少女は不思議そうに、少年を見ていた。
「雨月って言うんだ。この雲の向こう側に有る月を、丸いお饅頭を眺めて想像する事が風流とされてる」
少年は天を見上げながら、指で円を作った。
「想像の月の方が、本物よりずっと丸くて大きい。要するにそういう話」
二人は暫く、雲を見詰め、雨音を聞いた。
少女は手帳のページを捲り、書いた。
『だけど』
『いやなあめ』
「そうだね、嫌な雨だ」
少年は楽しそうに、嫌だ嫌だ、とはしゃいだ。少女も思わずつられて笑った。
ふと、少年が真面目な顔した。
「お前、自分がした事と、今からする事の自覚、有るよな?いいんだよな?」
少女は静かに頷いた。
「こんな兄でごめん」
うすく微笑みながら少女は首を横に振った。
『わたしがたのんだことだから』
『それに』
『いってくれただけでも』
『うれしかった』
「ごめんな」
少女が少年に寄り添った。
『それより』
『なまえは?』
「名前?お前…それはそうだけど、出来るかどうか分からないし、出来たとしても、それは…」
『わたしがいきるりゆう』
『だからなまえ』
少年は、少し戸惑ったけれど、結局苦笑し、答えた。
「そうだな、今日1日はわがままなお姫様の言うとおりにしなきゃな」
少年は雲を指差した。
「雨月」
見えない月を見ながら、二人は笑った。
少女は、また手帳に書き足した。
『わたしのこと、らぶ?』
「妹だからね。愛してるように見えるよう、接してきたつもりだけど?」
少女は少しムッとした顔で、「そういう意味じゃない」とでも言いたげに、頬を膨らませた。
少年は口の端に少し笑みを浮かべて呟いた。
「見えない月の方が、ずっと綺麗なんだ」
雨音が強くなる。
「ボク達の感情はそんな陳腐な言葉で表せる物じゃないだろ。まぁ、でも、せめて…」
雨はますます強くなり、少年の言葉は、殆どきこえなくなった。
だが、確かに言った。
「今夜は月が綺麗ですね」
――時間だ
いやあ、おめでたい。
紅白がめでたいのは赤と白との境界線が生命の誕生をはっきり表しているからなんだけど、まあはっきりしてなくても生命の誕生は無条件でめでたいんだよ、みたいな。むしろはっきりしないことが美徳なのよ、みたいな。
たとえ、それが誰かの死によって成り立っていたとしても。