18.隣の芝生は
「……ふっふっふ、素晴らしいものが出来上がってしまった。我ながら自分の才能が恐ろしいぜ……」
十二月。僕は相変わらず神無月の指導のもとお菓子作りの練習に励んでいた。最近は自分が上達していることを実感できるようになってきて、当初の目的を忘れてしまいそうなほどに楽しくなってきている。
「う~ん、君ほどそういう台詞が似合わない人も珍しいねえ」
「でも、師走先輩はともかくとして、このマカロンは美味しいですよ~」
「お褒めの言葉、ありがとう」
"ともかくとして"って辺りに引っかかりを感じるけど。
そこにいるのが当然であるかのように、神無月の隣では霜月さんも僕が作ったものを試食していた。
あの生徒会長選挙の結果、霜月さんは結局、敗れてしまった。しかし、新会長が組織した新生徒会の強い要望で副会長として来期も生徒会に籍をおくことになっている。
そんな彼女の感想への同意も兼ねてか、神無月が本日の品評を下した。
「確かに最初の頃と比べたら随分と上手くなったと思うよ。これなら十分プレゼントとして使えるんじゃないかな」
「ありがとよ、師匠。じゃ、今日のところはこれで失礼するわ」
そう言って神無月家を後にする。玄関のドアを開けると冷たい風が吹きつけてきた。思わず縮こまってギュッと襟を閉じる。
「うおお、さ、寒っ!」
今日は全国的に気温が低く、北海道の方では雪が積もっているらしい。手袋は一応しているけど、歩いているうちにみるみるかじかんでくる。
「ちょっと本屋に寄っていくか」
そろそろセンター対策していかないと。ついでにちょっと暖まっていきたい。
本屋に入ると、中は暖房がかなりきいており、今度は汗ばみそうになる。"程々"って、とても大事な概念だと思った。
この本屋は割と最近できた、かなり大型の書店で、普通の店よりちょっと天井が高め。更には通りに面している側がほぼガラスばりになっており、やたら開放的な作りになっている。全体的な雰囲気は高級マンションのモデルルームのよう。一見こざっぱりとした空間の中にここにもあそこにもあんな所にもと本が詰め込まれている。二階には喫茶店が併設されていて、コーヒー片手に購入した本を楽しめるようになっている。
僕はエスカレーターを上り、学生向けの参考書や問題集を扱っている一角へと向かった。
気になったものをパラパラとめくりつつ、いい本がないかとチェックしてまわる。ふと興味をひかれた英語問題集を手にとってみようとしたところで、同じ本を取ろうとしたらしい誰かと手がぶつかってしまった。
「あ、すいません」
「ああ、こちらこそ」
襟元にファーがついたコートを着て、少し茶色気味に染めたドラマの主役あたりがやっていそうなワシャワシャした感じの髪型、ちょっと彫りの深めな顔立ち。
どこかで見かけたことがあったような……。
「あ!」
思い出した。学校祭の日に兼好の姉さんと一緒に来ていた男。そして如月から『タカ兄』と呼ばれていた男。
名前は確か、
「睦月二鷹……」
「ん? 何で俺の名前を知ってんだ?」
手がぶつかった男、睦月は訝しげにこちらを睨んだかと思うと、すぐに思い当たるものがあったらしい。僅かに目を丸くしてこう続ける。
「……その冴えない面構え。節奈から聞かされたことがある。もしかして、お前が師走って奴か?」
推理されてしまった。如月は僕のことを一体どんな風に話しているのだろう? 機会があったら小一時間ほど問い詰めたい。
「俺のことも節奈から聞いたのか? お前、節奈の何なんだよ?」
質問1への回答。違います。別の人です。
質問2への回答。むしろ僕が聞きたい。
そう答えたいところだけど、相手の態度につられて、こちらもつい喧嘩腰になる。
「学校の先輩後輩ですけど、それがアンタに何か関係が?」
彼女とかいるくせに。何様だよ。
「……先輩後輩、ねえ。つまり只の"他人"同士ってわけかよ」
「なっ!」
お前だって家庭教師で幼馴染みで兄代わりだそうじゃないか……って、くそう、羨ましい!
「はっ、その様子だと本当に大した仲じゃあなさそうだな。でも、お前の方は結構意識してるってところか?」
言い返そうにもそれができず、悶えている僕の様子を睦月は小馬鹿にするように眺めていたが、不意にその顔に自嘲気味な色がさした。
「"他人"……はは、羨ましいぜ。本当にな」
そう呟くと、睦月はそのまま何も買わずに下の階へ降り、店を出ていった。
"他人"という言葉に何かこだわりでもあるのだろうか。そういえば学校祭の時も如月に『タカ兄』って呼ばれて何でか腹を立てていたっけ。
「よくわからん奴……って、うえ!?」
いつの間にか周囲の客や店員からジロジロと見られていた。どうやら今のやり取りは随分と人目をひいてしまったらしい。
「ご、ご迷惑をおかけしました~」
もう問題集を買うどころじゃない。僕も慌ててその場を退散することにした。
(続く)