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今日は春の星夜祭。
このトランジア校最大の学校行事だ。
講義はすべて休止され、
前日から多くの業者が校内に出入りする。
当日は校舎の至るところに出店が並び、
学生たちは朝から晩まで祭を楽しむのだ。
中庭で楽器演奏やダンスのパフォーマンスをするもの、
講堂を借り切って演劇を披露するもの、
自分の書いた絵画を展示するもの。
さしずめ文化祭といえるこの行事は一般にも数量限定のチケットが売り出され、さらには受験希望の未就学生には無料でチケットが配られるため、普段学生と教員しかいない校舎が多くの人でごった返すのだ。
「うま」
乙女セイシルは中庭でゴスペルを聴いていた。
ありゃうまい、プロになるべきだ。
手には先ほど買ったプレッツェルを持っている。
塩が効いていてこれもうまい。
「あああアーサー様よ!!」
「今日も巨木のように逞しい肢体!」
「春の陽が歯に反射してレフ板のようですわ!」
「それにしてもあのお衣装はなんですの?!
まるで布を巻き付けただけに見えますわ!」
「古代人の正装だそうよ。
民族研究会が再現して、モデルをお引き受けになったとか」
「あの太もも…塩漬けにして生ハムにすべきですわ」
「ごくり…」
「民族研究会、よきお仕事…!」
見ると腰と胸にかけて長い布を巻き付け、
金髪には月桂樹を飾ったアーサーがのしのし歩いている。
「アーサー様は一体どなたにランタンを渡すのかしら」
ランタン、とは、
星夜祭最大のイベントであるキャンドルナイトで使用される道具である。
全校生徒にひとつずつ、手のひら大の小さなランタンが配られる。
夜には業者も一般客も帰るため、本来の学生たちの領域に戻った校舎で、校長の合図で一斉にランタンを灯すのである。
当日までに学生たちは、
ランタンを思い思いに装飾する。
真鍮の骨組みを色とりどりに飾ったり、
炎色反応を使って炎そのものの色を変えたりする者もいる。
自分好みのデコレーションを楽しむと同時に、想い合う者たちでひっそりランタンを贈り合うのが、このイベントの隠れた楽しみなのである。
「あれ、ノイエ様がいない」
民族研究会の餌食にはならなかったのか。
「アーサー様、ノイエ様はどちらに?」
勇気ある女生徒もアーサーに尋ねている。
「ああ、少し体調を崩していてね。
部屋で休んでいるそうだ」
「残念…!ノイエ様のお衣装も拝見しとうございました…!」
「民族研究会のみんなが衣装を着たノイエを撮影していたよ。
東棟の3階ホールに展示してあると思うよ?」
なんだっけ、吸血鬼伯爵の衣装だっけな?
アーサーがそう言った途端、
ファンガールたちは地面に崩折れた。
「民族研究会…分かってらっしゃる」
解釈一致解釈一致と、地を這うように東棟へ向かうファンガールたちを見送り、
上機嫌でアーサーは去っていった。
「…ちょっと見たいかも」
そう思ったセイシルは東棟へ向かったが、
女子たちの大行列ができていて、2階にすら上がることができなかった。
そして夕暮れ。
セイシルはまたもや一人、校舎の渡り廊下をぶらついていた。
薄暗くなった校内では、そこかしこで男女のペアが談笑していたり、
ランタンを交換し合ったりしている。
寮に人が少ない間に貸し切り風呂でもしてやろうかとも思ったが、
なんとなく勿体ない気になって、また校舎に出てきたのである。
ふと、はずれの旧礼拝堂が目に入る。
うーん、と少し考え、セイシルはそちらへ足を向けた。
ギイ、と隠し扉を開ける。
「…あら、随分美しい吸血鬼ですね」
「うるさい」
ノイエ様が気合の入った衣装で小部屋に寝そべっていた。
「出店、何か食べました?」
「アーサーが買ってきてくれたホットドッグとポテト。
あとプレッツェルとチュロス」
「あ、プレッツェル美味しかった」
「食べた?」
「はい、食べました」
「この衣装、すごいクオリティでさ」
「ほんとですね、お金かかってそう」
「服飾職人になるべきだよな」
立ち上がりくるりと見せてくれるが、
辺りが暗くて細部がよく見えない。
「ランタン持ってる?」
「はい、持ってます」
「着けるか」
「フライングですけどね」
知らねえそんなの、と二人して明かりを灯す。
「おお、ランタンに照らされた吸血鬼伯爵、
すごい迫力ですね」
「襲ってやろうか」
「御冗談を」
ふたりして顔を寄せ合い笑う。
あまり大きな声を立てると、今日あたりはバレそうで怖かった。
「格子の向こうの礼拝堂では、
男女のロマンスが見られるかもしれませんよ」
「覗きなんて悪趣味な真似はしねえよ」
ぽつりぽつりと会話しているうち、
拡声器越しの校長の声が響いてきた。
そろそろ点灯の合図だ。
「セイシル、ランタン装飾した?」
「いいえ、何も。
ノイエ様は?」
「俺も何にも」
ふたつ並んだランタンを眺める。
そっくり同じ、裸のランタンだ。
「どっちがどっちのだっけな」
「さあ、分からなくなりましたね」
「…じゃあ、
こっちがセイシルのだ」
ノイエ様が、自分に近い方のひとつを手に取りセイシルに渡す。
セイシルも、
「じゃあ、こっちがノイエ様のですね」
自分に近い方のランタンをノイエ様に手渡した。
ノイエ様は嬉しそうに笑い、セイシルもつられて笑った。
『点灯!』
校長の声がして、
小部屋の扉をうっすら開けると、
校舎の上から下まで色とりどりの光が広がっていた。
レンガの壁や庭に、光の花が咲いたようだ。
「凄い」
「こんなに綺麗なんだな」
「ちょっと外出ます?」
「いや、いい。
見つかりたくない」
「それもそうですね」
星夜祭は光と共に更けていった。
セイシルはなんとなく、ランタンを寮のベッドサイドに飾った。
目に入るたびに光の花々と、むず痒い気持ちを思い出した。