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02.無情な夫と酷薄な実家

 旦那様である侯爵閣下はとても有能な方で、日々お忙しくしていらっしゃいます。宰相閣下の次席補佐官を務められて、王家の覚えもたいへんめでたくていらっしゃる。さらにこのたび、若くして侯爵位をお継ぎになり、ゆくゆくは宰相の地位をも任されるのではないかともっぱらの評判です。

 それでいて、24歳におなりになる現在まで婚約者がいらしたことがありません。もちろん婚姻もなさっておらず、お子様もおいでではありません。侯爵閣下は常々、「仕事が忙しくて女子供にかかずらわっている暇などない、そんな些事(・・)より仕事のほうが大事だ」と仰っておられたそうです。


 ですが、そんな侯爵閣下もご当主として跡継ぎは儲けねばなりません。閣下がお子をおつくりにならなければ侯爵家の先行きが危ぶまれますし、何より閣下の優秀な血を後世に残すことができなくなります。

 そこで先代侯爵さま、つまり彼のお父様にしてわたくしのお義父(とう)様が厳選してお選びになったのが、我が子爵家でした。

 我が家は代々王宮文官を輩出してきた家系で、三代前には当時の宰相首席補佐官も出しています。現宰相の次席補佐官をお務めの侯爵閣下に嫁ぐ家系としては過不足なく、さらに我が父は財務補佐官を長く務めておりましたから、おそらく財務長官(そちら)からの推薦もあったことでしょう。


 ですが結局、侯爵閣下はお義父様のお心遣いさえも無碍(むげ)になさるようです。おそらくですが、15歳で成人してからもう10年が経とうかというこの歳になってもまだ婚姻しないというだけで半人前(こども)扱いされることが、我慢ならないのでしょう。

 侯爵閣下はわたくしがサインした婚姻誓紙を確認すると満足そうにそれを鞄に収め、「この部屋はお前が好きに使っていい。私は王宮の自室に戻る」と言い残して部屋を出て行かれました。自ら扉をお開けになり、そこで一度だけ振り返って「父上には明日、初夜を終えたと報告しろ。私が王宮に戻ったのは夜明け前ということにしておけ」と追加でお命じになり、そのまま去って行かれました。

 何しろ初夜ですから、部屋からは侍女たちも全員退去しており、わたくしと侯爵閣下だけでした。今のやり取りは全てふたりの間だけの秘め事であり、侯爵閣下が持って行かれた誓紙以外には証拠もありません。


 つまり、わたくしがこのことを誰かに訴えようと思っても、わたくしはそれを証明出来ないのです。仮にわたくしがどこかに訴え出たとして、初夜の閨で宰相閣下の信任厚い侯爵閣下がそのような非人道的な[制約]を強要したなどと、一体誰がそんな話を真実と信じて下さるというのでしょう。

 いえ、そもそも[制約]によってわたくしは口外も禁じられた身。訴え出ることすら叶わないのです。

 八方塞がりとはまさにこのこと。孤独になった部屋の中、わたくしはただ涙をこぼし、声を殺して泣くしかありませんでした。



 けれどもわたくしは、どうしても侯爵閣下のお子を孕まねばなりません。なんとしても侯爵家の跡継ぎを産まねばならないのです。

 だってそれこそが、子爵家(実家)から課された命令(・・)だったのですから。



 本来なら、侯爵家に嫁ぐのはわたくしの異母妹であったはずでした。子爵家には先妻の子であるわたくしと、後妻の子である異母妹のふたりしか子がおりません。だから長女であるわたくしが婿を取って跡を継ぎ、異母妹はどこかに嫁に出されるはずだったのです。

 わたくしは跡継ぎとして幼い頃から後継教育を受けさせられてきました。厳しい教育に、幼かったわたくしは幾度となく泣いて嫌がり、許しを乞いました。けれども決して許してはもらえませんでした。それでも実母が生きていた頃はまだ、たまに褒めてもらえることもあり、その時にはとても嬉しく誇らしく、もう少し頑張ろうという気持ちを持てたものでした。

 だって頑張れば褒めてもらえるから。わたくしはお母さまに褒めて欲しかった。そしてそれよりももっと、一度も褒めてくれたことのないお父さまに褒めてもらいたかったのです。


 ですがわたくしが10歳の頃に実母が亡くなり、それからわずか1ヶ月でやって来た後妻、今の義母はわたくしと年子の娘を連れていました。父は、母が元気だった頃から外に妾を作り、子まで産ませていたのです。


 それからは、思い出すのも辛い日々。褒められることは一度もなくなり、後継教育の一環だとしてわたくしは父の領政の補佐までさせられるようになりました。──いえ、濁さずはっきりさせるべきですね。わたくしは父のするべき領の統治を全てやらされるようになりました。

 父が義母と、そして後継教育もなく甘やかされるばかりの義妹と王都で遊び歩いている間、わたくしは領都で領民の陳情を受け、取引のある商人たちと商談をこなし、収支報告を受け帳簿をまとめ、税を取り立て王都の中央税庁に提出する書類を作成する日々でした。年に一度、税庁から査察が入る時だけは父が自ら対応していましたが、それ以外は全てわたくしの仕事でした。


 商談や領民の陳情で我が家が損害を被ればわたくしが責められ、食事を抜かれました。地下の懲罰房に入れられたことも、何度もありました。領政は一瞬の停滞も許されないのだからと、休日さえも与えてもらえませんでした。

 規模の小さな子爵領には、領政を補佐すべき家令すらもおりません。だから全てはわたくしの仕事で、責任も全てわたくしが負わされました。


 そんな中持ち上がった侯爵家との縁談。我が子爵家にとっては願ってもない良縁で、父は大層喜びました。


 ですが、義妹がそれを嫌がったのです。

 侯爵閣下は女性に興味がなく、夜会に出席なさってもご令嬢がたに愛想のひとつも振りまかず、そのために『女嫌いの堅物補佐官』とさえ揶揄されるお方。義妹もその噂を知っていて、嫁げば必ずや粗雑に扱われるはず、そんな不幸な婚姻など嫌だと泣いてみせたのです。


 それを聞いて父は、当たり前のようにわたくしに命じました。義妹の代わりに侯爵閣下に嫁げと。そして必ずや男児を産んで、その子を侯爵家の後継にせよと厳命したのです。

 次代の侯爵家当主が我が子爵家の、つまり父の外孫になれば、我が家の次代も安泰を約束されたようなもの。宰相補佐官にして次期宰相候補でもある侯爵閣下に、そしてわたくしの産むはずの次期侯爵に、我が家を引き立ててもらえると父は頬を緩ませておりました。

 例えそうなるとしてもまだこの先何十年も先の話であるのに、あたかもそれが決定事項であるかのように。


 ですがそのわたくしが、子も産めずに3年で離縁されて戻ったとなれば、父はどれほど怒ることでしょう。領地の片隅の神殿に入れられるならまだいい方で、おそらくは裕福などこかの商人に嫁がされるか、あるいはすでに爵位を譲って隠居生活を楽しむ老貴族の慰みものとして、売られる(・・・・)ことも充分にあり得ます。

 いえ、おそらくもっとも考えられるのは、離縁を儚んで自ら世を去ったと発表しつつわたくしを邸の地下懲罰房に押し込めて、死ぬまで領政の実務をやらせること……でしょうか。


 わたくしが侯爵家に嫁ぐと決まったことで、子爵家の跡継ぎは正式に異母妹に変更されていますから、出戻りのわたくしを今さら跡継ぎに戻すはずがありません。さりとて異母妹は後継教育など一切受けていませんから、まだ領政経験のある父が元気なうちならともかく、代替わりしてしまえば異母妹が失敗するのは目に見えています。

 ですからわたくしが出戻れば、あの異母妹はわたくしを死ぬまでこき使うことでしょう。わたくしから乗り換えた彼女の婚約者も、面倒な領政など嬉々としてわたくしに押し付けることでしょう。

 ……まあ、わたくしに面倒を押し付けるか、わたくしを売り飛ばして一時的に大金をせしめるか、そのどちらを選ぶかで真剣に悩むことでしょうね、あの人でなしたちは。






しまった、セリフがひとつもないや(汗)。

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