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「火が消えたようですわ」
「正直退屈ですわね」
「推しのいない生活がかくも味気ないものとは」
新学期が始まってしばらく。
上級生たちは一斉に研修に出て、
研修先によっては長期で帰ってこないこともある。
ノイエは港町に赴き、アーサーは王都にいるらしいがほとんどトランジア校には戻らず、
ファンガールたちは公式の供給に飢えていた。
セイシルも久しぶりに、
旧礼拝堂の小部屋を専有して昼食を取っている。
寂しいもんだ。
父からは手紙が来ていた。
『ノイエくんが来てくれて嬉しい。
あともう一人、デイビスという男子学生も来ている』
貿易商のなり手、あわよくばジーン商会の優秀な社員となるかもしれない研修生に、ジーン商会総出で構い倒しているらしい。
がんばれノイエ様。
「あ、いたいたセイシルさん」
寮に戻ったセイシルを、おばちゃん寮監が呼び止めた。
薄い封筒をセイシルに手渡すと、
「大丈夫よ、内緒にしといてあげる」
とほくほく顔でウインクをした。
裏を見るとノイエ、と記名がある。
ノイエ様からの手紙だ。
『ジーン商会長の自宅にお世話になっている。
ここがセイシルの育った家なんだな。
ちょっとセイシルの部屋、入ってもいい?』
『絶対やめてください』
短く簡潔にカードに書いて封筒に入れ、すぐに送り返した。
それからごく短く、セイシルとノイエの文通が始まった。
『船乗りの爺さんに天候予測学を教わってる。
すげえ面白い』
『もしかしてヨナ爺ですか?
彼の天気予報はすごい的中率ですよ』
『今日は陸路からキャラバンが到着した。
変な馬みたいな動物がいた!ラクダっていうらしい』
『へえ、ラクダを使うならあの国かな。
私その国のデーツが好物なんです』
『デーツ、少しもらったから送る!
確かに甘くて精がつきそう。
最近身体をよく使って疲れるから、
回復に良いかも』
『身体を使ってるんですか?
何やってるんだろ』
『荷解きや積み込み、品質チェックも一緒にしてる。
すごいな、ここだけ異国だよ』
『港町は日差しが強いでしょう。
お肌のやけどに気をつけて』
『少し焼けて、筋肉もついたかも。
デイビスには負けてられないからな』
『デイビス様も貿易商志望なのですか?』
『そうなのかな?そうかも。
聞いてみる。
追記 デイビスには絶対会うなよ』
『いや会えませんが』
『帰学してからの話。
約束して』
『そんな無茶な』
『俺も頑張るから。
とにかく会うな』
『善処します』
『今日は船に乗った。
駄目だ、俺は船乗りにはなれない』
『何があったかはだいたい予想が付きますが』
『船酔いで動けなかった。
商会長は船に乗れずとも商売はできるって』
『ああやっぱり。
いいこと教えてあげます。
ウチの父も相当の船酔い体質です』
『本当か?良かった!
今日は船で着いた荷にいいものがあったから送る』
『パールのペンダント、ありがとうございます。
いい品ですね』
『だろう?桃色がかっていて綺麗だったから。
今度休みにでも着けてみて』
「こんなに頻繁に、
お熱いことねえ」
いつもの寮監はすっかり訳知り顔だ。
いや、やましいことは何もないのだが、
自分の両親が研修責任者でして、とは言いづらかった。
寮の自室でノイエからの贈り物を眺める。
送られてきた一粒パールのペンダントトップは、大粒で傷一つない。色味も少し変わっていて、多分高価だったはずだ。
ノイエ様は、どうしてこうも良くしてくださるんだろう。
セイシルは決して愛想がいいほうではないし、
友達付き合いとしてもそう楽しくもないだろう。
いくら秘密の小部屋を共有する仲だとしても、
ノイエの心遣いはあまりに厚いと感じる。
「ノイエ様は、優しくて真面目なんですね」
確か初めて会った日に、セイシルは彼に言った。
親しくなった今、本当に心から、彼は優しい人だと思える。
彼の見た目のイメージだけが愛されるのは勿体ない。
彼の人柄も、とても温かくてこの上なく素敵なのに。
それが知られずに葬り去られてしまうのは、セイシルには耐え難い。
「…会いたいなあ」
もうじき彼に会わなくなって二月になる。
ぽろりと転がりでたセイシルの気持ちが、パールのペンダントをころころと揺らした。
そして風の中に少しの肌寒さを感じるようになったとある秋の日。
その日は朝から騒がしかった。
研修に出ていた上級生が帰学し、本日より登校するからである。
「もうムリもうムリ」
「お気を確かに…!」
「メタモルフォーゼ…」
「いやムリ尊すぎてしんどい」
なにやらファンガールたちが朝からダメージを受けているところを見ると、あの2人も無事に帰ってきたらしい。
「あ、セイシルさん」
「アーサー様」
講義室への廊下で偶然アーサーに出くわし、
お久しぶりです、と挨拶する。
無造作に流れていた金髪が撫でつけられ、
シャツのボタンも首元まで留められておりなんだか凄く…お利口さんな感じだ。
「なんかイメージ変わりましたね」
「ああ、研修先の習慣でなんとなく」
「どちらへ行っておられたんです?」
「中央のアカデミーだよ。
僕、教員になりたくてね」
「ええー凄い!でも似合いますね!」
「ありがとう」
応援してますね、と言って別れた後ろで、アーサー様信者が「今すぐ生まれ変わってアーサー様の教え子になる」とか何とか喚いている。
午前の講義を、セイシルはどこか上の空で過ごした。終刻と共に片付けもそこそこに、購買へ急ぐ。適当にパンを買い、見つからないよう小走りで旧礼拝堂へ急いだ。
隠し扉を開ける直前、セイシルは自分の心臓が跳ねているのを自覚して戸惑った。
ただ扉を開けるだけなのに、なんでこんなに緊張してるんだろう。
自分で自分がよくわからないまま、ギギっと重い扉を開ける。
中にはノイエが立っていた。
…背がまた伸びた。
髪はかきあげられて丸いおでこが晒され、その下の眉毛が以前より雄々しくしっかりして見えた。
肌も焼け、少し痩せたかもしれない。
こころなしか肩幅も広くなったようだ。
『美しい少年』から『快活な青年』へのメタモルフォーゼ。
「ただいま、セイシル」
にかりと白い歯を見せて笑い掛けられ、
セイシルは自分のみぞおち辺りにトスっと衝撃が走り、
胸がきゅうっとしたのを感じて倒れそうになった。
セイシル、自覚。