04.そして彼女は気付いてしまった
「お義父さま、お部屋に入れて下さいな」
「なっ!?君はなにを言い出すのかね!?」
わたくしの言葉がよほど予想外だったのでしょう。お義父さまは目に見えて狼狽えられました。
「だってわたくしに、この上さらに一階まで歩けと仰るのでしょう?わたくし、さすがにそれは恥ずかしゅうございます」
「そっそれなら、まずは着替えてきなさい。そのくらいはもちろん待つとも」
「お義父さまは明日の朝には領に戻らねばならないではないですか。お寝みになるべきお時間を、女の身支度でお待たせするわけには参りません」
「だっだが、初夜に新妻が義父の部屋に入るなど」
「今夜のことはすでに侯爵家の醜聞でございます。今さら取り繕っても仕方ありませんでしょう?」
振り返ると、執事も侍女長も青ざめて俯いています。彼らも一刻も早く、使用人全員を集めて箝口令を敷きたいと考えていることでしょう。
「あなたたち、ここはもういいわ。やることが他にあるでしょう?」
「は、いえ、ですがしかし」
「急がないと。外に漏らす訳にはいかないでしょう?」
「そ、それはそうですが」
「今夜、お義父さまにお付けした侍女をひとり寄越してちょうだい。それならいいでしょう?」
わたくしがお義父さまの部屋に入ったとしても、ふたりきりでないのなら最低限の体面は保てます。言外にそう伝えると、侍女長が「それでしたら、今も室内に控えているはずですわ」と言うではありませんか。
お義父さまに顔を向けると、どこか苦々しそうに「確かに、ひとり控えてはいるが……」となにやら歯切れの悪いお返事が。執事らはその侍女を必ず同席させるよう念押しして、それから頭を下げて慌ただしく去って行きました。
「……やむを得ん。入りなさい」
お義父さまもどこか諦めた様子で、わたくしをお部屋に入れて下さいました。今夜のことはすでに公にしてはならないほどの醜聞になっており、今さら取り繕っても無意味で、それよりも外に漏らさぬよう使用人たちを口止めすることの方が重要だとお義父さまもご理解下さったようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今宵のお義父さまの寝室は親族用の客間で、その中でももっとも広くて陽当たりも風通しもよい、一番上等のお部屋でした。
まあそれはそうでしょうね。つい半年ほど前までお義父さまはこの屋敷の当主私室をお使いだったのですから、一夜だけとはいえ並みのお部屋にお通しする訳にはいきません。
このお部屋は客間ではありますが長期滞在も想定した作りになっていて、中はいくつかの個室に分かれており、寝室やリビングはもちろん湯場や便所も完備されています。簡易な応接間も、侍女や侍従の控室ももちろんあります。
わたくしはその応接間に通されました。
もちろんお義父さまと、控室に下がっていたらしき立ち会いの侍女も一緒です。この侍女はわたくしより年嵩で、20代の半ばくらいでしょうか。すでに就寝の準備を済ませていたようで、化粧も落としてしまっていました。
「それで?初夜だというのに息子が君を放置して王宮に戻ったというのはどういう事かね?何か緊急事態でも起こったというのか?」
わたくしは夫婦の寝室での旦那様との会話の、その一部始終を余すところなく全てお義父さまに申し上げました。バルコニーに出て池の水面に映る部屋の明かりでお義父さまが今夜お泊りになられていることを思い出したことや、お知らせしようと部屋を出たところで旦那様の専属侍女に立ち塞がられたことまで、全部。
お義父さまは最初はさすがに懐疑的でしたが、わたくしの左手首に誓印が出ているのを見て顔色を変えられました。
「……確かに、婚姻式の際には君の手首に誓印はなかった。では、本当に?」
婚姻式のさなか、わたくしはウェディングドレスに身を包み、両手には純白の長手袋をはめておりました。ですが左手だけは、婚姻指輪の交換の際に一度だけ手袋を外しています。
良かった、どうやらわたくしの話が真実だと信じて頂けたようです。
「君には本当に済まないことをした。良かれと思って縁組して、息子も納得しているものとばかり思っていたが……。どうか愚息を許してやってはもらえないだろうか」
お義父さまはわたくしにそう言って頭を下げられました。旦那様に裏切られたのはお義父さまも同じだというのに。
「お義父さまがお詫びになることではございませんわ。お義父さまを謀って爵位だけせしめようとした旦那様が悪いのですから、どうか頭をお上げになって下さいな」
「だが……」
謝罪して下さったものの、お義父さまは息子のやらかしに苦悶の表情。もしもわたくしがこのことを外に漏らせば侯爵家の名誉も旦那様の名声も失墜するのですから、何としてもわたくしに許してもらわなければとお考えなのがよく分かります。
ですが、わたくしの求めているのは謝罪ではないのです。
「お義父さまにお願いしたいのは、わたくしを正式に侯爵家の嫁として遇するよう、旦那様を説得して頂きたいのです。できれば婚姻誓紙も一旦破棄して、[誓約]もきちんと結び直させて頂けないものかと」
「それはもちろん約束しよう。だが、君はそれだけでいいのか?子爵家とはいえ君の家は立派な王宮文官の家系だ。君もそうだがお父上の子爵が知れば、決して黙ってはいないだろう?」
まあ、普通はそうですわね。格下の子爵家とはいえこうまで虚仮にされれば腹も立つというもの。特に今回の場合は縁組を望んだはずの侯爵家が、その当主である旦那様が一方的かつ全面的に悪いのですから、泣き寝入りなどあり得ません。この上さらに旦那様が家門の力で我が家をねじ伏せようなどとなさろうものなら、わたくしも然るべきところに訴え出るだけです。
ですが、それではわたくしが子爵に罰せられるのです。そうならないためには何としても旦那様の、侯爵家の跡継ぎを産まなくてはなりません。
そう、侯爵家の種を、わたくしのこの胎になんとしても頂かねば⸺
あっ!
ここでわたくしは、またしても気付いてしまったのです。
そう。侯爵家の男性は旦那様だけではない、ということに。
お義父さまは今年で45歳におなりです。24歳の旦那様と、その3歳上のお義姉様を儲けられ、旦那様に爵位こそお譲りになりましたがまだまだ隠居なさるにはお早いお歳です。旦那様が先ほど寝室で仰っていた通り、普段は領都で領の統治を引き受けておられます。
というか、領の統治権を旦那様にはまだ渡していない、というべきかも知れません。
そしてそんなお義父さまは先年に奥方様を亡くされて、現在は独り身でいらっしゃいます。まだまだお元気でいらっしゃるのに、さぞお辛いことでしょう。
あっ、ではもしかしてこの侍女は、今夜のお義父さまの夜伽を仰せつかっていたのかしら?
そう思って見てしまえば、お義父さまがまだ起きていらっしゃるのにこの侍女はすでに化粧も落としています。その身から香る香油の匂いに、湯を使い身を清めたあとだということも分かります。
そしてお義父さまも、湯をお使いになったあとと見えて髪が少し濡れておいでです。まあガウンではなくスラックスとシャツを着ていらっしゃるけれど。
あらやだ。もしかしてわたくし、夜のお楽しみのお邪魔をしてしまったのかしら?
だとしたら…………責任を取らなくてはならないのではないかしら?
「お義父さま」
「……どうした?」
「あの、わたくし、今唐突に気付いてしまったのですけれど……その、もしかして、お義父さまの閨を邪魔してしまいましたか……?」
「…………ん、まあ、そこは気にしなくとも構わないから。緊急事態だったわけだしな」
案の定、お義父さまのお返事は歯切れ悪く、目線もあらぬ方向に泳いでいます。殿方の羞恥心はよく分かりませんけれど、わたくしのような若い娘に閨事を中断され、あまつさえそれを見抜かれるなど気まずいにも程がある……というところでしょうか。
ですが、これはわたくしにとっても好都合では?
「お義父さま」
「今度はなんだ」
「わたくしは、侯爵家の跡継ぎを産まねばなりません」
「それは分かっておる。だがあの愚息を説得するのはすぐには無理だろう。しばらくは我慢してもらうことになってしまうが⸺」
「いいえ、もうその必要もありませんわ」
自分の顔が次第に上気していること、わたくしには自覚がありました。だってわたくしは今から、ありえないほど恥知らずなことを口走ろうとしているのですから。
「必要ないなどと言わないでくれ。あやつは必ず説得して、正式に君に謝罪させるから」
「ですから、必要ないと申し上げています」
応接間でテーブルを挟んで向かい合いソファに腰を下ろしていたわたくしたちですが、わたくしは敢えて立ち上がって、お義父さまのそばに歩み寄りました。
お義父さまを見下ろす形にはなってしまいましたが、お義父さまの身体から女物の香油の香りがふわりと漂って、それで確信に至りました。
「だって、侯爵家の種なら、今ここにあるのですもの」