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三話

「……やれやれ。分かったよ。私の大切な妃の言うことだからね。きちんと聞くようにしよう」

「本当に、わたしのこと妃だと思ってくださってるんですか?」


 ユラフィオ本人の口から発されたのだというのに、信じ難い。つい気持ちそのままに訪ねてしまった。


「勿論だとも。なぜだい?」

「それは――」


 結婚の儀式こそ滞りなく済ませたものの、エメラダとユラフィオの関係は白いままだ。


 時には訪れるのを忘れて寝入ってしまったと言われ。時には道を間違えて一晩中城の中を歩き回ったと言われたこともある。


 言い訳は色々だが、結果は同じだ。

 ユラフィオならばあり得ると、城の人々は呆れながらエメラダに同情してくれている。


 だが果たして、そのような指摘を本人にできようか。

 少なくともエメラダには無理だった。口ごもって俯いてしまう。


 エメラダの様子に首を傾げてから、ユラフィオは書類に向き直った。一応、言った通りに書類を読むだけは読んでから判を押していく。


(ああ、もう。一体どうすればいいの)


 息を付き、エメラダは北へと目を向ける。

 こちらを飲み込まんとする巨大な敵、メリディーン帝国を心で見据えながら。




 翌日。ユラフィオは珍しく、しっかり執務室の椅子に座っていた。

 昨日の今日だ。流石に心に留めおいてくれたのだろう。書類に目を通す作業も継続されている。


(毎日そうしてくれていたらいいのに)


 一日二日では安心できない。実際、注意をしてから三日間ぐらいは大人しく仕事に向き合うのが常だ。

 四日目になるともう怪しくて、一週間続いたことはない、という絶望が付いてくる。


「そう睨まなくても。今日の私は君の言う通りの仕事をしているよ?」

「どうして誇らしげなのですか。むしろ普通です。貴方は王なんですから」


 言いながら、ふと気になる疑問が浮かび上がった。


「それとも、退位をしたいとお考えですか?」


 今更ではあるが、エメラダはユラフィオが王という役職から離れたいのではと思い至った。

 考えてみればユラフィオが王座に熱意を見せたことなど一度もない。仕事振りを含めて。


 数年前に崩御した先王の血を継ぐのが、ユラフィオ一人だけだった。そのため皆が自然にユラフィオを後継者として王の座に就けたのだ。


 だが果たして、当人の意思はどうであったのか。


(このやる気のなさ。もしかして、陛下御自身は継ぎたくなかった、とか……)


 実に今更であるが、そうであるのならば納得がいく――と思っていると。


「まさか。祖父上と父上が託してくださったこのヴィージール王国を、私は大切にしたいと思っているよ。祖父上の跡を継げるのも、とても誇らしいと感じている」


 全く予想外の言葉を向けられたとばかりに、大きく驚いて否定する。


 それは多くの臣民が、ユラフィオの立場であればそう思って当然、と考えるまでもなく受け取る言葉だった。

 先王を誇る言葉以外が返ってきたら、むしろ憤慨するだろう。


 ヴィージール王国の歴史は浅い。何しろユラフィオで二代目だ。

 腐敗した帝国に辟易して独立を成し遂げた先王を、臣民は強く尊敬している。


 皆が不安に思いながらもユラフィオ以外の王を立てなかったのは、先王の血筋がそれだけ重視されたためだ。


 ユラフィオの所業を目の当たりにする前のエメラダも、その中の一人だった。目の当たりにした後でも、彼の心情を考えたのがたった今というぐらいに当然だと思い込んでいた。


 ユラフィオのことを見ていなかった証拠、とも言えるかもしれない。


「それは、その……。本当に、ですか?」


 だがなぜだろう。エメラダはユラフィオの言葉に違和感を覚えた。

 つい聞き返してしまったエメラダに、ユラフィオは不思議そうに首を傾げた。


「勿論、本当だとも。どうして嘘だと思ったんだい?」

「嘘だとまで思っているわけでは、ないのですが……」


 言いながらもエメラダの否定は弱い。訪ねた時点で疑ったことは誤魔化しようがないので、無理もないと言えるだろう。


「ただ、それならばどうして人に全てを任せようとされるのですか。託されたこの国をどのように導くべきか。陛下にだってお考えはあるでしょう」


 大切に思っているならば尚のこと。より良き道筋を模索して、自然と思考が向くものではないのか。


 まして今ヴィージール王国は危機の最中にある。状況を打破するためには、いくら考えても追い付かない程だ。


「私は皆が平穏に暮らしてくれれば、それで良いよ。そのための政策は、ほら。私より賢い皆が考えてくれているから」

「だから、どーしてそうなるんですかっ」


 叩きたい。机を思いっきり平手で叩きたい衝動に駆られる。

 臣下として妃として淑女として、許されないのでどうにか堪えたが。


「そんなことよりも、エメラダ」

「そんなこととは何ですか、もう!」


 今の会話の中に『そんなこと』で片付けられるような内容はなかったはず。


「近頃の君は働き過ぎだと思う。少し休んではどうだろう」

「陛下がしっかり仕事をしてくださったら、遠慮なく休みます!」


 純粋な気遣いすら、普段が普段だけに腹立たしさを覚える。エメラダが王妃という職務以上に心身を疲弊させているのは、ユラフィオ当人のせいなので。


「心外だ。こんなにも真剣に向き合っているというのに」


 ふうと溜息をついて、ユラフィオは書類を机の端に寄せた。


「陛下……?」


 自然とエメラダの声が低くなる。


「まさか、もう仕事を投げ出すおつもりですか。陛下の採決を待つ案件は、まだまだ沢山残っていますよ」

「投げ出しはしないが。少しぐらい休憩を挟んでも良いだろう? 過度な疲労は良くない」

「それは……仰る通りですけれど」


 普段仕事らしい仕事などせず、執務室の椅子に座り続けることもないユラフィオだ。

 エメラダからすれば短時間に過ぎないが、ユラフィオの体感ではもっと長時間なのかもしれない。


「……分かりました。休憩ですよ?」

「ああ。勿論、休憩だ」


 エメラダの了承に、ユラフィオは明るく同意してうなずく。その様子に一抹の不安を覚えつつ、侍女を呼ぼうとベルに手を伸ばした。


 涼やかな鈴の音が、糸を伝って隣室で待機している侍女の元に届く。すぐに扉が叩かれた。


「入ってくれ」

「失礼いたします」


 主の許可を受けて入室した侍女は、美しく一礼した。


「紅茶と、何か適当に菓子を持ってきてくれるかな」

「かしこまりました」


 大雑把な注文にも、侍女が戸惑った様子はない。ユラフィオはよく暇なことにして茶や菓子を嗜むので、慣れているのだろう。

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