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主役

翌朝は早朝の砂浜ランニングから始まった。

いつものランニングとは違い砂に足を取られて距離は半分なのに倍以上に辛い。

息が上がってきた所で発声練習がある。

「あ・え・い・う・え・お・あ・お」

「か・け・き・く・け・こ・か・こ」

「さ・せ・し・す・せ・そ・さ・そ」

部員達のお腹から発する声が白み始めた砂浜に響き渡る。

発声練習が終わりクールダウンを兼ねて柔軟件ストレッチ運動をペアになって始める。

「麻美、午後までもたないかも」

「ええ、何言ってるの? 始まったばっかりだよ」

「これじゃ運動部と変らないじゃん」

「まぁ、仕方がないでしょ。主役クラスになったら文化祭の公演でも1時間くらい出ていなきゃいけないいんだよ」

「でも、主役クラスなんて1年生には無理でしょ」

「あのね、1年から体を作っていかないと何年になっても無理でしょうが」

麻美とそんな会話をしていると紫月の方からフライパンを何かで叩く音と「朝ご飯だよ!」というパパの呼び声が聞こえてきた。

「パ……」

「朝ご飯だ!」

思わず『パパ』と叫びそうになり慌てて口を閉じると私の声を掻き消すくらいの声で麻美が叫びながら立ち上がった。

「大久保さん?」

「あっ、すいませんでした」

尚部長がちょっと怒った顔をして麻美を睨むと部員から笑い声が上がった。

「大久保さんはまだ色気より食い気だね」

「ああ、酷いですよ。柏木副部長は」

柏木先輩にからかわれて麻美は頬をわざと膨らませて腕を組んでいた。

「本当にしょうがないわね。2人とも」

「ええ? 私もですか?」

微笑みながら麻美と柏木先輩を見ていた尚先輩が私の方を見ながらそんな事をいうものだから思わず声を上げてしまう。

「あら? 思わず『パパ!』って叫びそうになったのを必死に我慢していたのでしょ。さぁ、食事にしましょ」

尚先輩の言葉で部員が立ちあがり紫月に向って走り出した。

皆のお腹が空いていたのも事実のようだった。

「もう、麻美の所為で私まで恥ずかしい思いしたじゃん」

「知らないっと、パパさんが作った朝ご飯だ!」

私が麻美に抗議しながら麻美の腕を掴もうとすると麻美は嬉しそうにクルンと体を1回転させて私をかわして走り出した。


朝ご飯は和食だった。

ご飯にスタンダードなお豆腐の味噌汁に出し巻き玉子。

それにサラダに新鮮な鯵の塩焼き。海苔に納豆にこれぞ日本の朝ご飯だった。

「ミーナは毎日こんなに美味しい物を食べているんだ」

「普通だよ、だって健康は食からってパパの口癖だもん」

「ミーナのパパって不思議だよね、年寄り臭い時があるもんね」

私は麻美の言葉に耳を貸さずに美味しい鯵の塩焼きを綺麗に食べようと集中していた。

すると尚先輩の声がした。

「1時間の休憩の後で会議室に集合する事」

『ハイ』部員達が一糸乱れず返事をした。

食事を食べ終わると各自が使った食器をキッチンまで下げてキッチンを覗き込みながら『ご馳走様でした』と声をかけて自由時間を過ごす。

1年生は殆どが部屋でこれから行なわれるお芝居の練習の台本に目を通す。

2年と3年の先輩達は余裕なのだろう砂浜を散歩したりのんびりと過ごしている。

私と麻美も軽くシャワーで汗を流してから部屋でお互いに台詞を言い合って役を交代しながら練習をしていた。

「美奈、そろそろ時間だから会議室に行こう」

「うん」

部屋を出て会議室にむかって麻美と歩き出す。

会議室はちょうど皆が泊っている部屋の反対側にあって食堂とロビーを抜けて行く感じになっている。

食堂の脇を歩いていると中からパパ達の声が聞こえる。

片づけが一段落してスタッフと食事をしているみたいでオバちゃん達の声も聞こえてくる。

「優様の作られたご飯は美味しいです」

「ありがとう」

「何処で習われたのですか?」

「ああ、若い頃は色んな仕事をしていてね。居酒屋やレストランの調理場でバイトしていたんだよ」

「でも、それだけでこんなに美味しい料理を作れるようになるのですか?」

「ふふ、これは美奈に内緒だよ……」

思わずパパの声に耳がダンボになって立ち止まってしまった。

「ほら、美奈。遅れるよ」

「ああ、もう。判ったよ」

「何を怒ってるの?」

「はぁ~」

麻美に腕を引っ張られてパパの言葉が最後まで聞けなかった。

その代わりにオバちゃんの微妙にイントネーションが違う大きな声とマコお姉ちゃんの驚く声が聞こえてきた。

「そうそう、真琴ちゃんはいつも仕事仕事してるだら。久しぶりに神楽坂さんが見えたでしょう、だからたまには甘えてきたら良いだらぁ」

「ええ、優様に迷惑が……」


会議室に入ると殆どの部員が集まっている。

会議室は長テーブルやパイプ椅子が綺麗に片付けられて、フラットな状態になっていて部長や副部長を中心にして部員が体育座りをしている。

そして尚部長に名前を呼ばれると呼ばれた数人で立ち稽古が始まる。

皆が立ち稽古をしているのを見るのも大切な事で真剣な表情で演技を皆が見ている。

一通り終わると部長や副部長、それに上級生から何処が良くて何が悪いか指導してくれる。

私の名前が呼ばれ他に2年生の先輩と同級生とで立ち稽古を始める。

演技に集中しようとすればするほど食堂でのパパの事が頭に浮かんできてしまう。

演技が一通り終わると尚先輩に指摘されてしまった。

「神楽坂さんは集中しきれてないわね。良いモノを持っているのに勿体無いわよ。何か気になることでもあるのかしら? まぁ、始めたばかりだから仕方が無いのかしら」

「すいませんでした」

色々と指摘されたのは私だけではないのだけど自分自身で判っているだけに凹んでしまう。

1・2年生が演技し終わると尚部長と柏木副部長の3年生による立ち稽古が始まった。

流石に段違いだった、見ている下級生達を圧倒する。

休憩を挟んで後半は文化祭に向けての演目と配役が決められる事になっていた。

「美奈は凄いね」

「ええ? 何を言ってるの? あんなに指摘されたのに」

「でもね、今まで一度も尚先輩は誰一人として良いモノを持っているなんて言わなかったんだよ。美奈には素質があるのかも」

「そんなに煽てても何もあげないよ」

休憩が終わっても私の頭の中にはパパとマコお姉ちゃんの事でいっぱいだった。

文化祭の演目は麻美が尚先輩に貸したライトノベルを抜粋しながら物語を組み立てていくらしい。

「美奈、ちゃんと聞いてるの?」

「聞いてるよ。『狼と香辛料』でしょ」

「凄い面白いんだから。今度読んでみれば」

「う、うん」

情けない事にパパの事になるとどうしようもなく他の事に集中出来なくなってしまう。

尚先輩が配役の説明をしている。

1年生は裏方の仕事から覚えていく。

演劇では役者以上に裏方の仕事が重要な役柄で、故に1年生が端役にでも選ばれればそれは凄い事だと麻美から聞いている。

いくつもの大会で賞を取っている青城の演劇部はそれだけ部員の層が厚いと言う事なのだろう。

私なんかは演劇に興味も無く麻美に誘われて半ば強制的に演劇部に入部したのだから3年間ずっと裏方でも良いと思っていた。

何気なく窓の外を見ると砂浜をパパの後について歩いているマコお姉ちゃんの姿が見えた。

食堂で聞いたオバちゃんの声が蘇ってくる。

『久しぶりに神楽坂さんが見えたでしょう、だから甘えてきたら良いだらぁ』

その時に会議室にどよめきが起こり、尚先輩の声がした。

「神楽坂さん? これで良いかしら?」

「は、はい? へぇ?」

「了承という事で良いのかしら?」

尚先輩が示しているホワイトボードにはキャラクターの名前と配役が書かれていて、ヒロインの『ホロ』というキャラの下に私の名前が書かれていた。

「美奈、主役だよ!」

「…………」

麻美の嬉しそうな声に何も反応が出来ない。

有り得ない事が起きたのだ。

1年生のそれも途中から入部した私が主役なんて出来る訳が無かった。

「む、無理です、部長」

「決定ね」

「ええ! そんな」

「ちゃんと聞いていない罰と言うのは嘘で読めば読むほどあなたしか『ホロ』の役をこなせる人が居ないの。皆でフォローするから頑張りなさい」

「決定って……」

全身から力が抜けてしまい、その場にしゃがみ込んでしまった。

同級生からは凄いなんて言われて、2年生と3年生の先輩は笑顔で私の顔を見ている。

私の顔は血の気が引いて青いに違いないのに。

「では昼食後は自由行動になります。ここの海は穏やかだと聞いていますがくれぐれも注意する様に。解散」

柏木副部長の声で部員がぞろぞろと会議室を出て行く。

私は麻美に連れられて会議室を後にした。






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