30.始まりは終わりから
三月十七日。高校の、卒業式の日。
三日前のあの一件は、如月の父親がうまくとりなしてくれたのか、僕たちにこれといったお咎めはなかった。お陰で土壇場で進路が白紙になることもなく、こうして無事に式を終え、体育館から教室へと戻ってきている。
教室に置いていた荷物の類は殆ど昨日までに持ち帰っているけど、念のため他に忘れ物はないか確認してみる。うん。ないな。
教室を見回すと抱き合って泣いている女子たちの姿がちらほら。男どもも何か思うところありな表情を浮かべていたり、妙なテンションになっていたりと、何だか気恥ずかしいような、ふわふわしたようなおかしな雰囲気に包まれていた。そうこうしているうちに担任が戻ってきて、成績表その他諸々をそれぞれに渡し、締めの挨拶を語り始める。
「……以上だ。お前ら、卒業おめでとう。解散!」
「「「ありがとうございましたー!」」」
担任が最後のホームルームをそう締めくくると、皆卒業証書が入った筒を片手に思い思い解散していった。
高校の三年間ももうおしまい。僕のような平々凡々な人間にもよく考えてみるとそれなりに色んなことがあった。特に最後の半年ちょい。
なんて物思いに浸っていると、思い切り背中を叩かれた。
「な~に神妙な顔してやがる。俺たちも行こうぜ」
妙にスッキリした様子の兼好が、クイっと親指で教室の外を指さす。
「おう」
げた箱で靴を履きかえつつ、気になっていたことをコッソリと聞いてみた。
「なあ、兼好は結局、その、葉月とはどうなったんだ?」
「ん? そういや話してなかったな」
何でもないことのように兼好は続ける。
「へへ、フられた」
いつ、どんな風に、とまでは聞かないでおく。
「……そっか。まあ、なんつーか、お疲れ」
「おう、ありがとな。これで俺たちの同盟も、めでたく満了だ」
「そうだな。こちらの方は、あんまり力になれなくてごめん」
「な~に、気にすんな。大して期待しちゃいなかったよ」
「うおい、それはそれで失礼な話だな」
「はっはっはっ」
そんなことを話しながら玄関を抜けて外へ。
本日は、快晴なり。
外では卒業生たちが在校生や恩師らとあちこちで別れを惜しんでいた。
「お、あそこで陸上部の奴らが集まってるな。俺、ちょっと行ってくるわ」
「おう、ごゆっくり~」
特に部活には入っていなかった自分なんかはこういうとき、ちょっと寂しい。それとなく如月の姿を探してみたりするも見あたらず。だけど、代わりに別の人間が早くも校門から出ていこうとしているのが目に留まった。
「神無月! もう行くのか?」
「ああ。飛行機の時間が近づいているんだ」
神無月はフランスに留学する。どうやらそのまま空港に直行するらしい。学校前の道路には三日前にも見た自動車が停車してあった。神無月家の車なのだろう。運転席に座っているのは母親だろうか。お姉さんと言っても通じそうなほどに若々しく見える。後部座席には見送りについていくらしい、霜月さんがこちらに向かって軽く頭を下げているのが見えた。いやはや、親公認のお付き合いってわけですか。全くもう。
そして助手席の窓が開くと、こちらはあんまり見たくない顔が出てきた。確か神無月とも家庭教師と教え子の間柄って話だったから関係はあるんだろうけど、何でこの男まで? その疑問に答えるかのように、睦月はこちらを睨みつつ説明口調でこう言ってきた。
「俺も教授と一緒にちょいと日本を出るんだが、てめえ、その間に節奈に手ぇ出しやがったら……」
ああ、便乗して空港まで運んでもらうのね。
「手を出したら?」
「義理の兄貴ヅラして嫌がらせしてやる」
「それは……嫌すぎる。勘弁して下さい。マジで」
睦月の印象はほんの一、二ヶ月の間に随分変わった気がする。最初は兎に角いけ好かない奴だと思っていたけど、今はそこまでではないというか。こんなことを本人に言ったら、さぞかし気色悪がられるだろうな。
そもそも奴には僕がそんなに積極的な奴に見えるのだろうか。これでも草食っぷりには自信があるのだけど。……自分で言っててちょっと悲しい。
「それじゃ。日本に戻ってくることがあったら連絡するよ。この一年、楽しかった。元気で」
「ああ。そっちもな」
神無月と睦月が乗る車が走り去っていく。次にあいつらと会うのはどのくらい先のことになるだろう。
「あら、神無月、もう行っちゃったんだ。今そこでクラスの皆で記念写真でも撮ろうって話していたのに」
振り返ると、そこには輪から抜け出してきた葉月が立っていた。
「……ねえ、師走君」
「?」
「私、四月から東京の大学に行く」
「うん。あんな難しいとこに受かるなんて、やっぱ葉月は凄いよな」
「ありがと。……だから今日これで、さよならだね」
「そんなこと言うなよ。盆とか正月とかには戻ってくるんだろ? そんときゃ同窓会でもやろう」
「……そうだね。あ、もう記念撮影やるみたい。行こう?」
兼好や葉月と一緒にクラスの皆と集まり、慌ただしくラストの記念撮影を準備する。
迎えに来ていた父兄の一人に撮影をお願いし、後から出てきた担任を中央に据えて、はい、チーズ。
こうして、僕たちの卒業式、そして高校生活は、終わりを迎えた。明日からは、また新しい毎日が始まる。
翌週。僕はまた洋菓子店『コロポックル』の扉をくぐっていた。
「キムンさん、また改めて、よろしくお願いします!」
「おう。大学生様になったからには今まで以上にキリキリ働いてもらうぞ。学生の本分は学業だなんて知ったこっちゃねえからな。他の連中も雑用を押しつける奴が戻ってきたって喜んでる」
「お、お手柔らかにお願いします」
「あ、そうそう。今日から新しいバイトが入る。お前にはその教育係もやってもらうぞ」
「了解です。んで、その新しいバイトはどこに?」
「そこでちょっと待たせてある。お~い、入ってこい」
店長に呼ばれて入ってきた人物を見て、僕は目を丸くした。
「き、如月……!?」
「あはは、どうも。お世話になります」
如月はペコリと頭を下げる。
「何だ、お前ら知り合いか? んじゃ話は早いな。俺は他の作業があるから、後はよろしく頼むわ」
店長が部屋から出ていったのを確認すると、僕は飲み込んでいた言葉を表に出した。
「何でここに?」
「いや~、あの結婚式の一件で色々弁償することになっちゃいまして」
大事にしない代わりにそっちの方は自分で何とかしろってことか。僕もそれなりに関係あるし、こりゃ後でカンパかな。
バツが悪そうに苦笑いをしていた如月は、ふと思い出したようにこう続けた。
「そうそう、わたしはもう"如月"じゃありません」
「へ? どういうこと?」
「お母さんの方についていくことにしたので。やっぱり新婚ラブラブ夫婦にコブがついていったら邪魔じゃないですか。だから今は、"弥生"っていうお母さんの旧姓を使っています」
「……そっか。なんか名前みたいな名字だな」
「ですよね~。これはこれで気に入っているんですけど。まあ、何かと分かりにくいと思うので」
視界の隅に、一瞬、彼女がギュッと手を握ったのが映る。
「これからは……"節奈"と呼んで下さい」
僕が吸血鬼だったら灰になってしまいそうな笑顔でそう言うと、制服に着替えてきます、と言って彼女は……節奈は部屋から出ていった。
僕の放心状態は、数分後にウパシさんから頭をひっぱたかれて我に返るまで続くことになる。
我に返ってから、大事なことを忘れていたことに気づく。僕はまだ、あのクリスマスイブの日のプレゼントへのお返しをしていない。何をどのタイミングで贈ろう?
贈ろう? と疑問系にしつつも僕の心は既に決まっていた。まだちょっと先の話になってしまうけど、ホワイトデーも過ぎてしまった今となっては僕が贈り物をするとしたらアレしかないだろう。
季節外れな、始まりのプレゼント。
真夏のクソ暑い日にどろっどろのチョコを贈る。
"八月のバレンタイン"。
……フェアとかやったら、流行るかな?
(「八月のバレンタイン」完)
最後までご覧いただき、有難うございました!
これにてこの物語は完結でございます。10,000文字以上の話を書くのは初めてだったのですが、どうにか終わらせることができてほっとしています。
ご感想を下さった方、お気に入り登録して下さった方、評点を入れて下さった方、しおりに挟んで下さった方、最初から最後まで読んで下さった方、途中まで、もしくはこの話だけでも見て下さった方、本当に本当に有難うございました。どこに足を向けて寝ればいいかわからないので、これからは立って寝ようと思います。
もしまた性懲りもなく私が別の連載ものを書くようなことがありましたらその時もどうぞ宜しくお願い致します。
それでは!