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夜月暁の短編集  作者: 夜月暁
ショートメッセージ
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-1-

「ごめん… 好きな人ができたんだ。君とはもう、会えない…」


 正座した膝の上には、きつく握られた拳が小刻みに震えていた。

 直視できないほどの醜態を晒しながら、彼は絞り出すような小さな声でそう言ったのだ。

 やたら狭いアパートの一室。

 テーブルを挟んで、向かい合う私たち。

 急によそよそしくなってから、約ひと月。そんな彼に気付いたけど、気付かないフリをしていた日々に、突然終止符を打たれたのだ。

 間違いなく、たった今、私たちの共有していた時間は終わったのだ。

 サヨナラを、私はちゃんと言ったのだろうか?

 裸足で飛び出した私は、不意にそんなことを思った。きっと、強く降るその雨が私の頭を冷やしたのだ。


 1990年代後半―

 バブルが弾け、好調だった景気が一気に下がり、銀行から融資を受けられずに倒産する企業が増加。そんな激動な時を生きていたが、自分にはそんな自覚もなく、テレビのニュースから溢れ出す聞きなれない経済用語よりもトレンディドラマばかり追いかけていた。

 そして一家に一台の固定電話機から1人一台携帯電話を持つ時代に突入し、一人暮らしをする若者が固定電話の加入権を必要としなくなる時代に差し掛かる。

 Windows95が世に出てから、いろいろな情報がインターネットを通じて溢れかえるそんな時代に生きていた私は、心にぽっかりと空いてしまった穴を塞ぐ術もなく、虚無感を漂わせながら暮らしていた。

 暮らすために働き、水を飲み、ただ食べていた。しかし、そこに生きている実感など感じることはできなかった。

 朝は必ずやってきて、私を苦しめる。なぜか自然と夜明けに目が覚め、窓から薄く差してくる光に、恐怖を覚えるのだ。

 また今日も、独りで生きなければならない、と…

 それでも、死ぬ勇気など、私にはなかった。


 そんな日々を繰り返しているうちに、日々は無常にも去って行く。気づけばあの別れから3ヶ月が経っていた。

 紫陽花が溢れるほどに辺りを彩っている頃、今日は休日出勤の振替で、仕事が休みだった。相変わらず私の景色には色が映らず、灰色の世界だった。カーテンの隙間から柔らかに差し込む朝日に気づき、ベッドの上に横たわっていた。また朝が来てしまった、と絶望しながらその光に背を向けると、やっと来た眠気で微睡み始めるのだ。

 次に気付いた時は、もう朝9時を回っていたが未だに水さえも口にせず、動かなかった。いや、動けなかったのだ。

 未だに過去の記憶に足を取られて、身動きが取れない。思い出す度に胸が疼痛で苦しくなり、呼吸が荒くなっていく。涙が勝手に滝のように流れ落ち、最後に交わした約束が、宙に浮いていた。

 休みになると、その前日から憂鬱になる。しかし、気分転換に独りで遊びに行く気にもなれない。一方でベッドの上で恐怖に震えながら目を閉じれば、幸せだった頃の思い出が走馬灯のように私の記憶から溢れ出していくのだ。

 幸せだったあの日々が私の全てだった。

 私の記憶の中で、あの人は優しく笑う。

『結婚しようね』

 彼の大きな手が私の頬にそっと触れた。暖かかったその手が私は大好きだった。しかし、もう触れることすらもできない。

 あれからもう3ヶ月も経つのに、私は何も変わっていない。変わったのは、180度反転した世界に落とされたことだけだ。


 その時だった。枕元にあるサイドテーブルに無造作に置いてあった携帯からメールの着信音がしたのだ。

 淡い期待が、私の気持ちを揺らす。震える手は、そっと携帯を握っていた。

(あ…)

 ところが、予想は大幅に外れていた。

(なんだ、迷惑メールか…)

 知らない番号からのショートメッセージだったのだ。

(どこのサイトからだろう)

 買い物をした時、どこかの店で会員登録をするのに携帯電話の番号を書いた覚えはあった。その情報が漏れたのだろうか。

 いつもの自分なら、読まずに削除する。しかし、いつもと同じとは言い難い今の私は、なんとなくそのメールに目を通していたのだ。


『はじめまして。怪しい者ではありません。 ショートメールで適当な番号を打って、送信しました。知らない人と話がしてみたくて、メールしました。僕はこの4月に大学生になり、上京してきました。まだ都会暮らしに慣れなくて、現実逃避なんですけど。 もちろん、出会い系サイトのメールではないです。会ってください、なんて言いませんから安心してください! ヒマな時に、話できたらいいなって( ´ ▽ ` )よかったら、返信ください。』


(話したいなら、SNSにでも登録すればいいのに…)

 私の頭の中で、そんな風に考えがよぎった。わざわざデタラメに番号を押さなくたって…と。

 しかし、そのデタラメで自分のところに偶然メールが届いたのだ。少しだけワクワクしている自分に気づく。私は急に可笑しくなり、携帯の画面を見つめながら笑った。この小さな奇跡が、胸に空いた穴を埋めてくれるかもしれないという期待を込めて…


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