09.夫だった男の凋落
その後、シュペルブス公爵とクラシーク前侯爵との間で協議が交わされ、アロガントの処遇は彼のあずかり知らぬところで全て決定された。
クラシーク侯爵位は返上させられ、父のスタバーンが復位する事となった。それとともにフォーニーとの婚姻関係も解消となり、彼女の産んだ3人の子たちはスタバーンの養子とされた。
そしてアロガント本人はグロリオーサと新たに婚姻することになり、今後は彼女とともにシュペルブス公爵領の領都本邸に用意された離れに移り住むことが決定された。
公爵領に引っ込むということで、当然ながら彼は宰相府次席補佐官の職も辞さねばならなくなった。
「何故だ!何故私が辞めなくてはならない!」
「諦めろアロガント。妻子ある身で公女に手を出し孕ませた、お前が悪いのだぞ」
妻とは白い結婚だし、どこの誰の子とも知れぬものを認知などできるはずもない。だがそんな事を口走ろうものならフォーニーに呑ませたあの婚姻誓紙の存在も露見しかねないし、そもそも一度は受け入れた妻をそのように蔑ろにしていたなどと世間に知られれば、どのみちキャリア文官として致命的であるだけでなくクラシーク侯爵家の名にすら傷をつけてしまう。
そもそもが、妻と正式に離婚する前に公女を妊娠させた事自体が大きな醜聞なのだ。この上さらに妻を蔑ろにして子の認知も拒否するとなれば、貴族としての再起など望むべくもない。
だからどれほど不満があろうとも、アロガントに拒否権などなかった。これ以上の悪あがきは実家のクラシーク侯爵家はおろかシュペルブス公爵家すら敵に回すこととなる。そうなれば本当に、破滅するしかない。
「貴様に決定権など無いのだから、あとは責任を取って大人しく引っ込んでおれ。⸺なあ、分かるだろう?貴様はもはや、グロリオーサに愛を捧げて生涯尽くす以外に道などないのだよ」
「それは……しかし、閣下……」
「ああ、心配するな。次席の座は儂の息子が立派に務めるだろうさ」
シュペルブス公爵とすれば、出戻りの娘に婿を宛てがえただけでなく、嫡男の社会的な地位も労せず上がることになるため、不満はさほど無い。今後アロガントが、扱いに困る娘を裏切りさえしなければ、だが。
「余計な火遊びさえしなければ、妻ときちんと向き合っておれば、輝かしい将来を棒に振ることもなかったはずだがな。お前がそこまで愚かだったとは思わなんだ」
「ち、父上……」
「ああ、それと、お前はクラシーク侯爵家から除籍とする。今後二度と我が邸、我が領に踏み入ることまかりならん」
「そんな!」
「あら、構わないではありませんかアロガントさま。貴方はわたくしの夫となり、お腹のこの子と3人で我が公爵領で仲睦まじく暮らせばよいのです」
「ぐ、グロリオーサ……」
「心配なさらずとも、生活の面倒の一切はシュペルブス公爵家が保証しますから問題なくってよ。まあ遊ばせる訳にもいきませんから領の事務処理くらいは手伝って頂きますけれどね」
「そ、そんな……」
宰相を目指し、実際に手が届く能力と地位を手にしていたはずの男は、こうして単なる地方官僚となるしかなくなり、妻に連れられて誰に見送られることもなくひっそりと都落ちしていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クラシーク侯爵アロガント。新進気鋭の若き侯爵にして宰相府の次席補佐官だ。学生時代から才気煥発、次席で卒業したあとは王宮文官試験を受けて見事合格し、そうして宰相府に配属された。
以来約11年。筆頭公爵家の嫡男を三席に追い落とし、宰相府の次席補佐官として確固たる地位を築き、念願だった襲爵も果たし、年若き貞淑な妻も迎えて今後ますますの躍進が期待される俊英……そのはずであった。
「…………まあ、今となっては過去の話だがね」
「事実ですが手厳しいですな、殿下」
「殿下はやめてくれないかといつも言っているだろう、宰相殿。普段通り首席と呼んでくれ」
「仕事を離れてまで仕事上の関係でいることもございますまい。それに御身が王弟殿下であることに変わりはございませんからな」
「まったく。爺やには敵わんな」
現宰相は先代国王の元で長らく侍従長を務めた王家の懐刀であり、現国王の代になってからは宰相として辣腕を揮っている。そしてその首席補佐官を務めるのは先代王が最期に遺した遺児であり、現王の20歳下の王弟であった。
なお宰相は現役の侯爵であり、王弟は臣籍降下して現在は公爵家の当主を務めている。
「もうそろそろ、爺も隠居したいのですがね。どうです、いい加減諦めて宰相位をお受けしては頂けませぬか」
「気持ちは分からんでもないが、それは国王が良い顔をせんだろう?」
王弟の公爵は、先王が長男の王太子に譲位して移り住んだ離宮で、仕えていた侍女だった伯爵家令嬢に手を付けて産ませた子である。
即位後2年も経ってから生まれた異母弟に、現王は良い顔をしなかった。だから最初から王位継承権は与えなかったし、15歳の成人を迎えると同時に臣籍降下させ、形ばかりの公爵家を創建させてあとは知らんぷりである。
そんな王弟は今年33歳になる。婚姻してすでに嫡男もおり、家門がつつがなく存続できればもうそれ以上望むこともない。王宮文官になったのも、武官や無官だと叛意を疑われかねないからで、宰相府に入ったのは王弟公爵を部下として扱える部署が他になかったからである。
その王弟公爵が宰相になってしまっては、王位への未練があると思われかねない。
「ですが、殿下に宰相を受けて頂かねば三席ということになってしまいますぞ」
このたび次席への昇格が決まった三席補佐官は筆頭公爵家の嫡男であり、今年で30歳になる。歳下の次席補佐官に一度は追い抜かれたこと、この年齢でまだ襲爵できていないことなどから考えても、宰相が不安視するのもやむを得ないだろう。
まあ襲爵に関しては、軍務長官でもある父のシュペルブス公爵が引退する様子を微塵も見せないせいでもあるのだが。
「……あれはあれで宰相とするにはなあ」
何事にも補佐としてなら有能だが、トップに立つと役立たずと化す、そういう扱いに困る人材がいるものである。王弟公爵の見たところ、彼はそういう人物だ。
「だが、それでも前クラシーク侯よりはマシだろうさ。あいつは自分の能力をハナにかけすぎて、他の全てを見下すような奴だったからな」
「それもそれで事実ではありますが、いやはや手厳しいですな」
「もう少しマシな人材がおらんものかねえ」
スッと自分を指し示してくる宰相の手は、見ないフリをした。
「前クラシーク侯アロガント君の前途を祝して、乾杯といこうじゃないか」
「……本気で仰っておられるのか」
呆れたような目を向ける宰相に、王弟公爵⸺首席補佐官は肩をすくめてみせる。
「あの女好きの浮気者が、果たしてシュペルブス公女の夫として我慢できますかどうか……」
「我慢するしかなかろうよ、死にたくはないだろうしな」
「さて、どうですかな」
王国政権の中枢にあるふたりは、隣国で何があったのか正確に知っている。
「これでも彼には期待しているんだよ。きちんと務めてくれるだろうとね」
「やつがれも、そうであることを願うばかりですな」
この国の社交界が今後も平穏無事でいられるかどうか、全てはアロガントの頑張りにかかっている。だからこそ。
「国家のために、彼の前途を祝して、乾杯」
「……乾杯」
宰相と首席補佐官は、彼の健闘を心から祈るだけである。
次回、最終回です。お楽しみに!
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