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二話

 それでも、相手であるエメラダの様子を見ていないからこその行いである事に違いはない。

 ユラフィオの態度に思うところがないわけではないが、話すべき内容に比べたら些細だ。


 直前の言葉は飲み込み、エメラダは別の訴えを口にする。


「そのように投げ槍にならないでください! 書面をよく読んで、政に不要と思えば質して、変更を求めるべきなのです。だからまずは、読んでください!」

「読んではいるとも」


 エメラダの言葉に、ユラフィオはうなずいた。

 そこは、エメラダも否定しない。事実ユラフィオは文字を追ってはいるだろう。


 その意味、意義を考えて理解まで到達しているかは疑問だが。


「皆が懸命に、国のことを考えて提案してくれたものだ。私は幸せ者だよ」


 にこりと微笑んで、穏やかな口調でそんなことを言う。

 純粋といえば美点かもしれない。しかし鵜呑みにされては困るのだ。


「……残念ながら、そうとばかりは言えません」


 王の裁可を待つだけの書類の中に、国を思っての提案ではないものが混ざっている。

 その事実は、間違いなく残念だった。エメラダの声も自然と重たいものになる。


「中には自分に都合の良いだけの施策を求めた物もあります」

「おや、それは困るな。どれだろう」


 言ってユラフィオは自分が判を押した数枚の書類に手を伸ばす。


(そこにはないけれど)


 ユラフィオが自分の前に積まれた書類内容を精査しないのはもう分かっているので、先にエメラダが抜き取っている。


 二、三枚ほどぺらりぺらりと書類を捲っていたが、ややあって深くうなずいた。


「うん。やはり私には分からないようだ」

「諦めないでください!」


 これが、内容を読んで『不要だと思うものはなかった』と言うのならば分かる。いや、そうであってくれればどれだけエメラダも心の負担を軽くできるだろう。


 本来は王の裁量でのみ動かす決済の可否を、勝手にやってしまっているのだから。


 越権行為も甚だしい、という自覚はある。証拠を提示するのが難しいのと、周囲に味方も多いので問題として取り上げられていないだけで、実際は大問題である。


(でも――でも! じゃあ、見過ごせって言うの!?)


 民の血税を、己の懐に入れるためだけの無意味な政策を。あるいは、私的な生活費として浪費するのを。


(できない)


 法に則っていないエメラダのやり方は『悪』だ。分かっている。

 それでも、手を出さずにはいられなかった。


(わたしはきっと、いつか絞首台に上がる)


 政治を混乱させた悪党として、裁かれる日が来るだろう。法の支配の中ではその判決が正しい。


(でもそうなる時は。わたしが邪魔だから排除されたのではなくて、法の統治を取り戻すため、けじめを付けるためであってほしい)


 望む結末を迎えるためには、権力の椅子に座る腐敗した官僚たちをどうにかせねばならない。

 いつの間にかエメラダの手には力が入り、固く拳を握っていた。


 その様子を見ていたユラフィオの瞳が、柔らかく細められる。愛おしいものを見るかのような優しさで。

 ただし瞬き数回でそれは消え失せ、元のぼんやりとした眼差しに戻る。


 正面にはいても、自分の思考に沈んでいたエメラダが気付かないぐらいに僅かな間だ。


「君は賢くて強いのだね、エメラダ。君のような女性が妃になってくれたことを、私はとても嬉しく思う」

「……いいえ。わたしは強くも、賢くもありません」


 もしユラフィオが見ている通りの人物であれば、エメラダは今、こんなにも歯がゆい思いをしていないことだろう。


「そうなのか? 私より遥かに優れた君にそうも自分を否定されると、より劣っている私は少々困るのだが……」

「え、ええっと」


 そのような事はありません、と、即座に否定するべきだっただろう。

 しかし日々の不満が邪魔をして、つい否定の機を逃してしまった。


 口ごもったエメラダに、ユラフィオは気付いた様子もなく微笑みを崩さない。そしてぽん、と軽い空気の音を立てて両手を打つ。


「そうだ、エメラダ。多くのことが君に及ばない私だが、一つだけ上手くできる確信のあるものがあるよ」

「何でしょう。馬術ですか? それとも剣術? 弓術? あるいは、実は飛び切り得意な学問がお有りとか……!?」


 どんなものであれ、ユラフィオに優れた部分があるのは臣下として、国民として喜ばしいことだ。


 いや、この際特別に秀でていなくてもいい。得意だと言えるだけの技術があれば。あるいは、ユラフィオが前向きにそう捉えているのであれば。


 身さえ乗り出して勢い込んで聞くエメラダに、ユラフィオは笑みを絶やさぬままで、告げる。


「諦めの良さだ」

「……」


 ――予想外にも程があった。


「……だ……い」

「うん?」


 あまりの憤りに喉が震えて、上手く言葉になってくれない。ユラフィオも聞き取れなかったようで、おっとりと首を傾ける。


 その様子に、エメラダの喉に詰まっていた空気が弾けた。


「諦めないでくださいーッ!」


 意思通りに働き始めた喉が、絶叫を迸らせる。あまりの勢いにユラフィオが笑みを引っ込める程だ。

 実に珍しい。


「諦めてどうするんですかっ。もっと意欲的に行きましょうよ!」

「うーん。しかしなあ。叶わない夢を追い続けるのは辛いことでもあるし。私は自分が賢くなれる想像がまったくできないのだ。想像さえできないのだから、現実にするのは尚難しいだろう」

「そ、それはそうかもしれませんけど」


 努力をすればいつか必ず叶う――と、無責任には請け負えなかった。


 事実エメラダとて、子どもの頃に思い描いていたような理想の自分になったわけではない。

 そして心で描くような人物には、この先も届かないと考えていた。


(でもだからって、何もかもを諦めるのはどうかと思うわ!)


 理想を投げ出した瞬間に、そこで止まってしまうのだ。分かっていて認められる程、エメラダはまだ達観していない。


 ――成程。確かに『諦める』のはユラフィオの方が上手いのかもしれない。


「だからだね? この判を預けるから、誰か他の人に任せても……」

「駄・目・です! それは違いますからっ。とにかく、判を押す前には内容をきちんと読んでください!」


 今は書かれている内容の意味が分からなくても、多くの物を読んで、また考えることを止めなければいつか理解ができる日が来る。


 そう信じて、あるいは願って。エメラダは主張を一切変えなかった。

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