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乙女セイシルは寮の食堂で朝食のブリオッシュを食んでいた。


季節はすっかり夏、年度末のホリデー直前である。


「郵便ですよ」


寮監が現れ、手に持ったバスケットから寮生宛に届いた郵便物を配布していく。

セイシルの席でも寮監は足を止め、

「はい、どうぞ」

と封筒を渡してくれた。


オレンジジュースを流し込み、

鞄に封筒を入れて登校する。



「夏の…夏の女神の悪戯が過ぎますわ…」

「反則…!反則…!」

「近ごろのノイエ様は本当にどこか…」

「そう、美しいだけに留まらずどこか男性らしくおなりで」

「わ、わたくし、動悸が止まりませんの…」



またノイエ様の噂してる。

夏服になった頃から、ちらほらノイエ様に悩殺されるファンガールたちが現れた。

普段アーサー派の者でも抗えない魅力らしい。



午前の講義を終え、

購買部で昼食を買っていつものように旧礼拝堂へ向かう。



ギギ、と重い扉を開けると、

ノイエ様が瓶から直接水を飲んでいた。

仰のいた首筋に一筋雫が流れ、上下する白い喉仏がそれはそれは扇情的だ。


「おう、」


流れ落ちた雫が開襟した鎖骨の真ん中に達する。


そう、この首筋と喉仏と鎖骨の3セット。

夏服になりノイエが少し襟足をカットしたことによりこの3セットが衆目に晒され、中性的であった彼の容姿に男性性が少し足されることとなり、何かしら背徳的な危うい魅力マシマシなのである。



「こんにちはノイエ様、暑いですね」


そういうセイシルも夏服である。

男子学生同様開襟となったシャツをパタパタやる。


暑いのか頬を上気させたノイエ様がこちらを凝視してくる。

なんだ、見るんじゃない。


セイシルは努めて気にせず昼食を取り出し、

一緒に朝届いた封筒を開封する。

パンを口に入れながら便箋に目を通した。


「ふむ」

「手紙か」

「ええ、両親から」

「おお…夏も帰らないのか」

「帰りません。

 その代わり両親がこちらに来ると」

「え」

「その報せですね。

 数日こちらに滞在するそうで」

「そ、そうか」


なぜかそわそわしだすノイエ様。


「ノイエ様はお帰りに?」

「え、あ、うん、そのつもり。

 日程はまだ決めてないけど」

「そうですか。良い休暇を」

「ありがとう、ところで」

「はい」

「ご両親はいつ来るんだ?」

「休暇の始めですね」

「そうか、その間はホテルに?」

「はい、私も部屋を取ってもらってるようです」


久々に長く街にいられるかもしれない。

ショッピングなんてしちゃおうかしら。


「へえ。ちなみにどのホテル?」

「ホテル・オリーブだそうです」

「いいとこじゃん!

 もしやセイシルんちって裕福?」

「多分そうですね」

「おお…」


セイシルの家は大きな商会をやっており、

地元では比較的裕福な部類だ。


「…なあセイシル、

 甘いもんって好き?」

「好きですよ」

「ホテル・オリーブのショコラタルトって、

 食ったことある?」

「ないですね」

「名物なんだよ。美味いんだってさ」

「へえ、今度食べられるかな」

「…食いに行かない?」


ほら、セイシルが滞在してる間に俺が訪ねるようにすればさ、周りの目も最低限で済むじゃん。


「なるほど」


確かに、高級ホテルのカフェテリアに宿泊客とはいえひとりで入る度胸はない。

割といい提案かもしれない。


「いいですね」

「だろ!」


じゃこの日からこの日が滞在ですんで、と手紙を見せる。


おう、わかった、じゃこの日この時間に行く。

はい、ラウンジで待ってます。


そんなやり取りを最後に、

トランジア校でのセイシルの最初の1年が終わったのだった。




そして休暇に入って数日。

ホテル・オリーブのラウンジで、

セイシルはノイエ様を待っていた。


ほんと分かんないもんだ。

縁もゆかりも無いと思ってた校内きっての美貌の男子学生と、まさか自分が親しくなり、あまつさえ校外で待ち合わせをしているなんて。



よく冷えた氷水が夏の日射しを反射し煌めく。

マドラーでくるくる回して万華鏡のような光の変化を楽しんでいると、手元に濃い影が落ちた。



「よ」


顔を上げると、

そこには普段よりカッチリとしたサマージャケットを羽織り、髪を上げておでこをしっかり晒したノイエ様がいた。


普段「湖」と称される水色の瞳が、今日はまるで晴れ渡る夏の空のようだ。



「は〜〜〜……」

「なんだよ」

「いや、見惚れてました」

「はっきり言うなよ、照れるだろ」


前の席にどかりと座ったノイエ様は、近づいてきたウェイターを手で制し、


「失礼、

 すぐカフェテリアに移動しますので」


と丁寧に給仕を辞した。

そして言葉通りすぐ立ち上がり、


セイシルに向かって手を差し出した。

これは…エスコート…?!


おずおずと手を乗せると、

意外と大きな手のひらに指を包まれる。


カフェテリアのほうへ手を引かれながら、ノイエ様はこっちを見ずに呟いた。


「セイシルこそ今日すごいじゃん」


すごい?


「褒め言葉と受け取ってよろしいですか?」

「よろしいよろしい」


ノイエ様の頬がオカメインコ化してるところを見ると、本当に褒めてるつもりらしい。


「ノイエ様…、

 さてはエスコート慣れしてませんね?」

「当たり前だろこちとら男扱いされてねえんだ」


早口で抗議される。

確かに男扱いというか天使扱いというか神格化されているというか。


少なくとも数多の女性と百戦錬磨、ということはなさそうである。


それでもセイシルの指をしっかり離さないまま、ノイエ様はぎこちないエスコートをやりきってくれた。



名物のショコラタルトは確かに美味しかった。

珈琲によく合うリッチなお味を、ちびちび樂しんだ。


「なあ、セイシルのご両親ってどんな人?」


唐突にノイエ様が問う。


「どんな…うーん、

 うちは商会をやってるんですけど、

 忙しい割には子煩悩な人たちです」

「いや、そうじゃなくて、

 いやそれも勿論大事なんだけど、

 もっとこう見た目とか」


「見た目?

 母はショートカットにフィンガーウェーブを掛けてて、長身細身ですね。

 父は中肉中背、口ひげをひょろりんと整えるのが好きみたいです」

「あー…」


そう気まずげに言うノイエ様の視線が、セイシルの頭の上あたりで泳いでいる。


ん?


嫌な予感にバッとセイシルが振り返ると、


「セイシル…

 その美しい方はどちら様…?」



セイシルの両親が野次馬根性丸出しの顔でそこにいた。




いそいそと同席してきた両親は、

「ショコラタルトが気になっちゃって〜」といけしゃあしゃあと宣った。


ノイエ様は丁寧に自己紹介したあと、

「ご令嬢とはランチ仲間で」と付け加えた。

間違ってないけど間違ってる。


何だかんだ当たり障りのない世間話の中、


「セイシルには悪いことをしたんだ、

 私達の仕事のせいで避難してもらうことになって 

「避難?」


ふいに父が発した言葉にノイエ様が食いついた。


「ああセイシル、話してなかったのか」

「うん」

「すまんすまん。

 うちの商会は私が興した若い商会なんだが、

 お陰様で順調に成長しててね。

 そうすると古い商会の次男坊やらが、

 ひとり娘のセイシルを狙いだしたんだ」

「そうそう、凄かったのよ、

 有象無象の群がり方が」

母も参戦する。


「へえ」

「同じ年頃ならまだしも、

 40過ぎて親の脛齧り続けてる不良債権を押し付けようとしてきたのもいたわ」

「しかも我々が新興であるから、

 やから高圧的に命令口調で婚約を強いてくるんだ」

「で、セイシルと相談して、

 トランジア校に合格してる才媛っていえば、

 そう軽んじられはしなかろうと」

「トランジア行きをやめて婚約しろなんて、

 商人の間じゃそう言われないもの」

「で、猛勉強始めてもらったってわけ」



「はあ、だから避難」

「そう。4年あれば状況も変わるだろうし、

 その間は私達両親が踏ん張るさ。

 在学中に良い人を見つけてくれれば御の字だ」


ぱちん、と父がノイエ様にウインクする。

やめい。


「なるほど、

 それで在学中は地元に帰らないと」

「そういうことだ。

 日毎綺麗になるセイシルを見たら、

 しつこく言い寄る奴もいるかもしれん」


どこが綺麗だ。

普段小汚い小部屋でパンを貪る姿からは無縁の言葉だろうが。

そう抗議したかったが、やたらノイエ様が深く頷くので何となく口出ししがたい。


「ノイエくんは?

 トランジアからはどの分野に?」

「まだ決めかねています。

 僕は家が美術商でして。

 ちょっと家業に関わることがあったので、

 跡取りを期待されているんですが」


「え」

 新情報だ。 


「ノイエ様、

 もしかして絵画のモデルになったのって?」

「ああうん、そう。

 うちに出入りしてた画家に頼まれて、

 ちょっとモデルしたんだよ。

 その絵がやたら売れて連作になったり、

 お陰でうちも名が売れたんだけど」

「お、もしやそれはイートン画伯の?」

「そうです」

「おお、『美の暴力』と評されたあの作品か!」


なんだ『美の暴力』って。


父はそりゃあ親御さんも期待されておられるだろう、とうんうん頷いているが、ノイエ様は浮かない顔だ。


「それがですね…」

「うん?」

「僕、美的センスがからっきしでして」

「ぶほ」


セイシルは口に含んでいた珈琲を吹きそうになった。危ない危ない。


「ほほう」

「芸術がぜんぜん分からないんですよ。

 みんなが褒めそやす作品の良さが分からない」

「ほ〜」

「客が欲しがりそうな作品も分からない」

「ほう」

「そんな人間が美術商やっちゃ駄目でしょ」

「そりゃダメですね」


思わずセイシルも口を挟んだ。


「何より僕自身、

 美術商やっていける自信がひとかけらもない」

「なるほど。

 ではノイエくんはどんな物に心惹かれる?」

「そうですね、珍しいもの…

 舶来の市が昔から好きなんです。

 あのスパイスの香りとか、幾何学模様のテキスタイルとか」

「へえ」

「あとは数字勘定ですね。

 多分僕、貿易商とかやりたいんだと思います」


「おっ」「あら」

両親が顔を見合わせる。

セイシルは慌てた、やめろ、やめてくれ。


「なら!

 ノイエくんウチに来たらいいじゃない!」


やめろとの願いは叶わなかった。

そう、セイシルんちは貿易商。

まさかのマッチングである。


「いえ、単に思いつきで言っているだけで、

 本当にやりたいかは分かりません」

「ああごめんね、でも貿易商として嬉しいよ。

 トランジアには貿易商の研修先はある?」

「いえ、それがないんです。

 ですので普通の商会へ研修へ行こうかと」

「それはいけない!

 貿易商ならではの特殊な知識や働き方があるからね」


ふーむ、と父がひょろりんヒゲを弄る。

ああら、と母が頬杖をつく。


「どう思う?母さんや」

「名門トランジアの学生に貿易商の門戸が開かれていないこと…勿体ないですわね」

「儂もそう思う」


ようし、と父がパンと膝を叩く。


「トランジア校の研修先として、

 我がジーン商会を売り込むのはどうかね、

 母さんや」

「名案ですわね」


それでは善は急げと、

両親はいそいそと席を立ちだした。


「ノイエくん、君のおかげで地元へいい土産ができそうだ。

 もし気が向いたら、君もぜひ当商会での研修を考えてくれたまえ」

「はあ…」

「じゃあまた会いましょうね、ノイエくん!」

「セイシルもまたディナーで!」


と、あっという間に去ってしまった。

まったくフットワークの軽い人たちである。


「すみません、うちの両親が…」

「いやいや、挨拶したいとは思ってたから。

 この展開は予想外だけど」

「ノイエ様、ほんと気を遣わなくていいですから…

 お好きなところで研修していただければ…」

「いや、でも本音を言うと、

 貿易商の仕事が見れるなら見たいと思ってたから、

 結構俺としてもラッキーな展開かも」


うしし、と笑うノイエ様が、

いつもよりさらにわんぱくに見えた。


残ったショコラタルトは二人でのんびり食べた。

いつもより余所行きの二人なのに、両親に会ったからか、いつもより近しい存在に感じてしまい、セイシルは盛大に困惑した。



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