16.「我々の業界ではご褒美です」って、誰かが言った
生徒会長選挙の日。
体育館には全校生徒が集められていた。
これから候補者による演説会が行われ、生徒たちは教室に戻ったあと投票を行う。その後即日開票が行われ、翌朝には結果が発表されることになる。
霜月さんから再びメールが届いたあの日以降、選挙はどちらが勝つか予測できない状態になっていた。
当初は既存の路線を適度に踏襲し、堅実な訴えを続け、対抗馬である霜月さんの迷走などもあって神無月陣営(正確にはあいつが推薦した戸市という候補者陣営)が圧倒的に優勢と思われていた。
しかし、調子を取り戻した霜月さんは主張することはそのままに、自分を選ぶことのメリット・デメリットをより明快かつ柔らかく伝えることに気を配ることでじわじわと支持を得るようになっていた。
そして今日。勝負の行方がわからなくなった今となっては、これから行われる演説の反響が全てを決めることだろう。裏方として霜月さんの活動を手伝ってきた僕は、一般生徒の席から霜月さんを、そして神無月を見守っていた。
進行役の現副会長が簡単な流れを説明する。
まずは霜月、戸市サイドからそれぞれ支持者代表が一人ずつ応援演説を行う。その後で候補者本人の出番がやってくる。先に話すのは霜月さん側、後に話すのは戸市側のようだ。
壇上に立った人物を見て少しだけ驚いた。その人物は樫夢という一年生。裏で野部先生と逢引(死語か?)していたりするけど一年生ながらに人望があると噂されている男だ。彼が味方になれば来年も再来年もこの学校で過ごす、この場で一番の当事者である一年の支持が期待できる。その意味は大きいだろう。
あの時、霜月さんが提案したことを僕は拒否した。何か別の平和的な手段で樫夢と手を結んだんだ……と信じたい。いや、信じる。……信じていいッスよね?
「~以上です」
拍手。樫夢の演説が滞り無く終わり、次は戸市側の番だ。壇上に立つのは……やはり推薦者である神無月。
「こんにちは。戸市候補を推薦させていただきました、現生徒会長の神無月です」
さて、あいつはどんな話をするつもりなのだろう。
「唐突な上に私事で恐縮なのですが、私は霜月候補には生徒会長なんかにはなって欲しくありません」
おいおい、これは応援演説だぞ? 一体に何を言い出す気だ……?
「生徒会長というのは肩書きだけは何やら格好いいですが、大した権限が与えられるわけでもなく、分からず屋な先生方と、要求だけは大人の仲間入りをしている生徒側との板挟みになる、とてもとてもとてもとてもとても面倒くさい役職です」
教師たちがお茶の葉をそのまま飲み込んでしまったような顔をしている。ぶっちゃけ過ぎだぞ、神無月。
「まあ、それはそれでやり甲斐があったりもするのですが。そのようなことを、勤勉実直、それでいてユーモアも忘れない優秀な後輩である戸市君にならともかく、自分の彼女にやらせたいと思う男がいるでしょうか? いや、いない!!」
後ろではその戸市がひきつった表情を浮かべている。君はそろそろ怒っていいと思う。
「そのため、私は別れ話を持ち出してまで彼女を止めようとしました。しかし、彼女はあえて挑むかのように立候補し、ここまできた。……今、私は彼女に敬意を表し、やり方を変えることにしました」
そう言って神無月は、霜月さんのもとにスッと歩み寄り、彼女をヒョイっと持ち上げて自分の前に置いたかと思うとそっと抱き寄せた。辺りが静まりかえる。そんな中、神無月の声が響いた。
「僕は卒業したらフランスに留学する。……一緒に来ないか? 柊……」
プロポーズですかと突っ込みたくなる台詞を神無月が発したその瞬間、一斉拍手の衝撃波が体育館中にぶつけられた。
「いいぞー!」「キャー素敵ー!」「リア充爆発しろー!」「いけー! そこでキスしちゃえー!」「お幸せにー!」
皆好き勝手なことを口々に叫んでいる。
「時雨さん……」
霜月さんは一瞬頬を赤らめてそう呟いたが、直後、キッと睨むように目を細めたかと思うと残像が見えそうな勢いで神無月の股間を蹴りあげた。
鈍い音と共に、体育館が再び静寂に包まれる。
やがて、僕は自分が無意識のうちに前を押さえていることに気づいた。男ども全員が同じことをしている。それと同時に壇上では失敗した福笑いのような顔になった神無月が、壊れたレコードを彷彿させる声をあげつつ崩れ落ちていた。状況に思考がようやく追いつく。霜月さんは男なら誰もが恐れる、アレを神無月にくらわせたのだ。見ているこちらまで痛みを感じてしまいそうな程の強烈な一撃を。
倒れ伏している神無月からマイクを取り上げると、霜月さんは進行役の言葉を待たずに語り始めた。
「こんにちは。この度、生徒会長に立候補させていただきました霜月です」
何事もなかったかのように整然と語り始める霜月さん。傍らに倒れたまま放置されている神無月も合わせると何ともシュールな絵面だ。皆呆気にとられたまま。彼女を止めようとする者はいなかった。
「以上です」
頭を軽く下げ、マイクを元の場所にかけて颯爽と檀から降りていく。魔法から解き放たれたかのように再び拍手が体育館を覆った。
この空気の中じゃ次は話しにくいだろうな、などと思っていると、続くもう一方の候補者、戸市もこれまた何事もなかったように自らの所信を述べきった。彼は彼で、只者ではないのかもしれない。
いくつかの波乱はあったけど、こうして生徒会長選挙の演説会は、幕を閉じた。
……幕も閉じたので、そろそろどなたか神無月を片付けてあげて下さい。
(続く)