Guerra!
「おい、起きろ」
男の声で目を覚ますとそこは地の底の様な場所だった。
周りには高層ビルが乱立していて自分がいる周りだけが暗く土の匂いがする。
そして数人の影が蠢いていて目が慣れてくるとそこが大きな工事現場だと言う事が判った。
遠くで車のクラクションの音が聞こえ喧騒から切り離された空間になっていて。
少し離れた場所に重機などがあり大きなクレーンの影も見える。
すると目の前に携帯が投げ出され見ると携帯が光っている。
手に取るとパパから着信があった事を知らせていた。
「お前が銀狼と繋がりがある事は調べが付いているんだ」
その声に聴き覚えがある。
纏わり着く様な機械的な声……
見上げるとメガネのレンズにビルの明かりが移りこんだ狐かネズミの様な顔が浮かび上がってきた。
「何で淀橋先生が」
「お前には関係ない。銀狼を呼び出せ」
何が起きているのか混乱してしまう呼び出せと言われても私は連絡先なんて知らない。
マスターなら知っているかもしれないけれど……
仕方なく震える手で履歴やアドレスを使わずにパパの携帯番号を押す。
「もしもし」
「み、美奈?」
動揺しているパパの声が聞こえてきた瞬間、耳から携帯を引き剥がされてしまった。
「銀狼に伝えろ。再開発現場で待っている」
それだけ言い放って淀橋先生は携帯を切ってしまった。
パパが銀狼の連絡先を知らなければパパが駆けつけてくるのだろうか。
それともパパが警察に届けて……
色々な事が頭を駆け巡るけれど私は犯人の顔を知っている。
刑事ドラマやサスペンスなら確実に殺される役柄だ。
怖くないと言えば嘘になるけれど夜の裏道で襲われそうになった時ほど怖さは感じないのはどうしてだろう。
仕事の帰りに裏通りにある隠れ家的なワインバーに向かう為に大通りを歩いていた。
隣にはスーツ姿をした愛しい瑞樹君がいる。
色々あったけれど瑞樹君と同じ姓になることが出来て。
結婚する事を社長に告げると嬉しそうに『おめでとう』と言ってくれて少しだけ寂しそうな顔をした。
多分、辞めてしまうのかと思っていたみたい。
私は今の仕事が大好きで瑞樹君も理解を示してくれて仕事を続けている。
凄く幸せだけど一つだけ不満があった。
「瑞樹君は子ども欲しくないの?」
「欲しくないと言えば嘘になるけれど神様だけが知っている事でしょ」
「もう、バカ」
私の事を大切に思ってくれるのは嬉しいけれどもっと積極的になって欲しい。
瑞樹君に腕を引かれて曲がる角だと気付いた時に不思議なものが視線に飛び込んできた。
「瑞樹君、あれ何?」
「えっ、どれ?」
「ほら、あれ。交差点の真ん中」
沢山の車のライトが行き交う大きな交差点の真ん中に男の人が立っている。
その男の人は黒ずくめの格好をしていて何より目を引くのはその髪だった。
車のライトを反射して銀色に光っている。
そして夜空に向かい何かを叫んでいる姿はまるで遠吠えするオオカミの様だった。
「何かの撮影かな?」
「でもカメラなんて何処にもないよ」
「何処か離れている所から撮影しているんじゃないかな。だって銀髪にオッドアイなんて映画か何かの撮影じゃないとあり得ないでしょ。それより凜子さん、ワイン」
「う、うん」
瑞樹君にエスコートされて裏通りに向かいしばらく歩くとライトに照らしだされた『vino』の小さな看板が見えてくる。階段を下りて重厚な木のドアを開けるとカウンターの中でマスターがいつもの真っ白なスタンドカラーのシャツに黒いパンツに黒いソムリエエプロン姿で待ち構えていた。
「あら、今晩もデートなの? 仲が良いのは判るけれど早く家に帰ってやる事やりなさい」
「品がないのは相変わらずだな」
「あら、のっちは酷い事を言うのね」
いつもの様なやり取りをしてカウンターに座るとマスターがため息を付いた。
「マスター、ため息なんてつくと幸せが逃げますよ」
「逃げてるんじゃなくって、全部吸い取られてるの。目の前の2人に」
「そう言えばその先で映画か何かの撮影をしてたけど」
「映画の撮影なんて聞いてないわよ」
この街の事なら何でも知っているマスターが首を傾げている。
もしかする最近流行りのとゲリラ的な撮影かも知れない。
「どんな撮影だったのかしら?」
「あの恰好はスワットに近い格好だったけど」
瑞樹君は子どもの頃に沖縄に居たので米軍の軍人さんの知り合いが沢山いて、アメリカにも居た事があるからそっち系の話には詳しいみたい。
「でも、銀髪で狼の遠吠えみたいに夜空に向かって何か叫んでたけど」
「そうそう。でさ、カラーコンタクトで金とブルーのオッドアイにして」
「それ本当なんでしょうね」
おちゃらけていたマスターの顔から血の気が引いていく。
そして今まで見た事のない鋭い視線に背中に嫌なものが走った。
「マスター?」
不思議に思って声を掛けるとマスターポケットから携帯を取り出して直ぐに切ってしまった。
「ごめんなさい、電話くれたのに。今日は店じまいよ。お子様は帰りなさい」
「はぁ?」
瑞樹君が立ち上がってマスターに抗議しようとしたのにマスターはソムリエエプロンを取って店の奥に行ってしまう。
「瑞樹君、何があったのかしら?」
「さぁ、僕にも判らないっと言うのが本当で」
あまりに突然の事で途方にくれていると奥から現れたのは……
黒装束の軍人さんだった。
手には厳ついライフルが握られていて腰と脇のあたりにも拳銃のようなものが見える。
まるでサバイバルゲームに行くような格好だけどマスターは今まで一度も見た事もない鋭い眼光で怖い顔をしている。
「瑞樹、凜子が大切なら今すぐに連れて帰れ。明日には片付いているから」
「それは何も聞くなと言う事ですか?」
マスターが男言葉でしゃべるのを初めて聞いてただ事じゃないのを感じる。
そんなマスターが鋭い視線のまま何も言わず頷いた。
「判りました。凜子さん行きましょう」
「えっ、でも。マスター、何が起きてるの?」
「Guerra!」
鋭いマスターの呟きだけが耳に残った。
瑞樹君とマスターの間には揺るぎのない信頼関係が存在していると言うのを今までの経験から知っている。
押し切られるように店の外に出て大通りに行くと様相が一転していた。
激しく行き交っていた車は激減し。
道行く人は早足で駅の方へ駆ける様に必死の形相で歩いている。
まるでパニック映画の様で。
高層ビルの明かりが消え始め。
至る所からマスターと同じような恰好をした人たちが現れ統率されたかのように歩いていた。
「まるで戦争が起きるみたいね、瑞樹君」
瑞樹君の顔を見ると苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「Guerraはイタリア語で戦争と言う意味です。そしてマスターが持っていたのはヘッケラー&コッホ社のHK416 もちろん本物です。恐らく脇と腰にあったのも……」
ここは法治国家の日本で、ましてや誰もが知っている副都心何かが起きようとしている。
得も言われぬ不安が過る。
それでも瑞樹君に守られながら帰途に着くしか出来なかった。
どれだけ時間が過ぎたのだろう。
気が付くと車が発する音すら聞こえなくなっていて。
高層ビルを見ると明かりが殆ど消えて静寂だけが残っていた。
するとかなり離れたところで金属がぶつかり合う音がして砂利を踏みながら歩く音が聞こえてくる。
そして月明かりも無い暗闇に銀色の髪が揺れていた。
パパに連絡したのに……
同時にパパはやっぱり知っていたんだと言う事が頭の中に浮かんで消え息をのんだ。
スポットライトに照らされた人の髪は銀色で左目は吸い込まれそうな青い目で右目は琥珀色のウルフアイ。
暴漢から私を助けてくれたと同じような恰好をしているけれど唯一違う点があった。
左脇と腰のあたりに拳銃の様なものがあるのが見て取れる。
その顔は凍り付きそうなくらい鋭い瞳だけど間違いなくパパの顔だった。
でも、確信は持てない。他人の空似と言う事もある。
「美奈を返してもらおうか」
「お笑いだな。銀狼に娘が居たなんて。娘にも俺達にもカミングアウトか」
銀狼の言葉で確信に変わった。
私に隠し続けていたのはこんな日が来るかも知らないと思っていたからなのかもしれない。
「良い事を教えてやろう。こいつは英雄気取りかもしれないが俺の両親を殺して俺の未来を滅茶苦茶にしたんだ」
「えっ、パパが人殺しを……」
「そうだ、こいつは街の治安を守った英雄気取りだがその為に再開発が急速に進み細々と暮らしていた人間は地上げに遭い中には放火までされて追い出された人間もいた」
マスターはパパの事を英雄だって言っていた。
パパだって銀狼は日本の暴力団が法律で弱体化しそこに漬け込んで外から色々な国のマフィアと呼ばれている人たちが流れ込んできて、警察でさえ手が付けられなくなってバラバラになりそうになった時に街を纏め上げた凄い人だって。
全部、嘘だったの?
でも、私の知っているパパはドジだけど優しくって。そんなパパが人を殺したなんて信じられない。
「話はそれだけか?」
「娘を見放したか。流石、ヒーロー様は格が違う」
「ヒーローにも英雄にもなった事はない。守るべきものを守っただけだ」
次の瞬間に耳に突き刺さる様な乾いた音がしたと思ったらパパが崩れ落ちた。
息が止まりそうになるとパパは左腕を押さえながら立ち上がったけど指の間から血が流れ出ている。
血の気が一気に引き膝が震え倒れそうになると襟元を掴まれて持ち上げられてしまった。
「動くなよ、次は外さないからな。娘の前で蜂の巣にしてやる」
爬虫類の様な淀橋が舌なめずりをしている。
「動くな!」
淀橋の声など無視してパパが右腕を高く上げて手首を返すと数回弾ける様な鋭い音がして高い所から何かが落ち。
暗闇からうめき声が聞こえてくると淀橋がギョッとした顔をしている。
「貴様、何をした」
「俺がヒーローなんじゃない。この街を守ろうとする人間がヒーローなんだ」
「ふざけるな!」
再び淀橋が拳銃をパパに向けた瞬間に青と金色の光の軌跡が流れた。
パパが腰を落とし間合いを一気に詰めて淀橋の腕を蹴りあげると乾いた銃声が響く。
淀橋がバランスを崩しパパの左腕が私の体を引き寄せた。
パパの温もりに包まれて恐る恐る顔を上げるとパパはまだ淀橋の方を見ている。
「ここがお前らの墓場だ。生きて出られると思うなよ」
声を荒げた淀橋が立ち上がると銃を構えた男たちが暗闇から現れて、背後で気配がしたと思ったら厳つい男が真後ろで銃をパパの後頭部に向けていた。
「どうした、足も手も出まい」
自分の心臓があり得ないほど波打っている。
それなのに背中に感じるパパの鼓動はとても穏やかで。
するとパパが人差し指を再び天に突き出した。
「何の真似だ? 神頼みでもする気か?」
突然、ガチャガチャと何かが地面に落ちる音がして背後で何かが空を切り地面に叩きつけられた。
何が起きたのか判らず周りの男たちを見ると赤い光がドット柄の様に全身に浮かび上がっている。
そして一様に両手を上にあげていた。
「レーザーサイトだと。どうせ子供だましだ」
淀橋が叫び、男たちが動こうとした瞬間に地面に落ちている拳銃が無数の乾いた音と共に弾き飛んで男たちは一斉に頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
まるで映画の世界に紛れ込んでしまったような感じがする。
舞台ではここまでリアルに出来ないし目の前の出来事は撮影じゃない。
「チェックメイトよ。大人しくしなさい」
左後方から声がして淀橋の額に赤い光が当たり足音が近づいてくる。
ライフル銃を構えながら横を通り過ぎていく男の人の顔を見て力が抜けてしまった。
「健太……」
「美奈は健太言わない。本当に、営業妨害をしないで欲しいわ」
「クソ! オカマまで仲間だったのか」
「腐った奴にオカマ呼ばわりされたくないわよ!」
いきなり淀橋のお腹に膝蹴りを入れたかと思うと流れる様に蹴りとライフルのストックを叩きつけてマスターが瞬殺してしまった。
「良い事。今度、美奈に手を出してみなさい○罰参画■よ」
女の子が口に出せない事をマスターが叫んでいた。
パパの腕から力が抜け後ろを見ると厳つい男の腕を捩じり上げている小柄な男の人が顔を上げて腰を抜かしそうになってしまう。
その男の人は紛れもなく存在が空気みたいに薄い代々木忍先生だった。
「えっ、えええ――――」
高い塀に囲まれた再開発現場を出ると小夜ちゃんが待ち構えていても驚くことはなかった。
そして小夜ちゃんが腕を振り上げると塀の周りで銃を抱えていた人々が一斉に撤収しはじめる。
その数はさながら休日のハチ公前のスクランブル交差点の様だった。