08.3年後、侯爵家公邸にて
アロガントとその妻フォーニーとの婚姻からちょうど3年になるその日、彼は愛しい妻グロリオーサを連れて意気揚々とクラシーク侯爵家の王都公邸に凱旋した。
この日までの約半年間、彼は最愛のグロリオーサを王都郊外の新築の別宅に住まわせていた。だが彼女にそんな日陰の身を強いるのも昨日までだ。今日からこの公邸で、名ばかりの妻でしかない小娘ではなく、侯爵家当主たる自分とその正妻が暮らすのだ。
いや、まあ、当主の私室も女主人の部屋もまだ整っていないから、実際にここで暮らせるようになるまでにはあと半月ほどかかるだろうが。だがともかく、今日を限りに妻でなくなる女は今日のうちに追い出すつもりである。
「帰ったぞ!フォーニーはいるか!」
先触れもなしに唐突に帰ってきた当主の姿に執事以下使用人たちは慌てたものの、そこはよく躾けられた侯爵家の使用人たちである。すぐに主人とその連れの女性とを応接室へ案内し、そして女主人を呼んできた。
「まあ。旦那様、お帰りなさいませ」
「なっ……!?」
だがそうして応接室にやって来たお飾りの妻の姿に、アロガントは愕然として二の句が継げなかった。当たり前のように彼の隣を占拠しているグロリオーサも同様である。
20歳になった妻フォーニーは、以前とは見違えるほどに美しくなっていた。表情も明るくて柔らかく、体型も心なしかふっくらとまろやかになり魅力的で、見るからに幸せそうなのがひしひしと伝わって来る。
そしてそんなフォーニーの腕には、なんと産まれたばかりの赤ん坊が抱かれていたのだ。それだけでなく彼女は、まだ足取りもおぼつかないような幼い男の子をふたりも連れていた。
「なっ……なっ……」
あまりに想定外のことに、アロガントはまともに言葉が出てこない。彼女はこの邸でひとり寂しく、慎ましやかに暮らしているはずだったのに。定期的に連絡のやり取りをしていた家令や執事からの手紙にも、何も書かれていなかったのに。
「おっ、おま」
「ほら、ご挨拶なさい。あなたたちのお父様ですよ」
お前それは一体誰の子だ。そう発言する前に機先を制される形でフォーニーにそう言われて、またもや絶句した。隣では青ざめた公女グロリオーサが、かすかに膨らんでいる自身の腹に手を当てたまま、やはり絶句している。
「おと……たま?」
「ええ、そうですよ」
「まっ、待て!」
かろうじて、アロガントはフォーニーと幼子たちの会話に割って入った。
「お前!それは一体誰の子だ!?」
顔を怒りに真っ赤に染めて、改めてそう叫んだアロガントに対して、フォーニーは輝かんばかりの笑顔で言い切った。
「誰って、旦那さまのお子ではありませんか」
「………………はぁ!?」
アロガントはこの3年間、一度たりともこの公邸には足を踏み入れてはいない。王宮内の私室に泊まり込むか、そうでなければ新しく建てた別宅に寝泊まりしていたからだ。間違いなく、フォーニーとの関係は白い結婚のままであり、だからこの子供たちは自分の子ではないと自信を持って言い切れる。
なのに彼女は、自分の子だと言う。
「嫌だわ。やっぱり覚えていらっしゃらないのね旦那様」
「……は?」
「無理もありませんわね。旦那様がこのお邸にお戻りになるのは決まって真夜中、それも毎回泥酔してらしたものね」
「…………は!?」
「毎回獣のようにお求めになるからわたくしも大変でしたけれど、でもそのおかげで、こうして侯爵家の次代も授かって」
「何を言っている!?」
たとえ泥酔して帰宅したこと自体を憶えていなかったとしても、朝目覚めてからのことまで忘れるはずがない。ついでに言えば、この邸で朝を迎えた記憶もない。
「旦那様、フラウスとヴァニタスですわ。双子の男の子でフラウスが長男、ヴァニタスが次男ですの。そしてこの子が」
アロガントの怒りと困惑に気付きもしない様子で、フォーニーが嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「先ごろ産まれたばかりの、長女セラーレですわ。みんな可愛いでしょう?」
「知らん!俺の子じゃない!」
「まあ……この子たちは間違いなく旦那さまのお子ですわよ。産んだわたくしが言うのだから間違いありませんわ」
なぜアロガントが必死になって否定するのか、さも理解できないといったふうにフォーニーは首を傾げる。これからは定期的に戻っていらっしゃるのでしょう?この子たちとも遊んでやって下さいませね。と彼女に言われてアロガントは改めて幼子たちを見た。そう言われれば3人とも青みがかかった黒髪で、これはクラシーク侯爵家に特有の髪色である。さらに顔立ちも自分によく似ている気がする。
だが本当に、微塵も覚えがなかった。
「…………アロガントさま?」
隣から低い呟きが漏れ聞こえてハッとした。慌てて振り向けばグロリオーサが睨んでいる。
「どういう事ですの?彼女とは白い結婚だと仰っておりましたわよね?」
「ち、違うんだグロリオーサ!私には本当に憶えが無くて!」
「旦那様に憶えがなくとも、この子たちを授かったのは紛れもない事実ですわ。当然、認知なさいますわよね?」
「そ、そんなはずは……!」
狼狽えて視線を彷徨わせたアロガントの目に、応接室の壁際に控えている執事が目に入った。
「タキトゥス!貴様なぜ黙っている!説明しろ!」
「奥様の仰せの通りでございます。私から申し上げることはございません」
「なんだと!?」
もしも本当に泥酔して帰宅したアロガントが子作りをしたのが事実であれば、執事タキトゥスには定期的な手紙での連絡でフォーニーの妊娠や無事の出産を報告する義務があったはずである。なのに彼は一言返答しただけで、あとはまた黙ってしまった。
「……わたくしと、この子はどうなるのよ!」
執事を重ねて難詰しようとしたアロガントの隣で、グロリオーサが堪りかねたように叫んだ。
「貴方を信じて、わたくしは子まで孕んだというのに!こんなに大きくなった男児がいるなんて!騙したのね!」
そう。グロリオーサの胎にはアロガントとの愛の結晶がすでに宿っていたのである。
彼女はすでに28歳で、貴族女性としては妊娠も出産もやや高齢の部類に入る。彼女は出産時のリスクを承知の上で、彼を信じて彼の子を身篭っていたのだ。だって年齢的にも、今でなければ妊娠も出産もこの先危険度が上がる一方なのだから。
この世界、女性だけが習得できる避妊の魔術がある。彼女はそれを用いて彼の子を妊娠しない選択肢もあったのに、彼の願いを容れて妊娠することを選んだのだ。
だというのに、必ず正妻にするからと言う彼を信じて公邸に乗り込んでみれば、今いる妻はすでに3人もの子を産んでいるではないか。しかも男児ふたりは2歳くらいに見えるし、女児に至っては確実に生後半年といったところ。
つまりアロガントは、グロリオーサを熱心に口説きつつ邸ではせっせとやることをヤっていたことになる。そんな手酷い裏切りを、公女としてのプライドが許すわけがなかった。
「ちが、違う、グロリオーサ」
「言い訳など聞きません!この事はお父様にご報告致しますからね!」
「シュペルブス公爵閣下に!?待ってくれ!」
「待ちませんわ!」
止めるのも聞かず、グロリオーサは応接室を出て行ってしまった。そうして彼女はアロガントの馭者に無理やり命じて、アロガントの馬車で公爵家の王都公邸に帰ってしまったのだった。
「……それで?彼女は一体なぜ我が家にいらしたのですか?」
嵐のような彼女が去ってしまった玄関先で、不思議そうにそう聞いてくるフォーニーに、立ち尽くすアロガントは何も答えられなかった。
お分かり頂けただろうか(爆)。
フォーニーさんは事実と嘘を織り交ぜて語っています。
さて、ではどれが嘘でどれが本当のことでしょうか?