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八月のバレンタイン  作者: koyak
「長月」
7/30

07.大好きな何かのために

 勉強会は思いの他順調に進んでいく。二年生の二人も霜月さんは全教科において、如月も得意科目に関しては三年生組と遜色ない、どころか逆に教える側にたつ場面すらあった。

 彼女の得意教科は英語。

「先輩、ここは五文型に照らしあわせると~」

「あ、なるほど! じゃあこの選択肢は誤りだな」

「長月先輩、この関係代名詞はここにかかるんじゃないですか?」

「た、確かにそうすりゃ意味がつながるな。うわ、本当に正解したし!?」

 どちらが上級生かわからない。

「意外と言うと悪いかもしれないけど、凄いな如月」

「そ、そんな大したことないですよ~!」

「如月さんは、近所に"先生"がいるのよね?」

 霜月さんが訳知り顔で話をふる。

「や、やめてよ~! あんなちょっと語学ができるだけの変態。"先生"なんて呼ぶ気になれないよ~」

 む、誰の話だろう?。

 ちょっと聞いてみようとしたそのとき、葉月がある男の"スイッチ"を押してしまった。

センター試験の古典の予想問題を解きながら彼女がうめく。


「源氏物語のこの歌ってどういう意味だったかしら……」


 その瞬間、キュピーン! という音が聞こえた気がした。兼好が眼光鋭くもの凄い勢いで立ち上がる。

「ふっふっふ! 任せろ、葉月。この歌はだな、**の部分が暗に藤壷のことを指していて□◇が○△なんだ! だから紫の上がXXでそれが第XX帖の展開の伏線になって云々……」

「あ、ありがとう。長月君。よくわかったわ……」

「ちなみにこの時の光は兄の外戚から圧力をかけられていて……」

 兼好の語りは延々と続く。この男の古典好き、特に源氏物語好きは異常なレベル。こうなるとこいつを止めるのはなかなか難しい。

 男とは、時には好きな何かのために暴走しちゃったりもする業の深い生き物なのである。この場合、それが源氏物語のためなのか葉月のためなのかは判定が難しいけれど。

 しかし、神無月がそんな暴走兼好を一撃で黙らせる一言を投げかけた。


「目を覚ますんだ、長月君。いや、"あさきゆめみ先生"。葉月さんが思いっ切りひいているよ」


「ぶほぁ!!」

 エア吐血。我に返った兼好が青ざめた顔で神無月に問いかける。

「な、なぜその名前を……!?」

 さてね、と欧米人のように肩をすくめる神無月。

どういうことだろう? 葉月と二人で首を傾げていると、その疑問に答えるかのように如月が叫んだ。

「"あさきゆめみ先生"って、もしかして『紫たんは俺の嫁』の"あさきゆめみ先生"ですか!?」

「ごふぅ!!」

 エア吐血二回目。そろそろエア輸血が必要だろうか?

「あ、あの! ファンです!! サイン下さい!!」

 感激の眼差しで古文教科書の裏表紙を差し出す如月。

霜月さんまで同じ眼差しで同じことをやっている。

「神無月、これ、どういうこと?」

「それはだね……」

 どうやら兼好は源氏物語が好き過ぎるあまり"あさきゆめみ"というペンネームでブログに二次創作をアップしているらしい。ライトノベル風にアレンジされた解釈と文章がうけて、某巨大掲示板でも専用スレが立つほど話題になっているとのこと。如月と霜月さんも実はその愛読者なのだそうな。

 後輩女子二人から尊敬の眼差しで見つめられている兼好。僕たちは今、"奇跡"を目の当たりにしているのではないだろうか。

 しかし、肝心の葉月はというと、我関せずで黙々と続きの問題を解いている。

「ままならないもんだな~……」

「全くだわ。はあ」

 何故か葉月に同意されてしまった。



「……ふむ、もう四時か。いや~時が経つのは早いね」

 神無月が首をこきこきいわせながら呟く。

 もうそんな時間か。かなり集中できていたらしい。意外なほど捗った。捗ってしまった。

 何というか、こう、勉強が手につかなくなるようなドキドキイベントの一つや二つは起きてくれてもよかったのに、と思わなくもない。六人も寄り集まった状態でそんなことを期待しても無理があるのはわかっているけど。

「ちょっと一息入れようか」

 そう言って神無月は部屋を出ていった。

「何だ便所か?」

「長月先輩、下品です……」

「ふふ、多分、すぐに戻ってくると思いますよ~」

 そんなやり取りをしているうちに、神無月が戻ってきた。

「おまたせ。朝にちょっと作ってみたんだ。よかったら食べてみてくれないかな?」

 シルバートレイの上に人数分のケーキ。作ったと言われなければ、少々値段のはる洋菓子店で買ってきたと勘違いしてしまいそうなほど綺麗に形が整ったチョコレートケーキだ。深みのある匂いが部屋に漂う。

「……」

 葉月サン、そのケーキに注ぐ熱い視線の100分の1でいいから、兼好に分けてあげて下さい。

「いい匂い。油断させておいて実は化学兵器レベルの不味さ、なんてオチがつかないことを祈るわ」

「こいつは美味そうだな~。ありがたくいただくぜ」

「もう食べていいですかっ? いいですよね?」

「どうぞ、召し上がってくれ」

いただきます、とまずは一口。


「……!!」


 僕たちから音が消える。響くのは時を刻む時計の針、そしてフォークと食器が触れあう音のみ。

 誰もが一言も発することなく黙々とケーキを口に運び続ける。

 

 完食。

 兼好も如月も葉月も魂が抜けかかった顔をしている。恐らく僕も似たような表情を浮かべているのだろう。


「感想、できれば聞かせてくれるかな?」


 時は動き出す。


「う、美味ぇ~~~~~~~~~~っ!!」

「お代わりは、お代わりはあるの?」

「わたしも! わたしもお代わり欲しいです!!」

「おおお落ち着けよ! まずはだな、この後味をじっくり楽しんでだな!」

「そう言ってもらえてホッとしているよ。実はもう一個焼いてあるんだ。よかったらそちらも食べていってくれると嬉しい」


「「「「いただきます!!」」」」

 後に兼好はこう語る。あの時、四人の心は一つになっていた、と。


 至福の休憩時間。しかもメルアドを交換する流れになって如月のアドレスもゲットできてしまった。きっかけを作ってくれた兼好の調子の良さには感謝せざるをえない。


 ケーキの余韻を楽しみつつ勉強をもうひとふんばり進めているうちに午後六時過ぎ。そろそろお開きとすることになった。

 片づけをしてそれぞれ家路につく。霜月さんも帰るらしい。よかった。親不在の家に神無月と二人で一晩、とか言われたら色々想像して眠れなくなるところだった。

「家までお送りしますよ? お嬢様方」

冗談めかして一応言ってみる。これ、紳士のたしなみ。

「べ、別にいいわよ。そんなに遠くもないし」

「私もです。今日はお疲れさまでした~」

「右に同じです。わたしはコチラの道なので、それでは~!」


 勉強会、終了。結局如月は葉月とあまり話せていなかった。今回如月に声をかけたのは、もしかしたら余計なお世話だったのだろうか。

 そんな不安にかられていたとき、携帯がブルブルと震えだした。

 メールを受信。差出人は、『如月節奈』。


『今日は葉月先輩と会うことができて本当に本当に嬉しかったです。誘ってくれてありがとうございます、先輩!』


「うおっしゃあ! やる気出てきたーーーっ!!」

「うおあ!? き、急にどうしたよ?」

 

 ケーキを口にしたときから考えていたこと。行動に移していいものか、少し迷っていたけど、今ので決心がついた。


「兼好、僕は忘れ物を思い出した! 悪いけど、先に帰っていてくれ」

「忘れ物を取りに行くのにそこまで気合い入ってる奴を俺は初めてみたぞ……。まあよくわからんが、頑張れ」


 兼好と別れ、来た道を走って戻る。やがて僕たちを見送ったときのまま玄関前で待ちかまえ、不適に笑みを浮かべている神無月の姿が見えてきた。

 ち、お見通しってわけかよ。


「お帰り。前に言った『僕にも手伝えることがありそうだ』の意味、わかってもらえたかな?」

「ああ」


 この日、僕は神無月に"弟子入り"した。


(次章『神無月』に続く)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


勉強会後編です。

次話から10月のお話になります。

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